してやられる

 張繍軍の計略により兵を失った曹操軍は安衆という地へ向かっていた。


 その安衆には夜頃に到着できた。


 夜の闇の中で、曹操は周りを見回した。


「文には、此処だと書いてあったが……」


 曹操の手には曹昂が送って来た文があった。


 文には荊州で反乱が起きた事と、援軍を送るので、安衆にて合流されたしと書かれていた。


 曹操はその文を信じて、安衆へと来た。


 少しすると、前方から明かりを持った集団がやって来た。数は二万程であった。


 夜の闇でよく見えなかったが、近付く事でようやく見る事が出来た。


 旗には『李』と書かれた旗の他に『曹』の字が書かれた旗を掲げていた。


 それを見て援軍だと分かり、将兵達は皆、歓声を挙げた。


 その集団が足を止めると、集団から数騎の兵が出て来て曹操達の下に向かって来た。


 曹操は援軍だと分かったので、形だけの警戒をする様に命じると、護衛の典韋と許褚と荀攸を伴い前に出た。


 向かって来る数騎が曹操を見つけるなり、馬の足を緩めていき、やがて足を止めると、馬に乗っている者の一人の男性が馬から降りると、歩いて曹操の下まで来た。


 その男性は曹操から数歩ほど離れた所で一礼した。


「汝南郡より参りました。李通にございます。二万の兵と共に援軍に参りました」


「おお、二万の兵と共によく来てくれた。感謝するぞ」


「ありがたきお言葉。この李通文達、嬉しく思います」


 曹操の感謝の言葉に李通はとても喜んでいた。


「これで兵の士気は上がる。これで反撃が出来るな。荀攸」


「はい。敵よりも我が軍の方が兵は多かったのですが、敵の計略により士気が落ちていました。ですが、援軍が来た事で士気は上がるでしょう。今こそ反撃の時です」


「良し。これで城攻めが出来るなっ」


 荀攸が反撃するべきと言うと、曹操は宛県に向かい攻めるべきだと思った。


 全軍で宛県に向かうと叫ぼうとした時、宛県に放っていた間者がやって来た。


「殿、殿はいずこにっ」


「何だ。宛県で何かあったか?」


「おおっ、殿。張繍が殿の息の根を止めるべく追撃に出ました。その数、四万」


「四万か。我が軍の半分にも満たぬな」


 曹操は周りを見た後、山があるのを見つけた。


「張繍に目にもの見せてくれる」


 そう呟いた後、曹操は将兵達に指示を飛ばした。



 翌日。



 曹操軍の追撃に掛かった張繍軍は安衆に辿り着いた。


 朝から霧が出ていたが、もう既に晴れ掛けていた。


 その霧の向こうには曹操軍の陣地が見えた。


 山を背にして陣地を敷いていた。その数は張繍軍が率いていた軍よりも少ないように見えた。


「随分と小勢になったものだ。城を攻めてきた時は十数万は居たであろうに」


 張繍が曹操軍の陣地を見るなり、そう零した。


「恐らく、先の敗戦で逃げ出した兵が多いのでは?」


 側に居る家臣がそう述べると張繍は尤もだと頷いた。


「そうだな。その通りであろう。これで、曹操を討ち取る事も出来るなっ」


 張繍は腰に佩いている剣を抜くと天に掲げた。


「この機会を逃すな! 曹操の首を獲り、私が天下に号令してくれる。進めっ」


 張繍の号令に従い兵達は駆け出した。


 山に向かって駆け出す張繍軍。


 曹操を討ち取れば、恩賞が貰えるという一念で駆け出していた。


 そんな、張繍軍の兵達を陣地から見る曹操。


「…………」


 無言で何かを待っているかのような顔をしていた。


 そして、張繍軍が山の裾に着こうとした所で、曹操は声を上げた。


「今ぞ。合図を送れっ」


 曹操の声に従い、銅鑼が鳴り出した。


 その銅鑼と共に前日から隠れていた曹操軍の兵が張繍軍を半包囲する様に現れた。


 曹操は前日に殆どの兵を山の付近に隠していた。


 茂みが無い場合は、土を掘り穴や壕を作っていた。


 銅鑼の音が聞こえると、曹操軍は壕から姿を現し、張繍軍に襲い掛かった。


「なっ、兵を隠していたのかっ⁉」


 突然、姿を見せた曹操軍に驚く張繍。


 張繍でも驚いたのだから、兵達も同等の衝撃を受けていた。


 そんな張繍軍の兵達に、曹操軍の兵は容赦なく襲い掛かる。得物を振るい、大地に横たわらせた。


「敵が混乱しているぞっ。全軍、突撃せよっ‼」


 曹操は好機と見るなり、後詰の兵まで攻撃を命じた。


 半包囲された張繍軍は這う這うの体で逃げ出した。


 多くの兵が大地に斃れたが、曹操は攻撃の手を緩めなかった。


「追撃だ。張繍の首を獲るまで追いかけるのだっ!」


 曹操が剣を振りかざして命じた。


