死のヤコダ山の謎!空飛ぶ雪男ウェンディゴを追え!

第1話 死のヤコダ山の謎!空飛ぶ雪男ウェンディゴを追え!-①

 ザリザリ、ザリザリ、今日もまた耳の奥で不快なノイズが響き続けている。


 視線の先には、もう何年見上げ続けているかも曖昧な、自室の殺風景な天井。

 うんざりする様な灰色一色の世界に、コポコポと湯の沸く音だけが穏やかな潤いを与えていた。


 自慢の助手が僕の為にコーヒーを淹れてくれているのだ。

 いや、いたと言うべきか。


 沸騰音が止まり、わくわく待つこと数分間。

 銀色の髪と白磁の肌を持つ背の高い女性が、僕のお気に入りのカップを手に取って近づいてくる。


『おはようございます、先生。』


 彼女の顔は暗く影に覆われてよく見えない。

 だが、その表情が柔らかな笑みを湛えている事を僕はよく知っていた。


 幸いにも、この口はまだ、忌々しい病に絡めとられてはいないようだ。


 動きの鈍った四肢の分まで、せいいっぱい表情筋に感謝を込めて、僕は彼女に笑顔を返す。


「…おはよう、デイジーベル」

「は?何言ってんだ、お前?」


 んあ?

 不意に投げつけられたダウナーな声に、一気に意識が覚醒した。


 ノイズはいつしか霊気機関車の心地よい振動に取って代わられ、視線の先には車窓から覗く正午の長閑な田園風景。


 そしてなにより、優しい助手君は、悪趣味なダークレッドのスーツを着込んだ目つきの悪い女に変わっていた。

 オケ、把握。


「完っっっ全に寝とった!!!!」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 継承歴977年2月29日 晴れ

 かつて先史文明を滅ぼした大崩壊から2000年、私たち人類が銀の古老エルフから世界の統治を委任されて1000年近くが経過した。


 生命を侵し歪める重度オルゴン汚染環境を生き延び、二度の魔大戦を乗り越えて、我々はようやく、偉大なる先達に託されたこの星の霊長としての使命に耐えうる存在になりつつある。


 だというのに、人類は今日もこうして些末な事に目くじらを立て、つまらぬ争いを繰り広げては、天より授かりし力を無為に浪費している。


 とりわけ、私のような超天才エリート術士の頭脳を、かような下らない言い争いに割くことは、人類全体の損失であるという客観的事実を、誰かこの調子ブッこいたバカ女に教育してやって下さい。


「ヘイヘイヘイ!勘弁してくれよ不思議ちゃん!今日はこの後現地入りしてからが本番なんだぜ?緊張感足りてねぇんじゃねえの?てか、ネタが細かくてノり辛ぇんだよ、あんたの前世トーク!」


 あーもう!相変わらずキャンキャンうるさい狂犬女め!


 この雲ひとつ無い…いやふたつみっつくらいは有るか。

 ともかく、絶好のお洗濯日和に、ヨレヨレの赤黒スーツをだらしなく着崩し、栗色の三つ編みを尻尾のように振りたくっている根暗女は、一応私のバディを務める同僚のルーナ・ベイリー。


