悲哀

 張邈が殺害されていると知らない曹昂達は雍丘を包囲していた。


 夏候惇は本陣にある天幕の中で各部隊の部将達を集めて軍議を開いていた。


「密偵の報告では、この城の兵は二万だそうだ。其処で皆に訊ねる。命令通りに兵糧攻めにするか、それとも、直ちに攻撃し落城させるか」


 夏候惇がどうするか意見を求めてきた。


 居並んでいる部将達はどうするか決めかねていた。


 そんな中で、鮑信が口を開いた。


「曹操殿からは攻撃はするなと言われているので、此処は命令通りにするべきだと思うが」


 鮑信の意見を聞いて夏候惇は密偵から得た情報を話した。


「うむ。実はな、張邈が密かに城を出て、援軍を求めに向かったのだ」


「援軍ですと?」


「何処に行ったのでしょうか?」


 部将達が訊ねると、夏候惇は曹昂をチラリと見た。


 夏候惇が何を伝えたいのか分かり、曹昂は言っても良いという思いを込めて頷いた。


「……どうやら、袁術の元に向かったようなのだ」


 夏候惇がそう告げるのを聞いて、皆曹昂を見た。


 袁術の娘を娶っている曹昂が此処に居るというのに、袁術は敵対するのかと思っている目であった。


「……義父からは何の連絡も無いので分かりません。ただ援軍を送るのはまず、ないと思います」


「ほぅ、何故でしょうか?」


 曹昂が袁術は援軍を送らないと言うので、鮑信が気になり訊ねた。


「寿春に居る密偵からの報告では、義父上は今徐州を得たいという思いがある様だと報告が来ました。なので、援軍を送る余裕など無いと思います。そんな余裕があるのであれば、徐州を攻める兵に回すでしょうし」


「成程。言われてみれば、そうですな」


 曹昂の説明を聞いた鮑信は納得した様に頷いた。


「ただ、張邈の弟である張超は徐州の広陵郡の太守であったので、張邈が其処で兵を募る可能性があるとは思います」


 曹昂がそう言うのを聞いて、夏候惇を含めた皆はぎょっとした。


「その話は本当か?」


「あくまでも、そういう場合も有り得るですけどね」


「ふむ。そうなれば、兵糧攻めをしていると、豫洲が攻め込まれる可能性があるな」


 夏候惇は兵糧攻めは止めた方が良いなと思うが、曹昂は首を振る。


「義父上から援軍を断られて、其処から徐州へ行き兵を募るとすれば時間はかなり掛かります。其処から豫洲に攻め込むとしたら、下手したら戦が終わっていますよ。ですので、このまま兵糧攻めをすれば良いと思います」


