姉ちゃんとのある日常⑤-1
1
俺には最近困っていることがある。
ピピピ、と目覚まし時計が鳴って、俺は目を覚ました。ちゅんちゅんと雀が鳴いている。洗面台へ行って顔を洗う。トーストを焼いて食べる。制服に着替えてカバンを持って、玄関に立つ。姉ちゃんが作ってくれた弁当をカバンに入れて靴を履く。いつもと同じ朝のルーティンをこなして、俺は家を出ようとした。玄関に手を掛けたところで姉ちゃんがやってきて、
「ユウタ、弁当持った?」
と聞いてきた。
「うん、持ってるよ」
姉ちゃんに見えるように弁当を手に取って上にあげる。
「そっか。ならよかった」
と言いつつ、姉ちゃんはさらにこちらに歩み寄ってくる。そして俺の顔にそっと触れた。
「……」
俺は何をされるのか察して目を閉じた。姉ちゃんの息が俺の顔に当たる。次の瞬間、唇に熱くて柔らかいものを押し付けられた。
「……」
姉ちゃんは顔を離すと、慈愛に満ちた表情で
「それじゃ、いってらっしゃい」
と言って微笑んだ。
「……いってきます」
俺は姉ちゃんに手を振って玄関の扉を開けた。
……俺には最近困っていることがある。
最近、姉ちゃんがすごい頻度で俺にキスをしてくるのだ。昨日は3回された。一昨日は4回だっただろうか。キスをするのは、ふわっと心が軽くなる感じがして嫌いじゃない。けど、こう回数が増えてくると、頭がぼーっとしてくるし、体がふらふらしてくるし、胸がちょっと苦しくなるし……、なんというか、うまく言えないけれど、こんな生活を続けていたら、良くないことが起きる気がするのだ。
例えば俺が、本気で姉ちゃんのことを……、とそこまで考えて俺は首を振って思考をかき消した。
はあ、とため息が漏れる。
姉ちゃんは今のこの状況をどう思っているんだろう。なんで俺にこんなにキスをしてくるんだろう。最近、姉ちゃんのことで気になることがたくさんあって、本当に困る。
2
「おはよう」
自分の席にカバンを置いて、前の席に座っているアツヤに挨拶した。
「おはよー」
アツヤは挨拶をしたあとで大きなあくびをした。
「眠そうだね」
「昨日、アニメを見てたら午前3時回ってた」
「……そんな面白いアニメだったの?」
「ああ。最高だった。だから今眠くても悔いはないよ」
と言ってアツヤは眠そうに目をこする。
「ふーん。どういうストーリー?」
俺は席に座って、カバンの中の教科書を机に入れていく。
「すっごいおおざっぱに言うと、弟が姉に恋する話かな」
ドササササ、と教科書が一斉に俺の手元から落ちた。
「……大丈夫か?」
床に散らばった教科書と俺の顔を一瞥して、アツヤは言った。俺は教科書を拾いながら
「大丈夫。……そっか、アツヤはそういう系のアニメが好きだったんだね」
と言った。
「あー、いや、兄妹恋愛みたいなアニメは今回が初めてかな。新たな扉を開いちゃった感じある。……そういえば、ユウタってお姉さんいたよね?」
「……うん、いるけど」
なんとなく、この流れで姉について質問されるのが嫌で、渋々答えた。
「ユウタはお姉さんのこと好き?」
「嫌いではないけど」
変に返答を渋るとおちょくられそうなので、俺はなるべく冷静にそう言った。
「ユウタのお姉さんって綺麗なの?」
「まあ、綺麗だと思うよ」
「へえ~」
アツヤがニヤニヤした顔で俺を見る。
「……アツヤ、アニメに影響されすぎ。ちょっと気持ち悪いよ」
俺が呆れたように言うと
「あははは。ごめんごめん。俺んちは姉がいないからさ、実際に姉がいるってどんな感じなのかなって思っただけ。聞き流していいよ」
とアツヤは言った。そしてまた、大きなあくびをする。
「じゃ、俺はまた寝ようかな。ユウタおやすみ」
3
アツヤは自分の机に突っ伏して眠り始めてしまった。相変わらず、マイペースな男だ。アツヤが眠って話し相手がいなくなってしまったので、俺は仕方なく昨日やり残した宿題をやることにした。英語のプリントと英和辞典を机に出して、シャーペンを手に取る。英文を読んで訳を書こうとした時だった。
「ユウタ君」
と女子に呼ばれた。
基本クラスメイトの女子からはサトウさんとか、サトウ君と名字呼びされることが多いため、下の名前で呼ばれたことに少し違和感を感じつつも俺は顔を上げた。目の前の人を見て、俺はぎょっとする。そこにはクラスメイトのハギワラアヤメが立っていた。彼女はうちの高校で一位、二位を争うほどの男子人気を誇る女子だ。このクラス内にも彼女のファンが数人いることを俺は知っている。今だって、ただ少し声をかけられただけなのにそのファンの男子達からちらちらと見られているのがわかった。
「な、なに?」
と俺はぎこちない表情でハギワラさんに聞いた。
「あそこにいるのは、ユウタ君のお姉さん?だよね。ユウタ君のこと、呼んでたよ」
と言ってハギワラさんは教室の黒板側の扉を指さした。そこにはたしかに、姉ちゃんがいた。
「え!?なんで?」
と俺が驚くと、その様子を見てハギワラさんがふふ、と笑った。なんで笑われたのかはよくわからなかったが、とりあえず
「ありがとう。教えてくれて」
とハギワラさんにお礼を言って、小走りで姉ちゃんのもとに向かった。
扉の前では少し話しづらいので姉ちゃんを連れて人気の少ない通路まで歩いてから、
「どうしたの?」
