第3話 死のヤコダ山の謎!空飛ぶ雪男ウェンディゴを追え!-③

 今さらだが、実を言うと、ヤコダ山と言う名前の単独峰が存在するわけではない。


 ヤコダ山とは、ホウライ本島の北端近く、ミチノク州の北部に広がる火山群の総称なのだ。


 今回私達は、その中でも最も集落に近い大岳を東回りと西回り2日に分けて調査する。

 運が良ければ今日の午後には何かしらの成果が得られるだろう。


 五合目までの道のりは概ね順調だった。

 これまで行方不明者が出た地点から考えて、ウェンディゴの狩場は麓近くにある可能性が高い。


 私もルーナも精密スキャンの最大射程は500メートル以上をマークしている。

 ここからぐるりと等高線上を一周しつつ、二人掛かりで幅1000メートルの帯状に精密スキャンの絨毯爆撃を仕掛けてやろうという手筈だ。


 幸いにも天気は崩れず視界は良好、朝の陽ざしが足跡一つない銀世界に照り返して美しい。


 3か月前から登山客が入っていないため、道は踏み固められていないが、コンディション自体は悪くなかった。

 持参したスノーシューで問題なく活動可能だろう。

 が、しかし!


「さっっっっっむ!!!超寒っっっっっ!!!なにコレ事前情報と全然違うんだけどふざけんなよ!!!」

「ぐ…予想以上にキッツイなコレ。軍隊が遭難したってのも頷けるわ。」


 いや待って?待って?本当にマジでくっそ寒いぞコレ!いや本当にシャレにならないくらい寒い寒い寒い!


 事前に登山情報を確認して、必要なレベルの防寒装備は整えたはずなのだが、明らかに足りてない。

 そもそも私たちは外気温の影響を緩和する高級品の全環境適応スーツを身に付けているのだ。


 そこにダウンと防水コートを重ね、顔全体を覆う銀行強盗のようなマスクを被り、靴下と手袋も二枚重ねにして、なおこの有り様。


 ウェンディゴなど出なくとも、この気温だけで人死にが発生しかねない。

 今日から3月だというのに、こんな場所に日頃からスキー客など入れていて本当に大丈夫なのか?

 あるいは今年が特別厳冬なのだろうか。


「ちょ、ちょ、ちょっと、待って下さい。い、いま術で暖を用意しますから…」


 流石にこのままでは調査どころではない。

 本来こういう用途に使う術ではないが、ここは私が専門とする死霊術の出番だ。


 両掌を柔らかく広げ、手首を合わせて花に見立てた手の中に、己の心臓から流れ出る魔力を集中する。


「ととと、ともれ!み、導きの火よ!」


 ポッと小さな音が鳴り、私の両掌の間に紅く輝く温もりの塊が生じた。


 死霊術『導きの灯みちびきのともしび

 本来は迷える死者の魂に、星の巡りへと還るための道標を贈る、初歩の死霊術だ。


 主にかじかんだ手を温める用途で活躍する術だが、私ほどの達人ともなれば、これを固定して懐炉に用いる事など造作もない。


「る、る、る、ルーナ!はやく取って!はよう!はよう!私の分が作れん!ししししし死ぬ!」

「いや、アンタが先に使えってよ!唇の色やべぇぞ!マジで死ぬ気か!」


 すったもんだの末に、どうにか二人分の暖房を確保。


 ようやく落ち着いて活動できるようになった私たちは、始まる前からヘトヘトになりつつ、それぞれ山の頂上側と麓側に向けて術による精密スキャンを開始した。


 調査開始からまだ30分足らず。

 長い一日になりそうだ。


/


「おわーーーーっ!?足場ないなったーーー!!」


 と、今日だけで何回叫んだだろうか?

 どうやらまた雪庇を踏み抜いてしまったようだ。

 大地に突き立てたはずの足が空を切り、束の間身体が重力から解放される感覚を味わう。


 オルゴン操作を得意としない者であれば、このまま谷底まで滑落して一貫の終わりだっただろうが、もちろんエリートである私はそんなヘマはしない。


 ウェンディゴが移動に用いている風脈を、こちらも利用させてもらうだけの事だ。


 既に風属性に偏っている環境オルゴンをザっと適当にかき集め、そのまま足裏に収束して宙を蹴る。

 虚空に生じさせた圧縮空気の層を仮設の足場として利用する技術。


 私が修めた魔導格闘術ミスティカルアーツ花園流唱闘術はなぞのりゅうしょうとうじゅつの基本動作の一つだ。


 これほど風属性に偏った環境であれば、道場よりも動きやすい。

 くるりと空中一回転を決めて、危なげなく固い岩盤まで跳び戻る。


「よっ、はっ、ほいっと!はい、10点~!」

「0点だよバカタレ!わざわざ危ない歩き方すんな!」


 まあ失礼な!

