狙い通り

 韓暹と楊奉の下に朝廷から使者が詰問するため派遣された。


 何故、許県への道を閉ざすのかと訊ねると、二人はその理由についてはこう答えた。


 曰く、許県へ行く前に恩賞が欲しいと。


 それを聞いた使者は話を持ち帰ると言い、その場を後にした。




 それから数日後。




 韓暹と楊奉の下に、また朝廷から使者が派遣された。


 今度は詰問ではなく任命の使者であった。


「詔を伝える。韓暹は大将軍の位を。楊奉には車騎将軍の位を与える。先日の天子の道を塞いだ事は不問にす。職務に励むが良い」


 と使者がそう伝えると、韓暹達は大いに喜んだ。


 そして、直ぐに天子の護衛に付くと告げた。


 この時、使者は楊奉の部下である徐晃を都亭侯に封じるという旨も告げた。


 韓暹と楊奉の二人は曹操の軍勢に加わり、暫くは共に行軍した。


 そんなある日。


 韓暹と楊奉の軍の兵達に妙な噂が流れた。


「おい、聞いたか。我が軍の兵糧はもう残り少ないそうだぞ」


「何でも、朝廷の百官達と曹操軍の軍勢分の兵糧しか無いから、俺達に回す分は無いんだと」


「それじゃあ、俺達は飢え死にしちまう」


「俺が聞いた話だと、韓暹様と楊奉様は曹操に兵糧を貰うのを嫌がっているそうだぜ」


「どうして?」


「どうやら、自分達より位が低い曹操に頼むのが嫌なんだそうだ」


「それを聞いた徐将軍は御二人を諫めているそうだが、聞き入れてもらえないそうだ」


「加えて、徐将軍だけ爵位を貰った事が気に入らないのか、楊奉様は徐将軍を遠ざけているそうだぜ」


「徐将軍もそれに嫌気がさしたのか、最近は曹操と親しくしているって話だぞ」


 軍内は兵達が流れる噂で持ち切りであった。


 そして、その噂は当然韓暹と楊奉の耳にも届いた。


「馬鹿な、徐晃が」


「その話は本当か?」


「噂ですので、まだ本当かどうかは分かりません」


 韓暹達に噂を報告した兵は確かめていないので断言はしなかった。


 だが、楊奉は違った。


「ぬうう、腕が立つと思い目を掛けていたと言うのに、恩を仇で返しおるかっ」


 いきり立つ楊奉だが、韓暹はまだ冷静であった。


「待て待て。あくまでも噂であろう。まだ、そうと決まった訳では無いだろう」


「確かにそうだが……」


 楊奉からしたら、その様な噂が流れている時点で最早信じる事が出来ない様であった。


 今は頭に血が上っているので、此処は冷静にさせるべきだと判断する韓暹。


「兎も角、今は兵糧の方が大事だ。何処からか調達せねば、我が軍だけ飢え死にしてしまう」


「うむ。とは言え、曹操に借りる事など出来ぬしな」


 二人は車騎将軍と大将軍の位に就いたばかりであった。


 車騎将軍は正二品。大将軍は正一品の位階だ。


 曹操の司隷校尉よりも上であった。


 階級が下の曹操に兵糧を強請る事など、二人の自尊心が許さなかった。


「では、仕方がない。奪うか」


「うむ。それしか無いからな」


 元々二人は白波賊という黄巾賊の残党が集まって出来た盗賊であった。


 なので、物を盗む事に何の躊躇いも持たなかった。


 二人がそう決めると、徐晃を残して近隣の略奪に向かった。


 


 その夜。


 当分困らない程の食料を手に入れた韓暹達は意気揚々と陣へと戻って来た。


 其処に兵士がやって来て、驚くべき報告を齎した。


「申し上げます。今、徐将軍の幕舎に見慣れない者がやって来て、何か密談している模様です」


 兵士の報告を聞いた楊奉は、もしやと思い徐晃を連れて来いと命じた。




時を少し遡らせて、韓暹達が略奪に行っている頃。


 徐晃は陣地に残されていた。


 自分用の幕舎の中で一人酒を飲む徐晃。


 顏にこそ出さないが、内心では韓暹達に不満が渦巻いていた。


(忠言は耳に逆らうとは言うが、此処まで信用が無いとは)


