難しい注文

 濮陽にて数日休みを取り、献帝と百官達の疲れが取れた頃を見計らい、許県へと出発した。


 それから十数日後。


 曹操達一行は許県へと辿り着いた。


 献帝が来るという事で、蔡邕以下、許県に居る百官達は門の外で楽隊と共に、献帝達が来るのを今か今かと待っているのが見えた。


 献帝が乗る馬車が蔡邕の下まで来ると、献帝は簾越しに蔡邕を見た。


 馬車が来るのを見た蔡邕は膝を曲げて深く頭を下げた。


「陛下。また、こうしてお会いする事が出来て、臣は喜びに堪えません」


「蔡邕か。お主が元気な姿を見て、朕も嬉しく思う」


「ありがたきお言葉。陛下が来るとの事で、簡素ではありますが宮を御造り致しました。今暫くお時間を頂ければ、陛下が暮らすのに問題無い宮殿を御造り致します」


「……」


 今は亡き王允と共に支えてくれた忠臣であった蔡邕。


 こうして会えた事は嬉しい献帝ではあるが、此処に来るまで全て曹操の思惑通りに行っている事が不満なのか、蔡邕に労いの言葉を掛ける事はしなかった。


 献帝達は城門を潜り抜けた。


 


 城門を潜り抜けると城下の町々を通り抜けた。


 沿道には町に暮らしている人々が「万歳‼」と唱和しつつ献帝が許県に来た事を喜んでいた。


 歓喜されながら進む献帝を乗せた馬車に、愛馬絶影に跨る曹操が続いた。


 曹操の姿を見るなり、沿道に居る人々は歓声を挙げた。


 その歓声は先程献帝に言っていた万歳の声よりも大きかった。


 曹操はその歓声を全身で浴びながら、万感の思いが胸に宿った。


 そして、笑顔で歓声を挙げる人々に手を振った。


 歓声を浴びながらも、蔡邕が宮造させた仮宮へ向かう曹操一行。


 無論、仮で作られたとは言え宮殿な事は変わりないので、其処に暮らすのは献帝と皇后と妃達のみだ。


 外戚の伏完と公主である劉吉は親族という事で自由に出入りする事が出来た。劉吉の夫になる曹昂も同じように出入りする事が出来た。


 献帝を仮宮に住まわせると、直ぐに都造りに取り掛かった。




 都造りが始まって、少しすると曹操は曹昂の下を訪ねた。


 劉吉の他にも妻を娶っているという事で、曹操とは別の屋敷で暮らしていた。


 曹操が部屋に通されると、直ぐに曹昂がやって来た。


「これは父上。お忙しい中に何用で?」


 一礼しながら訊ねる曹昂。


「なに、お前も大変だと思ってな。顔を見に来たのだ」


「そうですか。ええ、それは」


 大変ですよと口から出そうになったが、何とか喉元で留めた曹昂。


 その様な事を言っても、仕方がないという思いもある上に言っても、何の解決にならないと分かっているからだ。


 皇女を娶るというだけでも大変であるところに、董白の存在が拍車を掛けていた。


 劉吉からしたら、自分を辱めた上に腹違いの弟を殺した男の孫娘が近くにいれば心穏やかに居られる訳がない。


 董白もそれが分かっているからか、離れで暮らしていた。


 今は問題ないが、同じ屋敷で暮らしているので、その内、何か問題が起こりそうで胃を痛くする曹昂。


「お前も私の苦労が分かる時が来たな」


 そんな苦しんでいる曹昂を見て、面白そうに笑っていた。


 嘗て、自分も丁薔と卞蓮が同じように問題を起こしそうであった。


 息子も同じ様な道を進んでいるので、嘗ての自分の様だと思い笑っていた。


「…………改めて、父上が凄いと感じました」


 卞蓮の慎み深く節度を重んじる性格というのもあったのだろうが、問題が起こらなかったのは曹操も一役買っていたのだと知る曹昂。


「ははは。嫁を持った事で、私の素晴らしさが分かるか。良い事だ。これを機に私を敬うが良い」


 曹操が得意げな顔で胸を張るので、曹昂は何も言わなかった。


「まぁ、今日はそういう話をしに来た訳ではない。お前にこれを見せに来たのだ」


 曹操は懐に手を入れて一枚の紙を出して、曹昂に渡した。


「近く陛下に上奏する文の草案だ」


「拝見します」


 曹操から貰った紙を受け取った曹昂は、ざっと目を通した。


 其処には曹操を含めた荀彧、郭嘉と言った曹操の直臣達の名前と、その下に与えられる官職名が書かれていた。


「……満寵様と董昭様の名前も有りますね」


「二人は楊奉達を追い払うのに功績を立てたからな。取り敢えず県令にして、その内、重要な官職に就けるつもりだ」


 曹操が、董昭達も部下に加えるのだと分かった曹昂は頷いた。


「よろしいと思います。何時頃、上奏するのですか?」


「近い内といったところだな。その前に董昭と満寵の二人を宴に招きたい」


「宴ですか? 何故、その様な事をするのですか?」


 何故、二人を宴に招く必要があるのか分からず訊ねる曹昂。


「二人を宴に招く理由だが、董昭にある事を相談したくてな。満寵は董昭のついでに招くだけだ」


「相談ですか?」


「うむ。董昭は朝廷の百官達の内情に詳しいからな。百官達をどう遇するか相談するのだ」


 流石の曹操も百官達の扱いをどうすれば良いのか分からない様であった。


 百官の多くは、漢王朝に忠誠を誓う者達だ。


 いずれは、自分と敵対する可能性があった。


 だからと言って、自分に従わないからと言って粛清すれば董卓の様に誅殺される。


 かと言って、下手に出れば向こうが、曹操恐るに足らずと思い何かしでかしそうであった。


