同じ頃 曹操はと言うと

 曹昂と董承達の話が終わり、董承達が屋敷を後にした頃。


 曹操は自分の屋敷の庭で、部下の報告を聞いていた。


「そうか。董承達は曹昂と接触してきたか」


 部下の報告を聞いた曹操は狙い通りと言わんばかりの笑みを浮かべた。


「はっ。曹昂様の屋敷を後にした董承達は董承の屋敷に行きました。恐らく、密談する為だと思います」


「くくく、あの二人も監視されているとは思っていないであろうな」


 自分達が、屋敷で曹操をどうするか話し合っているのを知られているとも知らずに密談している董承達を嗤う曹操。


 今回、曹昂に州牧の印綬を奪い出仕を禁じたのは、一つは曹昂の独断を処罰するだけでは無く、自分に敵対する勢力が誰なのか知る為にしたのであった。


 曹操の息子が功績を立てたというのに処罰されたという話を聞けば、曹操の事を気に入らないと思っている者達が、曹昂に接触してくるだろうと予想していた。


 曹操の予想通りに、反曹操の勢力であろうと予想されていた董承達が曹昂に接触して来た。


 今迄、曹昂と董承達は何の交流も無いのに接触してきた事から、曹操を排除する為に近付いたという思惑が見えていた。


「そのまま監視を厳にせよ」


「はっ。曹昂様についてはどうなさいますか?」


「あやつは良い」


 部下が曹昂も監視するのかと訊ねると、曹操は無用だと言った。


「あれは聡い子だ。私が処罰した理由と董承達が来た理由も分かっているだろう。それに、私の後を継ぐのはあいつだけだからな」


 物事の理解が早く賢い事に加えて、好機と見れば勇ましく何者をも恐れない行動力を持っていた。


 それでいて、優しく人当たりも良いので曹操の直臣達から信望が厚かった。


 親戚の夏候惇などは「よく、孟徳からあんなに性格が良い子が生まれたものだ」と言っていた。


(普段から常人では出来ない事をしているが、あいつはまだ成人していない子供だ。今回の事で増長して、何をしても良いと思われても困るからな。今回の事は良い薬になろう)


