遷都再び

 漢の首都である長安と洛陽が属する河南尹・河内郡・河東郡・弘農郡・京兆尹・右扶風・左馮翊の七郡の統括と首都近辺の守備や行政を担当する司隷校尉の職に就いた曹操は洛陽近辺の治安回復に取り掛かった。


 と同時に敗れた李傕と郭汜の討伐を段煨と許褚の二人にそれぞれ二万の兵を与えて命じた。


 その命令に従い、段煨は李傕達の討伐に向かった。


 結果、郭汜は逃亡したが、その最中部下に裏切られ首を斬られた。


 李傕は一族と共に城に籠もったが、段煨と許褚の攻勢の前に敗れ、一族と共に捕縛された。


 この時の戦で許褚は剛腕を誇る李傕の甥達を難なく討ち取り、李傕軍の士気を大いに下げる働きをした。


 その功績で、許褚は曹操の手ずから宝剣を授かった。


 共に功績を立てた段煨は大鴻臚兼光禄大夫の職に就かせた。


 董卓亡き後、朝廷を思いのままに操っていた李傕達を征伐した事で、曹操の名声は更に広まった。


 曹操の勢いが盛んになるのに比例して、献帝を護衛した楊奉と韓暹の二人の不満は溜まっていった。


 長安を脱出した時から献帝を守護していた功績が、曹操の所為で霞んでしまうと不平を漏らしていた。




 洛陽の治安も回復し落ち着いてきた頃、曹操の下に朝廷の臣下が訪ねて来た。


「前触れもなく訪ねて来たと言うのに、お会いして頂き感謝します」


「いやいや、訪ねてきた者を無下に追い返しては、私の沽券に係わるのでな」


 曹操がその人物を見た。


 清々しい容貌で白皙の肌を持っていた。


 日に当たっていないので、青白い印象を抱かせるが顔色が悪いという訳では無い。その証拠に唇は赤かった。


 口髭を生やしているが、ここ最近落ち着く事が出来なかったのか整っていなかった。


 身なりが整っているとは言い難い者が曹操をジッと見ていた。


 その者の視線に曝された曹操は、心の中が見透かされる気分に陥っていた。


 只者では無いと思い、曹操は訊ねた。


「時に、今日は何用で私を訪ねに参られたのか?」


「名乗りもしない不躾をお許しを。わたしは正議郎を務めている董昭。字を公仁と申します」


「ほぅ、正議郎か。して、今日は何用で?」


「今日、孟徳殿の下に参ったのは、少々込み入った話がありまして」


「込み入った話?」


「はい。まずは楊奉と韓暹の事なのですが」


 董昭は最近二人が、曹操が功績を立てている事に不満を持ち、今にも何かしでかしそうであると伝えた。


「ふん。そのまま、何もしなければ、それなりの役職に就けるというのに」


 楊奉達の浅はかさに曹操は嗤った。


「二人に関しては大したことは出来ぬでしょう。ですので、あまり気にする事ではありません。それよりも、孟徳殿はやるべき事がありますぞ」


「ほぅ、それは何だ?」


「ここ洛陽は先の戦乱で荒廃し、再建に時間が掛かります。ですので、此処は孟徳殿が治める地へ陛下にお移りして頂き、政を行い天下に号令すべきです」


 董昭は献帝を洛陽から出して、別の土地に遷すべきだと言うのを聞いて曹操は驚いていた。


 都を遷すという話は、自分と荀彧と曹昂の三人しか知らない。


 その筈なのに、今目の前にいる董昭から都を遷すべきだと言うのを聞いて驚いている曹操。


「……中々含蓄がある言葉だ。今後とも、意見を言って貰えるだろうか。さすれば、この曹操がお主を重く用いるであろう」


 曹操は暗に自分の部下になれと言う。それを聞いた董昭は心得たと言わんばかりに頭を下げた。


 その後、二人は暫し話し合った。




 数日後。




 曹操は献帝に拝謁した。


「臣が全力で洛陽を復興しておりますが、それはあまりに時間が掛かりましょう。それまでの間、陛下は別の土地にて政を行うべきだと思います」


 曹操の口から遷都すべきという言葉を聞いて、献帝は内心で曹操に失望した。


「曹操よ。お主の言葉も分からなくはない。だが、この地は我が先祖が都として栄えてきたのじゃ。もし、都を遷す事となれば、朕は先祖にお叱りを受けるであろう」