 夏候惇も別段功績が欲しい訳でもないので、此処は最初に言われた通りにするべきと判断した。


 曹操の命令で張邈は生きて連れて来いと言われているが、城から出ている以上、曹昂には出来る事が無かった。


 なので、此処は城を包囲して、曹操が呂布を撃退し、この城に来るのを待つ事にした。


「ふむ。確かにそうだな」


 夏候惇は曹昂の判断が尤もだと思い、このまま城を包囲する事に決まり、その日は解散となった。




 それから十数日後。


 袁術から使者が陣中見舞いで来ると聞いたので、曹昂は夏候惇と共に会う事となった。


 曹昂は夏候惇の側に立ちながら天幕の中で袁術が送って来た使者が来るのを待った。


 間もなく、案内の兵と共に袁術が送った使者が従者と共に天幕の中に入って来た。


 従者は壺を持っているのを見て、曹昂は袁術が何の為に使者を送って来たのか直ぐに分かり、痛ましい顔をした。


 兵が天幕を出て行くと、使者が夏候惇と曹昂に一礼する。


「お忙しい中、お時間を頂き感謝します」


 使者が一礼した。


「そちらこそ、御足労を掛けるな」


「はっ。此度の事は、我が殿は大層心配しておりましたが、もう安心できるとの事で、我が殿から贈り物と共に参りました。目録はこちらです」


 使者が竹簡を掲げるので、曹昂が受け取りそれを夏候惇に渡した。


 夏候惇は竹簡を広げて書かれている内容をざっと見た。


 それが終わると、竹簡を閉じて使者に訊ねた。


「して、袁術は陣中見舞いの品を届けるだけで、お主を送って来たのか?」


 夏候惇が訊ねて来た理由を訊ねると、使者はその問いの答えとばかり、従者から壺を受け取った。


「その壺は?」


「こちらの壺には張邈の首が入っております」


「何とっ⁉」


 使者が持っている壺の中に張邈の首が入っていると聞いて、夏候惇は驚いていた。


「かの者は曹操殿の御力に勝てぬと判断し、我が殿に助力を求めようとしたのですが、助力を得る為に寿春に向かう道中で部下に裏切られ、この様な最期と相成ったのです」


「なんと……その、張邈を殺した者達はどうしたのだ?」


「我が殿は張邈とは親しくしていたからか、首を持って殿に面談した者達を見るなり、即刻処刑を命じられました。長年の友人を殺された事が余程、怒りを感じたのか首謀者の舌を切り取った後に処刑されました」


「そうか……拝見しても?」


「どうぞ」


 使者は立ち上がり、夏候惇の前に壺を置いて、元居た所に戻った。


 夏候惇は壺の蓋を取り、中身を見た。


 其処には塩漬けにされ目を閉じた張邈の首が入っていた。


 夏候惇は張邈が曹操の友人という事で、何度も顔を合わせているので、顔は見知っていた。


「……間違いないな」


「曹操殿の信頼される部下であったと言うのに裏切り、その果てに部下に裏切られるとは、皮肉な事ですな」


 使者は可哀そうに言うが、その表情から蔑んでいる様にしか見えなかった。


 曹昂も内心で皮肉というところだけ同意した。


「……ご使者殿。ご苦労であった。貴殿の主にはよろしくとお伝え下され」


「はっ」


 夏候惇も思う所はあるが、口に出す様な事はせず使者に労いの言葉を掛けて下がらせた。


 使者達が天幕を出て行くと、夏候惇は重い溜め息を吐いた。


「……孟徳の命令に従う事が出来なくなったな」


「ですね。この首はどうしますか?」


「そうだな。戦っている最中に生首を送られても邪魔であろうし、孟徳が来るまで預かるとするか」


「でしたら、張邈の首を使いたいのですが。良いですか?」


 曹昂が張邈の生首を使いたいと言うのを聞いて、夏候惇は曹昂をジッと見る。


「死者に鞭打つつもりか?」


「いえ、城内に居る者達に張邈の死を教えるだけです」


「見せしめか。悪くないな。ただし、条件がある」


「どんな条件ですか?」


「晒し首にするのは一日だけだ。それ以上は腐るかも知れんから、駄目だ」


「そう、ですね。父上にも見せるのですから、腐っている友人の首は見せるのは嫌ですね」


 曹昂としても、それなりに親しくしていた人物なだけに腐乱した首などは見たくなかった。


 夏候惇の条件に従い、明日一日だけ張邈の首を晒し首にする事となった。




 翌日。




 城壁から良く見える所に、張邈の生首が台に置かれた。


 そして、城に一騎近付いてきた。


「お前達の主はもうこの世には居ない。大人しく降伏すると言うのであれば、命だけは助けてやるっ。逆らうと言うのであれば、皆殺しになると思うが良いっ!!」


 騎兵が大声を上げて言い終えると、その場を離れて行った。


 見張の兵の報告を聞いた張超は城壁までいき、張邈の首が置かれている所を見ると涙を流した。


「おお、あにじゃっ。なんというすがたに……」


 張超は兄の痛ましい姿に涙を流し大声で泣いた。


 そして、目に涙を流しながら拳を握った。


「おのれ、曹操っ。貴様は不倶戴天の敵だっ。兄者の仇、必ず取ってくれるっ!」


 張超は涙を流しながら誓言した。


 それを聞いて、兵達の反応は二通りに別れた。


 張超と同じように怒りに燃える者達。そんな張超達を冷ややかな目で見ている者達。


 全体的に後者の方が多かった。


 その夜。城内に居た兵達は、もう張超についても勝つ事は難しいと判断したのか、夜陰に紛れて逃げ出した。


 逃げ出す兵は多く、城内に残ったのは一万を切っていた。

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