さらば、友よ

 孫策は曹昂が何処に居るのか訊ねると、使用人は案内すると言って手で合図を送って来た。


 孫策は使用人の後に付いて行った。


 それなりに、長い廊下を歩きながら孫策は呼び出された理由を考えていた。


(ここのところ、失態はしていない。だとしたら、兵を集めている事がバレたのか?)


 秘密裏に行っていても、暴かれる時はあっさりと暴かれる。


 其処を追及された時は、どうしようと内心で頭を抱えていた。


「こちらにございます」


 使用人が止まり、曹昂が居る部屋に着いた事を告げた。


 そして、孫策に入るように促した。


 その薦めに従い部屋に入って行った。


 部屋に入ると、対面に置かれた膳が二つ置かれていた。


 一つは曹昂が座っていた。


「やぁ、来てくれてありがとう」


「呼ばれたからな」


 孫策は空いている席に座る。


「じゃあ、まずは一献」


 曹昂が孫策の盃に酒を注いだ。


「おっと、悪いな」


 孫策は注がれた盃に酒が満たされるのを見ながら頭を下げた。


 盃に十分に酒が入ったのを見て、曹昂は自分の盃にも酒を注いだ。


「じゃあ、乾杯」


「乾杯」


 二人は盃を掲げると、盃を口に近付ける。


 生まれて初めて酒を飲む曹昂は、その味を味わっていた。


 濁酒ではない酒なので、果物の様な香りを感じさせてくれた。


 それで、喉が焼けるようであった。


「……はぁ~、これが酒の味か」


 酒精を凄く感じるという事だけしか曹昂は分からなかった。


「ぷはぁ~、これが酒の味か。初めて飲むが美味いな~」


 孫策は酒を味わう事が出来て、顔を綻ばせていた。


「……それは良かった」


「はぁ~、美味しかった。それで、俺を呼んだ理由は何なんだ?」


 孫策は酒の味を喜びつつ、曹昂に自分を呼び出した理由を訊ねた。


 普通は雑談を交えながら相手の腹を探るものだが、孫策は周りくどい事をせず直に訊ねて来た。


 真っ直ぐな性格の友人に笑みを浮かべつつ答える曹昂。


「ああ、君の字を聞いておこうと思ってね」


「俺の? ああ、別に良いぜ」


 孫策は、そんな事で呼んだのかと思いつつも律儀に答えた。


「伯符だ。これからは俺の事は孫伯符と呼んでくれよ」


「そうなんだ。じゃあ、僕の字も教えるね。僕は子脩だよ」


「そっか、じゃあ、今度から曹子脩って呼ばないと駄目なのか」


「そうなるね、伯符」


 曹昂に字で呼ばれた孫策は、違和感を感じている顔をしていた。


「……何か、違和感を感じるから。孫策で良いわ」


「う~ん。そう言われると、僕も曹昂で良いかな」


 孫策がそう言うのを聞いて、曹昂も逆に自分の字を孫策に言われる事を考えると、違和感を感じて名前を呼ぶ様に頼んだ。


「ああ、分かった」


 孫策は返事をした後、自分の膳に置かれている容器を持った。


 軽く揺らすと、たぽたぽと揺れる音がした。口の部分に鼻を近付けて匂いを嗅ぐと、酒精の匂いがした。


 孫策は酒が入っている事を確認した後、手酌で盃に酒を注いだ。


「まさか、今日はそれだけで呼んだのか?」


「ああ、実は……君の親友について話が」


「周瑜の事か? 何かしたのか?」


「いや、それが」


 曹昂は周瑜も配下に加えようと使者を送り勧誘した。


 この頃の周瑜は、居巣県の県令をしていた。


