後編
◇
俺はナナの指示されるまま、マサノリの浮気コースを車で回った。
ラウンドワンに、ベビーフェイス。女の子とのデートなんて久々だが、こんなに気を使うデートも久しぶりであった。
レンタルで恋人をやるサービスがあるけど、あれをやっている人の神経には尊敬する。なにせ、俺たちの目的はデートするのではなく、デートをしたという即席事実を作るため。親密になるのが目的じゃないデートほど、つまらないもんはない。
クレーンキャッチャーで遊んでも、ボーリングでスコアを競い合っても、やや量の多いたらこパスタを食べても、どこか空っぽ。
依頼なんだから金を貰ってもいいはずなのに、俺の財布からあれよあれよと紙幣が消えた。
ナナはといえば、無理して明るくしている部分は多かったと思う。日が暮れて、東口の和風居酒屋に移動するとナナは変わった。
太陽が西口にそびえるビル群に飲み込まれるように、ナナは生ジョッキを三杯ほど飲み干していくと、濁流のように愚痴を吐き出した。
デートにたびたび遅刻しても笑って誤魔化したり、初エッチの時が少し強引だったりとか、どれもマサノリのことばかり。そいつを大声かつ明け透けに言ってくる。こういうはなしは嫌いじゃない。俺は相槌を打ってただ聞いてやった。
三年前は弱気なネコのような女の子がここまで成長したのには驚きだが、まだ視野は狭いようだ。でも、歳下──それも二十歳そこそこの女の子なんてそんなもんだよな。
「あーもうー。なんか喋りすぎちゃいましたぁ。ホントにごめんなさい」
頬を真っ赤にし、蕩け始めた瞳のナナ。
「いいさ。あの似合わないメガネかけてた頃のナナと比べたら、随分と喋りやすいキャラになったよ」
これは本心。時間ほど人を変えるものはない。ま、変わらないやつも一定数いるが。
「もうー。あのメガネ掛けてた頃はホントにアホだと思ってましたもん。先輩に言われるまで、他人のことばっか気にしてましたもん!」
肩を小突いたあと、キャッキャと笑う。こんな仕草を三年前のナナが見たらどう思うんだろう。俺もつられて笑いながらジョッキの底に残ったハイボールを飲み干した。
「……あー、なんかもう全部バカらしく思えてきました! つぎ行きましょ、つぎ!」
勘定を支払って俺たちは居酒屋を出た。スマホの時計を見れば21時前。通りにはほどよく酔っ払って浮かれているリーマンに、気さくに声を掛かるキャッチで溢れていた。飲みホにおっぱいはいかが? 若い子が一杯いるよ。ここばかりは不景気を忘れている様。
隣を歩くナナが俺の腕に絡みつき、グイグイと引っ張っていく。
「今日は浮気デートなんだからなんでもいいですよ! 楽しくやりましょ、ね?」
「なんでもいい?」
ウキウキな様子。そろそろ頃合いだろう。
東雲通りを渡り、立体駐車場を通り過ぎたところで俺は足を止めた。
急に立ち止まったもんだから、ナナは思わずツンのめって転びかける。
「先輩?」
最初、ナナは笑っていた。だが、すぐ真横がホテルの入り口だとわかると眉根をしかめた。古臭い作りの青い外観。二人までのチェックインで、四千円。
俺はといえば一言も発さず、ただナナを見つめる。貼り付けた笑顔は崩さない。これは相手を屈服させるのに大事なこと。(と、地元の先輩からならった)
「あ、あの……」
怯えて引っ込めようとした手を強く握る。これでもう、ナナは逃げることはできない。途端にナナは下を向いた。
「ほ、本気ですか……?」
振り絞った声。さらに頬を紅潮させているが、顔全体は引きつっている。
重苦しい沈黙が俺たちのあいだに流れた。沈黙を先に破ったのは、もちろん俺。
「お前さ、いま迷ったよな」
ナナは三年前の自信のない少女に戻っていた。おどおどしながら小さく頷く。俺は続ける。
「酒回ってるから、今までどうでもよかったんだろうけど、本心は変わらないはずだ」
「……」
「焼き回って、自暴自棄になるのはわかる。けどな、自分を持ってないヤツほど簡単に食われるぞ。ましてや、ナナはそこまで遊び人じゃないだろ?」
若い女ほど、自分の価値をわかってない。世の女性が思うほど、日本の男子は若い女が好きだ。それは若ければ若いほどいいし、清楚なほど好まれる。黙ったままのナナに俺は自分で言葉を紡いだ。
「たしかに、若いうちは火遊びなんていいと思う。ただ、お前はそんなタマじゃない。わかってほしいのは、気軽にバカな発言はしてほしくないし、こんなデートもやるな」
俺が手を離すと、ナナは一歩引いた。
「……先輩は、本気だったんですか?」
呆れた。
「例のメガネかけてみろよ。鞄の中に入ってるの、わかってんだぞ」
ナナは肩にかけていた小さなバックに手を伸ばす。俺の予想は的中し、伸ばした手からは件のメガネが出てきた。最後に見た時より、縁やツルの塗装だいぶ剥げていたけど。
