03 茜谷彩羽の素性

 今まで女子と話をした事がなかった訳じゃない。中高とソフトテニス部所属だったから、女子のテニス部やマネージャーとは話し込む機会も結構あった。


 ただ……ここまで可愛い子との会話は流石に未体験ゾーン。正直まともに目を合わせられる気がしない。


「何か歌います? それとも頼みます?」


「いや……良いです」


「そうですか」



 ……会話が続かない。



 いやそっちが一方的に呼び出したんだから責任持って主導権は握ってくれないと。それともこういう場合、俺の方が話回さないとダメなのか? あっちはここに連れて来るまでが役割で、ここからの進行は俺がしなきゃいけないとか?


 男女の初対面時のマナーなんて全然知らないから、全てが手探りだ。せめてマッチングアプリか何かで一度くらいは経験しておくべきだった。


「……あの」


「あ、はい」


「私の事はわかりますよね?」


 それは勿論。俺の捨て垢『ファイティングポエマー』にDM送ってきた人だ。流石に間違いって事はないだろう。指定通り100均で造花を一本買って持ってたし。しかも目立つよう真っ赤な花。種類はわからないけどバラやカーネーションじゃないのは確かだ。


「ええ。わかります」


「そうですか。なら大体の事情はわかって頂けると思います」


「はあ……」


 そう言われても全然わからない。この人がしてきた事と言えば、俺の正体を知っているって宣言とバラすぞって脅迫。こっちにとっては不気味以外の何物でもない。

 

 だけど不思議な事に、その相手がこんな可愛い女性だとわかった時点で不気味さはかなり緩和されてしまった。俺はもしかしたら詐欺被害に遭いやすいタイプかもしれない。


「ファイティングポエマーさん。私に……"恋愛"を教えてくれませんか?」


 ただ、この人は自ら詐欺に遭いに行くタイプだった。


「えー……」


「お願いしますファイティングポエマーさん! こんなやり方しか出来なくて本当にすみません! でもファイティングポエマーさんと直接お話するにはこれしか思い付かなかったんです! ファイティングポエマーさんがアップした映像に春から通う予定の大学の入学案内が映ってて『こんな偶然ある? これ運命だ!』って思ってつい……」


 いや……その……ファイティングポエマーを連呼するのやめて……俺なんでこんなアカウント名にしたんだ……?


「あの、誤解されているかもしれませんが、私の卒業って恋愛絡みとかじゃないんです」


「そんな誤解全然してないですけど」


「そうですか! 良かったです」


 ……卒業が恋愛絡みって何?


 イケメンの第二ボタンを奪い合う的な? たまに芸能人でそんな感じのトークする人いるけど……作り話だと思ってた。


「このままだと私、まともに恋愛できる気がしなくて……」


「なんか良くわからないですけど、恋愛相談だったら普通に友達とかにすればいいんじゃ」


「無理です。気まずくて……もう頼めるのは貴方しかいないんです!」


 卒業式の日にどんな修羅場があったんだよ。なんかこの人、想像以上にヤバいんじゃないか……?


 確かに可愛い。眼福って言葉を初めて実感した。でもこれ以上関わるのは危険な気がしてきた。


 逃げるか……?