 献帝は都を遷りたくないと言う。だが、曹操はその事も想定していたのか、言葉を続けた。


 と同時に手を後ろに回して、自分の後ろに居る荀彧に合図を送った。


 それを見た荀彧はそっとその場を離れた。


「お気持ちは分かります。ですが、この様な廃墟にて政を行えば、陛下の御名に傷が付きましょう。どうか、此処は良き土地にて、良き政治を行うべきです」


 曹操は深く頭を下げた。


「しかし」


 献帝は渋っていたが、其処に大音声が聞こえてきた。


「陛下。何卒、曹将軍のお言葉に従って下さいませ!」


「陛下。臣下の忠言を、どうかお聞き入れ下されっ‼」


 献帝が居る仮宮に向けて、曹操が連れてきた兵達が大声を挙げてそう告げてきた。


 武装した兵達がそう叫ぶと共に太鼓も叩かれた。


 轟音と兵の叫びを聞いて、献帝とその場にいた朝廷の臣下達は驚くと共に怯えた。


 もし、曹操の言葉に逆らえば、今度は武力を頼みにして何をしでかすか分からなかったからだ。


 献帝は恐怖しつつ口を開いた。


「そ、奏上を、認める……」


「有り難き幸せ」


 献帝の口から言質を取った曹操は頭を下げた。そして、その場を離れて、兵達が居る所へ向かった。


 暫くすると静かになったが、直ぐに「万歳‼ 万歳‼ 万々歳‼」と喜びの声を上げた。




 曹操の奏上が認められ、直ぐに都を遷す場所を探した。


 とは言え既に董昭が根回しをしていたからか、直ぐに豫洲の許県に決まった。


 直ぐに都を遷す準備に取りかかった。


 その様子を伏完と董承は苦々しい顔で見ていた。


「これでは、曹操の専横ではないか!」


「我等は狼を追い払うために、虎を招いてしまった様です」


 董承は大いに嘆いていた。


「このままでは終われん。何としても、漢王朝に嘗ての栄華を取り戻すのだ!」


「しかし、曹操の勢いは盛んです。如何にすべきです?」


「此処は政略を用いて、曹操の勢いを削ぐのだ」


「どの様な策にて?」


「此処は曹操の親族を我らの親戚と娶わせるのだ。曹操からしたら、勢力拡大出来る事で喜ぶ事が出来る。我等からしたら、その者を篭絡し、我等の味方にし、いずれ曹操を討つ刃とするのだ」


「それは名案ですが。誰と誰を娶わせるのですか?」


 董承は伏完の策に同意したが、問題は誰と誰を娶わせるのかが重要であった。


「うむ。それについては、儂に候補がおる」


「候補? どなたですか?」


「陛下の姉君だ」


「なっ、それはっ」


 献帝の姉君。それは出家した万年公主の事を差していた。


「しかし、公主様を政略の贄にする事は、陛下もお許しいただけないと思います!」


「漢王朝が滅ぶかどうかの瀬戸際ぞ。陛下も納得してくれるであろう」


「…………では、陛下が認めれば行うという事にしましょう。もし、反対すれば別の策を行うという事で」


「それで良いだろう」


 董承が渋々だが伏完の案に乗る事にした。


 後日、伏完達は万年公主を曹操の一族と政略結婚させるべきと奏上した。


 それを聞いた献帝は最初拒絶したが、伏完が現状を鑑みてもこれが一番の良策だと告げて聞き入れる様に願った。


 伏完の話を聞いて暫し考えると、力無い声でその奏上を認めた。


 奏上を認められた事で伏完達は直ぐに曹操の親族の誰を万年公主に娶わせるか調べた。


「出来れば、曹操の信頼が厚い者が良いな」


「それでいて曹操の血が濃い親族が良いですね」


「だとすれば、曹操の兄弟又は従兄弟か子になるな」


「さて、どんな者が居るか」


「しかし、曹操の兄弟はこの戦乱で全員死亡しているとの事です」


「であれば、従兄弟という事になるか」


「もしくは曹操の子になりますな」


 


 伏完達が万年公主を曹操の一族の誰と政略結婚させるか考えて居る頃。


「へくちっ」


 曹昂はくしゃみをしていた。


「……体調は悪くないんだけどな?」


 突然、くしゃみをした曹昂は首を傾げていた。

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