stage6 機械室
ほの明るく照らされたその部屋は、中央に置かれた滑車から鎖を巻く重たい金擦りが響く、殺風景な部屋だ。滑車から上下に延びる鎖は、床と天井に開いた穴からそれぞれの階へと続いているらしい。
ジェーンは、この部屋がちょうど昇降機のゴンドラが吊られていた場所の真裏に位置することに気付いた。
「ここは
「その通りよ!」
「誰!?」
ジェーンの誰何に答える間もなく、声の主と思しき陰が部屋の死角から飛びだして、ジェーンを捕らえるべく両腕を伸ばした。
ジェーンは素早く身を伏せてそれらをかわし、滑車に向かって後ずさった。
目の前には両肩が岩のように盛り上がった男が二人、手にロープや鎖を持って立っていた。
「王子から聞いてるぜぇ。あんたを捕まえたら褒美をくれるってさ」
「こんな場所にまで逃げてくるなんて、俺たちはツいてるぜぇ。絶対に他の奴らに捕まっちまうだろうと思ってたからな」
「ふん。あの素寒貧王子がどんな褒美が出せるっていうのよ」
「けけけ、そうだとしても、こんな別嬪さんが手前の縄張りに飛び込んできたんだから、ただで帰すことは出来ねぇな」
体中をなめ回すようなねっとりとした視線が、あまり明度の高くない室内の中の光の中でも、一層に爛々と光る。ジェーンはここに来てはじめて貞操の危機を感じた。
「や、やめなさい。痛い目に遭うわよ!」
「へへへ。王子のガールフレンドらしいけど、構うこたぁねぇや。ちょいと味見してから差し出したってバチはあたらねぇぜ」
今までの手下たちと違って、こいつらは明らかにより凶悪な相手としてジェーンに立ちふさがっていた。
急激にジェーンから戦意が失われつつあった。それまでどこかへ追いやっていた身の危険への恐怖がじわじわと胸から沸いてくる。
震えが肩から背筋を通って足腰に伝わった時、後ずさりを続けていた脚ががくりと落ちて尻餅をついてしまった。
「ぎゃははは! 震えちまってよぉ、かわいいぜ!」
「やさしくしてやるからよぉ、うひひひ」
「う・・・・・・」
照明を背にする男二人は実際より大きく、恐ろしく映る。
それでもジェーンは、その太く節くれた指が迫る中でも、どこかにこの危機を突破する糸口がないか探した。そしてそれは、あった!
それはもちろん、ここまでジェーンのピンチを何度も救ってくれたもの。部屋の隅に設置されたうす汚れたロッカーの中でぶらぶらと揺れているモップだ。
ジェーンは指関節一つまで迫っていた男たちの指から飛びすさって、ロッカーの置かれた部屋隅に逃げた。男たちからすれば、袋の鼠も同然でますますいきり立つものがこみあげた。
だがそれは大いなる間違いだったことを、男たちは即座に思い知らされた。
ロッカーの中からモップを取り出して勇ましく構えたジェーンは、その汚れたブラシで男たちの顔面を素早く、な何度も突いた。
「ぎぇー!」
顔を押さえてたたらをふんだ男たちに続いて、ジェーンは力一杯相手の脚をなぎ払った。
ボーリングのピンがストライクで吹き飛ぶように、男たちの四本のすねは関節ではない箇所から折れ曲がった。
「ぎぇー!」
転げ回る男たちの動転した視線の先で、戦女神の槍めいて構えられたジェーンのモップが心臓めがけて突き下ろされる。
「ぎぇー! ・・・・・・がっ!」
隣で相棒が血反吐を吐いて動かなくなる。それを見せられたもう一人は、ウルフ王子の口車に乗ったことを、いよいよ持って後悔するのだった。
最大の危機を脱したジェーンは、モップを片手に目の前で行き来する、滑車にはまって回転する鎖を見上げた。
鎖は天井に開いた穴へ向かって上っている。その隙間はどうやら、自分一人がすり抜けられるくらいはありそうだ。
「問題は、この鎖は何階まで続いているのかって言うことよね。・・・・・・でも、いいわ。いっそのこと、てっぺんまで行ってみましょう」
そう言ってジェーンは鎖に掴まり、身をぴったりと鎖に寄せた。デカパイの深い谷間に鎖を挟むように抱き込み、モップも同じように体に引き寄せる。
徐々に天井の穴が近づいてきた。ぎゅっと体を縮めたジェーンの肩身から、拳一つ半ほどの隙間を残して穴を通り抜けた。
穴の深さは思ったより深い。
「えっほ、えっほ、えっ、おわっ!? なんだお前うわ・・・・・・でっかぎぇー!」
「ここは何階かしら。まだ上があるわね」
鎖に掴まったままモップを繰り出し、滑車を回す人夫をはり倒しながら、ジェーンは上へ、上へと目指した。
