姉ちゃんとのある日常③

「弁当作ってみたから持ってって」


金曜日の朝、ちょうど玄関の扉に手をかけたところで姉ちゃんが弁当箱を突き出して言った。俺は少し驚きつつ弁当を受け取った。


「ありがとう。……なんか今日特別な日だっけ?」


と聞くと、「いや、別に?」と姉ちゃんが少し眠たげに答えた。


「わたしお昼いつも菓子パンなの。それじゃ栄養が偏るかなと思って、弁当を作ることにしてみたの。……それで、そのついでにユウタの分も作った」


「ふーん。そういうことか」


俺は風呂敷に包まれた弁当箱をじっと見つめる。


「迷惑だった?」


「いや、手作り弁当って久しぶりだなと思って」


「そっか。考えてみたら私も久しぶりかも」


大学入ってから弁当作ってもらうことなかったし。と言って姉ちゃんは目を細めてえへへと笑う。俺は手提げカバンの中に弁当箱を入れた。


「それじゃ、いってきます」


「いってらっしゃい」


姉ちゃんと手を振りあって、玄関を出た。



四限目のチャイムが鳴り、先生が教室から出ていく。授業中の緊張した雰囲気が和らぎ教室は明るい喧噪に包まれる。


「ご飯食べようぜー」


前の席に座っている級友のアツヤがこちらに振り向いて言った。


「うん、食べよー。めっちゃ腹減った」


と俺は言った。


「それなー。四限目本当にだるかったわー」


アツヤは購買で買ってきた弁当を俺の机に置き、ラッピングをはがそうとしている。俺もカバンから弁当を取り出して机に置く。するとアツヤが「ん?」と反応した。


「あれ、ユウタっていつも弁当だっけ?」


「いや、今日は姉ちゃんが作ってくれて……」


「へえー。ユウタの家って姉ちゃんが弁当作るんだ。珍しいね」


アツヤは自力でラッピングをはがすのを諦めて鋏を取り出して、ビニールをチョキチョキと切った。


「俺、今姉ちゃんと二人暮らしだし」


「え?初耳なんだけど」


アツヤは鋏を切る手を止めてこっちを見た。


「言う機会がなかったから」


普通に学校生活を送っていて、友達と家族の話をする機会なんてそうそうないだろう。……多分。


「何で二人で暮らすことになったの?」


アツヤは基本いつも気だるげで大抵のことには無関心なのだが、予想外にも今回の俺の話には興味を持ったようだった。


「俺の姉ちゃん、今年度から社会人なんだけど、職場がたまたまこの高校の近くなんだ。それがわかった時から、二人でアパートを借りようって話をしてて」


「……仲良いんだなあ」


アツヤが優しく微笑んだ。


「……まあ、確かに他のところに比べると仲が良い気はするね」


俺は腕組みをして言った。


「けど、この二人暮らしは、俺には通学が楽になるっていうメリットがあって、姉ちゃんにはより大きな部屋で暮らせるっていうメリットがあるから始めたんだよ」


二人暮らしをする前、俺は一時間かけて通学していたが、今は十五分で済んでいて、その分くつろげる時間が増えた。だらだらする時間が何よりも大切な俺にとってこの往復の一時間半はとても貴重なものだった。また、両親は俺が住む分の家賃として月々四万円を姉ちゃんに渡していて、その分広いアパートを借りることができ、姉ちゃんは姉ちゃんで満足しているのだ。


「なるほどなー。でも、うちは兄弟同士であんまり仲良くないから、どんな理由でも二人暮らししてるのは単純にすごいと思うわ」


いつの間にかアツヤは弁当を開けてロースカツを一切れおいしそうに食べていた。

俺も自分の弁当箱を開けることにした。


「お、いいね。ザ、弁当って感じ」


アツヤが俺の弁当の中身を見て言う。弁当は白米と梅干一つが箱の中の半分を占領していて、残り半分のスペースに卵焼き、ケチャップがついたウィンナー、小さなグラタン、茹でたブロッコリーが敷き詰められていた。姉ちゃんが料理しているところを今まで一度も見たことがなかったので、実は少し不安だったのだが……、


「……普通に、おいしそう」


と俺は言葉をこぼしていた。アツヤは自分の弁当をもぐもぐ食いながら、


「ただあれだな……、その……、ユウタ、これ一人で食うの?」


と言った。確かに、量がかなり多い。


「全部食べるのは無理かもしれない」


「ははは。残したらユウタの姉ちゃん傷つくんじゃない?」


とアツヤが気楽な声で言う。


「……頑張ってみるよ」


とりあえず俺は弁当に手を付けることにした。



「ごちそうさまー」


アツヤがそう言ってプラスチックの弁当の容器をビニール袋に入れる。


「はやっ!まだ食べ始めて十分も経ってないけど」


俺はまだ半分も食い切っていない。


「前から思ってたけど、アツヤって結構大食いだよね」


と言うとアツヤがはははと笑った。


「実は購買の弁当だと微妙に物足りないんだよなー」


「へえー。そうなんだ」


俺は白米を自分の口にかき込みつつ言った。すでに結構お腹に食べものが貯まっている感覚がある。やっぱり食べきるのは難しいかもしれない。一瞬姉ちゃんの顔が頭によぎった。


