噂の一人歩き
曹昂が曹操の屋敷を訪ねた数日後。
朝廷の仕事が終わり、何時もの様に董承達は董承の屋敷で密談をしていた。
「そうだ。董承殿。最近こんな噂が巷に流れている事をご存知か?」
密談と言っても、どうやって曹操の勢力を削ぐのか話すだけなのだが、未だ糸口すら見えていない状態であった。
そんな折に伏完は思い出したように話し掛けてきた。
「申し訳ない。自分は知りません」
董承はどんな噂なのか知らない様で、首を傾げていた。
「いや、数日前に曹操の屋敷から、曹操と誰かが口論している声が聞こえて来たそうだ」
「口論ですか。しかし、誰と口論したのでしょうか?」
今や飛ぶ鳥の勢いを持っている曹操に口論する程の者とは、何者なのか気になった董承。
そんな董承に伏完は顔を近付けた。誰にも訊かれないように。
「それがな、その口論した主と言うのが、曹操の息子の曹昂という話なのだ」
「何とっ、本当ですか!」
「うむ。儂も気になって調べたのだが、その口論をした日には曹昂が曹操の屋敷を訪ねていた事が分かったのだ」
「そうだとすれば、曹昂が曹操の屋敷に出向いたのは、自分の処罰が重い事へ直訴に向かったと?」
「であろうな。そうでなければ、曹操の屋敷に赴く理由が無い」
本当は曹操が丁薔の機嫌を直す為に呼び出したのだが、限られた情報しか入らない董承達が知るというのは無理と言えた。
「だとすれば、これはそう遠くない内に」
「うむ。曹操と曹昂の二人の仲を引き裂く事が出来るかもしれんぞ」
董承達は口に出して自分達の計画が思ったよりも、早く実行できるのではと喜んでいた。
その後。
曹昂の元に、董承達から文を送られる様になった。
内容は他愛の無い挨拶が書かれているだけなのだが、曹昂からしたら戸惑うだけであった。
「何で、こんなにも急に文が届くようになったのかな?」
突然の事に、曹昂はどうしてこうなったのか分からかった。
董承達から、文を送られる様になってから数日が経った。
そんな折に徐州に放っていた密偵が報告に戻って来た。
「彭城を拠点にした呂布は其処から勢力を拡大中にございます。琅邪国以外の郡は従っている様です」
「だとしたら、呂布殿は臧覇と戦をするかもしれないのか」
曹昂が訊ねると、報告した密偵は暫し黙った。
「……可能性としては有り得ます。調べたところ、呂布は自分が臧覇と袁術に挟まれている事を警戒している様ですので、その内、どちらかの勢力と争うと考えられます」
「成程。そういう事も考えられるか」
報告を聞いた曹昂はふと、劉備の事を思い出した。
徐州を奪われて、今は東成県に駐屯していると聞いていた。
「そう言えば、劉備はどうなっているんだい?」
「はっ。劉備でしたら、一万の兵と共に東成県に駐屯しているそうです」
「東成県は確か下邳国内にある県だと思ったけど?」
曹昂が確認の為に訊ねると、密偵は頷いた。
「その郡の太守は誰だったけ?」
「劉備を裏切った曹豹にございます」
「……ああ、そうだったね。二人の関係はどうなのかな?」
反乱を起こした時に張飛に殺されなかったのかと思いながら、劉備と曹豹の関係を尋ねる曹昂。
「それが、どうも上手くいっていない様です。曹豹は兵糧と武器を一万人分しか渡していないそうです。それも、安く買い叩いたとしか思えない粗悪な食糧とか、直せば何とか使えるような武器しか送っていないそうです」
それを聞いた曹昂は、曹豹がそんな事をする理由を考えた。
「……曹豹の暮らしぶりはどうなった?」
「はっ。一郡の太守になったとはいえ、私の目から見ても少々羽振りが良すぎます」
「横領していると見るべきかな?」
「恐らくは」
曹昂の推測に密偵は頷いた。
でなければ、如何に郡の太守でも羽振りが良いとは言えないからだ。
「劉備達に送る兵糧と武器は安い物を送り、浮いた金で贅沢をするか。悪い役人の典型だね」
劉備達の哀れさに、溜め息を吐く曹昂。
「それと、寿春にいる者の報告ですが。どうやら、袁術は何処かに戦を仕掛けるつもりなのか、今軍備を整えております」
「ふ~ん。成程ね」
揚州の何処かを攻めるのだろうと思い、曹昂はその報告を詳しく調べる事はしなかった。
それから、数日後。
袁術が曹操に書状を送って来た。
内容は援軍要請であった。
書状には攻める所が書かれていた。徐州東成県と。
袁術から送られてきた書状を一読した曹操は不快そうに顔を歪める。
「ふん。袁術も業腹な奴よ。私の手を借りて徐州を手に入れるつもりか」
徐州は、父曹嵩を始めとした一族の仇である陶謙が眠っている地であった。
