【即興クソ小説短編集】 パルプ・マガジン
臆病虚弱
アンダーヘア・イン・ザ・スカイ・ウィズ・プレイングマンティシーズ
……………
剃毛。もっとも清潔なる行為。
少なくとも私はそう思っている。
ぎょっとされたそこの君、ちょっと、待ってほしい。
そもそも毛というものに対する不快感はただの生理的な反応であり、実際に汚れているから忌避感を覚えているわけではない筈だ。毎日シャワーを浴び、身体をよく洗っている人間の毛が汚れていると言えるだろうか?
それに、身体を洗うという行為は、ある程度体が汚れているから洗うものだろう?
だが、剃毛は、用いる器具にもよるが、今私が行っているような、所謂アンダーヘアに対する剃毛の場合は洗ってから、少なくとも毛を濡らし、ある程度カミソリを潤滑させるためにクリームなり洗剤なりを利用している。
確かに部位としては汚いかもしれないが、剃毛という行為はある程度清潔であるという前提を以て行われる。そうでなくては万が一の際の感染症などのリスクがある。
……という釈明も、体毛の薄い者には意味がないのだろう。アジア人に生まれた事を少し恨むよ。
私は皮肉っぽく一人、風呂場で笑い、ごっそりと剃り切った
「……!?」
ふと、毛を流す瞬間に妙な感覚が剃毛した部分にあった。
やはり、何か……。さっきのアレがマズかったのか?
だが、その感覚はすぐに薄れ、毛は排水溝へと流れて行った。
――さっきのアレ……。というのは、私が通っている大学の生物実験室でのことである。
私の通う大学は畜産及び遺伝学を扱う学科があり、私はそこで学んでいる。その生物実験室には厳重に保管・管理されている遺伝子実験済みの生物が複数いるのだが、その中でも私は、
しかし、私は先程、生育してきた大事な実験用のそのカマキリを転んで潰してしまい、その体液がズボンに沁み込み、私の体毛にまで浸透してしまったのだ。
おかげで教授にはしこたま怒られ、学校の備品の破損だなんだと騒ぎになり、私が寝不足の上、実験もてきとうに行っていたことがバレる、といった不幸しかなかった。
ズボンを洗うべく、各種手続きから逃れ帰宅した私だったが、沁みた下着を脱いだ時、思わず「ワッ!」と叫んでしまった。
体毛が白く変色していたのだ。
すぐさま私は流水で肌と毛を洗ったが、変色は変わらない。ごしごしと石鹼で洗っても落ちない。そして、剃毛に至ったわけである。
普段ならばもう少し伸ばしてから至福の剃毛を行うはずが、こんな事に……やれやれ……。
私はため息を一つ吐き、下半身をバスタオルで拭いたのち、排水溝に溜まっているであろう毛を掃除するためにゴム手袋とポリ袋を用意して、排水溝のフタを開いた。
「ん?」
そこにあった白い私の
「なっ……。なんだァっ!?」
私は腰を抜かし、どかりと尻もちをつく。その音に呼応するかのように、白い
「んなッ……! 馬鹿なっ!?」
その毛は私の頭上を一本の縄の様にまとまった様子で抜けてゆき、このアパート部屋の出口へとするりと飛んでいく。
私はもう夢中でそれを追って部屋を出る。
自身が下半身に何も着ていないことを忘れて。
道路に出て、見上げると、私の
剃毛の自由すらも奪われた私とはきっと対照的な存在なのだろう。意味の分からないことを言っているのは分かっている。だが、自分でも驚くほどに、剃毛……いや、自由に憧憬を抱いていることに、こんな意味不明な事象で気づかされてしまったのだ。
私は一筋の涙をこぼした。その涙は嗚咽となり、私の目からあふれ出して止まらなかった。
「ウウッ……ズズッ……。うう……。ん……?」
だが、その嗚咽も、私が見つけてしまったある光景によって止まる。
「あ。……あれは……。オオカマキリ!?」
空を舞う私の
オオカマキリと思しき巨大生物はその両腕の鎌を振り上げ、私の
白い筋はするりと、その攻撃を避け、カマキリの後ろを取ろうと回りこむ!
だが、カマキリも機敏だ。毛に対して横薙ぎを繰り出す。本来のカマキリならばできない芸当、だが、僕の研究室のカマキリならば……!
はらりと幾つかの毛が鎌に削り取られ、地に落ちてゆく。
毛はカマキリの頭を越え、遠くへと逃げようとするが、カマキリの飛行速度の方が早い! 流石はオスのカマキリだ!
毛はカマキリの鎌に捉えられる!
「避けろッ!」
私は思わずそう叫ぶ。その叫びが通じたのか、毛は少し削られつつも鎌を避け、そして、こちらに逃げるように飛んで来る。
それも当然か、私が叫び、呼び寄せてしまった……。いや、そもそも私の
オオカマキリは私めがけて一直線に飛んできている。
――逃げるべきだ。出来ることなら、
だが。
「来やがれ! ムシケラぁっ!」
私は、逃げたくない。いや、守りたい……。この
オオカマキリは両の鎌を大きく振りかぶり、私の頭部めがけそれを振り下ろす!
『シュッ! ガッシャァアアッ!』
私の鼻先を鎌がかすめ、アスファルトの地面を破壊する。だが、奴はアスファルトに鎌を刺した、そう簡単に抜くことはできない筈だ……! その隙に!
『ずぼっ』
クソッ! 普通に抜けた!
カマキリはすぐに横薙ぎの姿勢に移る。私は……やぶれかぶれに目を瞑って、拳をカマキリに振るう! もう、どうにでもなれッ!
『ドガッ!』
拳の感触! 殴り飛ばす!
目を見開くと、目の前で
「おい、お前……。大丈夫か……?」
私はその
刺さっている鎌を抜くと、ボロボロと幾つかの毛が零れ落ちる。
心なしか、元気がない……。もうすぐ死ぬというのか。
「おい……。そんな……。お前……」
どう声をかけていいのか。いや、そもそも声をかけるのが正しくないのは分かっているが、この際そう言う事はもういい。
私がそうやって困っていると、毛は、ゆっくりと起き上がり、ふわりと、空中へそして更なる天へとゆっくり、毛を零しながら登ってゆく。
「……がんばれよ……。また、何時でも戻ってこい」
私はそう呟いた。
毛はどこまでも高く昇って行って、見えなくなっていった。だが、アスファルトには白く縮れた毛が残っている。
その毛も風に吹かれ、どこかへ飛んで行く。
私はその去り行く毛を眺めながら、暫らく、空を見つめていた。
私は公然わいせつで逮捕されたが、今もこの経験を悪いものとは思っていない。
(終)
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