第4話 死のヤコダ山の謎!空飛ぶ雪男ウェンディゴを追え!-④

 ウェンディゴの巣は、持ち主の捕獲から程なくして見つかった。

 なるほど、確かに変化術の心得が無ければこれは見つけられないだろう。


 予想通り、集落から真裏に当たるヤコダ山大岳の東南東、やや山頂の崖に屈折制御の風精術で偽装された洞穴が奴の根城だったのだ。


 地質学の専門家ではないため断定的な事は言えないが、恐らくはこの洞窟を構成する鉱物が死者の怨念によるオルゴン汚染の観測を阻害していたのだろう。


 そう思って、せめて遺品だけでも回収できればと中を確認してみたが、どうにも様子がおかしい。


「どういう事だ?あのエテ公、服どころか、メガネや金具まで食ったってのか?」


 先行したルーナが訝しむ。

 私も彼女と同意見だ。

 オルゴン痕跡を確かめるまでもなく、巣に残されている食痕がおかしい。


 人間がここまで運ばれて捕食されたのであれば、当然食べカスないし未消化物として残されているはずの、衣服の切れ端や持ち物が一つも見当たらないのだ。


 山で姿を消した犠牲者達が、その場で身ぐるみを剝がされていたなどと言う情報はない。

 それどころか、村長の証言によれば、そのような遺品の類は山狩りでは一切発見できていないはずだ。


 念のために口寄せの術を試みるも、やはり洞窟内にヒト由来残留怨念の反応は無し。


 つまり、ウェンディゴが食痕を隠していたのではなく、ハナからこの巣穴の中では、人は一人も死んでいなかったと言う事になる。


「ウェンディゴは確かに居た、しかし人攫いの犯人は別にいた、と…?」


 真っ先に思い浮かぶのは、人間による犯罪だ。

 しかし、あの小さな集落は、ここに来た初日に二人掛かりであらかたスキャンし終えている。


 そもそも、こんな観光地で住民と客のトラブルが3か月間に10回も発生していたなら、低評価のレビュー件数か何かで事前に兆候が見えただろう。


 私とルーナは困惑しつつも、課長への連絡の為に一旦洞窟を出る事にした。

その時である!


「なんだよ、これ…いつの間にこんなに吹雪いてんだ?」


 ふと振り向いた時には、洞窟の出口の向こう側は、数メートル先も見通せぬほどの猛吹雪に覆われていた。


 嫌な予感がする。

 ほんの数分前まで、雪はチラチラ舞う程度で、風も強くは無かったはずだ。


 通信器を操作して、帝都の課長とリンケージ確立を試みる。

 繋がらない!


