第2話 サイコ松村、進撃ス

     ……………


 「つまるところ、この世界というのは如何に社会に同調しつつ、如何に反社会的行為を合法的に行い、如何にそのどちらにも属さない行為に心血を注げるかにあるワケだ。勿論社会的行為の中の社会に同調する行為と言うやつに熱心になるというのが理想的ではあるが、そんなこたぁ無理なんだよ。万人向けの靴が無いように、万人向けの趣味も、万人向けの嗜好も、万人向けの人生も存在しないのさ。あるのは無限とも言うべき確率の結果をはじき出し続ける多様な生命ばかりだ。本当に地球というのは計算機なのかもしれないね、全く」


 松村はそう言って、テーブルのエスプレッソを啜った。


 「苦」


 彼はそう言って顔をしかめる。だが、また一口、熱いエスプレッソを啜り、嫌な顔をする。


 「別に飲まなくてもいいデショ」


 「いや、もったいない。せっかくのめぐり逢いだ。この無限とも言える人間の行動の累積の中の結果が紡ぎ出した奇跡と言う奴だ。それに今僕は珈琲が飲みたいんだ。たとえ数時間後に腹を下すとしても」


 「こんな時にそんなことを……」


 「こんな時だからこそだろう? なるようになった。やれることをやった。やるようにやった。努力した。それが不十分だった。もうしょうがないのさ。結果は既に出ている。じゃあ次の結果をよくすることしかできない。それだけだよ、『おかれた場所で咲きなさい』ならぬ『置かれた場所で裂きなさい』ってね……『噛みなさい』か? いやそれよりか『殺しなさい』かな? ――それにしてもこれは苦い。を掻き消すほどに苦いな」


 そう言って松村は飲み干したコーヒーカップをテーブルに丁寧に置いて、立ち上がる。その足元にはエスプレッソを頼んだ客の死体が転がっている。

 その死体は首元が割かれたような様子であり、周囲には大量の血痕が飛び散り、肉片が落ちている。その大量の血は松村が座っていた椅子にも、テーブルにも、勿論コーヒーカップにも、そして、下手人たる松村の口元を中心に全身にべっとりと鮮血が付いている。


 「『やれることはやった』って……ただの言い訳じゃない。アンタは人殺しなんだから」


 「その通り。それは変わらぬ事実だ。そしてこれからも僕による被害者は増えて行くだろうね。だがね、君、こうなった以上、これより他の被害を増やさぬように努力していくことが大事なんだ。罪もまた償う事が大事だ。僕は今さっき、ここに転がっているコイツを殺してしまった。いきなり噛みついて、喉を食いちぎり、楽しくなっちゃって目も抉り出し、目と脳が繋がっているのか確認するためにフォークで眼孔をこじ開けて、周りがうるさいので机を投げたり打ったりした。その罪の重さを認識してじっくりと罰を受け、一生背負っていく必要がある。全く。こんな猟奇的な殺人犯はキッチリ捕まえなくてはならない。そろそろ警察が来る頃合いだ……そら来た!」


 「アンタ、それは私の存在と一緒、アンタの幻覚よ」


 誰も居ない虚空に映る幻覚の彼女からそう言われた松村は疑わしい目で虚空を見る。


 「幻覚が自己申告するかね? いくら僕が自己認識をこじらせてメタ思考の渦の中にいるからと言って、自らの幻覚に自分は幻覚ですと言わせるというのかい? だが、君が幻覚であることは僕も自覚している。とするなら僕が今挙げたメタ思考の渦によって僕は幻覚ですら幻覚であることを享受できていないと言う事になる。いや、これはより深く、多層的に享受しているという事でもあるのか。自己を客観視すると言う事の疑わしさの果てには多層的読みがある……いやでも……」


 「幻覚じゃないお友達がアンタのこと呼んでるよ」


 彼女は珍しく松村の独り言を中断し、割り込んだ。彼が虚空に存在しない彼女の指し示す方を向くと、黒服の男三人が血の届いていない場所で立って、松村の様子を見ていた。

 松村はすぐに黒服の方に向き直る。その際、彼は死体の指を踏みつぶしてバキリと音を立てたが、松村は服を直すのに気取られてそれどころではなかった。血まみれのリクルートスーツを少し払い、ネクタイを直して、落ち着いた笑顔を黒服たちに見せ、松村は話す。


 「どうも。松村ユウジです。……警察の方ですかね?」


 その笑顔は血がべっとりと顔に付いていなければ友好的な笑みに見えたに違いない。だが、今の状況ではその表情は異常の一言だった。

 黒服らは眉ひとつ動かさず、三人のうちの真ん中に立つ代表が答える。


 「いいや。我々は警察ではない。……むしろ反対の存在だ」


 「反対……ですか……。そんな方が、私に一体何の用でしょうか……」


 「君を我々の『エージェント』として雇う。これは決定事項だ。君に拒否権はない」


 「ああ?」


 松村の口元と目元は相変わらずの社交的な笑みが見えるが、声の怒気と眉の筋から頭に血がのぼっているのがはっきりと見て取れる。それは先程、このカフェで起きた惨劇のせいも相まってより瞬間的に爆発的な怒りを生み出している。


 「アンタ、さっきの我慢するってハナシは?」

 

 「……ああ、そうだ……。グッ……。うん。そうだ。……君、ありがとう……。助かった。はぁ……」

 

 松村は息を荒げながら頭を抑える。その間に二人の黒服たちが足音なく、松村に近づき、懐からスタンガンを取り出す。


 「ハァッ!!」


 『ドガッ! ……ガタッ』


 右から近付いた黒服の顎に、頭突きをいれた松村は、そのまま体重をかけ、黒服を倒れ込ませる。彼の懐からスタンガンがこぼれ落ちかけている。取り押さえようと近づく別の黒服に目もくれず、松村は倒した黒服に追い込みをかけるようにもう一発、頭突きを相手の顔面に振り下ろす。


 『ドガッ!』 


 「ウッ!」


 黒服の鼻が拉げ、流血する。 


 「この……!」


 松村の後ろから黒服がスタンガンを彼の首元へ当てようと差し向けるが、松村はそれを見もせずに避け、頭突きの後に拾い上げたスタンガンを振り向きざまにもう一人の黒服の手へ当てる。


 『ビーッ!!』


 「うおっ!」


 スタンガンの電撃に怯んだ黒服の足元へ松村はタックルを仕掛ける。松村は身長は大きいが上半身の筋力は貧弱である……だが、脚部は異様に発達しており、タックルの瞬発力は申し分ない。


 『ドダッ!』


 尻もちをついた黒服は松村にスタンガンを振り下ろす、が、松村の嚙みつきが先に黒服の太腿を襲った。


 「ウァアッ!」


 リミッターの外れた咬合力による噛みつきはブチブチとズボンの布越しに黒服の肉を摺りつぶす。そこでできた隙に松村はすかさず右手で金的を狙う。


 『ドガッ!』 


 「アアアッ! このッ……!」


 黒服がジャケットの内ポケットから何かを取り出そうとしたその時、カチャリと松村の後頭部に金属の何かが押し付けられる。三人目の黒服が音もなく松村の背後を取っていた。


 「大人しくしな……。別に取って食おうってわけじゃあねえ。テメエは取って食うつもりらしいがな……」


 だが、松村は迷いなく顎の力を強め、金的をもう一度敢行する。


 『ダァンッ!』


 音が響いた瞬間に松村は意識を失う。


 (サイコ松村、進撃ス2へ続く)

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