初見の人は皆驚く

「母上。どうか、機嫌を直して下さい」


 曹操の命令により、曹昂は丁薔の下に赴き機嫌を直すように頼んだ。


 愛息子の曹昂が宥めても、丁薔は機嫌が悪そうであった。


「昂は母よりも父の味方なのかしら?」


「いえ、そうではなく。両親の仲が悪いと、どうにかするのが子としての道理です」


「貴方は敵に奪われた土地を奪い返すという功績を立てたと言うのに、旦那様は貴方を叱責したのですよ」


「それは、僕が勝手に兵を集めて行動した事で、罰を与えなければならないので叱ったのです。ですので、お叱りの言葉を受けるのは仕方が無い事でしょう」


 曹昂は叱られた事は仕方が無いと言うと、丁薔は拗ねた顔をしだした。


「はぁ、貴方がそうやって旦那様の言う事に素直に従うから、旦那様は貴方に無理な難題を押し付けるのですよ」


 溜め息混じりに苦言を呈す丁薔。


 そう言われた曹昂は苦笑いを浮かべたが、内心では母上も結構似たような事をしているんだけどなと思った。


「何か言いたそうな顔をしているようだけど?」


「いえ、何も」


 丁薔が目を細めると、曹昂は首を振るだけであった。


「では、仲直りの一席を設けましたので、行きましょう」


 曹昂が手で促すと丁薔は不満そうな顔をしつつも立ち上がり、曹昂と共に部屋を出て行った。




 屋敷の中に数ある部屋の中の一室に、曹操と丁薔だけではなく董白と貂蝉に卞蓮の姿と何故か、曹清の姿もあった。


「何で、清まで居るのかな?」


 曹昂が訊ねると、曹清は何でもない様に答えた。


 曹昂が董白達を呼んだのは、今から美味しい物を食べる事を知られたら、後で作ってと言われると思ったので呼んだのだが、その中に曹清は入っていなかった。


「えっ、習い事から逃げていたら、董白義姉様と貂蝉と卞蓮様が何処かに行くのが見えたから、付いて行っただけよ。兄上」


 悪びれる事無く教えてくれた曹清だが、それを聞いた丁薔の目が光った。


「清。貴方、習い事を怠けたの?」


「あっ、いや~」


 丁薔と目を合せず、誰かに助けを求める様に周囲に目を配る曹清。


 だが、誰も助ける事が出来ないと思ったのか、視線を合わせる事が無かった。


「あにう……」


「さて、準備準備」


 曹昂に助けて貰おうと声を掛けようとしたら、曹昂はこれから作る物の準備をすると言って離れて行った。


「……ちちうえ?」


「ははは、貂蝉も大きくなったものだな。初めて会った時に比べると別人の様に思えるぞ」


「ありがとうございます」


 曹操に助けを求めたが、曹操もとばっちりは御免とばかりに目すら合わせなかった。


 丁薔の視線に晒される曹清を尻目に曹昂は準備を整えていく。


「良し。これで完了だな」


 そう言って卓の上に置かれた物を見る。


 卵。牛乳。砂糖。穀醤しょうゆ。桶。箸。しゃもじ。容器がおかれていた。その容器の幾つかには何かが入っていた。


「では、始めますね」


 そう言って曹昂が始めたのは、卵の黄身と白身に分ける所からであった。


 卵にヒビを入れ、其処から殻を割る。殻を割った事で出て来た白身を容器に流し込み、殻に残っている黄身を別の容器に入れていく。


「へぇ、卵をああすると、白身と黄身を分ける事が出来るんだ」


 お嬢様である曹清は、卵の割り方一つでこうする事が出来るのを見て、面白そうな顔をしていた。


 曹清の好奇な視線をよそに、曹昂は全ての卵を黄身と白身に分け終えた。


 そして、黄身の方に砂糖と牛乳を入れて混ぜていく。


 それに穀醤を数滴入れて軽く混ぜ終えると、今度は蓋付きの容器の中に注いだ。


「さて、後はこっちだな」


 曹昂はそう言って、桶の中に入っている容器の中へ液体を流し込んだ。


 流し込まれた液体は、水であった。


 曹昂は、その水に塩を適量入れた後に、箸で軽く混ぜた。


 その塩水の中に、別の容器に入っていた粉状の物を投入した。


「その粉状の物は何だ?」


 曹操が、今までの工程から何か作っている事が分かったので気になり訊ねた。


「これは硝石を粉にした物です」


 粉状にした硝石を塩水の中に軽く混ぜながら答える曹昂。


 曹操はいよいよ、何を作っているのかわからなくなって来たが、桶の中に入っている水を見ていると、少しずつだが水の中に小さいが白い粒状の物が浮かんでいるのが見えた。


 徐々にその白い粒状の物が増えて行き、大きくなっていった。


「それは、氷か?」


 水の中にある白い粒状の物を見た曹操は訊ねると、曹昂は笑顔で頷いた。


「はい。どうやら、硝石と塩水を混ぜると水を凍らせる事が出来るようです」


「どうやって知った?」


「火薬を作っている時に、砕こうとした硝石が水の中に入ってしまったのです。その水に触れると、とても冷たくなったので混ぜていると氷が出来たのです。それで色々と試したら、塩を入れると早く氷が出来る事が分かりました」


