狼が牙を剥く
贈り物の主の名前を聞くなり呂布は陳宮に詳しく訊ねた。
「それで、一体何が届いたのだ?」
「はぁ、それが。私も理解が出来ない物が届きましたとしか言えません……」
陳宮は奇々怪々と言わんばかりの顔をしていた。
「意味が分からん。何が届いたんだ?」
「それが……黄金が千枚ほど入った箱が届けられました」
「……はぁ⁉」
陳宮が教えてくれた事に呂布は目を見開かせながら陳宮を見た。
「どういう事だ?」
「その、贈り物を届けてくれた使者から、この様な手紙が届きました」
そう言って陳宮は袖に入れていた文を出して、呂布に渡した。
文を受け取った呂布は広げて中身を見た。
『呂奉先殿。
洛陽にてお会いした時より、幾年もの月日が経ち、今は敵同士と相成りました。
悲しき事ですが、これも時代の流れと思います。
しかし、洛陽で世話になった恩義を返す事も出来ずにいるのは心苦しく思います。
今は沛県に居るとのこと。まだ、その地に居付いたのは日が浅いと聞いております。
ささやかではありますが、生活の足しになる物をお送りします。
曹昂』
文を読み終えた呂布は、曹昂と居た時の事を思い返した。
しかし、どれだけ思い返しても、黄金を渡す程の貸しを作った記憶など呂布の記憶の中には無かった。
「殿。曹操の息子とは知り合いなのですか?」
陳宮が声を掛けた事で、記憶の中を漂っていた呂布は現実に戻って来た。
「あ、ああ、董卓に仕えていた頃にな。曹操が董卓の暗殺に失敗した時に曹操は逃亡してな、あいつは董卓の下に出向き舌先三寸で誤魔化したのだ。お蔭で反董卓連合というものが出来たのだ」
呂布は初めて会った事を思い出しながら、曹昂の事を教えた。
その話を聞いて、陳宮は一時期曹操と行動を共にしていた時に、董卓に暗殺を謀ったと言うのに手配書が配られない事を不審がっていた時に、曹操が『息子が何とかしてくれる』と言っていた事を思い出した。
「成程。話には聞いておりますが、中々の切れ者だとか」
「うむ。その才能を見込まれて董卓の孫娘の婿に選ばれたからな」
「それはまた、逸材ですな」
あの董卓がその才能を買っていたという事で、陳宮は曹昂に関心を抱いた。
「して、その者がどうして、殿に黄金を送ったのでしょうか?」
「分からん。洛陽で世話になった恩義だと、文には書かれているが」
呂布も陳宮も、それだけで黄金を千枚も届けるという曹昂の気持ちが分からなかった。
考えても分からない二人。とりあえず、相手がくれた物なので貰う事にした。
曹昂が届けてくれた黄金により、軍備が増強する事が出来た呂布。
だが、それにより徐州ではある噂が駆け巡った。
曰く、呂布は袁術と手を結び、劉備を攻める。
曰く、その証拠に呂布は袁術から援助を受けている。
曰く、劉備を討ち取った暁には徐州を二つに分けて、呂布と袁術が統治する。
その噂は劉備の耳にまで届いた。
「なにっ、呂布が袁術と組んで、私を討とうとしている⁉」
「はい。城下でその様な噂が流れております」
劉備に報告する文官。
その報告を聞いた劉備は顔を顰めた。
普段であれば、そんな噂など信じなかった。
だが、今は違った。
その噂が巷に流れ出した頃、下邳国の南部にある県が何者かの襲撃を受けていた。
死者こそ出していないが、負傷者を多く出していた。
劉備は討伐に関羽を送り込んでいたが、未だに討伐したという報告は受けていなかった。
しかも、襲撃を受けた者達の話を纏めたところ、南方から来た事と盗賊の割に装備が良いという事を言っていた。
その報告を受けた劉備は地図で下邳国の南を見た。其処には揚州の九江郡があった。