 兵達が歓声を上げて、張繍軍の追撃に掛かった。


 曹操もその後を追い駆けようとした時、騎兵がやって来るのが見えた。


「殿。騎兵がこちらに参ります」


 家臣がやって来る騎兵を指差しながら曹操に声を掛ける。 


 曹操はその兵を見ながら警戒した。


「殿はいずこっ、曹司空様はいずこにおられるかっ⁉」


 その騎兵が曹操を探していると分かると、曹操は声を掛けた。


「私は此処に居るぞっ」


「おお、殿。こちらにおられましたかっ」


 曹操の声を聞くなり、その騎兵は馬を止めると、曹操の側にやって来た。


「一大事にございます。袁紹と呂布・・・・・が手を・・・組み・・許昌へ・・・攻め上がる・・・・・模様ですっ!」


「何だとっ、曹昂は何をしているっ⁈」


「若君は豫州へ攻め込んで来た呂布の対応で精一杯で、袁紹まで手が回らないそうです。詳しくはこちらに」


 その騎兵が懐から文を取り出した。


 曹操は側に居る兵に文を取りに行かせて、その文を受け取った。




『密偵からの報告で、袁紹と呂布が殿の領地を手に入れる為に手を結んだ模様。豫州には呂布が、兗州へは袁紹が攻め寄せて来る模様。我等だけでは豫州への対応だけで精一杯。殿は一刻も早くお戻りを。  荀彧』


 


 文は荀彧が出した様であった。


「むう、この字は間違いなく荀彧の字。おのれ、袁紹と呂布め。私が居ない間に許昌へ攻めて来るとはっ」


 曹操は文を破りそうな程に手に力を込めた。


「殿。早く戻りませんと、許昌が敵の手に」


「ぬううっ、後一歩という所であったと言うのに。張繍め、悪運が強い事だっ」


 曹操はそう悪態をついた後、全軍に許昌への撤退を命じた。


 同時に李通には二万の兵で殿軍を任せた。


 炎のように苛烈な追撃を仕掛けていた曹操軍が、今度は疾風のように撤退を始めた。 


 それを見た張繍は何事かと思いながら、大勢を整える為に宛県へと帰還していった。




 張繍が城に戻ると、賈詡を含めた留守居に残っていた者達が出迎えてくれた。


「御無事のお戻り嬉しく思います」


「ああ、賈詡よ。この様な事があったのだが、お主はどう思う?」


 曹操軍の伏兵による奇襲で大打撃を受けていた時、曹操軍が突然撤退を始めたという事を話す張繍。


 話を聞いた賈詡は笑みを浮かべた。


「無事に計がなったようですね。安堵いたしました」


「? どういう事だ?」


「曹操には文を送ったのです。袁紹と呂布が攻め込んで来るという事を書いて」


「なにっ、それは本当かっ」


「無論。嘘にございます」


 賈詡の話を聞いた張繍は詳しく聞こうとしたが、賈詡はあっさりと嘘だと述べた。


「偽の情報か。しかし、曹操は良く信じたな」


「以前、曹操がこの城を攻めてきた時、曹操を欺いて攻撃を仕掛けたでしょう。その時に私は城内にあった曹操軍の陣地を攻撃したのですが、その陣地へ向かう時に荀彧が曹操に宛てた文を持たせた者を見つけ、それを奪い、字を真似る事が上手い者に荀彧の字を真似させて偽の情報を文に書かせたのです。曹操はそれを読んで信じたのでしょう」


 賈詡の説明を聞いて張繍は納得した。


 ちなみに、荀彧が曹操に文を送ったのは、曹操が居ない間の朝廷の事を教える為に送ったものであった。


「そういう事か。まぁ、何とか首の皮一枚繋がったようだ」


 張繍は安堵の息をついた。


「何を言うのです。これを機に曹操に奪われた南陽郡を奪い返すのですっ」


 賈詡が力強く進言すると、今度は張繍が待ったを掛けた。


「しかし、曹操の事だから何かしら備えをしているのでは?」


 張繍がそう言うのを聞いた賈詡は笑い飛ばした。


「今度は大丈夫です。既に劉表から南陽郡は好きにして良いと言質を貰っております。此処は攻めるべきです」


「そうか。其方がそう言うのであれば」


 賈詡が強く進言するので、張繍はその言葉に従う事にした。


 結果。曹操に奪われていた南陽郡北部は張繍の支配下に治める事に成功した。


 曹操が何かしらの妨害をしてくるのではと思われたが、曹操は張繍がまた攻め込んでくると思わなかったので何の備えもしていなかった。


 お蔭で、南陽郡の北部に居た豪族達は張繍に従う事となった。


 賈詡の言葉通りにした事で、領地を手に入れる事が出来た張繍は改めて賈詡の智謀に敬意を表するのであった。



 新年あけましておめでとうございます。

 今年も拙作をよろしくお願いします。

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