「ほぅ、そうなのか」


 曹操は関心そうに聞いていた。


(本当に偶然だったな……)


 曹昂が火薬を製造する為に、硝石を砕こうとしていると、練師が水を持って来てくれた。


 お代わりできる様に、桶に入れて持って来た。


 作業は屋内でしていたが、偶々硝石が手に当たり、転がって行き桶の中に入ってしまった。


 直ぐに出そうと曹昂は桶の中に手を入れた。すると、水が思っていたよりも冷たい事に気付いた。


 火薬作りが進展せず行き詰まっていたので、気分転換にどれだけ冷たくなるのか実験した結果、氷が出来る程冷たくなるという事が分かった。


「しかし、息子よ。氷を作る事が出来るのであれば教えてくれても良いと思うぞ」


「氷を作るだけですから、これと言って他に用途がありませんよ」


 曹操の問い掛けに、曹昂は先程作った卵液が入った容器を氷が作られた桶の中に入れて回しながら答えていた。


「……馬鹿者が」


 曹操は呆れたように呟く。


 この時代の氷は、贅沢品であった。


 それを手に入れる事が出来れば、絶大な富を手に入れる事が出来た。現に臧覇に氷の製法を教えた事で、海に居る魚を内陸にある許昌の元まで腐る事なく届ける事が出来た。


 それだけで、十分に素晴らしい事であった。


(どうも、こやつは変なところで抜けているな)


 本当は怒鳴りたかったが、折角機嫌を直した丁薔が居るので怒る事は出来ず、呆れる事しか出来なかった曹操。


 曹操が呟いている間も、曹昂は卵液が入っている器を回していた。


 氷が出来る程に冷たい水から出る冷気から曹昂の指を白くさせていたが、曹昂は回し続けていた。


 そう回し続けていた事で、容器の中に入っている卵液が音を立てていたが、少しずつだが音がしなくなっていった。


 完全に音がしなくなると曹昂は容器を桶から出し、敷いておいた布の上に置く。


 そして、容器の蓋を開けると、液体であった卵液が乳白色の塊となっていた。


 曹昂はその塊をしゃもじで掬い用意していた器に入れ匙を添えた。


「どうぞ、氷菓です」


 此処で言う氷菓とは冷やして供される菓子の総称の事であった。


 アイスクリームと言うよりも、そっちの方が分かりやすいと思い言う事にした曹昂。


「ほぅ、美味そうだな」


 曹操が匙で氷菓を掬い口の中に入れた。


「……ふぅ、口の中に入れると、さらりと溶けていく。牛乳の味、卵の味を感じさせつつ、砂糖の甘みが口の中に広がりおるわ。それでいて、今まで嗅いだ事が無い香りを感じさせてくれる。この香りと風味、前に何処かで嗅いだような気がする」


 氷菓を味わいつつ、曹操は氷菓の風味に覚えがある事に気付き思い出そうとしていた。


「それは、多分クリームパフに使った香料だと思います」


「あ、ああ、そうだ。あれだ。あの香りと同じだっ」


 曹昂に言われて頷いた曹操。


「冷たくて甘いなっ」


「これは、美味しいわね」


「美味しいですね」


 董白達も氷菓を味わっていた。


「……ふぅ、本当に美味しいわね」


 丁薔も美味しそうに呟いた。


「そう言ってもらえると助かります」


 丁薔の顔が喜んでいるのを見て、曹昂は安堵の息を漏らした。


「冷たくて美味しいっ、こんなの初めて食べた……兄上、お代わりっ」


 曹清は匙を動かし続け、味わっているのか分からない程の速さで食べて行く。やがて、器に氷菓が無くなると、器を突き出してお代わりを要求して来た。


 それを見た者達は呆れるか苦笑いしているかの、どちらかであった。


 曹昂は溜め息をつきつつ、器を受け取り氷菓を持っていると、突然曹清が頭を抱えて苦しんだ顔をしていた。


「どうした⁉」


 先程まで、美味しそうに食べていた曹清を見て驚く曹操。


「あ、あたまが、あたまがいたいのです、ちちうえ……」


 突然、頭が痛いと言い出した曹清に皆は驚いていたが、曹昂は冷静に答えた。


「氷菓を一気に食べると起こる頭痛ですね。少ししたら治りますよ」


「そうなのか?」


「はい。ほっとけば治りますよ」


「ほ、ほんとうですか、あにうえ……?」


 弱弱しい声で訊ねる曹清。


「大丈夫。でも、氷菓を一気に食べたらこうなると分かっただろう。次からは気を付ける様に」


「……はい」


 顔を顰めつつ、返事をする曹清。


「全く、これも貴方が習い事を怠けたバチが当たったのですよ。これからは、気を付けなさいね」


 丁薔は、顔を顰める曹清を見て苦言を呈した。


 それを聞いた曹清は何も言えなかった。


「ところで、これは食べる?」


 曹昂が器に盛られた氷菓を見せると、曹清は痛みで顔を顰めつつも器を受け取り食べるのは止めなかった。


「いたっ、でも美味しい……」


 それを見て、皆は笑っていた。

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