その郡の県の一つは寿春があった。其処は袁術が支配していた。
「どうやら、袁術は徐州を狙っている様じゃのう」
劉備と一緒に報告を聞いていた盧植が髭を撫でながら思っている事を話しだした。
「どういう事ですか?先生」
劉備は盧植が言っている意味が分からなかった。
盧植は詳しく説明した方が良いと思い口を開いた。
「良いか。今、我等と呂布は協力体制じゃ。我等が手を組んでいる間は、曹操も袁術も袁紹ですら迂闊に手を出す事が出来ん」
「はい。その通りです」
「故に曹操は我等の関係を解消させようとした。袁術も同じような手を打ってきたのじゃよ」
「……成程。呂布と袁術が手を結ぶという噂が中心に流れているのですね」
「そうじゃ、近い内、袁術は兵を送り出すであろうな」
盧植は断言した。
「それは、大変な事になりますっ」
「うむ。急ぎ、関羽を呼び戻すのだ。そして、袁術に書状を送るのだ。内容は『最近、そちらの兵が州境を越えて、徐州の民を傷付けているので止めてほしい』と書いてな」
「その書状を送る意味は何ですか?」
「恐らく、袁術は知らぬ存ぜぬを決め込むであろう。こちらは詰問の使者を送ったが聞き入れてもらえなかった事で、兵を出すという大義名分を得る事が出来るのだ」
盧植に書状を送る意味を教えられ、劉備はその意味を理解したが、浮かない顔をしていた。
「どうかしたのか?」
「先生の意見は御尤もです。しかし、書状の返事だけで兵を送るというのは、些か乱暴では?」
それを聞いた盧植は劉備を叱りつけた。
「馬鹿者がっ。相手が謀略でこの徐州を得ようとしているのを、指を咥えて見ているつもりかっ⁉」
「しかし」
「そんな事を言っている様では、漢王朝の再興など出来ぬと思うが良い」
盧植に強く言われ、劉備は項垂れた。
そんな劉備の肩にそっと優しく手を置く盧植。
「玄徳よ。お主のその真っ直ぐな性格は素晴らしい。じゃが今は乱世じゃ。乱世である以上は、時には乱暴な事もしなければならん。さもなければ、この乱世の波に飲み込まれてしまうぞ」
「……その通りですね。先生」
盧植に励まされ劉備は顔を上げた。
早速、盧植に言われた事を行おうとした所に兵が流れ込むようにやって来た。
「申し上げます。張将軍が、兵を集めておりますっ!!」
「なに、私はそんな命令など出しておらんぞ?」
兵の報告を聞いた劉備は何故、そんな事になっているのか分からなかった。
「どうやら、城下に流れている噂を聞いた様です。呂布の首を取ってやると叫んでおりますっ」
兵の報告を聞いて、劉備と盧植は溜め息を吐いた。
そして、その兵の案内で二人は張飛の下に出向き張飛を宥めた。
その後で、劉備は袁術へ徐州に兵を送り込む理由を尋ねる為の詰問の使者を出した。
使者が袁術の下に来ると、劉備の文を渡した。
その文を一読した袁術は徐州を手に入れた事で劉備は増長し、名族の自分に難癖をつけていると思った。
それが分かった袁術は怒りながら使者を叩きだした。
劉備と袁術との間に緊張が走っている頃。
曹昂は屋敷の離れで報告を聞いていた。
「徐州の下邳国の南部を襲撃していた者達はどうなった?」
「はっ。ご命令通り、全員こちらに戻って参りました」
「そう。全員に恩賞を渡しておいてね」
「はっ」
報告した兵が一礼し離れから出て行くと、董白は曹昂に訊ねた。
「なぁ、いい加減教えてくれよ」
董白がそう訊ねても曹昂は笑みを浮かべるだけであった。
そんな余裕そうな曹昂を見て、董白は不満そうな顔をしていた。
「……もう少し、したら教えるから」
曹昂はそう宥めるが、董白は膨れたフグの様に頬を膨らませていた。
