第4話

「はやと…どこ」

「ッ!」

兄のその言葉に、優斗は思わず体を揺らしてしまった。兄に不審に思われただろうか、少し気まずく思いながら兄の顔を見るとどうやら疲れてしまったのか、目を閉じて寝息を立てていた。

「ふぅ…」

無意識にため息が出てしまった。「はやと」とは、優斗の兄であり、綾斗の双子の弟だ。両親は事故で他界しており、綾斗たち兄弟は3人だけで生活をしていた。親戚もおらず、頼れる大人もいない。当時16歳だった綾斗は高校入学をあきらめ、兄弟3人で生きるために就職し家計を支えることを決めたのだ。そんな綾斗に颯斗も賛同し、颯斗も同じように就職をしてお金を稼ぐようになった。優斗のために、と兄2人が働いてくれるのは優斗にとって心苦しいことではあったが、その分頑張ろうという気持ちでいっぱいだった。いっぱい勉強をして条件のいいところに就職するんだ、と毎日頑張っていた。そこから2年程そんな生活をして、あのダンジョン出現の日がやってきたのだ。

世界はあの日から一変した。今まであった企業もことごとく潰れ、現在の状況に落ち着くまでは数年かかった。生きるか死ぬかの戦いの日々だった。今思えば、兄さんが眠っていてよかったのかもしれない、あんなに大変な日々は兄さんには味合わせたくない。

10年前のあの日、綾斗は優斗と2人でスーパーでその日の晩御飯の買い物をしていた。いつも通りの変わりない日常だったのだ。そうしてあの日優斗は覚醒して、高ランク能力覚醒者になった。あの場で倒れて桧村に助けられ、病院で目が覚めた時、優斗の傍には颯斗が立っていた。

「颯斗兄ちゃん…」

「優斗、大丈夫か?ごめんな、傍にいてやれなくて」

「ううん、兄ちゃんたちが無事で良かった」

「俺は無事、だったけど…綾斗は…」

「綾斗兄ちゃん!?そうだ、綾斗兄ちゃんは!?無事だよね!?」

ベッドから飛び上がり颯斗に詰め寄る。服を引っ張られながらも颯斗はきちんと答えてくれた。

「綾斗は生きてる、大丈夫だ。お前が助けたんだ」

「ほんと!?良かった…」

その言葉を聞いて身体の力が抜ける。地面にへたり込んでしまった優斗の体を颯斗は支えてやり、ベッドへと再び身体を移した。

「優斗、俺…」

「兄ちゃん…?どうしたの?」

「いや、何でもない、お前は早く元気になるんだぞ」

そういって颯斗は優斗の頭を撫でて寝かしつけてくれたのだ。颯斗は暗い顔をしていたが弟には気丈にふるまっていた。すぅすぅと眠りについた優斗を見て颯斗はその場を離れ、綾斗の病室へと移動した。

**

「綾斗、お前そんなケガして生きてるなんて奇跡だよ…」

颯斗は涙が出そうになるのをこらえながら、綾斗に話しかける。

「俺、お前たち2人も生きてて本当に良かった…お前たち2人を失ってたらと思うと、想像しただけで、俺生きて行けそうにない…」

あふれた涙はもうこらえることはできず、颯斗の足元へと落ちていく。

「今日、俺だけ2人と別の場所にいて、知らせを聞いて本当に生きた心地がしなかった」

「たくさんの人が死んだ、この病院に運ばれても、死んだ人もいる」

「だから本当に良かった…生きててくれてありがとう…」

眠っているため綾斗に届くことがないとわかっていても颯斗は言葉を止めることはできなかった。綾斗のベットに顔を押し付け、疲れて眠ってしまうまで颯斗はありがとうと言い続けた。

**

それから1ヶ月が経っても綾斗が目覚めることはなかった。

「綾斗兄ちゃん、どうして起きないの…?」

「なんでだろうな…」

優斗はあれからすっかりと元気になり、能力に覚醒したこともあって様々な周りの大人に連れまわされているが、颯斗は綾斗の傍に居続けていた。日に日に疲弊していく兄を優斗は心配顔で見つめる。

「颯斗兄ちゃんも無理しないで、僕ががんばるから」

「ごめんな、優斗…」

「気にしないで、僕が2人を守るんだから」


そうやってしばらく経ち、優斗は高ランク能力覚醒者としての仕事を始めることになった。全国で数人しかいない高ランク能力覚醒者。その内の一人が優斗のため優斗は忙しく過ごしていた。

