叱責

 呂布が徐州を手に入れ、劉備がその下に降ったという報は国中に広まった。


 その報告を許昌に居る曹操は部下から聞くなり、少し不満そうな顔をしていた。


「ふん。結局、劉備と呂布は手を結ぶ様になったか」


 二虎競食の計と駆虎呑狼の計の二つの計略を以てして、二人の内どちらかを倒す事は出来ず、くっついたままであった。


 曹操が手に入れた物と言えば、呂布が支配していた沛県を中心とした豫州東部一帯であった。


 その沛県も曹昂が呂布が居ない隙に強襲し手に入れた物なので、厳密に言えば曹操の手で手に入れたとは言い難かった。


「……息子はどうしている?」


 曹操に訊ねられ、部下は顔を上げて答えた。


「先触れが参りましたので、もう間もなく来るとの事です」


「そうか……下がって良いぞ」


 曹操は部下を下がらせた。


 そして、誰も居なくなると重い溜め息を吐いた。


「……これも私の立場だから仕方が無いか。許せよ。息子よ」


 曹操は此処には居ない曹昂に詫びを述べると、その場を後にした。




 数刻後。




 曹昂は率いていた軍を連れて許昌の近くまで来ていた。


「ようやく戻って来れたな」


 曹昂が城壁を見ながら呟く。


「そうですね。しかし、沛県を奪い返す事が出来たのです。大殿もお喜びでありましょう」


 刑螂は曹昂の功績を称えていた。


 それを聞いた曹昂は苦笑いを浮かべて、無言で馬を進ませた。


 曹昂達が城門が見える所まで来ると、其処には不可解な光景が見えた。


 それは城門には資材を積んだ馬車の大工の一団が並んでいた事だ。


 不審物を持っていないかの確認をした後、城内に入っていく大工達。


 都造りの最中なので、それは問題無いのだが、不可解なのは曹昂達が入城する門にまで居る事だ。


 先触れを出し、許昌へ帰還する事を報告済みであった。


 凱旋と言っても良いのに、誰も出迎えに出る事も無く、何故か大工達にその進路が遮られていた。


 どういう事なのか分からず曹昂達は首を傾げるしかなかった。


「これはどういう事だ?」


「もしかして、帰還するという事が伝わっていないとか?」


 孫策と甘寧の二人も目の前の光景を見て、何とも言えない顔をしていた。


「……どうする?」


 孫策は自分ではどうしたら良いのか分からず曹昂に訊ねた。


 曹昂は少し考えた後、とりあえず城門に居る衛兵に自分達が帰って来た事を告げる様に指示した。




 衛兵に報告すると、曹昂達は直ぐに城内に通された。


 その際に衛兵に自分達が帰還して来たという報告を聞いているか訊ねた曹昂。


「いえ、自分は聞いておりません」


 衛兵がそう報告したので、伝達し忘れたのか?と思い曹昂は城内に入った。


 城内に入ると、城内に居る民達が曹昂の軍勢を見て、何事かという目で見ていた。


 民達の目は勝利を祝うというよりも、何が起こったのか分からないという驚きに満ちた目であった。


 そんな奇異の視線に曝されつつ、曹昂達は内城へと向かった。


 内城に入ると、城門の時と同様に誰にも出迎えを受ける事が無かった。


「何だ? 俺達は沛県を奪い返したというのに、誰も出迎えに来ないのか?」


 孫策は誰も出迎えに来ない事を不満そうに呟いた。


 曹昂もその奇怪な状況に意味が分からず、どういう事なのか頭を巡らせた。


 そう考えていると、文官が曹昂の元までやって来た。


「御無事の御帰還。御喜び申し上げます」


「感謝する。それで、何用か?」


「はっ。曹司空様が曹昂様だけ案内する様にと命じられ参りました」


「父上が。分かった」


 兵達の事は甘寧達に任せて、曹昂は案内に来た文官の後について行った。




 文官の後について行くと、辿り着いたのは謁見の間であった。


 文官と共に室内に入ると、上座に座る曹操。その下には武官では夏候惇、夏侯淵、曹洪、曹仁、曹純、楽進、史渙と言った名将達が、文官では荀彧、郭嘉、程昱、韓浩、董昭と言った智謀の名士と言っても良い者達が勢ぞろいであった。


