第9話 双頭の大蛇アンフィスバエナ!魔境グンマー奥地に恐怖のオーク族は実在した!-④
森が途切れてから10分と経たないうちに、レッドロック村が見えて来た。
しかし、残り僅かなその距離も、ひと一人を背負いながらでは無限の遠さに思えて来る。
「やめろって、シオン。大げさなんだよ。アンタの持ち場は先頭だろが。」
「いいから!大人しくして下さい!」
回生の泉は主に苦痛や疲労感を取る為の術だ。
直接的な治癒効果があるわけではない。
ようは気休めだが、やらないよりはマシだろう。
少なくとも、私を振り払えないような状態のルーナを一人で歩かせるわけには行かない。
「あ、あの…クズノハさん。」
ナガノ氏がおずおずと声をかけて来る。
用事は大方予想がつくが。
「ベイリーさんはあたしに背負わせてください。あたし見ての通り図体だけはデカいんで、せめて、これくらい…」
言い募る彼女の表情は暗い。
きっと自分を庇ったせいで、ルーナが負傷したと思っているのだろう。
隣のスギタ氏もそれを察して、代わりに自分が、とは言い出さなかった。
だが、そうではない。
これは明らかに私のミスだ。
確かに、護衛を引き継ぐなら、ルーナを背負ったままで居るべきではないのだろう。
しかし…
「シオン、お言葉に甘えよう。その体勢じゃ、いざという時に3人を守れない。」
「…分かりました。」
私の背からナガノ氏の背へ、少しだけ隊列を変更する。
程なくして、私たちは無事にレッドロック村へと到着した。
スギタ氏のように、昨日の襲撃を受けて避難した住民も多いのだろう。
人通りはまばらで、民家に併設された駐車スペースにも空きが目立つ。
いくつかの家屋は損傷を受けており、毒液を被っているものも少なくなかった。
雨が降り、この毒が畑や用水路に流れ込めば、被害は農作物にも及ぶだろう。
早く何とかしなければ。
「コハルちゃん!それにスギタさんも!あなた達まさか森に居たの!?怪我は無い?大きな蛇に襲われなかった?」
道すがら年配のオーク女性が声をかけて来た。
逃げ遅れたのか、あえて留まったのか。
どうやら2人の知り合いのようだ。
「ムカイさん!あたし達は大丈夫です。でも、こちらのベイリーさんが…」
「大変!顔色が真っ青じゃない!皆さんバスのお客さんなの?ちょっと待ってて、車取って来るから!」
ムカイ氏は慌てて走り去ったかと思うと、5分と経たずに自家用車で戻って来た。
なるほど長身だけあって足も速い。
今日はオーク族の体格に助けられっぱなしだ。
果てしなく遠く思えた道のりは一瞬で過ぎ去り、私たちは当面の目的地、ナガノ氏のご実家に到着した。
「みなさん、こちらです!広間に布団を用意します!」
ナガノ氏の先導に従い、思いのほか広い庭を横切って、縁側からルーナを運び込む。
スーツを脱がせて、お借りした寝間着に着替えさせ、布団に寝かせると、大分楽になった様子だった。
それにしても立派な家だ。
先祖伝来の鎧兜があると言っていたが、ナガノ氏のご実家は旧家なのだろうか?
「ありがとうございます、ムカイさん。おかけで社員の手当てができます。お礼は後日かならず…」
「いいの!いいの!あんなお化け蛇が湧いて、大変なのはお互い様でしょ。ゆっくり休ませてあげてちょうだい。」
颯爽と去っていくムカイ氏。
スギタ氏にもひとまず自宅に帰ってもらった。
アンフィスバエナが道路にも出没する以上、不用意に避難を勧めるわけには行かない。
いつでも動かせるよう、車の準備だけしておいてもらって、再び襲撃される可能性が高いこの村でアンフィスバエナを迎撃するのが、最も確実な手であるはずだ。
しかし、そのプランを確実な物とするための戦力が、私たちには不足している。
「ぐぇいででででッ!この薬沁み過ぎだろ!何が入ってんだよ!」
「毒で炎症を起こしてるんだよ。熱も出てるな…シオン、引き続き癒しの術をかけ続けて。ボクは逃げ遅れた住民達に避難準備の勧告をしてくる。」
残されたのは私とルーナ。
ナガノ氏は、私たちの為にお茶を用意してくれている。
気まずい沈黙に耐えられず、何度目かの謝罪を口にした。
「すみません、ルーナ。私の判断ミスでした。敵にダメージを与える事に固執するべきではなかった。」
「…別にアンタのせいじゃねえよ。オークの一人くらい咄嗟に抱えて跳べなかった、アタシの失態だ。」
そんなはずがないだろう。
あそこで私が出しゃばらずとも、ナスル先輩が十分な火力を用意していたのだ。
私は音障壁の展開に集中し、前衛はルーナに任せるべきだった。
…いや、だめか。
あの時はナガノ氏とスギタ氏が居た。
飢えた大型魔獣の前に素人2人を護衛なしで放り出すのは危険すぎる。
どうすれば良かった?
