stage3 中庭

 頭の上に手をのばし、落とし戸をそっと開けると、そこは瀟洒しょうしゃに整備された噴水のほとりであった。


「ここは中庭だわ」


 ようやく外の空気を吸えたジェーンは梯子から地上へと降り立った。確かにここは時計塔クロックタワーに併設された中庭である。

 時計塔は通常、一般市民に開放されたアクティビティとして内外の施設が利用できるようになっており、この中庭も平素なら、噴水とその周りの芝地やベンチを市民たちが憩うところ。

 でも今日はどこか胡乱な雰囲気が漂っている。噴水に流れる水のせせらぎだけが耳に心地よく、ジェーンはとりあえず水を手で掬って顔と髪を拭った。


「ふう。これで多少はマシかしら」


 くんくんと体の臭いを気にする。しかしスパイシーな臭いのするデカパイは凶悪だ。

 中庭を横切って、ジェーンは建物の壁に寄った。建物から張り出した屋根が通路にさしかかっているので、そこはとっても居心地がいい。

 だがそんな居心地のいい通路の陰からむくつけき男たちが待ちかまえていた。


「見つけたぜジェーンさんよ。王子がお待ちだぜ!」

「なによ。隠れてたの? 大の大人が女を捕まえるのに隠れているなんて、情けない連中ね」

「こんにゃろう! 言わせておけば!」

「だれが捕まってやるものですか! べーだ!」


 思いっきり首を突きだしてアカンベーするジェーン。子供っぽい仕草だが、一緒に突き出されてゆさゆさと豊かに揺れるデカパイに、王子の手下たちは気を取られた。


「うお・・・・・・でっか」


 その隙にジェーンは進路を反転して逃げる。はっと目が覚めた手下たちがめいめいに声を上げて追いかけた。


「待てー!」

「先回りしろー!」


 ヒールの割れた靴で懸命に走っているジェーンだが、さすがに男たちの方が動きが早い。通路の先で一人の男が、手にナイフを構えて立ち塞がった。


「大人しくしやがれー!」

「きゅーてーい!」


 かけ声一発、ジェーンはダッシュの勢いそのままに跳び蹴りを放ち、男の鼻っ柱に砕けたヒールの先をめり込ませた。


「ぎぇー!」


 その勢いのままに、目の前で半開きになっている窓があったので、ジェーンはそこへ飛び込んだ。

 ガラスを体当たりで粉砕して部屋の中に転がり込んだジェーンは、そこが暖かく、床がタイル張りで、魚や肉の油っぽい煤があちこちに溜まっているのに気付いた。


「わっ!? な、なんだあんた! どこから入ってきた!」


 突然目の前に現れた汚れたドレスのデカパイ女に動揺しているのは、白いコックコートと煙突のように長いコックハットを被った料理人だった。


「ここはキッチンね? 時計塔でお食事を取れるように、24時間稼働していると聞いたことがあるわ」

「そうだよ。それであんたは一体誰だ? 俺は今、大鍋にポトフを作っていて、焦げないように混ぜ続けなきゃいけないんだ。邪魔だから出て行ってくれ」


 コックは怪しげにジェーンを見据えながら、ちら、ちらと視線の先にあるらしい鍋に気を取られているようだ。

 と、その時、中庭から通じている厨房の勝手口が開いて、撒いたはずの王子の手下たちがなだれ込んできた。


「わっ! 今度は何だ!」

「おい、あんた! ここに胸のでかくて生意気そうな女は来なかったか? ウルフ王子が捕まえてこいと、時計塔のフロントで陣取って待っているんだ」

「胸のでかい変な女ならここだ。そうか、お前がウルフ王子が捕まえておけって触れ回ってる奴か。王子が言うんじゃしょうがない! そこから動くなよ!」


 瞬く間にコックは手下たちに合流してしまった。ウルフ王子の謎の人望の高さに空恐ろしいものを感じながら、ジェーンは辺りを見回した。何か事態を打開する手口はないものか。

 あった! ジェーンが飛び込んだのは厨房の備品や用具を仕舞っておくため場所だった。当然、ここには厨房の床を掃除するための道具も置いてある。


「大人しくしろ!」

「誰がするものですか。さぁ、このモップを食らいなさい!」

「ぎぇー!」


 ジェーンは拾ったモップで素早く正面を塞ぐコックの足を払い、先端を口の中に突き入れた。

 もんどり打って倒れるコックを後目に、モップを手に突撃するジェーンの前方には、手下たちが手に手に凶器を持って向かってきた。ナイフ、棍棒。厨房でくすねてきたのか、肉切り大包丁や麺棒までもっている。

 だがジェーンもモップを持っている。さらにジェーンはちらっと見えた調味料棚からコショウの大瓶を抜き取り、手下たちに向かって投げた。


「食らいなさい!」

「ぎぇー! ぶぇっくしょい!」

「きたねぇな! へっくしょい!」

「目が、鼻がいてぇ! うぇっくしょい!」


 頭から被ったコショウをしこたま吸い込み、悶絶する手下たちの隙をつき、ジェーンは突撃した。


「どきなさい!」

「うわ・・・・・・でっかぎぇー!」


「よけなさい!」

「うわ・・・・・・でっかぎぇー!」


「おとなしくなさい!」

「うわ・・・・・・でっかぎぇー!」


 唸るモップの乱撃でこてんぱんに手下たちを蹴散らして走ったジェーンであったが、厨房に押し入ってきたのは目の前の手下だけではなかった。


「いたぞ! あっちだ!」

「仲間がやられたぞー!」


 血気盛んにいきり立つ手下たちは辺りをかまうことなく迫る。コショウを使い切ってしまったジェーンには荷が勝つ相手だ。

 モップを突きだして牽制しながら、ジェーンの頭に閃きが走る。新手の手下たちの手前に、轟々と燃えさかる巨大なかまどにかかった鍋がぐつぐつと煮えたぎっていた。大鍋は鉄製の横棒で竈の火の上に掛けられている。

 ジェーンはモップを手下に向かって投げた。それに相手が気を取られている間に、竈の側に近寄り、大鍋を支えている横棒に手を掛けた。


「きゅーてーい!」


 かけ声一発、棺桶のように巨大な鍋を支える横棒を引き抜いた。

 ぐつぐつとろとろに煮込まれた鍋の中身が、手下たちの頭上から波となって襲いかかった。


「ぎぇー!」


 ポトフの洪水に飲み込まれた手下たちが生煮えになりながら押し流されていく。竈の火がポトフの波を被ってくすぶっている中、ジェーンは床の上に広がったポトフをよけて、時計塔内に通じている大きな戸口をくぐって先へ急いだ。かならずやウルフ王子をお仕置きするために。

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