第2話 死のヤコダ山の謎!空飛ぶ雪男ウェンディゴを追え!-②

 帝都から交通機関を乗り継ぐこと延べ5時間。

 言ってしまえば、4分の1日弱。


 たったそれだけの移動で、私たちはまるで半世紀も過去にタイムスリップしてしまったかのようだった。


 村長も言及していた通り、目視で分かるほど傾いた地面に張り付くようなトタン屋根の群れ。


 色あせた魔道具屋の看板は聞いた事もない名前で、動力切れの自動販売機に並ぶ飲み物のパッケージは何代前のデザインなのかも定かではない。


 先程お邪魔した村長宅など、今から同じ設計で新築しようとしても、許可が下りないのではなかろうか?


 だが同時に一方で、第一印象ほどには寂れた場所でないなとも思った。

 とにかく旅館やペンションが多いのだ。


 ヤコダ山は秋の終わりから初夏まで、半年以上にわたって雪に覆われ続けるため、スキー客の訪問が多いのだろう。

 魔獣騒ぎなど起きなければ、今頃はこの通りも観光客でごった返していたのかもしれない。


「どう思うよ、シオン?」


 再びネクタイを緩め直したルーナが、周囲に聞こえないよう音量を絞ってボソリと呟いた。


 なにが?などと一々聞き返したりはしない。

 私たちはプロフェッショナルだ。


「今のところ口寄せの術に反応は無し。実は村の人間の犯行でした、と言う線は薄いかと。そちらの方は?」


「そうか。アタシも白判定だな。資材類の目隠し以外に視覚欺瞞の使用形跡は無し。広域スキャンでも何も出てこなかったんだろ?てことは、スキャン密度の落ちる山の裏側か、洞窟か何かの奥の方か…」


 あるいは問題のウェンディゴ自身に、捕食の霊的痕跡を隠すだけの知恵が備わっているか。


 もちろん、複数の要素が複合的に絡み合っている可能性も大いにあるが、距離の問題さえクリアできればさほど問題にはならないだろう。


 自分で言うのもなんだが、私の魔力保持量は常人とは比較にならないほど多い。

 例えば、仮に失踪した観光客の死体が、実は村に隠されていたとしたら、どれほど達者な魔術士が隠蔽を試みたところで、私の精密スキャンから逃れる事は不可能だと断言できる。


 相手が魔獣であっても同様だ。

 いずれにせよ、結論は明日以降の実地調査の結果いかんと言う事になるだろう。


 今日の所は宿に移動して、課長に報告を済ませよう。


/


『なるほど、人為的な事件の可能性は低いと。予定通り魔獣被害の線で進めて良さそうだね。加害獣種はウェンディゴで間違いなさそう?』


 旅館に移動した私たちは、翌日からの調査に備えて帝都オフィスのミチェーリ課長と遠隔ミーティングを行っていた。


 今さらながら、旅館に備え付けてある浴衣を着て、黒スーツ姿の課長と会議に臨むのは妙な気分だ。


 有能な私は当然、隙間のちょっとした時間も無駄にはしない。

 チェックイン直後に最速で温泉を堪能させてもらった後、電光石火で日誌をまとめ上げ、こうして晩ご飯を待つ間に報告を済ませると言う、極めて効率的なスケジュールで仕事をこなしている。


 言うまでもなく、お部屋に置いてあったお煎餅の味もチェック済みだ。にんにくしょう油味でした。


「おそらくは。ただ、ルーナのヒアリング中に私の方で広域スキャンを行ったのですが、風脈への汚染を含めてヒト由来と思われるオルゴン汚染の形跡は発見できませんでした。理由は不明ですが、かなり高度に魔術的痕跡を隠す事を学習した個体のようですね。」


「そもそも、本当に下手人がウェンディゴなのかって所からだろ。アタシら今んとこ状況証拠しかつかめてないんだぜ?」


 ルーナが根本的な疑問を口にする。

 確かに、私もその疑いは否定できないと考えている。


 せめて爪の一かけら、体毛の一本でも手に入れられれば判別のしようもあるのだが、用心深いかの魔獣は決して人里まで下りて来はしない。


 まったく、やりづらい話だ。

 と、不意にふすまの向こうに人の気配が現れた。


「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました。」


 きた!晩ごはんだ!

 やはり小柄なゴブリン族の仲居さんが、矮躯に似合わぬパワーで軽々と二人分の御膳を運んで来る。


 高緯度地域の山間部らしく、メインディッシュは岩魚の塩焼きだ。

 私これ好きなんだよね~

 しっとり柔らかい虹鱒も良いけど、岩魚は身がしっかりしていて食べ応えがある。

 箸でパリッと皮を破ると、川魚ならではの清廉な香りがふわりと立ち上り、私の左手は成す術もなく自動的に麦ご飯入りのお茶碗へと誘導されるってわけよ。

 まったく、よく出来てやがる。


 すきっ腹で残業中の課長に飯テロを仕掛けるのも忍びないので、報告はお開きにして明日に備えるとしよう。


『ん、これから夕食かな?それじゃ、今日の情報共有はここまでにしましょうか。明日の連絡予定時刻は何時ごろになりそう?』


「正午…は厳しいかも知れないっすね。明日は朝7時から現地調査に入りますんで、余裕をもって6時間、バッファ込みで14時ごろ想定でお願いします。」


「そうですね。山なので天候がいささか心配ですが、通じない場合は15分ごとに再試行をかけます。その状態で明後日まで連絡が無かった場合は援軍を送ってください。」


 まあ援軍と言っても、わが社の現場担当は片手で足りる数しか居ないんですけどね!ベンチャーって楽しいなあ!