 生来の要領の悪さを反映したかのように小心で小うるさく、事あるごとに効率を度外視して、私の些細な落ち度を鬼の首を取ったように糾弾してくる。


「はぁー?移動中に効率よく体力回復してただけですけど何か?てか不思議ちゃんじゃねんだわ!病気なんすわ!差別発言やめて下さいますか?」


 だが、まあ術士としての腕前だけは、それなりに信頼している。

 こと変化術の運用に関して、彼女ほど巧みで屈強な使い手を私は他に知らない。


 そして熟練の変化術士の常として、術による偽装工作を見抜く目もまた一級品であり、この私と組んで少数精鋭の前衛を任されるだけの資質はあると評して良かろう。


それゆえに今回の仕事にもアサインされたのだ。


 閑話休題、アホを完全論破している内に大分頭がスッキリしてきた。

 状況を整理しよう。


 私はシオン・クズノハ。

 認定魔獣捕獲等事業者ウェンズデイ(株)に所属する死霊術士だ。


 断じて、いつの時代の何某とも知れぬ『先生』なる男ではない。


 私は私だ。

 例えこの魂が、かつて私以外の誰かの物であったのだとしても。


 うっとうしい事に、私には前世の記憶がある。

 そう珍しい話でもない、レヴェナント症候群と呼ばれる一種の先天性記憶障害だ。


 転生時に受けた外的刺激によって引き起こされる、魂魄の初期化不全が原因だと言われているが、なにぶん人が死ぬ病ではないため、研究は遅々として進んでいない。


 故に時折こうして周囲の無理解から心無い言葉を投げかけられる事もあるわけだが、まあ悪い事ばかりと言う訳でもなかった。


 少なくとも、私がこの死霊術士という仕事を選ぼうと思えたのは、少なからずこの病のおかげなのだから。


「ほらほら、乗り換えですよ。ちゃっちゃと立てやウスノロ。それと口元、クライアントに会う前にヨダレの跡くらいは拭っておいて下さいよ。子供じゃないんだから!」


「テメ…いちいち一言多いな、このクソガキゃ。起こしてやったのはアタシだろがよ。」


 うるさい黙れ!ストライダー族の一歳差なんて誤差みたいなもんだ。


 いかにも恩着せがましい物言いをするこ奴の頬にも、相当時間同じ姿勢で圧迫を受けていた形跡がある事を私は見逃さない。

 おおかた私より5分かそこら先に起きて、これ幸いとマウントを取りに来ていると言った所だろう。


 とは言え、それも無理もなからぬ事だ。

 トウキョウ駅からここ北ミチノク駅まで高速地脈道レイラインウェイで3時間半、目的地のヤコダ山麓まで路線バスで更に1時間半。

 まったく気が遠くなるような道のりだ…


/


「おお、よく来てくださいました。ストライダー族の方にこの坂は大変だったでしょう。」


「いえ、お気遣いありがとうございます。ウェンズデイ株式会社のルーナ・ベイリーと申します。こちらは副担当のクズノハです。」


「シオン・クズノハです。キハラ村長、早速お話をお伺いしても?」


 ウェンズデイ株式会社は、世界を統べる9大勢力の一つ、大東洋の覇者ニライカナイ帝国にて、陰陽風水省の認可に基づき魔獣災害の処理事業を営んでいる、零細…もといベンチャー企業だ。


 魔獣ミュータントとは2000年前の大崩壊で世界中に撒き散らされた活性オルゴンに汚染され、生態系を傷つける怪物と化してしまった変異生物を指す。


 その業務課に所属する私たちが今回担当する案件は、ホウライ本島北東部のヤコダ山麓にひっそりと佇む、とある集落からの依頼だった。


 山深いこの地域では、古くから山岳地帯に適応した人種であるゴブリン族が強い影響力を持っている。


 平地の民である私達ストライダー族と比較して、彼らは小柄で敏捷性に優れ、何より肌の色が住み付いた山の季節ごとの植生に合わせて変わるという、先天的な迷彩能力の持ち主だ。


 非力さを道具で補い、林業と狩猟を主要産業とする彼らは、ちょっとやそっとの魔獣など物ともせず道の駅のジビエコーナーに並べてしまう剛の者なのだが、さすがに今回ばかりはいささか相手が悪かった。


「空飛ぶ雪男…っすか。」

「はい、そうとでも表現するより他ないのです。とにかく神出鬼没で、もう被害が出始めてから3か月間になると言うのに、村の狩人達が総出でも一向に尻尾がつかめませぬ…」


 まだ40前だという年若い村長は、ほとほと困り果てた様子で溜息を漏らした。


 事前調査によれば、3か月前はちょうど、先代の村長を務められていた氏のお父上が亡くなられた時期だ。

 ご家族にご不幸があった直後にこんなトラブルに見舞われて、村長のご心労は察するに余りある。


「いやはや、若輩の身で村の皆には心配をかけ通しです。私が父から受け継いだものと言えば、小言の山と、このパイプくらいの物。まったく情けない限りですわ…」


 とは村長の弁。

 手にしたパイプの底にチラリとKAMIYAと言う文字列が見えたが、メーカーの名前だろうか?