「……ってことで一ついただきぃ」


俺が少しぼーっとしている隙に、アツヤが俺の弁当の卵焼きをひょいっとつまんで口に入れた。


「あーっ!」


「え?だめだった?食い切れないって言ってたから別にいいかと思って……」


急に声を上げたことにびっくりしたのか、アツヤは困惑した顔で言った。考えてみたらアツヤの言うとおりだった。このままだと弁当を残すことになる。それよりはアツヤに食べるのを手伝ってもらった方が良いはずだ。……何で俺は今、声を上げてしまったんだろう。


「大丈夫。ありがとう。食べてくれて」


と言って、また弁当を食べ始めた。その後、アツヤにはウィンナー1個とブロッコリー1個を食べてもらい、あとは一人で全部食べ切った。こんなに昼ご飯を食べたのは久々で、俺は五限目に盛大に居眠りをして、先生に怒られてしまった。



「たらいまー」


午後八時、姉ちゃんが何かほおばりながら家に帰ってきた。


「おかえり……。ってなんかおいしそうなもの食べてる」


リビングに入ってきた姉ちゃんはからあげ君を左手に持っておいしそうに咀嚼していた。


「コンビニで弁当買ってたら目についちゃって……」


姉ちゃんは爪楊枝にからあげ君を一つ刺してソファに座っている俺に差し出した。


「一ついいよ」


口を開けてそのからあげ君をぱくりと食べる。


「ん。うまい」


「からあげ君はやっぱりレッドだよねー」


上機嫌に姉ちゃんが言う。鼻歌をうたいながらコンビニ弁当とビールを出してテーブルに置く。


「何だか機嫌良さそうだね」


と俺が言うと、ぷしゅっと缶ビールを開けながら


「土日は休みだからねー」


と満面の笑みで言った。ビールをごく、ごく、ごく、と飲み、はぁ~と声を上げる。


「あ!そういえば卵焼きとウィンナーの余りが冷蔵庫にあるんだった。ユウタ、明日良かったら食べていいよ」


「じゃあ、朝ご飯に食べようかな」


「うん。そうしちゃって」


姉ちゃんが眠そうにあくびをする。


「今回、弁当作ってみておもったけど、朝早起きしなきゃいけないのって大変だよね。来週からまた菓子パン生活でいいかも」


「ふーん。そっか」


無理をして体調を崩されても嫌だし、姉ちゃんがそう言うならそれが一番だろう。


「今朝渡された弁当箱は洗って片付けておいたよ」


「うん」


「それと、弁当おいしかった。ありがとう」


そう言うと、姉ちゃんがじっとこっちを見てきた。


「な、なに?」


「いや、作った弁当でお礼を言われるのってこんな気持ちなんだなーと思って……」


悪くないね。と言って姉ちゃんが嬉しそうに微笑んだ。



姉ちゃんがご飯を食べ終わったあと、俺たちはいつも通りゲームをした。姉ちゃんは「明日は休みだから今日は遅くまでゲームしようね」と言っていたのにゲームを始めるとすぐに俺の肩に顔を預けて眠ってしまった。起こすのは気が引けてしばらくそのままじっとしていたら、だんだん俺も眠くなって、気づいたらリビングのソファでお互い肩を寄せ合いながら朝を迎えていた。



次の月曜日の朝。

俺が玄関で靴を履いていると姉ちゃんがやってきて


「今日も弁当を作ったから持ってって」


と言った。姉ちゃんの右手には風呂敷に包まれた弁当箱があった。


「あれ?やめるんじゃなかったの?」


「無理のない範囲で続けてみようかなあと思って」


少し照れた表情で姉ちゃんは頭を掻いた。


「ふーん」


俺は弁当箱を受け取った。それをカバンにしまわずにぼーっと眺める。


「……」


はっと顔を上げると姉ちゃんが口をぽかんと開けてこっちを見ていた。そして、えへへと嬉しそうに笑った。俺は首を傾げた。俺は今、どんな顔をしていたんだろう。何か変だったのだろうか。


「それじゃ、いってらっしゃい」


と言って姉ちゃんが手を振る。手提げカバンに弁当箱を入れた。


「いってきます」


と言って俺も手を振った。



「……あ」


外に出て少し歩いてからふと、弁当の量が多かったことを伝え忘れていたことに気がついた。ということは今日の弁当もこの前と同じくらい量が多いんだろう。先週のお腹いっぱいで苦しかった時間を思い出して、俺は足を止めた。


「……まあいいか」


小声でぼそっとつぶやく。先週はアツヤに食べるのを手伝ってもらったけど、今回はどんなに苦しくなっても全部一人で食べよう。そして、家に帰ったら「次から少し少なめにしてほしい」って姉ちゃんに伝えよう。

俺はまた歩き出した。

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