 楊奉に其処まで嫌われているとは思いもしなかった徐晃。


 少し前に、韓暹と楊奉の二人が麾下の兵を率いて、近隣の町で略奪をする。その際、徐晃は陣地に残る様に命じられた。


 それを聞くなり徐晃は略奪は止める様に進言した。


 別に自分が略奪に参加できない事を妬んでという訳ではない。


 韓暹と楊奉の二人は曲がりなりにも大将軍と車騎将軍の位に就いている上に、献帝を洛陽まで守護してきた。


 即ち、朝廷の軍と言っても良かった。


 その軍が盗賊の様に略奪を働けば朝廷の名に傷が付く上に、ひいては二人の名に傷が付く事を恐れたからだ。


 徐晃は反対する理由を述べて略奪を行うべきではないと言うと、二人はどうすれば良いと尋ねてきた。すると徐晃は、


「此処は曹操殿に頭を下げて兵糧を分けて貰うべきです。御二人が頼めば、曹操殿も分けて下さるでしょう」


 と言うと、韓暹達は激怒した。


 二人は曹操に頼む事が出来ないから、略奪を行うのだと知らない徐晃。


 その後も、どれだけ言葉を尽くしても二人の耳には届かなかった。


 韓暹達が陣地を後にしたので、徐晃は不満を飲み干さんと言わんばかりに酒を飲んでいた。


 そんな折に、陣地に居る兵が徐晃の下にやって来た。


「申し上げます。先程、徐将軍のご友人と申す者が参りました」


「友人? 名は名乗ったか?」


 徐晃は酒を飲むのを止めて、近くに自分の下まで訪ねてくる友人がいたか?と首を傾げつつ兵に訊ねる。


「まんちょう?と名乗っておりました」


「まんちょう? ・・・おお、満寵か。此処に通せ」


 兵から名前を聞いて直ぐに誰なのか分かり、徐晃は兵に直ぐに通すように命じた。


 来るまでの間、徐晃は部下に新しい盃とツマミを用意させた。


 盃とツマミの用意が出来て、少しすると兵が男性を連れてやってきた。


 その男性は歳は二十代前半で身の丈が八尺約百八十センチほどあった。


 身の丈は徐晃と同じ位だが、肉付きが良いとは言えずひょろりとした体格であった。


 整った顎髭を生やし、尽きる事ない湖の様な知性を感じさせる大きな目。その目に似合う怜悧な顔をしていた。


 この者の名は満寵。字を伯寧と言い、徐晃とは旧くからの友人であった。


 徐晃が楊奉に仕える前に郡吏をしていた頃、満寵も同じ郡で県の役人していて知り合い交流を深めた。


「おお、満寵殿。お主がある県令を代行していた際、同僚と揉めて官職を捨てて帰郷したと風の噂で聞いていたが、お元気そうで何よりだ」


「ははは、徐晃殿もつつがない様で、何よりです」


 歳は満寵の方が三つ下だが、二人は馬が合うのか楽しそうに話していた。


 二人は酒を交わしながら、暫く互いの身の内を話し合った。


 話す事も無くなると、満寵は徐に徐晃に話し掛けた。


「時に、陣地は随分と静かだが、何かあったのか?」


「ああ、それは」


 酒の酔いで思わず、軍機をポロリと零しそうになって口を引き締める徐晃。


「……我が主であられる楊奉様と韓暹様の御二人は見回りに出られたのだ。その為、今は陣地には左程兵がいないのだ」


 とりあえず当たり障りのない事を言う徐晃。事実、二人は陣地に居ないのは本当なのであながち嘘ではなかった。


「成程。そう言えば、此処に来る前に、貴殿の主と曹操殿が小競り合いをしたと聞いたが、本当か?」


 満寵の問い掛けに徐晃は言葉を詰まらせた。


 どう言えば良いのか思い至らない様な顔をする徐晃。答えない徐晃を見て満寵は話題を変えた。


「ああ、それとお主が爵位を賜ったと聞いたが、本当か?」


「うむ。それは本当だ。畏れ多くも、天子は私に都亭侯に封じて下さった」


