姉ちゃんとのある日常②-2

1

頬に誰かの柔らかい指が当たっている。冷たくて心地いい。目を開けてみたが、部屋は真っ暗で何も見えない。


「姉ちゃん?」


と俺が目を擦りながら聞くと、


「うわあ」


と言って誰かが尻もちをつくような音がした。部屋の明かりをつけると、ベッドの横でお尻をさすっている姉ちゃんがいた。状況がよくつかめず、とりあえず時間を確認した。午前三時三十分。昨日は姉ちゃんとVtuberの話をして、十一時に自分の部屋に入って、そのまま寝たはずだ。それでなぜかこの時間になって姉ちゃんが俺の部屋に入ってきて尻もちをついている、と。


「……何してるの?姉ちゃん」


まず一番聞きたい質問を姉ちゃんに投げかけた。姉ちゃんは眉を八の字にして


「え、えへへへ」


と何かを誤魔化すように笑っている。しばらく髪を触って視線をさまよわせた後、うつむいて


「ごめん……。ユウタが死ぬ夢を見て……」


と言った。


「勝手に殺さないでよ……」


俺は何とも言えない気持ちで言った。


「ごめんね。ただの夢だってわかってたんだけど、ユウタがちゃんといるか確認したくなって」


「このとおり生きてます」


俺は姉ちゃんに向かって手を振った。


「これでOK?」


と聞くと


「……うん。ちょっと安心したかも」


と姉ちゃんが言った。けれど、なかなか俺の部屋から出ていこうとしない。何だろうと思っていると、


「ごめん、久々に一緒に寝てもいい?」


と姉ちゃんが聞いてきた。俺の頭がその瞬間すさまじい速さで回り始めた。

多分だけど、二十三歳の姉ともうすぐ十七歳になる弟が一緒のベッドで寝るのは普通ではない。いいよって言ってしまっていいんだろうか。俺が悩んでいると、姉ちゃんは少し悲しそうに笑った。


「やっぱり嫌だよね。ユウタも高二だしね」


そう言って部屋を出ていこうとする。


「ちょ、ちょっと待って!」


俺は反射的に引き止めてしまった。


「一緒に寝よう。悪い夢を見て不安なんでしょ?」


これで姉ちゃんの表情は明るくなるだろうと思っていたけれど、姉ちゃんは変わらず悲しそうに微笑んだままだった。


「ありがとう」


と言って、ベッドの近くまで来る。布団を開くと、姉ちゃんはベッドの中に入ってきた。二人で仰向けになって天井をみる。元々一人で寝る用のベッドなので、二人で寝るにはかなり狭い。けれど、隣に姉ちゃんがいるのは嫌じゃなかった。俺たち姉弟はちょっと変なのかもしれない。けれど、まあいいかと開き直ることにした。


「それじゃ、電気消すよ?」


と言って照明のリモコンを押す。真っ暗になった部屋で俺は目をつぶった。



2

「……私って、やばいのかな」


しばらく時間が経ってから、姉ちゃんが唐突に言った。


「社会人にもなって、こうやって弟と一緒に寝たいと思うのって変なのかな……」


部屋が真っ暗で姉ちゃんの表情は見えない。けれど、なんだか声がいつもと違って沈んでいる気がした。多分姉ちゃんは今、落ち込んでいる。一緒に寝るのを少しためらったからかもしれない。俺はなんて答えるかたくさん考えた末に言った。


「……少し、変なのかもしれないけど、そんな深刻に考えるようなことではないと思う」


寝返りを打って、姉ちゃんに背を向ける。


「俺も姉ちゃんと寝るの、嫌じゃない……し」


あらためて言葉にするのはとても恥ずかしくて、俺は今部屋が真っ暗であることに心から感謝した。背中の方から微かな笑い声が聞こえた。


「ユウタは優しいね」


後ろからもぞもぞと寝返りを打つ音が聞こえる。こつんと背中に何かがくっついた。しばらくしてから、それが姉ちゃんのおでこだとわかった。


「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうね」


と姉ちゃんは言う。そしてものの数分ですー、すーと規則正しい寝息を立てて眠ってしまった。俺はその波の満ち引きのような寝息を聞きながら、また目を閉じた。


3

家に帰ると、姉ちゃんがいなくなっていた。姉ちゃんが使っていた食器も、箸もない。テレビ台には二台あるはずのゲーム機が一台になっていた。姉ちゃんの部屋を開けてみたが、部屋の中は空っぽになっていた。あれ、姉ちゃんどこかに引っ越したんだっけ?と俺は考えた。俺に何も言わずに出ていったんだろうか?何かがおかしい気がした。俺はとても不安になった。


とりあえず一人で夕食を食べた。夕食を食べ終わっていつものようにゲームをしたが、あんまり楽しくなかった。そわそわして、いても立ってもいられなくなった俺はお母さんに電話をかけた。すぐにお母さんは電話に出た。


「あ、お母さん?姉ちゃんそっちに帰ったりしてない?」


開口一番で俺は聞いた。


「……」


数秒経っても、向こうから何も返答がなかった。


「……」


「お母さん?」


「……」


「ちょっとなんか言ってくれる?」


「……」


そこでようやくお母さんが言った。


「何を言ってるの?あなたにお姉ちゃんなんていないでしょう?」



4

はっと目を覚ます。まるでさっきまで走っていたかのように、心臓が速くなっていた。俺はすぐに隣を確認した。そこには無防備な寝顔をこっちに向けて眠っている姉ちゃんがいた。すずめの鳴き声が聞こえる。もう朝のようだ。俺は無意識のうちに姉ちゃんのくせっ毛を撫でていた。すると、


「ん……」


と声を出して姉ちゃんがゆっくり目を開いたので、俺はすぐに手を引っ込めた。髪の感触はすぐに思い出せなくなった。なんでだろう。まだ悪夢の中にいるような気がして、漠然と何かが不安だった。


「おはよー。起きるの早いね」


と言って姉ちゃんがあくびをする。


「うん。姉ちゃんがいなくなる夢を見て目が覚めちゃった」


俺がそう言うと、姉ちゃんのあくびが止まった。


「そ、そっか」


「うん……」


「……ユウタは、私がいなくなって嫌だった?それとも、その……清々した?」


姉ちゃんがこっちを見ないで髪を触りながら言う。


「……起きた時、姉ちゃんが目の前にいて、すごい安心したよ」


と俺は答えた。


「そっか」


姉ちゃんはこっちを見ないまま立ち上がった。


「私、朝ご飯食べようかな。ユウタはどうする?」


「ごめん。もうちょっと寝る」


わかった。と言って姉ちゃんは部屋を出て行こうとする。何だかいつもより姉ちゃんが素っ気ない気がして、俺はさらに不安になった。呼び止めて、いなくならないよね?と聞いてしまいそうになったが、ぐっと我慢した。多分、俺は今おかしくなっている。寝て起きたらこの不安は消えてるはずだ。そう自分に言い聞かせて、また横になろうとした。その時だった。


「ユウタ」


急に声がして、俺は姉ちゃんの方を見た。


「な……」


何?と聞く暇もなく姉ちゃんが近づいてきて、両手で俺の顔に触れた。そしてそのまま姉ちゃんは俺の唇に自分の唇を押しつけた。俺は両手をぶらんと脱力させて、為されるがままぼう然としていた。二、三秒して、ゆっくり唇と唇が離れる。


「私はここにいるからね」


姉ちゃんが優しい声で言った。


「うん……。ありがとう。姉ちゃん」


俺の漠然とした不安はその数秒で完全に無くなっていた。

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