私はどうすればみんなを守れた?
「あーもう、鬱陶しいな!何でも一人でやろうとすんな。馬鹿力でアタシらごと吹っ飛ばさなかっただけ上出来だよ。」
「しかし…」
しかし、何だと言うのか。
魔獣の前に、私は私の力から周囲を保護する義務がある。
もっと動きを洗練しなければ。
「はー…疲れた。さすがに今回は、アンタと先輩に譲るわ。抜かるなよ…」
そう言ってルーナは大儀そうに眼を閉じた。
寝かせておいた方が良いだろう。
回生の泉を停止し、音を立てないよう部屋の隅に移る。
少しして、お盆をもったナガノ氏がふすまを開けて入室してきた。
「ベイリーさん、寝ちゃいましたか?」
「はい、お手数おかけいたします。」
沈んだ表情でルーナの傍に座るナガノ氏。
彼女にも随分と負担をかけてしまった。
今回はまるでいい所がないな。
「こんなにボロボロになって…あたし、自分が情けないです。図体ばっかり薄らデカくて、守ってもらってばっかりで…何がグンマー武勇伝だよ…!」
彼女がポツリと漏らしたその言葉に、なんと返すべきだったのだろうか。
私の言葉が声に乗る前に、状況が動き出す。
『敵襲!北西からアンフィスバエナが接近中!住民の皆さんはすぐに南方面へ避難してください!』
村内放送のスピーカーから、敵襲を告げるナスル先輩の声が響き渡った。
/
「みなさん!落ち着いて避難して下さい!魔獣はこちらで迎撃します!接敵前に注意を引かないように!」
ナスル先輩の声が響く。
既にナガノ氏にはルーナを連れて避難してもらった。
今頃は他の住民と共に安全な所まで辿り着いているはずだ。
「来たね、シオン。小さくだけど、もう肉眼で見えてる。村の西側からだ。」
「畑が広がっている辺りですね。あまり毒を吐かせると、村の農業への被害が心配です。」
今度こそ、正しい戦い方をしなければ。
被害を最小限に抑えて、この一戦でケリを付ける。
「シオンは人命および財産の保護を優先。ボクは敵を足止めして、隙を見てこいつでトドメを刺す。いいね。」
有無を言わせず私に作戦を告げるナスル先輩。
私が返事をするより早く、アタッシュケースを開け放ち、折りたたまれた中身をテキパキと組み立て始める。
全長約1200mm、重量7000g、第一種ブラスター『パピルサグ』。
最大威力は私が放とうとした火球の実に5分の1に達し、標的や状況に合わせて調整も効く。
弊社の保有機材の中でも群を抜いて強力な、我々の切り札だ。
「分かってると思うけど、敵もこんな大砲に真正面から当たってくれるほどノロマじゃない。スタミナ勝負だ。息切れしないようにね。」
ナスル先輩の右肩が開き、体内からパピルサグを保持する為のハンガーがせり出して来る。
同時に脚部も展開し、未舗装の足場を高速移動できる6脚形態に移行した。
これがアラクネ型多脚全身義体の真骨頂、ナスル先輩の本気モードだ。
彼我の距離はもはや50メートル程度。
いよいよ接敵と言う段になって、ようやくアンフィスバエナの異常な大喰らいに合点が行った。
ついさっき、この手で首を撥ねた傷口に、もう薄っすらと小さな頭部が形成され始めている。
「とんでもない再生力だね。シオンの死霊術で傷口を焼き潰されたのに…まさか、もう目が開いてるのか?」
ナスル先輩の懸念は、外ならぬアンフィスバエナ自身の手で証明された。
いまだ再生中の頭がバネ仕掛けのように跳ね上がり、真っすぐ正確にナスル先輩を打ち据えに来たのだ。
「SHIIIII!」
「チッ!回答どうも!いくよシオン!毒液の対処は任せた!」
「了解!」
両手を広げて、死霊術『拒絶の絶叫』を発動。
無傷の頭が吐き出す毒液を音の壁で吹き散らす。
その間に、ナスル先輩は6本の脚部で、民家の屋根に飛び乗っていた。
「こっちだ、デカブツ!」
両手のブラスターから交互に徹甲弾をバラ撒き、アンフィスバエナの鱗を抉っては非効率的な再生を誘発する。
だが、このペースでは有効打にならない。
撤退の決定権が攻め手側にある以上、いくらスタミナを削っても、結局どこかのタイミングで、森の奥へと逃げられるだけだ。
求められるのは、最低でも一つの頭を一撃で吹き飛ばせるだけの大火力。
敵が逃げの判断をしないギリギリの線を見極めて、どうにかナスル先輩のパピルサグを当てに行くしかない。
「そらそら!どんどん行くよっ!」
BLAM!BLAM!BLAM!