「まさか、私たちが追っていた人攫いとは…」


 死霊術士としての勘に従い、再び口寄せの術を発動。

 たちまち、吹雪の向こう側200メートルほどの距離に、青白い燐光が浮かび上がる。


 明らかにヒト由来の活性オルゴンだ。

 規模はさほど大きくなく、せいぜい死霊化したストライダー族一人分程度。


 これが自由に移動していたなら、広域スキャンに引っかからなかったのも当然だろう。


「ガ、ガガ…魔術…魔術ダ…そコに誰カ居るのカ?アア…点呼を…」


 雪の向こうから底冷えのするような生気のない声が響いてくる。


 どうやら、ここから先は私の仕事らしい。

 ルーナと分断されないよう、歩幅を揃えつつ慎重に燐光に接近を試みる。


 私の予想が正しければ、恐らくはこいつこそが失踪事件の真犯人だ。


「アア、アア…お前たち、よク無事でいてくれタ…さあ、コっチへ…外は危険ダ…」

「こいつは…!」


 あまりにも惨い姿だった。

 ボロボロの軍服を纏った、氷漬けの白骨死体。

 色あせた階級章は、彼が生前士官の地位にあった事を示している。


 私たちの前に現れたのは、50年前の雪中行軍演習で行方不明となっていたカミヤ大尉その人だった。


「ガ…みんな、すまない、全テ俺のせいダ…必ず俺ガ連れテ帰る…全員生キテ家族に会おう…」


 長年野ざらしにされた遺体はとうの昔に朽ち果てており、この体は怨念の依り代と化した氷雪と骨片の集合体に過ぎない。


 だというのに、まるで骨格標本のような彼の姿からは、生前の風貌への執着が微塵も感じられなかった。


 肉のくびきから解放されたはずの死霊が、一体どれほど自分を責めれば、こうも無残な姿で固定されるのか。

 まるで自らを罰しているかのようだ。


「来るぞシオン!」

「わかってますよっ!」


 まるで吹雪に押し流されるかのように、ヌルリと滑って距離を詰めて来るカミヤ大尉。


 すんでの所で躱した冷たい手には、死霊術のそれに近い昏睡の術が込められている。

 道理で犠牲者の痕跡が何一つ見つからないわけだ。


 彼が人攫いの正体なら、恐らく被害者達はまだ死んでいない。

 この術で仮死の眠りに囚われ、今もこの山のどこかで生きたまま隠されて…いや、匿われているのだろう。


 なおのこと、降って湧いたこの手がかりを逃すわけにはいかなかった。


「ルーナ、下がって下さい!死霊術の心得なく、これに格闘を挑むのは悪手です!」

「チッ…抜かるなよ。」


 相性の悪さを悟ったルーナはおとなしく距離を取る。


 第二種ブラスターで倒し切れる相手ではない、さりとて相手に触れる事も極力避けたい。

 となれば、私の魔導格闘術の出番だ。


 両手の指をピンと揃えて伸ばし、相手を打たず掌に術をかざして戦う、投擲の構え。

 花園流唱闘術、桜花の型。


「アア…アアアア…!」

「失礼!」


 再び覆いかぶさるような突進が来る。

 いちいち横に回避していたのでは反撃のチャンスは永遠に来ない。


 右肩から前転するような軌道でカミヤ大尉の攻撃をすり抜け、防御不能の死角から、左手で炎の術を噴きつける。


「花園流『御車返しみくるまがえし』!」


 依り代が雪ならシンプルに熱が有効だろう。

 この身に宿した死者達の怨念を使役し、生者に対する妬みと憎悪を、炎の形で具現化させる。


 しかして、それが向かう矛先は生者ではなく、私が命じた同じ亡霊だ。

 死者と死者が互いを罵り苛み合う、地獄絵図が現世に顕現する。


「グゥゥッ!?」


 予想だにしていなかったダメージにカミヤ大尉が呻く。

 事ここに至って、彼もようやく私が抵抗している事に気づいたらしい。


 こちらを抱き寄せるように緩やかだった動作から一転、武器を構えて迎え撃つ姿勢を見せる。


 腰だめに構えた両手の中に現れたのは、彼自身と同じく氷雪で象られた長い投術杖。

 両手で扱う軍用の第一種ブラスターに白兵戦用の短剣を装着した旧型武器、杖剣だ。


「ガガ、なにをする?気をしっカり持て…みんなデ生きテ帰るんダ…」


 流石はプロの軍人と言うべきか、おぼつかない口調とは裏腹に、その動きは鋭く迅い。

 白兵戦を挑んでいたなら、この突きは回避し切れなかっただろう。


 ほとんど勘だけを頼りにして、顔の前を左腕で払う。

 正確故に読みやすい、喉を狙った一撃を最小限の接触でいなし、その体重移動を利用して、右手に集めた球状の炎を最速で敵に投げ付ける。


「花園流『手毬てまり』!」


 顔面に直撃。

 確かな手ごたえを感じたはずの私を、しかし傷一つない虚ろな眼窩が微動だにせず睨めつけていた。


 効いていない?否、効いてはいる。

 効いたうえで、それを上回る復元力で対応されているのだ。


 いささか敵の力量を甘く見積もり過ぎたか?

 敵は単なる凍り付いた骨屑ではなく、私たちを包んでいるこの吹雪そのものだ!