曹操は常々、徐州を得た暁には必ず陶謙に一族の仇を返すと公言していた。
それを知っていて徐州を攻めるという事は、つまりは曹操と敵対を辞さないという意思を持っていると取れる上に、其処に曹操に対して援軍を求めるという事は、袁術は曹操は自分の言う事に従うだろうと思い込んでいるという事だ。
「袁術め、私が自分と戦うつもりが無いと思っている様だな」
「ですが。現状、戦う事が出来ません」
曹操の側に居る荀彧が残念そうに首を振る。
「目下、我らは都造りの最中です。金を使っている時に戦など無理です、それに袁術の勢力は我等よりも強大です。今は戦うのは不利になります」
現状と袁術の勢力を比較して戦うのは、得策では無いという荀彧。
曹操も、その意見には異論が無いのか頷くだけであった。
「そうだな。寿春を中心とした九江郡一帯しか得ていないと言うのに、数十万の兵を動員できるからな。これも揚州という豊かな土地と名門袁家の名声のお蔭であろうな」
「そうでしょうな。それで、この援軍要請はどうなさいます?」
「……此処は要請を受け入れるとしよう」
少し考えた曹操は、袁術の要請に従う事にした。
「妥当ですな。問題は誰を送るかという事でしょうな」
荀彧も頷いた後、援軍の将を誰にするか言うと、曹操は顎髭を撫でた。
(う~ん、誰を送るか……)
曹操はこの要請を使って、袁術と呂布を敵対する様に仕向けたかった。
状況に応じた判断力に加えて頭が冴えた者が必要だが、曹操の配下の武将の中でその様な臨機応変が出来る者は数人しか居なかった。
その数人も重職に就いているので、援軍の将として送り出す事など無理であった。
「……荀彧よ。私はこれを機に袁術と呂布を争わせたい。誰か適任者はおらんか?」
曹操がそう言われて、荀彧は少し考えた後、手を叩いた。
「一人うってつけの人物がおりますぞ」
「誰だ?」
「若君が適任でしょう」
「曹昂が?」
荀彧がそう言うのを聞いた曹操は、一瞬キョトンとした。
「若君は袁術の娘を娶っており、一軍の将として経験がお有りです。更に呂布とも交流があります。この三点から、援軍の将は若君が良いと私は思います」
荀彧が、曹昂を援軍の将にするべき理由を聞いた曹操はそれも有りかと思った。
「……良し、あいつに行かせるか。兵は如何程で」
「そうですな」
曹操は荀彧と話し合い、兵数と副将を誰にするか決めた。
翌日。
曹昂の屋敷に曹操から使者が送られてきた。
使者は曹昂に手紙を渡すと、一礼しその場を離れて行った。
曹昂は、その手紙を広げ中身を見た。
『諸将の請願により、お前に名誉挽回の機会を与える。盟友である袁術の要請に従い、兵三千と副将に曹洪、史渙を付ける。それらを連れて、寿春の袁術の元に向かうべし』
手紙を一読した曹昂は、面倒な事を押し付けられた気分であった。
とは言え、曹操の命令なので従うほかないと分かっているので、溜め息を吐きつつ、貂蝉達に準備をさせた。
その準備をしていると、孫策が屋敷を訪ねて来た。
曹昂は何事かと思いながら、孫策を部屋に通した。
「急に来て済まない」
「別に良いけど、どうかしたのかい?」
曹昂が訊ねると、孫策は口籠もった。
快活で思った事を口にする孫策が口籠もるなど珍しいなと思いつつ曹昂は孫策を見ていた。
孫策は意を決したのか、深く息を吸い始めた。
「……袁術の戦に援軍として行くと聞いたけど、本当か?」
「そうだけど」
「じゃあ、俺も連れて行ってくれっ」
孫策は胸に手を当てながら叫んだ。
「いやぁ、もう連れて行く人が決まっているから」
「其処を何とかっ」
孫策は頭を下げて頼み込んで来た。
「どうして、そんなに付いて行きたいのかな?」
袁術は、父親の孫堅が死ぬ原因を作った張本人であった。
その袁術の為の戦に付いて行くという孫策に曹昂は不思議に思い訊ねた。
「今回の戦を呂布はどんな風に防ぐのか見てみたいんだ」
孫策が理由を話した。
あまりに単純な理由に曹昂は苦笑いした。
「此度の戦は袁術殿の為に行うけど、それでも良いの?」
「……父上の事は忘れるつもりはない。だが、今は飛将呂布がどんな方法で領土を守るのか見てみたいんだ」
孫策の意気込んでいる目を見た曹昂は連れて行かないと拗ねそうだなと思った。
「其処まで言うのなら仕方が無いな。父上に連れて行くように頼んでみるよ」
「感謝するぜ」
曹昂が付いて来ても良いと聞いた孫策は頭を下げて礼を述べた。
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