 必要なやり取りを終えると、課長の幻影はピタリと動きを止め、一拍おいて掻き消える。

 遠隔ミーティングを乗せていた帝都とのテレパスリンケージが解除されたのだ。


 さて、いよいよ待ちに待ったゴブリン飯…と言う段になって、仲居さんが心配そうな表情を浮かべている事に気づいた。


「あの、おばちゃん今のお話聞こえちゃったんだけど…お客さん達ひょっとして、明日は遅くまでお山に居るつもりなのかい?」


「いえ、調査は下山含めて昼過ぎには終える予定っす。あくまでも不測の事態が起きた時はって話でして。」


 ルーナがパタパタと手を振るが、ゴブリンおばちゃんは暗い面持ちを崩さない。


冬山登山の危険性は重々承知しているが、防寒着も濡れ対策の着替え類も相当数を持ち込む予定だ。

 そして何より私は死霊術を含む体外オルゴン制御の達人であり、最悪の場合はそれこそウェンディゴのように、山中の風脈を下って力技で登山口付近まで戻ってくる事こともできる。


 と言うか、そのためのルート構築も兼ねての広域スキャンだったのだ。

 そこらの不勉強な観光客のようになる心配はないはずだが、この渋りようを見るにつけ、どうもこのヤコダ山には、私の想像以上に根深い何かがあるらしい。


「そこまでおっしゃると言うことは、何か理由があるのでしょうか?私たちもある程度の事前情報は入れてきたのですが、地元の方しかご存知ない情報があるのでしたら、是非ご教示ください。」


 仲居さんに頭を下げて、情報提供を請う。

 村長に話を聞いている間、ずっと感じていたピースの欠けが、思いもかけず埋まるかもしれない。


 私は座学も実践も一流と自負しているが、それ故に訓練と言う物の限界もまた思い知っているつもりだ。


 結局のところ、私たちが書物から学べるのは、過去に起こった出来事を、更に誰かが取捨選択して記録にまとめた、その成果の上澄み部分でしかないのだから。

 現実に起こった上で、私が知りうる形に加工されていない過去の出来事など、いくらでも存在しうる。


「あのね、普段登山で来るお客さんにはこんな事言えないんだけども、あの山にはね…幽霊が出るのよ。」


 彼女の口から語られたのは、事前調査でチラリと目にした、50年前のとある事件の顛末であった。


 ここヤコダ山は、古くからゴブリン族によって拓かれた地であり、豪雪地帯にありながら比較的都市部とのアクセスが確保しやすいとして、帝国軍の雪中行軍演習に用いられる事が度々あったらしい。

 その訓練のさなかに惨劇は起きた。


 時代は第二次魔大戦前夜。

 当時の帝国陸軍は、西方大陸北部を領するヒュペルボレア連邦との軍事衝突に備えて、人力ソリによる雪中物資運搬の訓練を必要としていた。


 だが、50年前は今に比べてウィンタースポーツも盛んではなく、多くの人々が冬山の恐ろしさを実感を伴って理解することが難しかった時代だ。


 さらに訓練に先立って行われた予備行軍が天候に恵まれたこともあり、当日の参加者は雪山登山とハイキングの区別もつかぬような兵士たちが少なからぬ割合を占めていたのだという。


 その代償が、参加者200名中199名死亡と言う大惨事だった。


 曰く、原因は装備不足と天候不順、何よりそう言った悪条件にも関わらず演習を強行した、指揮官の慢心にこそ有ったのだという。


 低体温症に判断力を、凍傷に運動能力をそぎ落とされた軍人たちは、一般兵から下士官たち、果ては当時の責任者であったカミヤ大尉まで、ほぼ全員が吹雪渦巻くヤコダ山に飲み込まれ、ついぞ生きて帰る事はなかった。


 ただ一人、当時唯一この集落から出征していたキハラ一等卒…すなわち現村長のお父上を除いては。


「改めて聞くと凄まじい数だな…そんだけ死んでたら、マジで一人や二人は化けて出て来てもおかしくないんじぇねえか?」


「さずがに半世紀も経過していれば怨念は風化していると思いますが…留意はしておいた方が良さそうですね。」


 あまりにの被害規模にルーナが頭を抱えている。

 冬の雪山で200名もの遭難者が出たとなれば、その捜索が困難を極める事は想像に難くない。


 救助のために数千人が動員されたとの事だが、それでも数名の遺体を回収できないまま、捜索は打ち切られたらしい。


 その数名の中には指揮官のカミヤ大尉も含まれていた。


「いずれにせよ、現段階でできる事は、調査の前提知識の一つとして心に留め置く事だけですね。貴重なお話をありがとうございました。」


「いえいえ、ごめんなさいね、お仕事で来てる人に怖がらせるような事言って。」


 恐らくは、昼間お話ししたキハラ村長にも、口に乗せられぬ思いが有るのだろう。


 不穏な気配をぬぐい切れぬまま、私とルーナは明日の朝、そのヤコダ山に挑む事になる。

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