「ガアアアアア!!!」

「くっ…」


 吹雪に乗って再び加速、嵐のような乱れ突きだ!

 単なる雪塊の棒でありながら、なんという圧力だろうか。


 面で襲い来る刺突攻撃をひとつひとつ逸らして、いずれ反撃などと皮算用するのは机上から出たことのない素人の蛮勇と言う物だろう。

 槍衾を張られた正面を避け、なんとかステップで側面を取りに行く。


 だが、機動力の勝負では追い風を味方に付けた敵の方に分がある。

 こちらが死角に回り込んでも、敵が位置取りを調整し、こちらを捉え直す方が更に早い。


 吹雪はますます激しさを増し、戦いが長引けば再び気温が私たち生者に牙をむく事は必定だった。


「くっ…おい、シオン。優先順位を間違えんなよ。」


 ルーナが私に釘を刺す。

 そう、実を言えば、この状況を力づくで収める事はさほど難しくないのだ。


 今目の前の敵がそうしているように、物量戦は死霊術が最も得意とする分野の一つである。


 死者の未練と言う無尽蔵のエネルギーを欲しいままにする死霊術において、その術の規模の限界は、ひとえに術者自身が扱いうる魔力量の多寡に依存する。


 そして、私が幼い頃から神童だ天才だと呼ばれ続けて来た理由は、まさにその魔力保持量にこそ有った。


 出力だけで言えば常人の数十倍、ルーナと比較してなお十倍。

 私の死霊術をもってすれば、この呪われた吹雪の制御を無理やり奪い取り、丸ごと炎に変換して、カミヤ大尉自身を焼き殺させる事など造作もない。


 だが、それを実行してしまえば、この位置から私たちを除く半径1キロ圏内の生物は全て、虫一匹の例外も無く怨嗟の炎に取り巻かれ、苦しみ抜いた末に死を迎える事となるだろう。


 死霊術士として、否、人としてそれだけは避けたかった。


「分かってますよ!もう少しだけ時間をください!」


 なにか…なにか、手は無いのか?

 これは亡霊、50年前の人間。

 遭難当時に隊の指揮官を務めていたカミヤ大尉だ。


…カミヤ?

 そう言えば、最近そんな音の連なりをどこかで目にした覚えがある。


 そうだ、あれは昨日の昼過ぎ。

 依頼内容の確認で訪れたキハラ村長が持っていた、先代の形見の喫煙パイプだ。


 あの時はメーカーの名前か何かかと思っていたが、ひょっとすると…


「カミヤ大尉殿!キハラ一等卒は無事に下山されました!いまはご子息と仲睦まじく暮らしておられます!」


 見よう見まねの敬礼とともに、能う限りの優しい嘘を、哀れな死者に手向ける。


 雪に塗れた物言わぬシャレコウベに表情などあろうはずもないが、

 それでも彼は最後の瞬間、救われたような微笑み浮かべていたのだと、私はそう信じたかった。


「………そうカ、キハラ君…生キて帰れタのカ…ああ、よかった。」


 杖剣の猛攻が緩む。

 反撃のチャンスだ。


 両掌を柔らかく広げ、手首を合わせて癒しの術の行使に特化した、鎮魂の構え。

 花園流唱闘術、蓮の型。


「花園流『紅蓮花パドマ』!」


 灯れ、導きの火よ。

 もはや誰の下にも帰れず、誰に許されることもない、この哀れな亡者に救済を。


 せめて彼が彼自身を、許してあげられますように。

 紅く輝く温もりの塊が、冷たい死体に染み渡り、その身を縛るオルゴンを無機質に星へと還していく。

 風が収まり吹雪がやんだ。


「…終わったのか?」

「はい、終わりました。」


 見上げてみれば空は既に雲一つない晴天だ。

 在りし日の後悔を写し取った呪いの雪だるまは、ポッと小さな音を立てて、まるで最初から存在しなかったかのように、風に溶けて消えてしまった。

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