袁術に叩きだされた使者は劉備の下に戻ると、自分がどんな目に遭ったのか事細かく報告した。
それを聞いた劉備も、怒りを隠す事が出来なかった。
関羽と張飛の二人は、袁術を懲らしめようと声高に叫んだ。
その二人を盧植は宥め、劉備には朝廷にこの事を上奏しようと述べたので、劉備もそれに従った。
ついでとばかりに、呂布の件の返事も持たせた。
劉備から送られてきた使者が、曹操の元に出向くと、まずは呂布の件の返事の書を渡した。
「いずれ、時機が来れば果たせる事があります。その時は命に従います。それまで、暫しお待ちをか」
渡された書を読み終えると曹操は笑みを浮かべた。
劉備が謀略に気付いた事に怒らず笑う曹操。
まるで、流石は自分が一目置いている男だと言っている様であった。
「劉備は他に何か私に伝えたい事があるのか?」
使者がまだ居るので、曹操が訊ねると使者がこちらが本題とばかりに、文を渡した。
「……ふむ。これは」
その文には近頃、袁術が州境を越えて自分が治めている徐州で無法な行いをしているので、討伐の許可が欲しいと書かれていた。
「……これは直ぐに決められる話ではない。後日、劉備の下に返答を送る」
文を読むと、考える時間が欲しいと思った曹操は使者を帰らせる事にした。
「分かりました。主にはそう申し上げます」
使者はそう言って曹操に一礼しその場を離れて行った。
使者が離れていくと、曹操は傍に控えていた荀彧に話し掛けた。
「荀彧よ。お主の計略は劉備の奴が見抜いたぞ」
「はい。それで、その文には何と書かれているのですか?」
「読んでみよ」
曹操は持っている文を荀彧に渡した。
文を広げて目を通す荀彧。
「成程。袁術は徐州を狙っている様ですね」
「分かるか?」
「はい。でなければ、兵に州境を越えさせる事はさせません」
「だろうな。さて、どうするか」
曹操は計略が潰されたので、次はどうするか考えていると、荀彧が声を掛けた。
「殿。私はこの手紙を利用した計略が思いつきました」
「ほぅ、そうか。それはどんな計略だ?」
「はい。駆虎呑狼の計にございます」
荀彧が計略を詳しく話すと、曹操はその計略を行うと決めた。
数日後。
劉備の下に朝廷からの使者がやって来た。
使者曰く、劉備の申し出を聞き、朝廷は袁術の言い分を聞こうと詰問の使者を袁術に送ったが、袁術は取り合おうとしなかった。
再三送ったが、袁術は命令に従う様子を見せなかった。朝廷はそれを重く見て、劉備の上奏を聞き入れて袁術の討伐の詔を下した。
劉備はその詔を拝命し、直ぐに戦の準備に取り掛かる為に、重臣達を評議を行う部屋へと呼び寄せた。
関羽、張飛、盧植、簡雍といった劉備に仕えて長い者達。曹豹、麋竺、糜芳といった陶謙の元部下達。劉備が人材を公募した事で仕える事となった陳羣、孫乾といった新参の者達が集まった。
「かねてより、皆に申していたが、下邳郡の南部では袁術による襲撃を受けている。死者こそは出ていないが、このまま放置すれば、民の被害が増すだけだ。朝廷からの詔も下された。よって私は袁術を討伐すると決めた」
劉備の宣言を聞き、皆が黙っていた中、一人が前に出た。
歳は二十代後半で整った顔立ちで髭を生やしていなかった。
大きな瞳には理知的な光を宿し、鍛えられた身体を持っていた。
この者の名は陳登。字を元龍と言い、父陳珪と共に陶謙に仕えていた者だ。
「殿。兵は如何程お連れするのですか?」
「三万だ」
劉備が連れて行く兵の数を聞いて、ざわつきだした。
「申し上げます。三万と言うと、今徐州で動員できる全兵力という事になります」
「うむ。そうだ」
「そうなりますと、此処下邳は誰が守るか大事ですね。少ない兵だけで守る事になります、余程の者でなければ難しいと思います」
