1.憧れ、≠ ?(3)


「おいしい?」

「…おいしい、です。」


 結局流されるまま、仕事終わりに綿谷さん行きつけの和食居酒屋にいる。

 料理もお酒も、おいしい。

 もっと言うと、女の子が好きそうなお店。


 やっぱり詳しいのだと思うと、なんとなく胸のあたりがモヤモヤする。

 特別に深い意味はない。


「みなみちゃんとごはん来るの久しぶりだよね。」

「そうですね。」


 記憶が正しければ新人のころ私の教育係だった綿谷さんと、私の同期の瀬那と彼女の教育係だった佐倉さんと4人で何回か食事に行ったことがあった。

 3年目になってしまった今では、もうすっかりそんなイベントもなくなってしまったのだけれど。


「ふたりははじめてだ。」

「…そ、う、…ですね、」


 ふわり、と、綿谷さんがまた嬉しそうに言う。

 綿谷さんと食事をするのははじめてではないのに、そんな言葉にいちいち心臓が跳ねる。


 …困る。


「最近はなにしてるの? 休みの日。」

「瀬那と出かけたり、ですね。」

「買い物とか?」

「とか、…水族館、行ったり、とか。」

「好きなの? 水族館。」

「好き、です。」


 瀬那や佐倉さんがいたときは、みんなで話してくれるから話題に困ることはなかった。

 でも、私は話すことが苦手だから。

 ふたりでいて、綿谷さんは楽しいかな、とか、ちゃんと会話できてるかな、とか。気を遣わせていないだろうか、とか。


 いろいろ、考えてしまうけれど。


「ちゃんと気分転換できてるみたいでよかった。みなみちゃん、1年目のころ休みの日なにしたらいいかわかんないって言ってたし。」


 そんなに前の話、まだ覚えてたのか。


 なんて、とりとめのない話題をぽんぽん出してくれる綿谷さんにびっくりする。


「そんなことも、ありましたね、」


 いまだに綿谷さんや佐倉さんみたいにスマートに仕事はできないけど、綿谷さんに迷惑をかけてばかりだったあのころよりは、少しでも成長している、と、思いたい。


「みなみちゃん、なんでもすぐできるようになっちゃったから俺ぜんぜん必要なかったね。」

「…そんなこと、ないです。」


 急に褒めないでほしい。

 そしてそんなことはほんとうに、まったくといっていいほど、ない。


「なんとかなってるの、綿谷さんのおかげです。」


 彼のようになりたいと思った。

 根っから明るい彼みたいに、取引先のひとたちとフランクに話すことはできないけれど。

 小さな積み重ねで、信頼を得ている彼みたいに。


 私が言葉の裏にそんな思いを隠して言うと、綿谷さんは少しだけ驚いた表情を浮かべた。


「そうかな。」

「そうです。」

「なんにもしてないよ、俺。」

「いっぱい迷惑かけました。」

「…ぜんぜん。」

「…綿谷さんみたいに、なりたくて。」


 そこまで言うと、彼の表情から大きなクエスチョンマークが読み取れる。

 コロコロと変わる表情からすぐに感情がわかってしまう、とても素直な、ひと。


 そんな彼につられてしまったのか、少しだけ飲んだお酒のせいか。

 ずっと言っていなかった私の密かな目標を、…憧れているという感情を、言葉にしてしまった。


 案の定、綿谷さんは困っているように見える。

 こんな私が、完璧な彼に、だなんて。

 無謀にも、ほどがあるよね。


「…そう言ってもらえるのは嬉しいけど、」


 …やっぱり、


「俺は、みなみちゃんの仕事好きだよ。」

「…へ、」

「真面目で堅実で、俺みたいにこのキャラで許されてるようなところないでしょ?」

「…そ、う、…ですね?」

「俺は仕事するなら、みなみちゃんみたいなタイプの子がいい。」


 だから、そのままでいてよ。


 綿谷さんはそこまで言って、グラスに半分くらい残っていたビールを一気に流し込んだ。


 …また、そういうこと、を。

 サラッと言ってしまうんだな、このひとは。


 きっと、彼にすれば深い意味なんてなにもない。

 それでも憧れていたひとに、認めてもらえていたことの嬉しさとか、なんとなく恥ずかしかったり、とか。


 そんないろんな感情で、そのあとずっと心が忙しなかった。

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