来るかどうか分からない
数日後。
曹昂達一行は許昌に辿り着いた。
先触れは出してはいなかった事で、誰にも出迎えられる事無く城内に入った。
報告は曹昂がするという事で、劉吉達は屋敷へと帰って行った。
曹昂は護衛に連れて来た兵を連れて内城へと向かった。
内城に入ると、護衛を兵舎に戻し曹昂は父曹操の下に向かった。
歩いている官吏に訊ねると、司空府にて仕事をしていると言うので、そちらに向かった。
曹昂は曹操が仕事を行っている部屋に入ると、一段落ついていたのか茶を飲んでいるところであった。
「父上。曹昂、ただいま戻りました」
「うむ。無事に帰って来たようで、何よりだ」
帰って来た挨拶を告げる曹昂に、曹操は無事な姿を見て安堵している様であった。
「思ったよりも早く戻って来たな。そのまま陳留で年越しするかと思ったぞ」
「下見に向かっただけですので」
「そうか。それで、成果はあったか?」
「はい。十分に」
曹昂は、夫人の序列についての話をした。
話を聞いた曹操は特に何も言わなかったが、妾について話をすると腑に落ちない顔をしていた。
「夫人の序列はそれでいい。だが、妾は貂蝉と程丹の二人だけか? あの練師とかいう娘はどうした?」
曹操にそう訊ねられた曹昂は、練師の事を頭に思い浮かべた。
預かった時は十三歳ぐらいであったが、今では十八歳になっていた。
その時でさえ美しい容姿であったが、今はそれに加えて咲いた花のように、生き生きとした美しさを持ち始めた。
曹昂の侍女という事で無礼な事も声を掛けるのも憚られているが、その美貌からかなりの人気があった。
「……別に妾にするつもりで拾った訳では無いですので。それに、本人の意思も確認していないのに妾にするのは、些か強引過ぎる気がしまして」
曹昂がそう言うのを聞いた曹操は、鼻で笑いだした。
「別段、確認を取らずとも良かろう。あの娘もお前の事を慕っている様だしな」
「そうですか?」
「やれやれ。我が息子は私に似て、女性に人気がある事を分かっていない様だな」
溜め息を吐きながら、首を振る曹操。
それは自慢なのか、それとも鈍感だと言いたいのかは分からなかったが、訊けば嫌な気分になると思い、曹昂は訊ねなかった。
「ああ、そうだ。手紙にも書いたが、都造りが完成したからな。それを祝って宴を行うぞ」
「はい。それで、何時頃行うのでしょうか?」
「細かい日程は決めていないが、もう少しすれば、年を越すからな。そんな時期に祝うよりも、年が明けてから行う予定だ」
「畏まりました」
年明けに行うという事を聞いた曹昂は菓子は劉吉達に試食させたウ・ア・ラ・ネージュを出せば良いなと思った。
主菜は何するか考えていると、曹操が思い出したのか話しかけて来た。
「ところで、孫策の件はどうなった?」
そう言われた曹昂は身体を震わせた。
「……今戻って来たばかりですので、後でご報告を」
「兵を集めているのにか? お前にしては、随分と遅いな」
曹操の疑問に、曹昂は言葉を詰まらせた。
「……やれやれ、父上に隠し事は出来ませんね。分かりました。隠していた腹案を話します」
「ほぅ、腹案か。一体、何をするつもりなのだ?」
曹昂が言う腹案とは何なのか興味があるのか、曹操はジッと曹昂を見ていた。
「父上が朝廷内外に己の権威を示す為に、各地に居る有能な者達を官職に就けさせるのはどうでしょうか?」
「ふむ。今でもお前が言っている事をしていると思うが?」
曹操の問い掛けに曹昂は首を振る。
「確かに、朝廷に来る者達には官職を与えています。僕がするのは、誰かの家臣や関わり合いが無い者達に官職を与えるのです」
「その意図は、何だ?」
「父上に権威を付ける為です。また、官職を与えた事で恩を売る事が出来ます」
「恩を売るか。悪くはないな」
「はい。その一環として、孫策を揚州の何処かの郡の太守に任命したいと思います」
孫策を何処かの郡の太守に任命したいと聞いた曹操は眉を動かした。
「……それは何の為にだ?」
「義父を牽制する為です」
曹操の問い掛けに、曹昂は即答した。
(尤も、孫策には一言も相談していないけどね)
そう思いながら話を続ける曹昂。
「目下、我等に対抗できる程の勢力を持っているのは、袁紹、袁術、劉表、馬騰といった四つの勢力です。その内、袁紹は劉虞との戦いで、こちらに気を向ける余裕はありません。馬騰は我らが治める土地と離れていますので、事を構えるのはまだ先です。劉表に至っては、既に埋伏の毒を仕込んでおりますので、問題ありません」
「役立っているのか? 桓階とか言う奴は?」
「報告では、荊州南部四郡に強い影響力を持っている張羨の信頼を勝ち取り、何時でも反乱を起こす事が可能だそうです」
「そうか。それならば良い。それで残ったのは袁術か」
「はい。いずれ、父上と刃を交えるのは確定でしょう。領地は近く、互いに多くの兵数を養っていますので」
曹昂が断言するのを聞いた曹操は溜め息を吐いた。
「親友と刃を交えるか。悲しい事だ」
「心中お察しします」
曹昂がそう言うと、曹操は自嘲した。
「まぁ、この時代だから仕方がない事だろう。それで、どうして孫策を揚州の太守にする必要があるのだ?」
「袁術がこちらに攻め込んで来た際、孫策に後ろから攻撃して貰うのです。そうすれば、袁術も打ち破る事が出来るでしょう」
話を聞いた曹操は、一理あるなと思いつつ顎を摩る。