 重臣一同が勢揃いしている事に曹昂は何事かと思い出した。


 文官が曹操の近くまで来ると足を止めて一礼した。


「曹昂様をお連れしました」


「ご苦労。下がって良いぞ」


 労いの言葉を掛けられ下がるように命じられた文官は一礼し、その場を後にした。


 文官が出て行くと、曹操は元々細い目を更に細くさせながら曹昂を見た。


 鋭く力ある目に睨まれた曹昂はその場に跪いた。


「父上。曹昂が参りました」


「……うむ」


 曹昂が帰還の挨拶をしても曹操は冷たい声で答えるだけであった。


 そんな曹操の態度を見て、何かしたか?と思い曹昂は横目で周りに居る者達を見た。


 皆、曹昂の事を哀れそうな目で見ていた。


 それが余計に、自分が置かれている状況が分からなくなる曹昂。


「……曹昂よ。お主、軍を率いて呂布から沛県を奪い返したそうだな」


「はい。呂布が居ないと言う情報を手に入れましたので、集められるだけの兵を集めて沛県を強襲しました。少ない死傷者を出しましたが、見事沛県を手に入れる事が出来ました。これにより、豫州東部は我等の支配下に戻ったという事になります」


「そうだな。確かに、その通りだ」


 曹昂の功績を認める事を述べる曹操。


「その通りではあるが……誰が軍を出す許可を出した?」


「は、はっ。それは…………」


 曹操に問われた曹昂は言葉を詰まらせた。


 軍を出す際、誰の許可も貰わずに出撃したからだ。


「……誰の許可も得ずに出陣しました」


「愚か者‼」


 曹操の怒号が飛んで来た。


「お前は、私の息子である前に、私の部下だ。兵もまた然り。主である私の許可を得ずに軍を動かすとは何事かっ!」


 曹操が怒る理由を述べてくれた事で、今、自分がこの場に居るのは叱責される為だという事を悟る曹昂。


「しかし、父上。僕は豫州州牧です。その地位を取り上げられておりません。ですので、豫州内であれば兵を出す事は問題ないと思います」


 豫州州牧なので州内については、兵を出す事は問題ないと告げる曹昂。


「馬鹿者がっ、そう思うのであれば、私に報告してから出陣の許可を得るべきであろうが‼ お前の行いは謀反と言っても可笑しくない行いなのだぞ!」


 曹操にそう言われて、曹昂は自分の目算の甘さを悟った。


 豫州の外であれば問題だろうが、豫州内であれば問題無いと判断した自分の考えが間違っていた事に、今更ながら心の中で嘆いた。


「父上。申し訳ありませんでした。この罪は、私一人の罪です。率いていた兵と将には、何の罪はありません。どうか、処罰すると言うのであれば、私一人に」


「良く言ったっ。沛県を奪い返した功績に免じて、今回の処罰はお前一人にしてやる。誰か、曹昂を外に連れ出し、百叩きの刑に処せ」


 曹操がそう命じると、周りの者達はざわめきだし、夏候惇が前に出た。


「殿。曹昂は勝手に兵を動かすという罪を犯しました。ですが、ご子息である前にその罪を帳消しにする程の功績を立てた忠臣ですぞっ」


 公式の場という事で、夏候惇は曹操の事を殿と呼びながら曹昂を庇った。


「左様にございます。若君のお蔭で豫州を完全に我等の支配下に治める事が出来ました。その上、殿の覇業に尽力してくれた御方です。此処は功績を立てた事と罪を帳消しにするのが良いと思います」


 荀彧まで曹昂を庇うので、他の者達もその言葉に続いた。


「そうです。殿。何も百叩きなどしなくても」


「此処は功罪相殺するのが良いと思います」


「その通りです。殿、ご再考を」


 他の者達も曹昂を庇いだすので、曹操は怒りを解くためか息を吐いた。


「……良かろう。皆がそこまで言うのであれば、百叩きの刑は無しにしてやろう」


 曹操が刑の取りやめと言うと、皆安堵の息を漏らした。


「だが、勝手に軍を動かした罪については、沛県を手に入れた事を差し引いても、まだ重い。よって、曹昂。お前の豫洲州牧の任を解き、私が許可するまで出仕を禁ずる」


 曹操が州牧の任を解き出仕を禁ずると言われた。それを聞いた皆は何とも言えない顔をしていた。


「……父上の温情に感謝いたします」


 曹昂は曹操の判決に異論を述べる事無く頭を下げ、首に掛けている州牧の印綬を置いてその場を後にした。

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