姉ちゃんとのある日常④-1

 最近、姉ちゃんは仕事から帰ってくるとすぐに自分の部屋に引きこもる。土日に至っては仕事が休みなので一日中自分の部屋に籠りっきりである。前まで夜は毎日俺とゲームをして遊んでいたのに、部屋に籠るようになってからは遊んでくれなくなった。朝に弁当を作るのも習慣になりかけていたのに、最近は全然作っていない。

 姉ちゃんがそんな状態だからだろうか。気付けばここ最近の毎日があまり楽しくなかった気がする。


 8月31日、日曜日午前9時。俺は朝ご飯を食べ終えて、今日も1人、リビングのソファでだらだらしていた。窓の外の蝉の声が日に日に少なくなっているのを感じる。夏休みは今日でおしまいで明日から学校だ。今年の夏休みもどこも行かなかったな、とソファに寝転がって天井を見ながら考えていると、今日初めて、姉ちゃんが自室から出てきた。ふらふらと歩いて冷蔵庫を開ける。


「おはよう」


と声をかけると、姉ちゃんは2秒ほど間を置いてから、はっと顔を上げてこっちに振り向いた。


「……おはよう」


そう言ってまた冷蔵庫の中を物色しはじめる。


「……あれ?ユウタ。ここに入れてたアイス知らない?」


「え。姉ちゃんが昨日部屋に持っていったの見たけど……」


「……へ?」


姉ちゃんはしばらく考えたあと、


「あー。そうだった。私が食べたんだった。あはは……」


と眉を八の字にして笑った。


「……アイス、買ってこようか?暇だから買ってきてあげてもいいよ」


「ううん。なければないで大丈夫。ありがとね」


と言って、姉ちゃんはまたふらふらと自分の部屋に戻っていった。



「……はあ」


と俺はため息をついた。姉ちゃんはもうかれこれ三週間近くこんな調子だ。ずーっと上の空で心ここにあらずといった感じ。「体調でも悪いの?」と聞いても、「ううん。悪くないよ」って言うし、「何か嫌なことでもあったの?」と聞いても、「何もないよ」と言って、明らかに何かおかしいのに俺には何も教えてくれないのだ。


「相談してくれれば、何でも力になるんだけどなあ」


はあ、とまたため息をつく。ゲームは一人じゃつまらないし、このままだと明日の昼ご飯は購買の菓子パンだし、姉ちゃんに元気がないと不都合なことが色々とあるのだ。……やっぱり姉ちゃんには元気でいてほしい。



 俺は起き上がり、歩いて姉ちゃんの部屋の扉の前に立った。もう何回も聞いていてしつこいって思われるかもしれないけれど、それでももう一度だけ姉ちゃんに何を悩んでいるのか聞こう。俺は一度深呼吸をしてから、コンコンとノックした。


「姉ちゃん?」


「……何?」


「……この前も聞いたけどさ、本当に悩んでること何もないの?」


「……何もないよ」


「今、辛かったり、苦しかったりしてない?」


「……うん、大丈夫」


「……」


ここで引き下がったら今までと一緒だ。俺はもう少しだけ踏み込んでみることにした。


「それじゃ、どうして部屋に籠ってるの?」


「……」


「話してくれれば、俺、何でも力になるよ」


窓越しにミンミンゼミとアブラゼミの鳴き声が聞こえてくる。姉ちゃんは数秒沈黙した後に


「……ユウタに話してもどうにもならないことだから」


と言った。


「……えっと、そっか。うん。わかった」


俺は扉の前から離れてまたソファに寝転がった。やれることはやったよな、と自分に言って聞かせる。姉ちゃんも一人の時間が欲しいから部屋に籠っているわけだろうし、これ以上干渉するのはよくないだろう。それにしても、「ユウタに話してもどうにもならないことだから」は思った以上に傷ついた。確かに、高校生の俺が社会人の姉にしてやれることなんてあまりないのかもしれない。あーあ。こんな思いをするなら変に勇気を出したりしなければよかった。本日三度目のため息をついて、俺はそんなことを思った。



ピンポーン

テレビをつけて、別に興味もない朝のニュースをぼーっと眺めていると玄関のベルが鳴った。はーいと言って急いで玄関の扉を開けると、大きな段ボール箱を抱えたおじさんが立っていた。