ずっと嫌な予感しかしなかった。本当はわかっているのかもしれない。綾斗が目覚めないのにも何か意味があるのではないかと、でも認めたくなかったのだ。優斗は綾斗の眠るベッドへと近づき、その横に座り込んだ。

「ねぇ…起きてよ…綾斗兄ちゃん…」

**

そしてとうとう、綾斗が目覚めないまま1年が過ぎてしまったのだ。

「颯斗兄ちゃん、もう外に行っても大丈夫だよ?僕に任せてよ」

優斗が優しく背中を撫でてくれる。それでも颯斗はそこを動く気にはなれなかった。

「ごめんな、俺が不甲斐ないばかりに……」

「そんなことない!颯斗兄ちゃんは頑張ってるよ!」

優斗は優しい、こんな俺にも優しくしてくれる。でも、俺は何もできなかった。いつも2人に助けられてばかりだ。

「優斗、俺……綾斗が目覚めないのが怖くて仕方ないんだ」

2人の兄である俺がこんな弱気でどうするんだ。でも、1年間ずっと不安に思っていたことを優斗に話してしまった。

「もう、綾斗はこのまま目を覚まさないんじゃないかって……」

「颯斗兄ちゃん……」

「ごめんな、優斗。俺、お前の兄なのに」

「ううん、僕こそごめん、颯斗兄ちゃん」

「え?なんで優斗が謝るんだよ」

「僕、兄さんたちに心配かけないように、困らせないようにしようって思ってた。でも上手くいかなくていつも迷惑ばっかかけてる……」

優斗は悲しそうに目じりを下げながらぽつりぽつりと話し出す。

「僕も、不安でたまらないんだ……また3人で一緒に生活したい、また3人で笑い合いたい」

「優斗……お前」

「でも、僕は颯斗兄ちゃんにだって笑っていて欲しいんだ。颯斗兄ちゃんは僕の憧れで、頼りになる大好きな兄なんだよ」

「っ……!」

そんなことを言われたのは初めてで、颯斗は思わず赤面してしまう。

「颯斗兄ちゃんは、僕にとって自慢の兄さんなんだ!だから兄さんが苦しそう顔してたら僕もつらいんだ……」

優斗は俺の頭を優しく撫でてくれる。いつも気丈にふるまっていて弱音なんて全く吐いてこなかったから、俺もこんな一面があるなんて思ってもみなかった。

「ありがとな、優斗」

「ううん、僕は何も」

「ふふ、お前が1番綾斗に似てるのかもな」

「そうかな?」

「ああ、お前が居なかったら俺どんだけダメになってたか」

「そんなことないよ、颯斗兄ちゃんは強い人だよ」

「まさか!俺は弱い奴だよ」

「ううん、どんな時でも僕の前に立って守ってくれてるじゃん」

「……優斗だって、俺の前にいつも立ってるだろ」

そうして少しの間沈黙が流れた。病室には俺たちの呼吸音と、外で降り続ける雨の音だけが聞こえていた。

「やっぱり、僕は颯斗兄ちゃんが笑っていないと心配なんだ……無理してるってわかってるんだけど、今みたいに弱った姿も見せてくれるってわかって安心しちゃって」

「……そうか、ごめんな」

「ううん、ごめんね」

「なんでお前が謝るんだよ」

「ふふ、そうだね」

「はは、そうだな」

2人で笑い合う。優斗はこんなに大きくなったんだな、俺は本当にいい弟を持ったよ。綾斗だって、寝てるだけじゃないぞ。

2人の病室には穏やかな雰囲気が流れ始めていた。

「……いや」

そんな雰囲気の中、突然颯斗が立ち上がった。

「颯斗兄ちゃん?」

「優斗!悪いが1人で帰ってくれないか!」

「えっ!?」

「本当に悪い!俺は綾斗を助けに行ってくるから!」

「ちょっと、颯斗兄ちゃん!?」

「また来るから!」

そう言って病室を出て行ってしまった。それっきり颯斗の行方は優斗にも一切分からないのだ。

-----

こんなこと兄さんに伝えられないよ。優斗は綾斗の病室で1人頭を抱えていた。

「颯斗兄ちゃん、どこ行ったんだよ…いい加減帰ってきて」

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