 曹操も本当に処罰するつもりもなく、予め夏候惇に曹昂へ処罰を言う際は庇って欲しいと伝えていた。夏候惇も今回の件は独断専行すぎると思ったのか承諾してくれた。


「分かりました。では」


 部下は一礼しその場を離れて行った。


「さて、今日はやる事が無いから、酒でも飲むか」


 曹操は一人で飲む気分ではないので、側室の誰かに酌をさせようと思いながら歩き出した。




「申し訳ありません。環桃様は今日は調子が悪いので、お相手できないそうです」


「むぅ、環桃もか」


 誰かと酒でも飲もうと思い側室の部屋を訪ねた曹操は不満そうな顔をしていた。


 最初孫猫の元に訪ねたのだが、侍女が出て来て調子が悪いので、また今度と言われた。


 曹操はそういう時もあると思い深く考えないで、環桃の部屋に向かったが、環桃の代わりに侍女が出て来て相手は出来ないと言った。


「猫も調子が悪いと言っていたが、病か?」


 そうであれば薬師を呼ばねばならないかと思い侍女に訊ねる曹操。


「いえ、少し休めば治ります」


 侍女は曹操の目を見ずに述べるので、曹操の心の中に疑惑が生まれた。


「本当に大丈夫なのか?」


「はい。暫し休めば良くなるそうです……」


 曹操の問い掛けに侍女は顔を伏せながら答えた。


「……仕方がないか」


 侍女の反応から、何かあると思うのだが、侍女を問い詰めても話さなそうなので止める曹操。


「では、くれぐれも養生する様にと伝えよ」


 曹操はそう言ってその場を後にした。


 曹操が離れていくのを見た侍女は、密かに安堵の息を漏らした。


 環桃の部屋から離れた曹操は廊下を歩きながら、側室達の中で何かあったのかと思いながら、次は卞蓮の部屋を訪ねた。


 そして、卞蓮の部屋に着くと、侍女では無く卞蓮が応対に出て来た。


「おお、お前は大丈夫そうだな」


「そうね。別に病などには罹っていないわよ」


 卞蓮は、元気だと言うように笑みを浮かべた。


「それは良かった。では、相手をしてくれ」


 曹操は卞蓮が元気だと分かり相手をしてもらおうと、部屋に入ろうとしたら、卞蓮が止めた。


「駄目よ」


 そう言って卞蓮は曹操の身体の向きを変えて、その背を押した。


「私の相手をする前に、一言言わないといけない人がいるでしょう。その人の怒りを宥める事が出来たら相手をしてあげるから」


「むっ? それは一体」


「兎も角、今は駄目」


 それだけ言って卞蓮は曹操を押しだした後、自分の部屋に戻った。


 部屋に入る事が出来なかった曹操は、どうしてこうなったのか分からず頭を掻いた。


「……残るはあいつだけか。今は顔を合わせたくないのだがな……」


 正室の丁薔。


 曹操の妻で残っているのは、この女性だけであった。


 曹昂の件があったので、暫く顔を合わせたくないなと思い、屋敷に帰ってから顔を合わせていない。


 しかし、酒を飲みたい気分なのに誰にも相手をしてもらえないのでは、寂しいと言えた。


「……仕方がない。此処は薔の元に行くか」


 曹操は少し考え、丁薔の部屋に向かう事にした。


 暫し歩いた後、丁薔の部屋の前まで来た。部屋の前に居る侍女に自分が来た事を教える様に告げた曹操。


 侍女は部屋の中に入り、暫くして戻ってくると曹操を部屋に通してくれた。


「ぬっ!」


 部屋の中に通されると、椅子に座る丁薔は笑顔なのに、とんでもない怒気を出しているのを見た曹操は、声を上げて驚いた。


『一言言わないといけない人がいるでしょう。その人の怒りを宥める事が出来たら相手をしてあげるから』


 曹操の脳裏に、先程の卞蓮の言葉が聞こえて来た。


 と同時に、その人とは誰なのか分かった。


「どうかなさいました?」


 笑顔を浮かべる丁薔。


 とても、綺麗な笑顔なのだが目が笑っていなかった。


「い、いや……別に……」


 曹操は顔を引きつらせながら、用意されている椅子に座った。


 曹操が座るのを見た丁薔は、手を叩いた。


 すると、侍女達は酒の肴が盛られた皿を持ってきて卓に置いて行った。


「ささ、どうぞ。好きなだけ、美酒と料理をお楽しみ下さい。今日は昂が敵に奪われた領土を奪い返すという功績を立てたお祝いですよ」


「え、あ、いや…………」


「ああ、失礼しましたっ。昂は功績を立てたのですが、無断で兵を動かした事で処罰を受けていましたね。功績を立てたと言うのにっ」


 笑顔で、嫌味を述べる丁薔。


 それを見た曹操は、これは相当怒っているなと思い冷や汗をかいた。


「ささ、今日は旦那様が好きな魚の料理を用意しました。好きなだけお食べ下さい」


「魚だと?」


 曹操はそう言って、皿に盛られている料理を見た。


 名前は分からないが、その姿形から川で獲れる魚ではなかった。


「はい。何でも、昂が試験的に海に棲んでいる魚を運搬できる方法を閃いたので、琅邪国の太守にその方法を教えて試したそうです。沛県を奪い返した昂が」


「そ、そうか……」


 目の前にある魚料理は美味しそうな匂いを出しているというのに、曹操は箸を動かす事が出来なかった。


 これに手を付ければ、曹昂のお蔭で食べられるのにと丁薔に非難されるのが目に見えていた。


 好物の魚料理が目の前にあるので、曹操は悔しくて歯ぎしりしていた。


 その後、丁薔は嫌味を言い続けたが、機嫌は良くならなかった。


 それから数日。曹操の食卓には魚料理が並べられたが、曹操は箸をつける事が出来ず機嫌が悪くなっていった。


 お蔭で、屋敷の空気がギスギスしだした。

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