stage4 エントランス

 時計塔の大食堂はがらんとしている。この時間はほとんど利用する者がいないらしい。だからジェーンは食堂を大股で通り抜ける。ふと、部屋の隅に床を掃除するためのモップが立てかけてあったので、拝借する。これでオッケーだ。


 食堂の先はそのまま時計塔の正門出口にあるエントランスホールだ。そこは一転して人がたむろしており、その中心に見慣れた間抜け面が立っていた。

 ウルフ王子は帰ってきたらしい使い走りの話を聞いていた。


「それで、マクレーン伯爵はなんだって。身代金を払ってくれるってか?」

「いやぁ、それが執事がいうには、伯爵さまは国王さまと一緒に外出中だそうで」

「はぁ?」


「そういえば今日はアリーマグランプリがある日ですよ、王子」

「競馬かよ! まったくこんな時についてないな」


「しょうがないから、みんなで出し合って馬券でもかいましょうや」

「王子の予想じゃ当たるものも当たらないだろ」

「なにおう! ・・・・・・ま、事実だけどな」


 げらげらと男たちの陽気な笑い声が聞こえた。

 その余りに暢気な声は、下水に落とされ、汚れまみれになって脱出してきたジェーンの琴線を激しく刺激するものだった。もちろん、怒りの方向に。


 ジェーンは目の前にあった花瓶を狙ってモップを振り抜いた。こーん、という気持ちのいい音を慣らして花瓶が宙を舞って、ウルフ王子たちのいるところへ落下する。

 着弾の一瞬前、ウルフ王子は出し抜けに隣にいた手下に寄りかかった。すると王子の目の前で別の部下の頭に花瓶が命中した。


「ぎぇー!」

「ちっ、運のいい奴ね」

「なんだぁ!? あっ! ジェーン! どうしてこんなところに!」


 振り返った先に怒りの表情にモップを掴んで立つジェーンの姿を見つけ、王子は震え上がった。


「よくも私を下水道まで落としてくれたわね! クリスマスのために誂えたこのドレスが滅茶苦茶よ! さぁお仕置きしてあげるから、覚悟しなさい!」


 ジェーンは再び花瓶を打って王子たちに向けて飛ばす。ウルフ王子は今度は目で見てかわし、隣にいた手下の顔面に花瓶が命中する。


「ぎぇー!」

「よけるんじゃないわよ!」

「よけるに決まってるだろ! おまえたち、なんとかあの女を捕まえて大人しくさせるんだ。頼んだぞ!」


 そういうや王子はエントランスホールから逃げだした。後に残された手下たちは一瞬唖然としたものの、次の瞬間にはジェーンを見定めて腕をまくった。


「王子から任されたんじゃ仕方ない。おい、マクレーン家のお嬢さん! 大人しくしやぎぇー!」

「しゃべってると唇が切れるわよ」


 口上を述べている手下の顔面に、三度目の花瓶投擲が当たったのだった。


「ちくしょう! いい加減にぎぇー!」

「よくもやりやがったなぎぇー!」

「なんてコントロールしてやぎぇー!」


 次々に花瓶が宙を舞い、手下たちの顔面を粉砕していく。

 だが無限に花瓶があるわけもなく、あらかたの花瓶を叩き放ったジェーンはエントランスホールへ降り立った。周囲には頭を花瓶でかち割られた手下たちが死屍累々と倒れているが、ジェーンはその者たちをモップの先でちょいちょいと脇によけた。


「さぁ、王子の先に、あんたたちにお仕置きしてやるわ。どうせ王子と普段からつるんで、ろくなことしてないんでしょ」

「とんでもない。俺たちは単に時計塔に遊びに来ただけの者だ」

「は?」


「たまたまウルフ王子に会って意気投合したのよ」

「そうそう」

「おうよ」


 うんうんと頷く手下たち。ジェーンは頭がおかしくなりそうだった。


「あ、あんたたち、王子が私を捕まえて、身代金を取ろうって企んでいたのを知った上で、王子に協力していたっていうの?」


「ああ、そうだよ」

「ウルフ王子が言うんじゃあしょうがない」

「おうよ」


 再び、うんうんと手下たちは示し合わせて頷いた。

 なんと恐るべき、ウルフ王子の人身掌握能力か。その辺にいた他人をちょっと話しただけで悪事の片棒を担ぐ手下にしてしまうのだから、もはやほとんど洗脳である。

 自覚なき大器の無駄遣いに呆れるも、ジェーンは握るモップを力強く構えた。


「これ以上バカ騒ぎに付き合っていられないわ。そこをどきなさい! 王子をとっちめてやるんだから!」


「そうはいかねぇ!」

「あんたを捕まえろって、王子が言うんだからな!」

「やっちまえ!」


 威勢良く躍り掛かる手下たちの魔手が、ジェーンへ迫った。


 

「ぎぇー!」

「ふん、口ほどにもない。それでも時間はとられたわね」


 最後の一人の喉笛に、折れたモップの先を投げつけて、ジェーンはエントランスホールから逃げだした王子の後を追った。

 ホールの先は、昇降機エレベーターの乗り降り口になっていた。上階に設置した重りを下ろすことで乗り込んだ人員を持ち上げて運べる便利な乗り物で、この時計塔の呼び物の一つである。


「これで王子は上の階に逃げたのね」


 腕を組み、デカパイを胸の前に盛り上げながら、ジェーンは昇降機を睨む。乗り口は二つあって、一方は最上階まで上がっている。


「上に逃げるなんて、やっぱりバカなんだから」


 そう言って、ジェーンは残るもう一方の乗り口から昇降機に乗り込み、上階をめざした・・・・・・。

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