 爵位を賜った事が嬉しいのか顔を緩ませる徐晃。


 そんな徐晃を見て、首を振る満寵。


「惜しい事だ。それだけの武勇があれば、何処に行っても勇名を轟かせる事が出来るというのに」


「そうかも知れん。だが、主と恃んだ者から理由も無く離れる事などできん」


「いやいや、良禽は木を択んで棲むと言いますぞ」


 満寵のその一言を聞いて、徐晃は表情を引き締めた。


「……何が言いたい?」


「徐晃殿。貴方のその武勇、曹操殿のお目に留まった模様。此処は楊奉という愚かな者に仕えたままで居るよりも、英明な君主に仕えるのが道理というものです」


 満寵は曹操に寝返れと暗に告げた。


 すると、徐晃は酒を膳に置くなり、手で出口を指し示した。


「お帰りあれ。本来であれば、その首を取り、我が主に身の潔白を証明するところだが、貴殿とは旧知の仲。それに免じて、殺す事はしない」


 それで話は終わりだと言うように徐晃は満寵に帰るように促した。


 満寵は立ち上がろうとせず、その場に留まった。


「私はお主を友人と思い提案しているのだ。どうか、聞き入れて欲しい」


「くどいっ。出て行かないというのであれば」


 徐晃は腰に佩いている剣の柄に手を掛けた。


 ほぼ同時に兵が幕舎に訪ねて来た。


「申し上げます。楊奉様と韓暹様の御二人が御帰りなされました」


「そうか……」


 兵の報告を聞いて、徐晃は柄から手を離した。


 今満寵が出て行けば、戻って来た楊奉と韓暹の二人に見つかるかも知れないと思い柄から手を離した。


 仮に殺しても、死体が残る。その死体を見た楊奉と韓暹があらぬ疑いを掛けるかも知れないと思い殺す事も出来なかった。


 暫く幕舎に居てもらうしかないなと思う徐晃に兵が報告をした。


「それと、楊奉様が今すぐ来るようにとご命令です」


「私を呼んでいると?」


 呼ばれていると聞いて徐晃は首を傾げた。


 報告した兵は何か伝えようと口を開いたり閉じたりを繰り返していた。


 意を決したのか、その兵士は徐晃にある事を告げた。


「今、楊奉様が居る天幕の中には屈強な兵士数十人が身を隠しております。又、楊奉様は愛剣を磨いて、徐将軍が来るのを今か今かと待ち構えております……」


「なにっ」


 兵士の報告を聞いた徐晃は目を丸くしていた。


 嘘だと思いたかったが、兵士の顔が真剣なので嘘ではないと直ぐに分かった。


「ほれ、見なされ。貴殿が主と恃む者は、貴殿を殺すつもりだぞ。このまま座して死を待つおつもりか?」


「む、むううう……」


 満寵にそう言われ、徐晃は唸る事しか出来なかった。


「だが、ご安心あれ。もう少しで、貴殿を救う者が現れるであろう」


「? それはどういう意味で」


 徐晃がそう訊ねようとした時、陣地に喚声が響き渡った。


 直ぐに断末魔と馬の嘶きと共に剣戟が交わる音が聞こえだした。


「敵襲! 敵襲!」


「曹操軍の奇襲だ。者共、防げ防げっ‼」


 兵達が声が枯れる程の大きな声を挙げて、周囲に曹操軍の来襲を伝える。


 それを聞いた徐晃は満寵の言葉の意味を悟った。


「満寵殿。貴殿は……」


「ささ、この隙に逃げ出しましょうぞ」


 満寵がそう言って徐晃の手を取り幕舎を出て行く。


 その後に報告した兵も続いた。


 曹操軍の攻撃が止むと、楊奉は被害を調べた。


 その際、兵から徐晃が何者かと共に陣地を出たという報告を聞いて、楊奉は徐晃が裏切ったと確信した。




 本作では満寵の生年は172年とします

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