 なので、董昭に相談するのだと分かった曹昂。


「そうですか。それで、僕に何をしろと?」


 曹昂はじろりと、曹操を一瞥する。


「はははは、よく分かったな」


「でなければ、父上はわざわざ訪ねに来ませんよ」


 曹操の性格であれば、今の曹昂の状況を知っても訪ねる事はしないで「これも嫁を迎えるという大変さだ。頑張るのだ」とか書いた手紙を送るだろうと思う曹昂。


 それなのに、わざわざ訪ねに来たのは、何か理由があっての事だろうと予想する曹昂。


「うむ、実はな。その宴に招く董昭の事なのだが、調べたところ彼奴は肉と魚を食べないそうだ」


「肉と魚を食べないですか?」


 この時代でも菜食主義は居るんだと思いながら話を聞く曹昂。


「うむ。卵と乳は食べるが、肉と魚は食べないそうだ。という訳で息子よ」


「はい」


「肉と魚を食べない董昭が気に入り、宴に出ても問題ない料理を作るのだ」


「……承知しました」


 曹操の命令に、曹昂は大変な問題だと思いながら承諾した。




 曹操から難しい注文を受けたその日の夜。


 曹昂は宛がわれている屋敷の離れにいた。


「という注文を父上から受けたんだよ」


「話は分かったけどよ。肉と魚を食べない奴が食べれて、宴に出ても問題ない料理ねぇ……」


 離れで暮らしている董白に曹操と話した事を語る曹昂。


 董白は首を左右に動かした後、曹昂に訊ねた。


「そんな料理あるのか?」


 董白からしたら、食べ物とは主食の米と焼餅(パンの一種)だが、その主菜は肉か魚であった。


 副菜で野菜を食べる事はあるが、あくまでも副菜であって主菜にはならない。


「まぁ、普通に考えればそうだよね」


 董白がそう言うのも無理ないなと思う曹昂。


「でも、そんな人でも食べられる料理を作れと言うのが、父上からの命令だからね」


 曹昂がそう言うが、董白は心配そうであった。


「そんな料理が出来るのか?」


 心配そうな董白に曹昂は胸を叩いた。


「大丈夫。僕に任せて」


 曹昂は自信満々に言う。


「まぁ、お前がそう言うのなら良いけどよ。それで、どうして、此処まで来たんだ?」


 董白は疑問に思っている事を訊ねた。


 試作するというのであれば、離れにある厨房ではなく本邸の厨房で行えば良い。


 それなのに、来る理由が分からず訊ねた董白。


 そう訊かれた曹昂は頭を掻きながら答えた。


「いやぁ、最近忙しかったから、偶には二人きりの時間を作ろうと思ってさ」


 言っていて恥ずかしいのか、曹昂は顔を赤らめていた。


「そ、そうかよ…………」


 訊ねた董白も曹昂がそう言うのを聞いて、恥ずかしかったのか顔を赤くした。


 二人は暫し顔を赤くしていた。其処に声が聞こえて来た。


「あの、御仲が良いのは結構ですが。そろそろ、試作を始めませんと料理の完成が遅れます」


 そう躊躇しながら、声を掛けるのは練師であった。


 貂蝉は今は劉吉の世話をしてもらっている。その為、調理の助手として練師が借りだされた。


「あ、ああ、そうだね」


「だ、だなっ。良し、早く作れよ。特別にあたしが試食してやるからっ」


 先程までの事を見られたのが恥ずかしいのか、曹昂達はわたわたしながら行動した。


 曹昂は厨房で練師の手を借りながら、厨房で料理を作っていた。


(そうだ。臧覇に頼んで作った物の試作品が出来たと聞いたな。あれも試してみるか)


 曹昂はそう思い貯蔵庫へと向かった。 




 曹昂が離れで料理を試作している頃。




 豫洲汝南郡平輿県。


 その県城の一室には孫策が居た。


「何だとっ、万年公主が曹昂に降嫁されるだとっ⁉」


 部下の報告を聞いて孫策は酷く驚いていた。


 万年公主には会った事がなかったが、霊帝の娘で今の天子の姉という事だけは知っていた。


 皇族の一員が嫁になると聞けば驚くのも無理はない事であった。


「はっ。更には、天子を豫州に招き、許県にて政を行う事となったそうです」


「何と……じゃあ、豫洲は曹昂の手から離れるのか?」


 孫策の疑問に報告している部下が、その通りとばかりに頷いた。


「豫州は曹操様の管轄になるとの事です。既に郡の太守となっている者達については、まだどうするか決まっていないとの事です」


「そうか。下がって良いぞ」


 孫策が部下にそう告げる。部下が部屋を出て行くと、孫策は唸り声を挙げていた。


「……あいつの元に皇族が嫁ぐか」


 孫策は曹昂の事は恩人にして友人だと思っている。


 同時にこいつには負けたくないという思いもあった。


 同い年で世に名高い英雄の長子という身分の為か、孫策は曹昂の事を意識していた。


 その曹昂に皇族が嫁ぐと聞いた孫策は羨望の思いが心に宿った。


(政略結婚って奴なんだろうけど、あいつにそれだけの才覚があるって事だよな)


 そう分かっていても、孫策はこう思わずにいられなかった。


 ―――もし、父が生存していたら、自分がその役目だったのでは?と。


 そう思いはしたが、孫策は直ぐに馬鹿な事だと思い、直ぐに頭から消した。


「……だが、何時までもあいつの下にいたら、俺は臣下のままで終わるんだな」


 曹昂に皇族が嫁ぐと聞いて、孫策は前よりもこれからの事を悩むようになった。

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