「確かに、その通りだ。其処で先生」
劉備は盧植に声を掛けた。
盧植が前に出ると一礼する。
「はっ」
師弟ではあるが、今は主従関係という事で盧植は頭を下げる。
「先生に下邳を守って頂きたい」
「成程。西には呂布がおる。此処は智謀に長けている儂を下邳に残す事で、呂布を警戒させるのだな」
「その通りです。我々が戻って来るまで、この城を守っていただけますか」
「この老骨にお任せを」
劉備が頼むと盧植は胸を叩いた。
その返事を聞いて、劉備は先鋒を誰にしようかと思っていたが、
「兄者。如何に盧植先生とは言え、一人だけで守るのは難しいのでは? 此処は俺も残るぜ」
張飛も残ると聞いて、劉備は首を振った。
「いや、お前は駄目だ」
「何故だ⁉」
張飛は劉備が駄目だと言う理由が分からず訊ねた。
「お前は突き進む事は出来ても守る事は苦手だ。それに、お前は呂布と仲が悪い。下邳に残るという事は、呂布とも仲良くしなければならないという事だ」
張飛はそれを聞いて、無理かも知れないという顔をした。
「左様です。その様な無理な事をせずとも、張飛殿は劉備様と共に袁術を打ち破りに行くのが良いでしょう」
曹豹の言葉を聞いて張飛は曹豹に詰め寄った。
「何だとっ!?じゃあ、お前は呂布と親しくなる事が出来るってのか!」
「少なくとも、この前の張飛殿の様に、命を受けていないのに斬り掛かるような事はしませんぞ」
曹豹の皮肉を聞いた張飛は曹豹の襟首を掴んだ。
「お前が出来る事が、俺には出来ないってのかっ⁉ ええっ?」
襟首を掴まれて苦しそうな顔をする曹豹。
張飛は構わず力を込めるが、関羽が止めた。
「止さぬか。殿の御前だぞっ⁉」
兄貴分の関羽にそう言われ張飛は曹豹から手を離した。
「でもよ。兄貴」
「だが、張飛の言う事も分かります。盧植殿と曹豹だけでは、もし呂布が攻め込んで来た時に防ぐのは難しいと思います」
「うむ。そうだな……」
関羽の言葉を聞いて、劉備は暫し考えた。
「……良し。張飛よ。これから、私が言う事に従うと言うのであれば、お前を残そう」
「分かった。従う」
張飛が「従う」と言うのを聞いた劉備は皆に聞こえる様に言った。
「一つ。酒を飲まない事。
二つ。兵に乱暴しない事。
三つ。盧植先生の言葉に逆らわない事。
この三つの事に従うというのであれば、お前を残そう」
「はははは、兄者。そんな事か。そのような事なら従おうぞ。……ただ、酒を飲まない事だけは勘弁してくれないか?」
「ああ、それに従えないと言うのであれば、お前を残すのは無しだ」
劉備がそう言ってこの話は終わりという顔をしたので、張飛は慌てて口を挟んだ。
「分かった。兄者達が帰って来るまで禁酒する。だから、御願いだ」
「良し。努々、この兄の言葉に逆らうでないぞ」
劉備は念を押すと、張飛は頷いた。
そして会議が終わると、曹豹は城内にある自室へと戻った。
その部屋には先客がおり、その者は茶を飲んでいた。
「お待たせした」
曹豹が声を掛けると、その者は茶を飲むのを止めて曹豹に顔を向けた。
その者は呂布の軍師を務めている陳宮であった。
「どうでしたかな? 会議は?」
「はい。劉備は袁術の嫌がらせに業を煮やした様で、戦をするつもりの様です」
「成程。という事は、徐州には少ない兵しか居ないか。守る者達は?」
「主将は盧植が。副将は張飛と私が」
「ふふふ、これは好機だ」
曹豹から城を守る者達の顔ぶれを聞いた陳宮は笑った。
陳宮は曹昂から貰った黄金で軍備を増強しつつ、一部を曹豹に友好という名目で賄賂として送っていた。