 でも向こうがどの程度まで俺の個人情報を把握しているのかわからないんじゃ、この場を凌いでも家凸される恐れもある。ここでなんとか縁を切らないと……


「せっかくアイドル諦めたのに恋愛も出来ないんじゃ悲しいじゃないですか!」


 ……。


「え?」


「だから、アイドル辞めて恋愛禁止じゃなくなったのに、恋愛できないのってバカみたいだな……って……」


 急に妙な事を言い出したかと思えば、今度は真顔で何度も瞬きをし始めた。


 怖い怖い怖い。何? アイドル諦めた? アイドル志望の子? そりゃこの顔ならアイドル目指しても全然おかしくないけど、なんで急にそんな話を今――――



 ……あ。



「えっと……私が誰かわかってます……よね?」


「あっはい。俺のアカウントにDMを送ってきた方ですよね」


「……それだけ?」


 既に何となく状況が呑み込めて来たけど、逆に怖くなって聞けない。


 確かに予兆はあった。一般人とは思えない可愛さだし、明らかに浮き世離れしてる感じはあった。


 それに、さっき言っていた"卒業"。


 これが学校の卒業を意味していないとしたら――――



「もしかして、アイドルだった方ですか……?」



 意を決して問いかける。


 すると案の定、恐れていた事が起こった。


「……」


 うわ……耳まで真っ赤。こんなに人の顔の色が劇的に変化するの初めて見た。


 やっぱりそうか。この人アイドルだったんだ。そりゃアイドル顔してるよ。アイドルなんだもの。


 つまりこの人は、俺がそのアイドルだった時代の事をテレビやネットを通して知っていたという前提で話を進めていた訳で。けど俺は申し訳ないけど知らない。アイドルには全然詳しくないし、テレビで音楽番組なんかも滅多に見ないから。


 ヤバい。


 これじゃまるで……


「そ……そうだよね……私、別にそこまで有名じゃないし……何勘違いしてんだろ……ダサ……恥っず……」


「違います違います! 俺が疎いだけなんで!」


「な……名前とかもわかんない……?」


「……」


 もう顔を逸らす事以外に出来る事がない。


 居たたまれない。人生でこんな居たたまれないって気持ちになったのは生まれて初めてだ。己の無知が憎い……!


「そっか……そうだよね……ドルチェの全盛期って15年くらい前だし……」


「……」


「……まさかドルチェも知らない?」


「いや知ってます知ってます。ドルチェは知ってます」


 ドルチェ――――正式名称はDoll-Chase《ドールチェイス》。


 24人組アイドルグループで、コンセプトは『24時間いつでも会える』。勿論24時間稼働しているって意味じゃなくて、夢の中でも会いに行くよみたいな事だった気がする。


 でも知ってるのはそれくらい。人数が多い上に派生グループも沢山あるから、とてもじゃないけど個人の名前と顔なんて覚えられない。


「一応、去年までドルチェの一員だったんだけど……知らない? 結構テレビとか出てたんだけど」


「……すみません」


「あ、『この恋がダメだと知ってても』ってドラマ観た事ない? 『恋ダメ』! 結構良い役で出てたんだけど……」


「……ごめんなさい」


「クイズ番組の『Qちゃんねる』はどう? たまにおバカ枠で出させて貰って……」


「番組は知ってますけど観た事は……」


 あああ……答えれば答えるほど向こうの顔がしおしおになっていく。罪悪感に押し潰されそうだ。


 このままだと、この人のプライドを傷付けただけの時間で終わってしまう。幾ら脅迫されたとは言っても、それはちょっと気の毒だ。


 せめて何か記憶に引っかかるようなものが――――


「そうだ。名前。名前を聞いたら何か思い出すかもしれません」


「そう? 言われてみれば、そんなにない名前だし……あるかも」


 向こうも同じ気持ちなのか、『このまま終わってたまるものか』って意地が顔に出ている。


 頼む。知ってる名前であってくれ。例えばネットでちらっと見かけたレベルでも『知ってます! SNSで評判良いですよね!』くらいの捏造は許される空気だ今は。取っ掛かりさえあれば後は全力で膨らますだけだ。


「私の名前は……」


 頼む……!


「茜谷彩羽、って言うんだけど」


 ……。


 知ってた。


 知ってるアイドルだった。


 ただし。


「……」


「なんで目を逸らすの!?」


「いや……すみません。何も知らないです。ホントに」


「知ってるリアクションだったじゃん! 絶対知ってるでしょ!? あーもー! 絶対アレじゃん!」


 アレ。


 彼女がそう表現したように、俺が茜谷彩羽について知ってる唯一の情報は『アレ』と濁したくなるような事。


 要するに炎上案件だった。





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