 こちとら不器用な相棒がビビッて委縮しないよう、進んで危険そうな道の安全確認を行っているというのに。


 でもこういう事は口に出すと野暮なので、こちらからは言わないでおく。

 もっと精進して自力で気づくがよい未熟者よ。


 無論それだけではなく、行きがけの駄賃で空中の風脈に接触し、ウェンディゴの移動の痕跡が無いかも確認しておく。


 鹿か猪の物と思しき低強度の残留怨念が1頭分、我々の進行方向と同じ方角に向かっているようだ。


 飛行能力を持たない未汚染動物が空中を移動しながら自然死する事は物理的にありえないため、これは有力な手掛かりと言っていい。

 かち合うとしたらそろそろだろう。


「やはりウェンディゴですね。風脈を使って獲物を運んだ痕跡があります。」

「お、見つかったか。こっちは特にステルス系の術らしい反応は出てないな。やっぱり獣自体じゃなく、住処の方にジャミングが…?おいっ!!」


 不意にルーナが声を荒げる。

 私もほぼ同時に気づいた。

 敵影は1、方角は山頂側、身長2メートル強は有ろうかと言う大柄な猿型魔獣が、風脈を用いず物理的に重力を味方に付けて飛び掛かってきている。


 なるほど、馬鹿の一つ覚えではない、ちゃんと環境に適応できているタイプの個体か。

 この軌道、狙いはルーナの方だ!