劉備の下では今以上の地位に就く事は出来ない事に加えて、張飛と関羽達とは馬が合わない事で呂布に寝返る事にした曹豹。
「曹豹殿。劉備が下邳に出陣した後、我等はこの下邳を奪う。その際、御力添えを」
「お任せを」
陳宮と曹豹は笑いだした。
それから数日後。
曹昂の下にある報告が齎された。
「……劉備は兵を率いて寿春へと進軍を開始したか。良し」
その報告を聞いた曹昂は喜んでいた。
「甘寧、刑螂、孫策を此処に呼んで。大至急っ」
「はっ」
報告を齎した兵は曹昂に命じられ、一礼しその場を離れた。
「さてと、そろそろ準備をしないとね」
「準備って何の?」
董白が訊ねると曹昂は答えた。
「戦の準備さ」
劉備が三万の軍勢と共に下邳へ出陣する少し前。
寿春の袁術に曹操から文が届けられた。
その文を読んだ袁術は顔色を変えたが、直ぐに真顔に戻り文を届けてくれた使者に労いの言葉を掛けて帰らせた。
使者が立ち去ると、袁術は直ぐに配下の者達を評議の間に呼び寄せた。
少しして評議の間には袁術配下の文官武官が勢揃いしていた。
配下の者達が全員集まったのを見た袁術は徐に口を開いた。
「皆、良く集まってくれた。今しがた、曹操から文が届いた」
袁術はそう言い、傍らに立っている文官に目で合図を送った。
その文官は頷くと、持っている紙を広げて読み上げた。
「徐州州牧の劉備がお主に対して、謀反の疑いがありと申し出た。そして、天子に討伐の許可を求めた。天子は事の重大さを重んじて、仲裁を申し出るが、劉備は聞く耳を持たず。噂では、劉備は軍を動かす模様。君と私は長年の親友。君の危機を黙って見逃すのは忍びなく、此処に知らせた。油断するなかれ」
文官が読み終えると、袁術は怒りに任せて肘置きを叩いた。
「聞いたか、皆の者っ。皇族の末裔を自称していた劉備は陶謙が死んだ所に偶々おり、其処で州牧になっただけでも奇怪千万にして幸運だというのに、劉備めはそれに増長して、罪をでっちあげ、この寿春に攻め入ろうとしておるっ!」
袁術は我慢ならないとばかりに立ち上がり配下の者達に命じた。
「名門袁家の正当な血筋を引くこの私に弓引く事がどうなるのか、あの傲慢な大耳めに見せつけてくれる。皆の者、戦の支度をせよ‼」
袁術の号令に従い、配下の紀霊を大将とした十万の兵が動員され徐州へと向かった。
それから暫くすると、劉備軍と袁術軍は州境にて激突し一進一退の激しい戦いを繰り広げていた。
劉備軍が袁術軍と激しい戦いを行っている頃。
下邳県は夜が更けていたが、県城は厳重な守りで固められていた。
鼠一匹も入り込む事が出来ない程に厳重であった。
そんな時に張飛が兵達の様子を見る為に見回りをしていた。
一人一人の兵士に異常が無いかを確認していた。
張飛は自分が言いだした事とは言え、前線に出られない事が不満であった。
それを酒で紛らわせようにも劉備から禁酒を言い渡された。
なので、表面上は大人しいが内心では酒が飲みたくてうずうずしていた。
欲求不満な張飛に曹豹が近付いて来た。
「張飛殿。見回りご苦労様です」
「曹豹か。何か用か?」
近付いて来た曹豹を訝しそうに見る張飛。
普段から何かと衝突する事が多いので、好感を持つ事が出来ないでいた。
そんな人物が話し掛けるので、何かあるのでは?と思っていた。
「いえいえ、今宵は冷えますので何か温かい飲み物でも用意しましょうかと思いましてな」
「そうか。じゃあ酒…じゃなかったっ。茶をくれ」
曹豹が飲み物を用意してくれると言うので、張飛は思わず酒と言ったが、直ぐに言い直して茶を所望した。
そんな張飛を見て曹豹は微笑んだ。
「普段であれば、張飛殿も酒を飲むでしょうが。劉備殿に言われた事を守っている様ですな。御立派な事ですな」