 使者の話を聞いた所、最初は丁重に配下に加わる話も真剣に聞いていた。


 周瑜も袁術の下から離れたい気持ちがあったのだろう。


 だが、使者が「我が主である曹昂に会いに行かれたらどうでしょうか?」と言うと、周瑜は突然怒り出した。


 使者は何か気に障る事を言ったのか?と思い、怒る理由を訊ねた。


『君の臣を択ぶのみに非ず、臣も亦君を択ぶ。臣下に迎えると言うに、会いに来いとは無礼なり!』


 と使者を一喝して使者を出て行かせた。


 その後、使者が何度も周瑜の下に訪れたが門前払いを喰らい会う事が出来なかったと言っていた。


「……という事があってね。何が気に入らなかったのだろう?」


「う~ん。周瑜の性格かな……」


 話を聞いた孫策は、苦笑いしていた。


 今は亡き孫策の父である孫堅も周瑜の才能を高く評価していたが。


『いつか、あの自尊心で己を殺しそうだ』


 とポツリと零していた。


「性格か。相性というのもあるのだろうね」


 曹昂としても部下に迎える以上、其処は大事だと思う。


(後、運だな。蔣欽と周泰の二人は勧誘しようにも、水賊として活動している為か、拠点を見つける事が出来なかったからな。淩操に至っては、知り合いの揉め事を解決する為に出掛けていて暫く帰ってこない、と送った使者の口から聞いた時は、何じゃそれ?と思ったな)


 縁というのは、繋がる時は繋がるが、繋がらない時は絶対に繋がらないのだと悟る事が出来た。


「まさか、今日はそれだけで呼んだのか?」


「ああ、実はもう一つあるんだ」


 孫策の問い掛けに曹昂が答えつつ、側に置いている巻物を取った。


 膳を横にやり、巻物を広げた。


 広げられた巻物には、揚州の地図が書かれていた。


 九江郡。丹楊郡。廬江郡。会稽郡。呉郡。豫章郡。計六郡が描かれていたが、その内の一つである九江郡に×が書かれていた。


「これは揚州か?」


「ああ、そうだよ。父上が自分の権威を示す為に各地の豪族や州牧の部下に官職を与えるという話が来てね」


 曹昂は×が書かれている九江郡を指差した。


「此処は岳父が治めているようなものだから、此処は除外するとして、君は揚州で何処かの太守になれるとしたら、何処が良い?」


 曹昂の問い掛けに孫策は唾を飲み込んだ。


「……それは、此処が良いと言えば、俺は其処の太守に推薦されるのか?」


「そうなるね」


 孫策の問い掛けに、曹昂はその通りとばかりに頷く。


「……何の為に?」


「さっきも言ったよ。父上の権威を世に示す為さ」


 孫策はそんな事をする理由が分からなかった。


(何か裏があるのか? もしくは、俺が謀反を起こすかどうかを調べるつもりなのか?)


 孫策は先程まであった酔いが醒め、頭の中で考えを巡らす。


 そんな孫策を見て、曹昂は笑みを浮かべた。


「別に君だけという訳ではない。徐州の陳登も広陵郡の太守に任命するつもりだよ。他にも、有名な人達は何処かの太守にする予定だよ」


「成程な。別段、俺だけ特別ではないか……」


 曹操は敵対している呂布が治める徐州にいる者も太守に任命する、と聞いて警戒を解く孫策。


 敵勢力の者を太守に任命すると聞いて、権威の箔付けだと考える孫策を見て、曹昂はほくそ笑んだ。


(これで、警戒は解かれたな。後は何処に行くか決めるだけか)