「ええい、猿知恵を!」


 素早く腰からブラスター投術杖を引き抜き、土の魔力を放出して手ごろな礫を操作する。


 死霊術『賽の河原石さいのかわらいし

 所詮は片手サイズの第二種ブラスターなので、威力はキャンプ用の軽作業ワンドと大差ないが、一瞬だけでも注意を引ければ十分だ。


 その間に、ルーナはすでに『変身』を終えている。


「アオオオォォーーーンッッッ!!!」


 野太い咆哮を上げながら、ルーナが大きく身をそらす。

 盛大に放り捨てられた上着の束の中から現れたのは、牙を剥きだした白銀の狼獣人だ。


 これこそが、彼女の切り札。

 極めて高度な変化術による、偽装を超えた現実の身体能力強化。


 彼女は己の正体を自ら定義し直す事で、ただの人から魔獣をも食い殺す地獄の悪鬼に生まれ変わるのだ。


「おらっしゃああぁぁ!!!グチャミソのボロボロ雑巾にしたるぜッ!!ワオワオワオ~~~ンッ!!!」


…ただこれ、どうも発動中は知能が著しく低下してるっぽいんだよね。


 傍から見ている分には面白いが、自分では絶対にやりたくない。


 てか、イチイチ上着を汚れた地面に投げ散らかすのマジでやめた方が良いと思う。

 そうやって粗雑に扱うからスーツがヨレヨレになるんや。


「GRUOOOOOO!!!」


 ウェンディゴも負けじと声を張り上げて威嚇し返す。


 獣同士であれば有効だったであろうその行動は、狡猾で梯子外しを躊躇わない悪党ルーナの前では無為に一手を献上するに等しい自殺行為だ。


 右拳で顔面を守り、左拳を腰の高さで揺らしながら間合いを図るアウトボクシングスタイル。

 彼女がタダで拾ったコンマ数秒の有利は1発のフリッカージャブとなってウェンディゴの顎を掠めた。


「『』ッ!『』ッ!『』ッ!」


 初手で引かせたウェンディゴに対し、ルーナが連続でジャブを仕掛ける。


 彼女の修めた魔導格闘術 獣詩拳じゅうしけんは、打撃の度に詠唱を行い、拳に斥力の術を乗せて威力を高める攻撃的なスタイルだ。


 今繰り出している『疾』は、一音詠唱ゆえに出が早く、攻めを継続する為の小技に向く。

 これをガードさせて相手を固め、脱出のための大ぶりを誘って狩るのが彼女の基本戦術だった。


「WOOOON!!」

「おっとぉ!」


 案の定、しびれを切らしたウェンディゴが風脈を掴んで跳躍する。


 ルーナは反射的に利き足で踏み込み、頭上を無防備に飛び越えんとする大猿の腹に右拳を突き上げる。


 このタイミングなら、より高威力の二音詠唱術が間に合う。


「『穿せん』ッ!」

「GYA!!!」


 脱出は許したが、反撃は許さない。

 こうやってジリジリとアドバンテージを重ねられるのが、ルーナの戦い方の強みだ。


 しかし敵もさるもの、そもそも地の利は向こうにある。

 勢いのままに崖の向こうまで跳び込んだウェンディゴは、さっき私が足場にした風脈を利用して、まるでゴム紐で射出されたかのように勢いよく飛び戻って来た。


 慣性を帯びたこの質量を腕の力だけで迎撃する事は不可能か。


「WOOOOOON!!!」

「チッ…調子づきやがって。」


 ルーナは両手を揃えてガード姿勢を取らざるを得ない。


 そうなれば、攻守交代だ。

 余勢を駆って飛び掛かるウェンディゴは、そのまま嵐のような猛攻を繰り出し、彼女をじりじりと山肌に追い詰めていく。


 私もカバーに入りたい所だが、双方の距離が近すぎる。

 同僚のナスルならともかく、私の腕でうかつに乱戦に割って入っては却って危険だ。

 今は機を待つより他ない…!


「ウォォォン!クソがッ!『だん』!」

「あ、バカ!」


 二音詠唱は双方間合いを探り合う差し合いの段階でこそ用いるべき術だ。

 こんな風に至近距離で苛立ち紛れに振り回しても、そうそう当たるものではない。


 案の定ウェンディゴはパリングめいた動作でこれを逸らし、絶好の反撃機会を手にしてしまった。


 大きく体勢を崩したルーナに対して、お返しとばかりに大ぶりの一撃を叩き込み、足払いから風術による打ち上げ、飛び上がってのハンマーパンチ。


 やむなく地上で受け身を取った獲物に対して、風脈の風属性オルゴンを利用したつむじ風を投げ放ち、さらに責めの継続を図る。


 このコンビネーションを誰にも教わらずに自力で編み出したのだとすれば、なるほど確かにこの個体は、そんじょそこらの山猿どもとは物が違うと言っていいだろう。


 吹き飛ばされたルーナの毛皮には、いくつもの切り傷が刻まれ、無視できぬダメージが見て取れる。


 だが、そこまでだ。

 彼我の距離が離れた。

 援護のチャンスが訪れたが、事ここに至ってはもう必要ない。


 とどめのビジョンを描き終えた彼女の瞳は、暴力の高揚にカッと見開かれて満月のように輝いている。


「ッッッしゃおらァ!!あったまって来たぞボケ猿がァ!!ウォウッ!ウォウッ!!ウォウッ!!ウォォォーーーーン!!!」


 私の加勢を警戒して、とどめを焦ったウェンディゴの突進に対し、ルーナが跳ね起きながら合わせたアッパーは、あまりにも強烈だった。


 既に足腰の力を移動に割いてしまっているウェンディゴの手振りでは到底いなし切れぬ全霊の一撃。


 身長2メートルを超える魔獣の身体が宙に浮き、眼前に無防備に晒された鳩尾を、ルーナは寸分の狂いなく、ブチ抜いた。


「グルオオオオオッッッ!!!『麒麟翔きりんしょう』ッッッ!!!」


 五音詠唱、麒麟翔。

 自らの手で吹き飛ばした相手にさえ追いつき得る神速の跳躍。


 そこから更に、飛び上がった勢いのまま天地逆転で体をひねり、初撃でかち上げた胴体の側面から、肝臓目掛けて回し蹴りを突き立てる必殺の連撃。


 手足腰、全てを同時に最大限強化しなければ到底実現できぬ、人体の筋力限界を超えた動きだ。


「いまだ!相棒ッ!」

「了解!捕えろ死眠の霧よ」!」


 当然これに備えていた私は、間髪入れずに、仮死の眠りを齎す死霊術『昏き眠りの霧くらきねむりのきり』を発動する。


 本来は治療を待つ怪我人のために時間を稼ぐための術だ。

 攻撃に用いることは想定されていないため、射程はゼロに等しいが、受け身を取り損ねて強かに背を打ち付けたウェンディゴは、反射的に大きく息を吸って自らこの術を受けに来ざるを得ない。


 一度、二度、身を起こそうともがいた後、ウェンディゴは悔しそうに瞼を下ろし、抗いがたい睡魔に屈服した。

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