「どうでしょうか?」
曹昂が訊ねても、曹操は黙ったままであった。
「…………前漢の高祖は何故漢を興す事が出来たと思う?」
目を瞑り考え込むように黙っていた曹操がそう訊ねて来た。
「は? ……そうですね。やはり、漢の三傑を始めとした多くの人材を配下にした事だと思います」
軍略に長けた武将の韓信。優れた智謀で劉邦の危機を何度も救った軍師張良。相国をも務めた名政治家蕭何。
加えて、樊噲、灌嬰、英布、彭越、曹参、周勃、酈食其、陳平、夏侯嬰と言った名臣達と共に項羽を倒す事が出来たと思う曹昂。
「確かにそうだ。吏の蕭何。知の張良。武の韓信の三傑のお蔭で項羽を倒し、漢を興す事が出来たと言えるだろう。其処は否定せんよ。だが、私は項羽が敗れた理由は、もっと重要かつ致命的な失敗を犯した事だと思うぞ」
「それは、もしかして項羽が范増の助言に従わなかったからですか?」
亜父とまで呼び慕った軍師の范増が原因かと思ったが、曹操は違うと言いたげに首を振る。
「項羽の致命的な失敗は、劉邦を侮った事だ」
「侮った事ですか?」
「そうだ。劉邦の事を侮った結果、項羽は敗れ、劉邦は国を興したのだ」
「そうとも言えますね……」
話を聞いた曹昂は父が何を言いたいのか分からなかった。
「劉邦を自分の目に付く所に置かず、辺境の地を与えた事で虎を野に放つという言葉通りの展開となった。孫策も同じ事にならぬか?」
「あっ」
曹操がそう言うのを聞いて、ようやく何を言いたいのか分かった。
「父上は、孫策が独立するかもしれないと言いたいのですか?」
「そうだ。あやつの父は江東の虎の異名を持った孫堅だぞ。虎の子は虎よ。あやつを自由にさせれば、我等に牙を向かぬと断言できるのか?」
「……父上の懸念は尤もです。ですので、これを見て頂けますか」
曹昂は懐から封に入った手紙を出した。
その手紙を両手で曹操の前に出すと、曹操はその手紙を受け取り封を切り中に入っている手紙を広げた。
その手紙に書かれているのは人の名前であった。
周瑜公瑾。
張昭子布。
張紘子綱。
呂岱定公。
陳武子烈。
顧雍元歎。
呉範文則。
全柔。
諸葛瑾子瑜。
歩騭子山。
董襲元代。
厳畯曼才。
徐盛文嚮。
太史慈子義。
と姓名と字が書かれていた。
「この者達は?」
「僕が揚州に行った際、部下に調べさせて、これはという者の名前を書き連ねました。其処で朝廷の命で何人か詔を送り、朝廷に仕える様にさせてくれませんか」
「中央に来させるという事か。何時の間に調べたのだ?」
「岳父の援軍に向かうと決まった時に、揚州に向かう前に、これはという者が居ないか調べさせたのです」
名前だけならば、前世の記憶で知っていた。
其処でまだ生まれていない者達と揚州に居ない者達と孫策の親族を除くと、これだけの者達が残った。
(……もっと武官になる者達が欲しかったけど、何処に居るのか分からない者達か、仕官するのは早い者ばかりだからな。それに加えてこの中に魯粛が居ないのは残念だな)
曹昂が寿春に来た際、魯粛が居るのではと思い密かに探させたのだが、既に野に下っていた。
何処かに居るのだろうと調べた所、周瑜の食客になっていた。
もし、周瑜の勧誘が成功すれば、魯粛も付いて来る可能性もあるので、周瑜の名も加えたのだ。
ちなみに、諸葛瑾がこの中に居るのは、叔父の諸葛玄が豫章郡太守となっており、その叔父の下に仕えているからだ。
曹昂が徐州に侵攻する前年に諸葛瑾達の父親である諸葛珪が病死してしまった。
その為、諸葛玄が諸葛瑾達兄妹を養う事となった。
諸葛玄は既に豫章郡太守であった為、諸葛瑾達は叔父の下に向かった。
諸葛瑾達が叔父の下に着き暫くすると、袁術が揚州刺史の陳温を暗殺。
それにより、揚州は混乱状態となった。
其処で諸葛玄はこの先に何が起こるか分からないので、旧知の仲である劉表にまだ幼い諸葛亮と諸葛均と妹を預ける事にしたのだ。
「この者達を中央に来るようにしろというのだな?」
「はい。孫策は揚州で勢力を築こうとするのであれば、一番大事なのは人材です。これでごっそりと居なくなれば、孫策も勢力を築くのに時間が掛るでしょう」
「悪い手では無いが、どうして今まで言わなかったのだ?」
「何処に居るのか調べただけで、その者達が中央に来るかどうか分かりませんでしたので」
「そうか。まっ、どれだけ来るかは分からんが、適当な職を与えて中央に来るかどうか見てみるか」
「それが良いと思います」
曹昂としても、一人も来ないのでは?という思いもあった。
特に周瑜に対しては、孫策と義兄弟の契りを結んでいるので、来ない可能性が高かった。
「それで、孫策に対してする事はこれだけか?」
「もう一つありますが、それに関してはどうか、僕にお任せを」
曹昂が頭を下げて頼んだ。
「……お前が其処まで言うのであれば、好きにせよ。万が一の時は責任はお前が取るのだぞ」
「はっ」
曹操は曹昂が其処まで言うので、孫策の事は任せる事にした。
もう話す事は無いのか、曹操が手で退室を促したので、曹昂は一礼し部屋を出て行った。
部屋を出た曹昂はそのまま自分の屋敷に戻った。
屋敷に戻ると、使用人に文を送った。
文の届け先は『三毒』の総隊長、麻山であった。
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