 曹昂はそう思いながら話を戻した。


「それで、何処が良い? 友人である君だから、何処でも好きな所を選ばせてあげるよ」


「…………何で、其処までしてくれるんだ?」


 孫策の疑問に曹昂は答えた。


「ふふ、実は君にして欲しい事があるのさ」


「して欲しい事?」


 孫策は、何をして欲しいのか分からず首を傾げた。


「君が持っている伝国璽を岳父に渡して欲しいのさ」


「はぁ⁉」


 曹昂がして欲しい事を聞いた孫策は盃を持ったまま驚いていた。


「何で、そんな事をする必要があるんだ?」


「詳しい理由は話せないけど、一つだけ言えるのは君が揚州の太守になった際、赴任する土地に行く際、多分というかまず間違いなく岳父は君の赴任を妨害すると思うんだ」


 最近、九江郡だけではなく廬江郡にも勢力を伸ばしている袁術。孫策がどの郡の太守に赴任しても、何かしらちょっかいを掛けるだろうと曹昂は予想する。


「あ~、うん。確かに」


 孫策は頭を頻りに動かしながら袁術の事を考えると、曹昂の言う通りだなと思った。


「その後は君の好きにして良いから」


「…………」


 そう言うのを聞いた孫策は、何か裏があるのではと思った。


 孫策の顔を見た曹昂は、笑みを浮かべながら手を振った。


「君はどうも何時までも人の下に居る事が出来ない気質を持っている様だからね。だから、こうして独立を支援しようと思ってね」


「っ⁉」


 息を飲む孫策。


 密かに集めていた兵の事がバレたのだと察した。


「……どうして、独立を支援してくれるんだ?」


「独立を妨害して、自棄になって反乱を起こされても困るからね」


 曹昂が孫策の独立を妨害しないのは、反乱を起こされる事を懸念してだ。


 仮に、孫策を謀反の疑いで処刑したとしても、一族郎党を滅ぼさなければ必ず仇討を行われる。


 打ち漏らしでもすれば、仇討に燃える暗殺者に怯えながら生活というのは、曹昂は嫌であった。


 なので、曹家の支配地以外の土地で孫策が独立をして貰った方が遥かに良かった。


 そう思いながら、話を続けた。


「友人を殺すのは気が引けてね。かと言って、このまま兵を抱えたままだと、反乱を起こす危険があるからね」


 と言いつつも、密かに暗殺部隊を用意して、何時でも暗殺できる様にしている曹昂。


「それで、何処かにやるか。もし、俺が勢力を拡大して、お前の家と戦う事になったら、どうする?」


 孫策がそう訊ねると、曹昂は笑みを浮かべた。


「その時は戦うだけさ。張耳と陳余みたいに」


 曹昂が名前を挙げた二人は戦国時代で、お互いに首を斬られても良いという刎頸の交わりを結んだ親友同士が、決別し敵対する事となった。ちなみに、勝ったのは張耳の方であった。


 孫策もその二人の事は知っていたのか、笑った。


「張耳と陳余か。俺達はどっちになるのだろうな?」


 孫策は暗に、どちらが生きて栄光を掴めるのか、もしくは敗れて屍を晒すのだろうかと言った。


「……それは戦った時に分かるよ」


「確かにな」


 曹昂の言葉に同意する様に孫策は頷いた。


 その後、孫策は提示された話に丹楊郡の太守になる様に頼んだ。


 曹昂はそれで話が終わりとばかりに、酒を飲む事とした。


 二人は酔って正体を無くすまで飲んだ。


 結局、孫策は曹昂の屋敷で一夜を明かした。


 そして、これが曹昂と孫策が二人だけで行った最初で最後の宴であった。


 翌日。


 酔いが醒めた孫策は居城へと戻っていった。


 曹昂は城外にまで出て、孫策を見送った。


 孫策が見えなくなると、曹昂は目から涙を流していた。


 曹昂のお供に付いて来た練師がギョッとして、懐から布を出した。


「どうしたのです⁉」


「ああ、練師。何でもない。欠伸をしたから、涙が出ただけさ……」


 練師から布を貰った曹昂は目元を拭いつつ答えた。


「そうですか……」


「練師。君は、嫁ぎたい人がいる?」


 誰も居ないので、練師はどう考えているか訊ねた曹昂。


 自分の侍女とは言え、誰かに嫁ぎたいと言うのであれば、それぐらいは配慮しても良いだろうという気持ちであった。


 練師はこの場には自分しか居ないからか、隠す事は無いと思ったのか、手を絡めながら顔を赤くしながらポツリポツリと零した。


「その、私は、子脩様の御側にいさせて、くれませんか。……いつまでも」


 練師なりに、曹昂の事が好きだと告げた。


 直接好きと伝えないのは、御淑やかな練師らしいと言えた。


「そっか……」


 練師の返事を聞いた曹昂は練師の頬を撫でた。


 突然、頬を撫でられた練師は、身じろぎしないで曹昂の好きにさせた。


 一頻り撫でた曹昂は「帰ろうか」と呟いた後、城内に入って行った。練師はその後に付いて行った。


(まぁ頑張って欲しいな。父上が揚州を手に入れる為に)


 心の中で孫策へ応援を送る曹昂。


 屋敷に戻ると、曹昂は劉吉達を呼んで、練師を正式に妾にする事を告げた。


 それを聞いた劉吉達は「やっぱり」と言い、董白に至っては「言うのが遅いっ」と叱責された。


 そして、劉吉達は練師が妾になった事を祝ってくれた。 




 この数日後。


 孫策の下に揚州丹楊郡の太守に任命する詔が届けられた。


 程普達が驚く中、孫策は拝命した。そして、一族と程普達と三千の兵と共に赴任地へ向かった。

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