宿郷純愛レンズ
兎ワンコ
前編
『ゼイリブ』っていう映画を知ってるか?
ジョン・カーペンターが撮った80年代のSF映画だ。この映画はひとりの失業した男が教会でもらったメガネを掛けたら、地球侵略を目論む宇宙人を見分けられるようになるって内容。リッチなセレブに羽振りの良い証券マン、街の治安を守る警官も実はメタリックなドクロ宇宙人。そいつらが世を仕切ってるって風刺の効いた映画。
こいつは架空のメガネの話。じゃあ、現実のメガネはどうか?
ひと昔前はメガネを掛けていれば秀才とかオタクってイメージを付けられたけど、近年は携帯電話の普及にともなう視力の悪化で、だれもが近視になっている。今じゃメガネを持ってないヤツの方が少ない。ハンカチよりも必要なアイテム。
現実のメガネはもはやファッションだよな。顔に合わせるだけじゃなく、服装や雰囲気にまで合わせる。最近じゃ、アニメのコスプレのためにかけてるやつも珍しくないしな。
メガネには思い出深いはなしがある。
俺が二十歳の頃に出会った、不思議で気弱な女の子のはなし。諸君の中では知っている人もいるかもしれない。矢印ばかり気にしていたあの子だ。
今日は後日談みたいなはなし。だから、みんなには適当にコーヒーでも啜りながら聞いてほしい。
メガネを外して過ごしていた女の子が、もう一度自分とのピントを合わせるだけだから。
◇
夏の終わりとはいえ、日本はまだまだ熱帯。毎度おなじみの異常な暑さが猛威をふるうが、日本はそこそこ元気だ。
だが、元気じゃないのが景気。俺が憩いの場として使っていた白沢街道のTSUTAYAからタリーズが撤退したので、少し離れた競輪場通りの福田屋ショッピングプラザの二階にあるタリーズに移るしかなかった。福田屋には一階にスターバックスもあるけど、あのワイワイとした客層が苦手。おまけにフラペチーノのは俺の財布には割高。
その日も俺は三階にあるくまざわ書店で買った森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』を禁煙席で読んでいた。土曜日の昼前だからか、周囲には私服の高校生と大学生で賑わい、飲み物片手にノートを広げて勤勉に励んでいた。最近の若者は勤勉。日本の未来は明るい。
それと読者の諸君には話してないけど、実は俺は喫煙者。未成年の読者のために言っておくが、タバコの見映えがいいのはわかる。だけど、身体に悪いし金ばっかりから吸わないように。
そんな不健康納税者の俺がなぜ禁煙席に座るかといえば、待ち人が禁煙者だからだ。
待ち人は先輩が古本市に足を踏み入れたページで現れた。
「お久しぶりです。浅宮先輩」
明るい声に俺はページにしおりを挟んで本を閉じた。見上げれば、血色の良い女の子がはにかんで見下ろしている。
「久しぶりだな、ナナ。元気にしていたか?」
俺のラインのタイムラインの投稿(もっぱら、バイクか遠出した時の風景写真だけど)にいいね! を押してくれる数少ないフォロワー。
ナナは三年前に、ナナの同級生で俺の後輩である
久しぶりに会うナナは今どきの量産型女子大生(セミロングのゆるふわパーマに暖色系メイクにホワイトファンデ、真っ赤なルージュ)に変わっていた。出会った時の傷つきやすそうな顔は少しばかり残っていたけど。
ナナは他人のラブとヘイトが見れるオモチャみたいなプラスチックの不思議なメガネを持っていたが、マサノリと親密になった日を境にメガネを封印したそう。
「マサノリとはまだ上手くやってるのか?」
「はい。一応、まだ付き合ってはいます」
ハキハキと答えた。一応、という言葉に引っ掛かる。
「そうか。なら良かった」
「ええ」
俺は頷いてアイスミルクティーをストローから啜った。
「それで、呼び出した理由は?」
ナナは「あの」と気まずさな顔を浮かべたあと、気まずくいった。
「先輩。今日だけ、私の浮気相手になってくれませんか?」
あやうくミルクティーを吹き出しそうになった。隣の席の男子高校生がイヤホンを外しながら怪訝そうに見てくる。ゲホゲホとむせながら「今なんていった?」と聞き返す。
「ですから……私の浮気相手になってほしいんです。今日だけ……一日限定でいいので」
理解できない。それからナナは口下手らしくスロウな口調で説明してくれた。
ここ最近、マサノリがゼミで知り合った後輩の女の子とやりとりをしていたこと。そして、先々週の土曜日にふたりで旧四号線のラウンドワンで遊んで、近くのパスタ屋(恐らく、ラウンドワンの斜め反対にある『ベビーフェイス』)でランチをして、宇都宮駅の東口で呑んで帰ったとのこと。地元の人間なら分かる、女の子を引っかけた時に使うルートのそれ。(エッチするならそのままラウンドワン裏のホテル街へ)どうやら二人を偶然にも目撃した同級生から又聞きしたらしい。
「マサくんは「浮気してない」って言ってましたけど、私は信じられません。どうせ、エッチまでしたんだと思います」
真偽は知らないが、マサノリの気持ちもわからなくはない。‟年下で後輩の女の子”って魅力的だよな。
「だから、こっちも仕返ししてやりたいんです。そこで、今日だけ浮気相手として、デートをお願いしたいんです」
ナナは深く頭を下げた。当然、まっぴらゴメン。俺は首を横に振った。
「悪いけど、そういう当て馬みたいな役はゴメンだ」
当て馬の語源は二つある。損な役割をやらせるって意味と、メス馬を発情させる役。俺はどっちも嫌だ。
「他を当たってくれよ。そういう男友だち、他にいるだろう」
「……男の人って、自分より年上の人に対して劣等感を覚えるって聞きました。だから、浅宮先輩なら、協力してくれるかなって」
浮気に相手にちょうどいい残念な年上。今度から色恋トラブルの着手料は五十万にしようかな。
深いため息を吐き、「わかったわかった」と頷いた。
「その代わり、キスとかエッチはなしな」
もちろん、本心だ。
「ごめんなさい。でも、助かります」
ナナは申し訳なさそうな顔でペコリと頭を下げた。
複雑な気持ちのまま、氷が溶け切らないうちにミルクティーを一気に飲み干した。
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