「宅配でーす」


と言って受領書を渡される。確認すると差出人はお母さんだった。ハンコを押して荷物を受け取り扉を閉める。さっそく俺は段ボールを開けて中身を確認した。中身は主に食料だった。お米、レトルトカレー、缶詰、パスタ、パスタソース等など。


「ん?」


箱の中身を出していくと最後に林檎が2つ出てきた。俺はそれを見た瞬間、姉ちゃんの顔がぱっと思い浮かんだ。というのも林檎は姉ちゃんの大好物だからだ。そういえば、姉ちゃんが風邪を引いた時や何か落ち込んでいるときはよくお母さんが林檎を買ってきて姉ちゃんに食べさせていたものだった。……林檎を食べれば今の姉ちゃんも少しは元気になるかもしれない。俺は林檎をぎゅっと握った。

(あと一度だけ、本当にあと一度だけ話しかけてみよう。これも拒絶されたら、あとはそっとしておこう。)

そう思って俺はまた、姉ちゃんの部屋の前に立ってノックした。


「姉ちゃん。お母さんからの仕送りで林檎が届いたよ。俺が切るから一緒に食べない?」


「……」


姉ちゃんから返答はない。


「もう、しつこく質問したりしないから……」


「……」


一秒、二秒、三秒、と時間が過ぎていく。やっぱり、だめだろうか。諦めて扉の前から立ち去ろうとした時だった。


「うん……。食べる」


と姉ちゃんから返答があった。気のせいかもしれないけど、その声を聞いた時、姉ちゃんはさっきまで泣いていたんじゃないか、という気がした。



水洗いした林檎を八等分して種の部分を包丁で切り取る。真っ白な皿に載せ、爪楊枝を二本刺してリビングに持っていく。テーブルの上に置いて姉ちゃんと真向かいに座った。


「食べよう」


と俺が言うと、姉ちゃんが


「うん」


と言った。お互い爪楊枝に刺さった林檎を手に取って一口食べる。シャク、シャク、シャクという音がリビングに響く。最近果物を食べていなかったから、林檎のみずみずしい甘さが体に染みわたってとてもおいしかった。


「うまいね。林檎」


と言うと、


「そうだね。やっぱり林檎はいいね」


と姉ちゃんが言った。



「……さっきはごめんね。突き放すような言い方しちゃって。感じ悪かったよね」


林檎を食べ終わって、皿を片付けようとしたときに姉ちゃんが言った。


「私ね、自分でも何を悩んでいるのかよくわからないの。ただ、いろんなことが面倒で仕方ないんだ」


姉ちゃんは困ったように笑った。俺は何か言おうと思ったが何を言えばいいのかわからず、ただじっと姉ちゃんの次の言葉を待っていた。


「でも、ずっとこのままじゃいけないよね」


独り言のように姉ちゃんが呟く。そして大きく息を吐いたかと思うと、何か決意したように「よし!」と言った。


「ね、ユウタ。今日一緒に外出しない?」


「え?」


唐突な誘いだったので俺は少し驚いた。


「また急にどうして……」


と俺は言った。


「ぱーっと気分が晴れるようなことがしたいなって思って」


「あー、なるほどね。もともと暇だったし、俺はいいけど……、どこに行くの?」


「んー。どこがいいかなー」


と姉ちゃんが腕組みをする。


「別に俺はどこでもいいよ。姉ちゃんの行きたいところに行こう」


と俺が言うと、本当?と姉ちゃんは首を傾げた。


「それじゃあ、遊園地に行きたい……かも」


と言った。


「え?」


もう少し近所に出かけるのかと思っていたので、俺はまた驚いた。壁時計をちらっと見る。今は午前十時。今から行っても半日は遊べるだろう。全然ありかもしれない。


「いいかもね。遊園地」


と俺が言うと、


「よかった。じゃあ遊園地に行こう」


と言って、姉ちゃんは笑った。

(あ、久々にちゃんと笑った)

と俺は思った。

なんでだろう。

その笑顔を見た時、俺は少し安心して、同時にほんの少しだけ胸が高鳴った。

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