stage2 下水道
「ああああぁぁぁぁ~」
長い縦穴をひたすらに落ちていくジェーンが、水の音を聞いた、と思った次の瞬間、彼女は激しく水の流れるスロープの上に着水した。
「わぁっぷ! ああ、なんなのかしらこれは!?」
急流に飲み込まれまいと必死に頭を水面から遠ざけながら、ジェーンは傾斜に従って流れていった。
途中でスロープが曲がり、小窓がちらっと見えた。そこから時計塔をどんどん下り降りていることが分かった。
「よく分からないけど、この水は時計塔の上まで運ばれて、また流れ落ちているのね。でも、どこまで流れていくのかしら?」
そう思った次の瞬間、
なんとか水から上がりたいジェーンは、辺りを見回した。具合のいいことに、天井から鎖が一本垂れ下がっていて、水路を跨ぐ吊り橋に繋がっていた。
「きゅーてーい!」
気合い一発、ジェーンは急流をかき分けて鎖を掴み、懸命に上り始める。
「うーん、ドレスが重たいわ」
たっぷり水を含んだドレスが体に張り付き、ひどく不快だ。デカパイも谷間からだくだくと水が流れている。
肩で息を吐きながらようやく吊り橋の上に上ったジェーンは、水を吸ったドレスを絞る。柔らかな襞飾りがすっかり汚れ、流水で流れ落ちてしまった。
「仕方ないわ。えいっ」
やむなくジェーンはドレスの裾を半分ほどまでちぎり取った。びりびりっと布を破く音が悲しみを誘う。
「このドレスの裾に誓って、必ずや邪知暴虐を働くウルフ王子たちをお仕置きしてやるわ」
決意も新たに、ジェーンは吊り橋を降りて水路脇を進むと、水路の曲がり角からゆらゆらと明かりが近づいてくるのが見えた。
ジェーンは身構える。ふと脇を見ると、汚れたモップが一本立てかけてあった。きっと掃除夫が忘れていったのだろう、ジェーンはそれを手にとって、曲がり角から現れるものを待った。
「ふい~、本当にこんなところに伯爵令嬢がいるのか?」
「間違いねぇよ。ウルフ王子が落とし穴に落としたんだから。あんまり汚いところに放置したらかわいそうだから、早く回収してやれってさ」
「王子が言うんじゃしょうがねぇな」
酒に焼けたガラ声で飛び出してきたのは、いかにもごろつきといった風体をした王子の手下だった。手にはそれぞれナイフと鎖を持っている。
「あ! みつけた!」
「なんて格好してやがるんだ! 親御さんが泣くぜ」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
怒りの声をあげてジェーンはモップを振り上げて飛びかかった。
「暴れるんじゃねぇうお・・・・・・でっかぎぇー!」
「あ、よくも相棒をやってくれうお・・・・・・でっかぎぇー!」
叩きのめされた手下たちはジェーンのヒールに踏みつけられ、モップの先でつつかれ、転がっていた。
「そんなに転がっていると水に落ちるわよ。ほらほら」
「うう、やめてくれぇ。ひぃ!」
突如、手下が水面を見て悲鳴を上げる。濁った水面の下は見えないけれど、何かの陰が、ジェーンたちのいるところへ向かって泳いでいる。
「やべぇよ! この下水路には主がいるんだ。水牛みてぇに大きな鼠で、流れてきたものを何でも食べちまうんだ」
騒ぐ手下の声に応じるように、下水の中の陰がこちらに近づいてくる。ジェーンはいやな予感がしたので、踏みつけていた手下の一人を下水へ向けて蹴り飛ばした。
「えいっ」
「わっ! あっ! ああっ!」
どぼん、と見事な着水音が下水路に響いた、次の瞬間。
「ぢゅううううう!」
「ぎぇー! 大鼠!」
水面から飛び出した下水路の主、大鼠が大きな口を開いて水面で暴れる手下に頭からかじり付く。
