字をもらう

 曹昂達が許昌に戻り、数日が経った。




 年越しの宴が行われ、親戚一同が全員集まっていた。


 皆、酒を飲みながら静かに宴に出ている料理に舌鼓を打っていた。


 当然、曹昂もその席に参加していた。


 年が明けた事で、曹昂は二十歳となり冠を被る事が出来た。


 今回の年越しの宴は、曹昂の二十歳を祝うという面も存在していた。


 まだ、字はつけられていないが、年が明けたという事で成人とみなされたのか、親戚中に酒を薦められていた。


「いやぁ、あの曹昂が酒を飲める年齢になるとはな」


「本当に大きくなったものだ」


 夏候惇と夏侯淵の二人は感慨深そうに呟いた後、曹昂を見た。


「確かにな。初めての戦場で気を失った時の事が、昨日のことのように思い出せるぞ」


 曹洪が酒を呷り息を吐きながら、懐かしそうに口に出した。


「ははは、確かに」


「思えば、あの時から優れた才能を見せていたな」


 夏候惇達は昔を懐かしむように遠い目をしていた。


 夏候惇達から少し離れた所では、丁薔と卞蓮と言った曹操の妻妾達が座っていた。


「う、ううう……まさか、こうしてあの子が立派に育ったところを見る事が出来るとは……」


 丁薔は嬉しいのか、涙を流して喜んでいた。


「姉さん。嬉しいのは分かりますが、涙を拭いて下さい」


 隣の卞蓮は懐から布を出して、丁薔に渡した。


「ええ、そうね。でも、小さい頃は目を離したら、体中傷だらけになって帰って来るわ、旦那様のように女性に手が早くて心配の種であったあの子が、こんなに立派になって、あの世にいる劉姉さんも、今の曹昂の姿を見たら、さぞ嬉しかったでしょうに。うううぅぅぅ…………」


 涙が堪えきれないのか丁薔は布を目元に当てながら泣いていた。


 丁薔の泣く声は曹昂の下まで聞こえてきた。それを聞いた曹昂からしたら、泣くほど喜んでくれるのは嬉しいが、そんなに心配の種であった事を知り申し訳ないという気持ちで複雑な心境であった。


 そうこうしていると、上座に座る曹操が盃を置き、曹昂を手招きした。


 曹昂も盃を置いて、曹操の前まで来た。


「お前も冠を被る年になったのだな。父は嬉しく思うぞ」


「はっ。ありがとうございます」


 曹操が目を細め顔を緩ませるので、曹昂はそう言ってくれた事が嬉しく思い頭を下げた。


「では、この場でお前の字を皆に披露する」


 曹操はそう言って懐に手を入れた。懐から手を出すと折り畳まれた紙を持っていた。


 曹操は紙を広げて、皆に見えるように高く掲げた。


「子脩。これがお前の字だ」


 曹操がそう言うと、皆関心を示していた。


「ありがとうございます。父上」


「うむ。脩とは優れているという意味を持つ。お前はその字に恥じぬ働きをしている故に与えたぞ」


「感謝いたします」


 曹昂は礼を述べて頭を下げた。


 丁薔は字を訊くなり、滝の様に涙を流していた。


「「「曹子脩様。おめでとうございます!」」」


 親戚が祝福してくれた事に、曹昂は笑みを浮かべた。




 その日の夜。


 宴が終わり、曹昂は自分の屋敷に戻っていた。


 屋敷にある自室で、曹昂は茶を飲んでいた。


 部屋には一人しかおらず、使用人は一人も居なかった。


 野犬の遠吠えが時折聞こえる事と、何処か遠くから喧騒が聞こえるだけであった。


 そんな夜に曹昂は自室に一人でいたが、其処に音も無く誰かが現れた。


「お呼びとの事で参上しました」


 姿を見せたのは麻山であった。


「呼び出して済まないね。ちょっと、してほしい事があったから」


「お気になさらずに。それと、遅ればせながら、字を貰う事が出来たそうですね。おめでとうございます」


 麻山は、曹昂が成人した事を祝ってくれた。


「ありがとう。それで、頼みたい事なのだけど良いかな?」


「何なりとご命令を」


 曹昂の言葉に麻山は頭を垂れた。


「……正直に言って、この手段はあまりしたくないのだけど、この先の事を考えると有効だからね。実行したら必ず成功して欲しい」


「何をするのでしょうか?」


「孫策の暗殺」


 曹昂が淡々と告げた言葉を聞いた麻山は無言であった。


「……今行うのですか?」


「いや、今じゃない。時が来たら命じる。その時に何時でも殺せる様に準備しておいてくれ」


「……命令を受ける前に、お聞きしても宜しいでしょうか?」


「何かな?」


「曹昂殿と孫策殿はご友人と聞いております。そのご友人を暗殺なさるのですか?」


「……ああ、そうだ。そうしなければ、父上の陣営を脅かすだろうしね」


「承知しました。ご命令通り、如何なる状況であろうと暗殺できる様に手筈を整えます」


「お願いする」


「承知」


 麻山はそう答えると、来た時同様に音も無く姿を消した。


 そして、部屋に一人になった曹昂は背凭れに体を預けた。


「…………こんな事にならない様に、恩義を売ったんだけどな」


 曹昂は残念そうに零した。



 それから、数日後。



 まだ、年が明けたばかりという事でか、昼だというのに街では酒を飲んでいる者達が多かった。


 既に出来上がっているのか、顔を赤くして壁に凭れ眠っている者まで居た。


 そんな道を孫策は馬に乗りながら進んでいた。


 馬に乗っている孫策の顔が少し赤いのは、酒を飲んだからだ。


 曹昂と同じ年に生まれた孫策も字を貰っていた。


 伯符という字を貰った孫策。


 成人した証に喜んでいたが、馬に揺られながらふと孫策は思った。


(しかし、曹昂の奴、一体何の用で呼んだんだ?)


 一族と共に年越しの宴を行っていると、曹昂の使者がやって来た。


 話があるので、許昌の屋敷まで来るようにと伝えて来た。


 孫策からしたら、兵も十分に集まったので、そろそろ適当な理由をつけてこの地を離れるつもりであった。


(その理由が思いつかないんだよな。どうしよう)


 程普達と話し合ったが、郡を出る程の名分がある理由が無かった。


 何か無いかなと考えているが、孫策の頭では何も思いつかなかった。


 そうこうしている間に、曹昂の屋敷の前に着いてしまった。


 来た事を告げると、閉じられていた扉が開き使用人が出迎えた。


 孫策は使用人に手綱を預け、屋敷の中に入った。孫策が入ると、扉は閉められた。

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