徹甲弾の雨が降る。
アンフィスバエナの動きは速いが、こうも的が大きいと、完全回避は不可能だ。
「SPIT!!」
苛立ち紛れに吐きかけられる毒液を、音障壁で打ち払う。
どうやら再生中の頭の方は、まだ毒腺を取り戻してはいないらしい。
手数はこちらが有利か。
「「SHYIIIII!!」」
「でもないか!厄介なッ!」
二つの蛇頭が連携して、回避困難なワンツーコンビネーションを仕掛けて来る。
さながらボクシングだ。
障壁の維持のために手はブラスターを握らざるを得ない。
空中跳躍を駆使した足技で蛇頭をいなし、私自身とナスル先輩の安全を確保。
パピルサグは…
「だめだ、敵の暴れがまだ激しい!オルゴンの圧縮充填に1.0秒は要る!」
「1秒!それ本気で言ってますか!」
本気ですよね、分かってますよ!
事前にブリーフィングしたからね!
「SPIT!SPIT!SPIT!」
「SHYIIII!」
今度は毒液と頭突きのコンビネーションだ!
ナスル先輩は屋根から近くの木に飛び撃って回避。
しかし私は田畑への被害を防ぐ為、音障壁の展開角度を一定の範囲内に収める必要がある。
毒はともかく頭突きまでは回避し切れない。
ナスル先輩が散弾でこれに対処するが、それはこちら側からの牽制攻撃の密度が半減したことを意味する。
「「SHYIIII!」」
ええい!しつこい!
ヘビは執念深いと言うが、こんな泥仕合を仕掛けて来るとは!
「SPIT!SPIT!SPIT!」
「SPIIIIT!」
まずい、毒腺の再生が始まっている!
ルーナを欠いている事が痛い。
せめて一呼吸、前衛を任せられる人間がいれば、それで片が付くと言うのに。
その時である!
「グルオォォォォッッッ!!見くびるなァッ!!」
「「GSY!!??」」
突如響き渡る獣のような咆哮。
川向うから弾丸めいた速度で飛び込んできた人影が、そのまま一切速度を減ずることなく、アンフィスバエナの再生中の頭に深々と突き刺さった。
およそ常人の身体能力で可能な動きではない。
こんな真似ができるのは…
「ルーナ!?」
…いや、そんなはずはない。
彼女はまだ絶対安静で、そもそも今この村に居ないはずだ。
一体誰が?
その疑問には、飛び込んできた人影が自ら答えてくれた。
「やあやあ、我こそは!グンマーの国、レッドロックがコハル・ナガノなり!遠からん者は音に聞け!近くば寄って目にも見よ!あたしらグンマーのオーク族は、誇り高き武の一門だッ!!」
それは、中世の絵巻物から抜け出して来たかのような姿だった。
鎧兜を身にまとい、3メートルは有ろうかと言う剛槍を構えたオーク武者。
他の住人と一緒に避難したはずのナガノ氏が、古めかしい槍一本を手に、治りかけた蛇頭の片割れを串刺しにしているではないか!
「今です!みなさんッ!」
同じ傷口を何度も繰り返し抉られる痛みに、アンフィスバエナは溜まらず泣き叫んだ。
絶好のチャンスだ。
ナスル先輩がハンガーからパピルサグを下ろして狙いをつける。
オルゴン充填率60%、70%、80%、90%…!
「GSHYYYYYYYYYYYYYYYY!!!!!」
「きゃぁっ!」
だが、それで限界だった。
いかにナガノ氏の膂力が無双であろうとも、槍の強度には限界がある。
全身が筋肉の塊である巨大蛇の全霊の抵抗に、彼女の槍はバキリと音を立てて、真っ二つに裂けてしまった。
再び解き放たれるアンフィスバエナ。
その牙が彼女を捉える寸前、間一髪でナスル先輩のインターラプト射撃が届く。
「下がって!これ以上は無理だ!」
パピルサグのオルゴン充填は未だ僅かに必要量に満たない。
アンフィスバエナは尚も暴れ狂う。
己の身から湧き上がる果てしない飢えにのたうち回り、己の作った敵から受けた傷の痛みに悶えている。
何もかもが身から出た錆。
命を守るために身に付けたはずの再生能力さえも、もはや徒に苦しみを長引かせる枷の役割しか果たしていない。
その報われない生の在り様に、私はいつしか焦燥よりも哀れみを覚えていた。
ああ、そうか。
こうすれば良かったのか。
両掌を柔らかく広げ、手首を合わせて癒しの術の行使に特化した、鎮魂の構え。
花園流唱闘術、蓮の型。
「花園流『
満たせ、導きの水よ。
体の傷は癒えはしない。
ただ少し、その心を仮初めに、苦しみから解き放つだけ。
これは生存競争だ。
死を待つばかりの獣と言えど、見逃してやるわけには行かない。
けれども、願わくば、その最期にせめてもの尊厳のあらん事を。
アンフィスバエナの悲鳴が止まる。
苦悶に転げ回っていた巨大な蛇体が、束の間の安らぎに身をゆだね、ゆるりと弛緩した。
「ありがとう、シオン。手を汚す役割は、
BLAM!
オルゴン充填率100%
パピルサグの咆哮が、血涙を流すアンフィスバエナの頭を光の渦に飲み込んだ。
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