 ブライヤー製と思われる年季の入った飴色の喫煙具で、疲れた口元を慰めるゴブリン族の指導者の姿は、今年の長い冬の厳しさを全身で物語っているかのようだった。


 曰く、雪山の麓近くに住み付きながら決して人里には近づかず、山で迷った人間を見境なく連れ去っては神隠しに合わせてしまうと言う雪男。

 観光客を中心に、昨年末から既に10人以上の行方不明者が出ている。


 山岳地帯に猿型の魔獣が住み付くことはさほど珍しくないが、不気味なのは記録から浮かび上がる、その移動能力の異常な高さだ。


 ある日の午前に中腹の沢で目撃されたかと思えば、ほぼ同時刻に入山した測量士がその直後に消息を絶った。


 また、ある日は山頂付近をうろついている姿が観測されたかと思えば、それから1時間と経たずに五合目付近で異様な人影を見たという登山者がほうほうの体で村に逃げ戻って来た、などという有り様で、まるで風に乗って山中を飛び回っているとしか思えない行動範囲である。


 このような特徴に合致する魔獣として最有力なのが、今回我々が想定している風翔猿『ウェンディゴ』だ。


 東方大陸北部を領する北エルドラド共和国の古い言葉で『風に乗りて歩む者』を意味する名を持ち、その言葉の通り、大気中の風属性オルゴンに対して強い親和性を持つ。


 そして、それを魔力源として大気の屈折率を操り、自らの姿を隠しながら風脈に乗って広範囲を巡回する習性があるのだと言う。


 縄張り意識も強く、人里付近に住み付いて欲しくない魔獣の筆頭格だろう。

 故に今回、食痕からの追跡を得意とする死霊術士の私と、霊的ステルスの専門家である変化術士のルーナが派遣されてきたと言う訳だ。


「んー、なるほど。やっぱり問題の根っこは、標的の現在位置の予測が付かないって点っすよね?」


「はい、村の男衆が総出で山狩りを行った事もあるのですが、人攫いの姿はおろか、犠牲者の遺品すらも発見できず、このままでは観光客の受け入れ再開もままならないという状況でございまして…」


 余所行きモードのルーナが、沈痛な面持ちのキハラ村長を宥めながら、根気強くヒアリングを続けている。


 その間に、私は窓の外に聳え立つヤコダ山の予備的な広域スキャン遠見の術を済ませていた。

 自慢ではないが、この距離から大雑把とは言え山一つ丸ごと走査できる術士はそうそう居ない。

 相棒各位におかれましては、私と言う10年に一人の逸材がここに居合わせた幸運に大いに感謝して頂きたい!


 誰かの命が終わる時、それらは大なり小なりこの世に未練を残すものだ。


 未練はやがて呪詛となって世界にこびり付き、死者の遺体と同様に、分解されて星に還る時をじっと待つ。


 すなわち、魔力の素粒子たる霊子オルゴンがその場で不自然な形に固定され、周囲を物理的に汚染するのだ。


 とりわけ人間の残す呪詛は特に強く根深いため、直近3ヶ月の内に10人もの死者を出している魔獣の巣ともなれば、その周辺は犠牲者たちの怨念残渣によって無視できぬ影響を受けているはずだった。


 だが少なくとも、今この窓から見える範囲にウェンディゴの巣らしきものは確認できない。


 角度の問題か、あるいは山中に絶霊性の高い鉱物に覆われた洞穴でもあるのか。

 はたまた、何らかの要因で霊的な痕跡を隠す事を学習した、特異な個体という可能性もある。


 いずれにせよ、これ以上の精度を求めるなら、直接山中に赴いて精密スキャンを行う必要があるだろう。


 一体この沈黙の雪山で何が起こっていると言うのか?


 想定以上の厄介ごとの気配がするが、怯んでなどいられない。

 私が授かって生まれた、この天賦の才は、助けを求める弱者達に手を差し伸べるためにこそ有るのだから。


 故に私は今回も、努めて自信満々に胸を張って宣言するのだ!


「ご安心下さい。必ずや、皆様のご心労の種を取り除いてご覧に入れます。私共はエリートですから。」

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