閑話 衝撃を受ける蔡琰

 曹昂と一夜を共にして数日が経った。




 その後、曹昂からは何のお声も掛けられないので、蔡琰としては一夜だけの関係と割り切る事にした。


(まぁ、床を共にした訳ではないので良いですが)


 そう思い蔡琰は琴を爪弾いていた。


 琴の音が室内に響いていた。


 その奏でられた音色に釣られる様に、父である蔡邕が部屋に入って来た。


 演奏に集中している蔡琰は蔡邕が入って来た事に気付く様子は無かった。


(静かな音だ。これといって何かに動揺しているという事を感じさせないな)


 蔡邕ほどの音律に精通した者であれば、音を聞いただけで奏でる者の心情が分かった。


 曹昂の事で何かあったと思えない程に音が澄んでいるので、この話を進めても良いものか一瞬考える蔡邕。


(・・・・・・いや、このまま嫁がないで居るよりも良かろう)


 そう思った蔡邕は演奏が終わり次第、この話を娘にする事にした。




 やがて、蔡琰は演奏を終えた。


 其処で初めて父が部屋に居る事に気付き、慌てて謝りだした。


 蔡邕は気にした様子も無く「話があるので参った」と言い座席に座る。


 蔡琰が座るのを見ると、部屋に訪ねてきた理由を話した。


「まぁ、私を曹昂様の妾に⁉」


「うむ。悪くない話であろう」


 驚く蔡琰に蔡邕は髭を撫でつつ述べた。


「ですが、私は出戻りですので、曹操様の御子息に嫁いでも良いのでしょうか?」


「曹操様にもお伝えしたのだが、特に反対もしなかった。それに」


「それに?」


 蔡琰が訊ねると、蔡邕は少しだけ口籠もらせた。


「・・・・・・若君が徐州征伐に出向く前に、お主と程昱殿のご息女が一夜を共にしたと聞いたのだが、本当か?」


 蔡邕の口から出た言葉に、蔡琰は目を泳がせた。


 あの時、曹昂が部屋に籠もっているという話を聞いたので、何か元気づける方法が無いものかと考えていた時に程丹が訪ねて来て、琴を奏でれば良いと言うので琴を持って程丹に付いて行ったのだ。


 一夜を明かしたが別に床を共にはしていなかったが、蔡邕からしたら男性と部屋で一夜を共にしている時点で問題だと言っている様に見えた。


 蔡邕はどう言えば良いのか困っている様に見えた。


 娘のその態度を見た蔡邕は噂は本当なのだなと理解した。


「そう言う噂が流れている以上、若君に責任を取って貰うのが道理だ。そうでなければ、お前が嫁ぐのが更に難しくなるからな」


「は、はぁ、ですが」


 蔡邕はまだ躊躇していた。


「何を躊躇う? 未亡人のお前を娶ってくれるのだぞ。それに、曹操殿の長子という将来性が十分にある者ではないか」


「私はそんな御方の妾になっても良いのでしょうか?」


 と言う蔡琰。


 未亡人であった事に引け目を持っている事と、実は気掛かりがあったのだ。


 出会った時から今日まで、曹昂は何故か自分を避けている節があったからだ。


 最初嫌われているのか?と思っていたが、話した事がある。その時は別段そんな嫌っている素振りを見せなかった。


 だが、会おうとしたら何故か用事が出来たという事で会う事が出来なかった。


(何か嫌われる事でもしたのかしら?)


 其処が分からないので嫁ぐ事に二の足を踏む蔡琰。


 才女である蔡琰も、曹昂が前世を持っており、その前世の時の従姉が蔡琰と同じ顔立ちという事は知る筈が無かった。


 曹昂は蔡琰に会うと、従姉を思い出すのでどう接したら良いのか分からず会うのを避けていた。


「心配なかろう。お前程の聡明な者であれば、若君も喜ぶであろう」


 蔡邕は蔡琰が何を考えているのか分からなかったが、曹昂の性格を知っているので問題無いと判断した。


「そうでしょうか?」


「うむ。幼い頃からお主は聡明であったからな。琴の弦が切れた音で、何処の弦か分かる者などそうはいないであろう」


「そうでしょうか?」


「うむ」


 蔡邕は断言し、蔡琰を見た。


 優しく大きな目を持ち、まだ幼さを残した綺麗な顔立ち。


 艶やかな黒髪を、簪で後ろで纏めていた。


 身の丈は六尺五寸約百六十センチほどあった。


 まだ将来性を感じさせる胸。食べているのかと思えるぐらいに細い腰。肉付きが良いとは言えない尻を持っていた。


(まぁ、妻ももう一人の娘も立派な物を持っていたから、もう少し成長したら大きくなるだろう)


 そう思い大丈夫だと判断する蔡邕。


「父上?」


「いや、何でもない」


 蔡邕の視線から何かあるのかと思い訊ねた蔡琰。


 蔡邕は考えていた事を振り払う。


「ともかく、曹操殿も反対はしなかったから、大丈夫だ。後はこの父に任せておけば、お前をきちんと嫁がせる事が出来るだろう」


「ですが」


「儂もそろそろ良い歳じゃからな。この先、何があるか分からん。早く孫の顔を見たいのだ」


 蔡邕は今年で六十になる。


 この時代で六十代は十分に長生きと言えた。


「……分かりました」


 迷惑を掛けて来た父にそう言われて蔡琰は折れた。


「そうかそうか。良し」


 蔡琰の返事を聞いた蔡邕は笑った。

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