と聞いた。姉ちゃんはすこし具合悪そうな青ざめた顔で、
「え、えっと、鍵を渡そうと思って」
と言ってポケットから家の鍵を出して俺に見せた。
付いているキーホルダーを見た限り俺がいつも持ち歩いている鍵だった。どうやら、今日は家に忘れてきてしまって、それを姉ちゃんが届けに来てくれたようだ。
「うわー。ごめん。仕事の方は遅刻しない?大丈夫?」
鍵を受け取って俺は言った。
「だ、大丈夫。この学校、結構職場に近いから。余裕で間に合うよ」
青ざめた顔で姉ちゃんはえへへと笑った。何だか様子が変だと思った。
「……姉ちゃん、顔色悪いけど、もしかして具合悪い?」
「あ、あはは。久々に高校の校舎に入ったから色々フラッシュバックしちゃって」
困ったように姉ちゃんは頭を掻く。自分の眉が無意識に下がったのがわかった。高校時代を思い出して、こんな風に顔が青ざめてしまうなんて、なんだかやっぱりかわいそうだなと俺は思った。少しでも姉ちゃんを元気にできるような気の利いたことを言ってあげたかったが、結局何も思いつかず、俺は黙ってしまう。
「それじゃ、それだけだから。じゃあね」
と言って姉ちゃんはふらふらと昇降口の方へ向かった。途中まで送ってくよ、と言ったのだが、姉ちゃんからは大丈夫だから、と止められてしまい、仕方なく俺は教室に戻った。教室に戻ると、ちょうど朝のホームルームが始まった。
4
昼休み。弁当を食べ終えて教室でアツヤと世間話をしていると、
「おーい、アツヤとユウタもこっち来いよ」
とクラスの男子に呼ばれた。振り返ってみると、珍しくクラスの男子達が集まって何やらこそこそと談笑していた。
一体何事かと思いつつ、その集団の中に入ると、リーダー格の男子のシュウジが
「アツヤとユウタはさ、付き合っている人とか好きな人っている?」
と無邪気な笑顔で聞いてきた。どうやらみんなで集まって恋バナをしていたらしい。俺は少し顔をしかめてしまった。というのも、俺はあまり恋バナにいい思い出がないのだ。昔から異性で好きな人って言われてもあまりピンと来なかったし、いつも盛り上がっているみんなに合わせて笑っているだけだったから。
「付き合っている人はいないなあ」
とアツヤが平然と答えた。
「俺も」
と後に続いて答える。
「じゃあ、うちのクラスは付き合ってる奴いないのか。しけてんなあ」
シュウジが椅子の背もたれに体を預けて心底つまらなそうに答えた。
「なんでまた、急に恋バナなんかしてんの?」
とアツヤが聞く。
「身近なきゅんきゅんする話が聞きたくて」
「なんだそれ。女子かよ」
アツヤがシュウジにツッコむ。シュウジはまた身を乗り出す。
「じゃあさ、好きな人は?好きな人はいるだろ?」
「それは女優とか芸能人でもOK?」
「いや、だめ。そういうんじゃなくてクラスの女子とかで」
「えー。答えたくねー」
「あ、答えたくないってことはいるんだな?」
めんどくせーぞ、お前。と言ってアツヤが笑う。
シュウジもその他の数人の男子達もそれを見て笑っている。
こういう時、アツヤは簡単に輪の中に溶け込むからすごいなと思う。
同時に少しだけ置いてけぼり感があって焦る。
「ユウタは?どうせいるだろ?白状しちゃえよ」
とシュウジは急に質問の矛先を俺に変えてきた。
「……えーっと」
あ、俺も知りたい。とか、ユウタって謎が多いんだよなー。とか、そんな男子の声が周りから聞こえてくる。
なんだか、いないって言いづらい雰囲気だった。
適当にあたりさわりのない女子の名前を言ってごまかしてしまおうか、と思い、俺は誰の名前を答えるか考えた。
その時、一瞬、姉ちゃんの顔が頭に浮かんだ。
すぐにかき消して急いで別に女子を頭に思い浮かべる。
「……ハギワラさんかな。好きなのは」
と俺は言った。
ハギワラさんを好きな男子はたくさんいるし、高嶺の花だから本気で付き合おうなんて考えている男子はほとんどいない。だから、俺が彼女のことを好きだと言っても誰にも迷惑はかからない。
言ったあとで、うん、これが正解だなと俺は思った。それなのに、
「……」
なぜか、誰も俺の回答に反応してくれなかった。周りの男子達はみんな黙って、気まずそうな顔で俺の後ろを見つめている。
何だ?と思って振り向くと、目の前にプリントの束を持って目を丸くしているハギワラさんがいた。
「……英語の宿題のプリント集めてるから出せる人は今提出をお願い」
何事もなかったかのように彼女は言った。そして、みんなからプリントをもらうと教室を出ていった。
男子の集団がそれをきっかけに散り散りに自分の席についていく。
戻っていく男子の一人が俺の肩をぽんと優しく叩いて
「ど、どんまい」
と気の毒そうに声をかけてきた。
どうやら俺は知らないうちにハギワラさんに告白をして、振られてしまったらしい。苦手な恋バナ自体は何とか乗り切れたし、これでいいか、と俺は思うことにした。
何はともあれ疲れた。
(今日は早く家に帰りたいな)
自席に戻りながら俺はそう思った。
早く、姉ちゃんとゲームがしたい。
また、キスをしてほしい。
そんなことを考えていたら、教室に先生が入ってきて、間もなく5限目の授業が始まった。
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