「俺の矢印はお前に向いているか?」
首を横に振る。
「だよな」
警戒する猫みたいに肩に力を入れているナナに俺は手をパタパタをはばたかせる。
「冗談も説教も終わり。西口に行こうぜ。シメにマックを食うのが俺の主義なんだ」
こればっかりは本当だ。ナナはついて来てくれた。ホント、良い子。
◇
「私、自暴自棄になって、バカになってたんですね」
マックでハンバーガーを食べて出た頃には時刻は22時を過ぎかけていた。ほどよいアルコールにハンバーガーは悪くない。
「いや、バカじゃない。大バカだ」
クスクスと笑いを漏らすナナ。駅前の歩道を歩くと昼間の熱気はすっかり消え、心地よい風が歩道橋の上で歌うストリートミュージシャンの歌声を拾って吹いてくる。秋はもうすぐそこだ。
「マサノリへの仕返しはこれで充分だろ。それに、俺にはマサノリが浮気するようなタマには見えないからな」
「そう、ですか」
「そうだ。俺がいうんだから間違いない」
マサノリとの付き合いは一年くらいしかない。けど、二人の近況はイヤってほどSNSのタイムラインに流れてくる。ヤツが如何に一途なバカなのかはよく知ってる。
「ねぇ」とナナ。
「先輩はあの時、本当にホテルに入って私とエッチしようと思ったんですか?」
「さあ、どうだろうなぁ」
誤魔化したが、腹は決まっている。人の女に手を出すとロクなことに遭わないからな。火遊びは絶対にしないのが俺のモットー。
タクシープールの向こうを急ぎ足で歩く背広姿を見ながらいう。
「なぁ、ナナ。ちなみに俺の矢印はどっちに向いてた?」
「あっちですね」、と左手をあげて指さす。南の方向。「なるほど」、と納得して頷いてみせる。
そうか。俺はどう取り繕っても、女神様から逃れられないんだな。中学からの初恋の女をここまで引きずってるなんて。女性のみんなにはわからないけど、男の初恋相手ってなかなか消えないもんだ。(けど、別に浮気ってわけじゃないからな)
「そろそろ、お開きですかね」
「そうだな。送っていこうか?」
わざとらしいしたり顔でいってやる。
「いいえ。バスが来るのを待ちます。今度こそは、迷いません」
背中越しに手を振り、俺は車を停めている西口のコインパーキングまで歩くフリをした。
ナナの姿が見えなくなると、歩道橋の階段を上がり、スマホを取り出す。スリープ画面に通知が六件。ラインのメッセージが二つに、音声通話の不在が二件。そして電話が二件。電話で折り返すとすぐに出た。電話の主は開口一番にいう。
「あの、ユースケ先輩。どうでした?」
「どーしたもない。なんだかんだお前のことが好きで好きでしょうがない。深く考える必要はなかったな、マサノリ」
そう。種明かしをすれば、ナナの相談を受ける前からマサノリに相談を受けていた。読者の諸君を騙すつもりはなかったけど、コイツとの絡み(ワタミで三時間も泣かれた)を説明するのは面倒だった。それに、女の子の方がウケがいいだろうし。
「あざす。でも俺、ホントに浮気してないんすよ。確かに、あの後輩がしつこいから「一度だけなら」って条件で、デートしただけですし」
最近のガキに多い傾向。自分に非が無ければ、とにかくそればっかり主張する。
「バカ。こーゆう時は、男は少しワルモノになるんだよ。お前だって、剣道部の部長やってた時はそういうことあったろ?」
「たしかに」
素直でよろしい。マサノリはいう。
「先輩。ホントにナナに指一本触れてないんですよね? あとで手ェ出したってわかったら、先輩でもぶっ飛ばしますよ?」
呆れた。図々しいやつ。
「出すか。そんな心配してるヒマあったら迎えに行ってやれ。バスが来るまであと四十分もあるんだぞ」
地方のローカル線は数が少ない。でも、俺の地元ではこれが普通。東京の一〇分そこらで次のバスや電車が来るほうが異常だと思う。
「マジっすか? ……いっていいですかね?」
「好きにしろ。さすがにそこまでケツモチできねーよ」
あざす! という気合いのこもった言葉とともに通話は切れた。本当、調子のいい奴だ。通話が切れると歩道橋の二階にある喫煙所へ歩いた。
ナナ曰く、俺の矢印は相変わらず南だ。おそらく、何年も前から南南西・百二十六キロ先に降り注いでいるだろうな。
今日の出来事、女神さまが見たらどう思うだろうな。嫉妬くらいはしてほしいものだ。
俺は喫煙所でタバコに火をつけて、スマホから代行サービスに電話をかける。
耳に当てたスマホからコール音を聞きながら、南の空を眺めた。市内とはいえど星々がよく見えた。
宿郷純愛レンズ 兎ワンコ @usag_oneko
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