「何階かしら」
「ぎぇー!」
「何階かしら」
「ぎぇー!」
「何階かしら」
「ぎぇー!」
そうやって、なんどか階層をやり過ごすうちに、ジェーンは頭上に大きな滑車が吊られているのが見えた。
その滑車は自分が掴まっている鎖を折り返して階下へと送り出しているらしく、ジェーンはその階層を最上階と見なして、降りることにした。
穴をくぐり抜けた先で飛び降り、ジェーンは室内を見渡した。空気がちょっと澄んでいる気がして、ずいぶん高いところまで来た気がする。
「ここが最上階層の機械操作室、かしらね」
「いかにもその通りだ。マクレーン伯爵令嬢」
振り返ったジェーンはそれを見てぎょっとした。そこには一人の男が立っていた。大きい。自分の腰ほどはある極太の腕を備えた大男が、片手にこれまた大きなハンマーを掴んで、腕を組んで立っている。
「ゴンドラを留めてるはずのチェーンがずいぶん重たくなったなと思っていたら、とんだ侵入者がいたものだ。だが、あんたがウルフ王子の婚約者で、身代金の当てになっている娘だということは聞いている」
口周りにびっしり生えた髭がもぐもぐと動いていた。
「お前をとっつかまえて王子に差し出せば、俺の部下たちに酒代くらいは出させてやれるんでな。大人しくしてくれるな」
「断るわ。王子を懲らしめて私は帰るの。邪魔しないでくださる?」
モップを構えたジェーンの姿を一瞥した大男は、ふん、と鼻を鳴らして、鼻毛を散らした。
「威勢のいい娘だ。痛い目をみたいらしいな」
ジェーンのデカパイ以上に大きい大胸筋を躍動させ、大男はハンマーを構えた。
「えいやっ!」
機先を制したジェーンのモップが、唸りをあげて大男の顔面を打った。だが、鈍い音を立ててモップの動きが止まる。
「あら?」
「ふん。猫にかまれるようなものだな」
悠々と大男はモップの先を掴み、ぐいっと捻りあげた。
「あぁっ!?」
ジェーンの体が宙に浮く。そのまま大男は、片手でモップの先を持ったまま、腕を回す。ジェーンが
「あぁぁぁ~!」
「ほれほれ、さっきの威勢はどうした」
まるで玩具扱いされ、ジェーンは敢えなく、掴んでいたモップを離してしまう。とたん、ジェーンの体は部屋の壁まで吹っ飛んだ。
戸口を破って隣の部屋まで飛んだジェーンは、自分の体で粉砕した木材の欠片の上を転がって、冷たい床の上に倒れた。乙女の柔肌に乾いた木材のささくれが突き刺さる。
「う・・・・・・」
「おおっと、ちと、やりすぎたかもしらんな」
頭をかきながら、大男はモップを放り捨てて近寄ってくるのを、よろめく足取りで立ち上がりながら、ジェーンは見た。
その時、ふと、鼻孔に漂ってくる匂いに気がついた。つんとする、肺をちくちく刺す匂い。硫黄の匂いだ。
「下手にそこにあるものにさわるんじゃない。それはお祝い用にここへ運び込まれた花火なんだから」
そう、それは間違いなく、花火である。それもただの花火ではない。極太長大なロケット花火で、一本がジェーンの肩ほどまで長く、太さもジェーンの太股並に太い。
次第に頭がはっきりしてくると、ジェーンはさらに室内にそれらが大量に積み上げられていることを知った。
途端、ジェーンは戸口の近くに吊られている小さなランタンに手を出し、その火口から小さな火種を立ち燃やす。そして空いた手で積まれたロケット花火をむんずと掴み取った。
「なにをする!?」
慌てた大男が急いで駆け寄ったが、既に手遅れである。
「次は貴方がぶっ飛びなさい!」
部屋の戸口いっぱいに見える大男の土手っ腹めがけ、ロケット花火は炸裂発射した。目の前に赤と緑の光が飛び散って、ジェーンの視界を潰す。
「ぎぇー!」
弾着した大男の絶叫が轟き、大男は部屋の逆方向の壁まで飛んだ。その大きく起こった背中で強かに部屋の壁を貫通せしめる、大きな打音が聞こえた。
「ああああぁぁぁぁ~・・・・・・」
眩んだ目が正常に戻っていく中で大男の叫びが遠ざかっていく。ジェーンは恐る恐る壁に開いた大穴に近寄った。
そこから先はどこまでも深い縦穴が見えた。天井はわずかに見えるが、底はまったく見えない。そんな縦穴の中を、巨大な柱状の物体がゆっくり、ゆっくりと左右に動いていた。
「まぁ、なんてこと。ここは大振り子のある階だわ。私ったら、元のところまで戻ってきてしまったのね」
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