「あー! 俺の相棒がー!」
「えいっ」
「あー! なにしやがる!」
「あんたも相棒の後を追わせてやるって言ってるのよ。えいっ」
「あー!」
「ぢゅうううう!」
「ぎぇー!」
もう一人の手下も水面に蹴り落とされ、あえなく大鼠のディナーとなってしまった。
ジェーンは遮るものがなくなったことでホッとした。人間二人も食べれば、いくら下水の主の大鼠でも大人しくなって、安全無事に通り抜けられるはずだ。
・・・・・・と思っていたジェーンだったが、その当てが外れたことをまもなく知ることになった。
水中で人肉を貪っていた大鼠は、やおらジェーンの立っている通路の縁に前足を延ばし、のっそりと水から抜け出た。
「うっ」
さすがのジェーンも大鼠の全容を見ると鼻白んだ。通路いっぱいを塞ぐような大きな鼠は焦げ茶色の毛で覆われていて、口からナイフみたいに太くて鋭い前歯が飛び出している。でっぷりと太ったお腹から首にかけて、赤黒い汚れがべったりと付いているが、それについてジェーンは深く考えるのをやめた。
その体に不釣り合いなつぶらな瞳と目があった次の瞬間、ジェーンは振り向いて全速力で走った。汚れたスカートの裾をぎゅっと握り、ヒールが砕けるくらい目一杯の見事なダッシュを決めたが、それに反応して大鼠も走り出してしまった。
「ついてこないで~!」
「ぢっ、ぢっぢっ!」
「もういやぁ! あ! あそこはっ!?」
道なりに走り回っていたジェーンが何度めかの通路の角を曲がった時、枝道の先が開けているのが見え、彼女はそこに転がり込む。
背後からは大鼠のだしっだしっ、という独特の足音が未だ近づいているが、ジェーンは立ち入った場所の正体を看破した。
「ここは掃除夫の休憩所かしら。イスやテーブルがあるし。あっ、モップがあるわ!」
モップさえあればしめたもの、と言わんばかりにジェーンは逃げる途中で投げ捨てたモップを補充する。さらにジェーンは掃除夫のテーブルに残っていたある物を見つけ、中身を確かめた。
「これがあればあの大鼠も大人しくなるはずだわ。さぁ、来なさい!」
待ちかまえるジェーンのことなどいざ知らず、大鼠はジェーンの臭いをたどって近づいてきていた。だしっだしっ、との足音が大きくなっていく。
そして、ジェーンの目の前の角に巨大な鼠の頭が飛びだしてきた。
「ぢぅぅぅ!」
「食らいなさい! このコショウ瓶を!」
ジェーンはテーブルにあった掃除夫の食事に残っていたコショウ瓶を手に、その蓋を開いて大鼠に向かって投げつけた。空中にコショウの粉末が毒霧のようにふわふわと漂いながら、大鼠を包み込んだ。
「ぢっ! ぢっ! ちくっ! ちくっ!」
その場でくしゃみをはじめた大鼠めがけて、ジェーンの握ったモップの先が唸りをあげてたたき込まれた。
「えいやっ!」
「ぢゅっ!? うお・・・・・・でっかぎぇー!」
頭蓋の真ん中を強かにぶっ叩き、大鼠は通路を挟んだ水路の向こう側まで吹き飛び、壁に叩きつけられた。
コショウの霧が晴れた中で、満足げにへし折れたモップを打ち捨てたジェーンは、改めて掃除夫の休憩所を見渡す。すると、部屋の隅から天井へ向けて梯子が延びているではないか。
「どうやらこの臭くて湿った場所から抜け出せそうね」
ジェーンは意気揚々と梯子に手をかけた。ウルフ王子のせいで台無しになったドレスとヒールの分だけでも、お仕置きせねばと誓いを新たにして・・・・・・。
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