曹豹は大袈裟な位に褒めていた。
「しかし、弓に何時までも弦を掛けていては、弦が切れてしまいます。偶には緩める事をするのも大事かと」
「何が言いたいんだ?」
曹豹が回りくどい言い方をするので、張飛は率直で訊ねた。
「なに、兵達に酒を与える事をしても良いと思い声を掛けただけですよ」
「なにっ⁉」
曹豹の提案に張飛は怒声を挙げた。
「お前、今はどういう状況か分かっているのかっ!」
張飛は詰め寄ると、曹豹は冷静に告げた。
「落ち着いて下さい。何も毎日酒を飲めとは言いません。ですが、何時までも厳重な守りをしていては、兵達が疲れてしまいます。偶には酒を飲む余裕を持たせるべきです」
「ふんっ、呂布が攻め込んで来るかも知れんのに、そんな事が出来るかっ‼」
張飛は尤もな意見を言うが、曹豹は反論した。
「張飛殿。公私混同はいけませんな」
「何だとっ⁉」
兵達に酒を飲ませない事がどうして公私混同になるのか分からない張飛は曹豹を怒鳴った。
欲求不満が溜まっていた事で声に荒々しさが混じっていた。
「張飛殿は劉備様の約束で酒を飲む事は出来ません。男たるもの、一度口から出た約束を軽々しく変えてはなりません。其処は分かりますが、しかし兵達からすれば、それは飽くまでも張飛殿と劉備様が約束した事であって、兵達には関係ない事です」
「むっ」
間違った事は言っていないので張飛は口を詰まらせた。
「今宵は寒いですからね。兵達には温かい酒を与えて士気を下げさせないのも必要だと思います」
「それは、そうだが……」
皆が飲んでいるのに、自分だけ飲めない事に張飛は羨ましそうであった。
「張飛殿は劉備様との約束を守らなければなりません。ですので、兵達が飲んでいる時は自室で飲み終わるのを待つ事ですな」
「何で、そんな事をっ」
「ならば、兵達が飲んでいる中で一人だけその様子を見て酒を飲まないと誓えますか?」
「それは……」
そんな状況に置かれたら、間違いなく飲むと思う張飛。
なので、力強く反論する事が出来なかった。
そんな張飛に曹豹は耳元で囁いた。
「しかし、私も鬼ではありません。一度だけであれば、酒を飲むのを見過ごそうと思います」
「本当かっ⁉」
「ええ、それで張飛殿の意欲が上がるというのであれば」
笑顔で応える曹豹。
「そいつはありがたいっ!」
「ただ、盧植様や他の方々に知られないようにする為ですから、少しばかりお時間を頂きたいと思います」
曹豹は申し訳なさそうに言うが、張飛は笑顔を浮かべていた。
「別に構わないぜ。酒が飲めるのならっ」
張飛は酒が飲めるのであれば構わないと言った。
「ははは、では後日、その日の事をお伝えいたしますから」
曹豹は張飛に一礼しその場を離れて行った。
張飛に背を向けると、曹豹は不気味な笑みを浮かべた。
そして、直ぐに自分の部下の元に向かう。
「良いか。お前はこれより沛県にいる呂布殿の元に、この書状を送るのだ」
「はっ」
「誰にも気取られるな。行けっ」
曹豹に命じられ、部下は一礼するとその場を離れて行った。
一人残った曹豹は夜空を見上げた。
雲で隠されてしまった所為か、月は見えなかった。
「もう後戻りは出来ん」
曹豹はそう呟いた。
密かに娘を呂布の元に送り込み側室として娶って貰っていた。
娘を送り込んだ事で、最早裏切る事も出来ない覚悟を固めた曹豹。
そして、曹豹は張飛に酒を飲ませる手筈を整える為、その場を離れて行った。
本作では陳登は165年生まれとします。
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