裏切りの報い

雍丘が包囲される前に出立した張邈一行。


 人目を避ける様に進みながら、袁術が居る寿春へと向かった。


 時間はかなり掛かったが、後数日で寿春に辿り着くという所まで来ると、張邈は付いて来た部下の一人を先触れとして袁術の元に向かわせた。




 寿春城内にある一室。


 其処で袁術は張邈が向かわせた使者と面談していた。


「なに? 張邈が援軍を私に乞う為にやって来るだと」


「はい。詳しくはこちらの手紙に」


 使者はそう言って懐から封に入った紙を出して、袁術に渡した。


 袁術は封を破ると、紙を広げて書かれている内容にざっと目を通した。


「ふむ。間違いなく張邈の字だな」


 曹操と袁紹経由で知り合った関係ではあるが、そこそこ親しくしているので、文のやり取りをしていた。


 それにより、この手紙に書かれている字は紛れもなく張邈が書いたという事になる。だが、その手紙を読んで袁術は苦い顔をした。


(むぅ、豫洲に送っている密偵からの報告では、曹操が優勢と聞いているからな。かと言って、親しくしている者を無下にしては、私の沽券に係わる。どうしたものか……)


 袁術は寿春を中心に勢力を拡大しているが、他の州についても調べていた。


 今の所は徐州に目をつけていた。


 州牧の陶謙は未だ回復の兆しが無いと聞いている。であれば、狙うのは道理と言えた。


 陶謙が亡くなり、混乱している所に攻め込むつもりなので、今兵力を増強中であった。


 なので、今は援軍を送る程の余裕も無かった。


 加えて曹操とは同盟を結び、娘を曹操の息子の曹昂に嫁がせていた。


 以上の理由で張邈に援軍を送る事は出来なかった。


 だからと言って、長年親しくしている友人である張邈が自ら来て、援軍を求めるのを断っては、袁術の沽券に係わった。


 友人が困っているのに、助けもしないという人物だと言われば、名門袁家の嫡流の自負に傷が付くと思う袁術。


 かと言って、兵を送るつもりはなかった。


 どうしたものかと袁術は考えていると、名案が浮かんだ。


(そうだ。来させなければ、良いのだっ)


 もし、そうなれば世間は袁術の沽券は守られるし、袁家の名に傷が付く事もなかった。


 そうと決めると袁術の行動は早かった。


「ふむ。困ったな。今、揚州内では私の事を嫌っている者達が手を組んで私に戦を仕掛けるという報告が来てな。今は援軍を送る余裕が無いのだが」


「其処を何とかして貰えないでしょうか。我が殿は、袁公路様しか頼れないと思い、こうして近くまで来ているのですからっ。何卒」


 使者は頭を下げるが、袁術は笑った。


「そうか、張邈は其処まで追い詰められているのか」


 使者は知らないが、張邈は袁術が断られたら徐州の広陵郡へ向かい、弟の張超の伝手を使い兵を募ろうと思っていた。


 しかし、張邈はその事を誰にも話していなかった。


 張邈の中では袁術も無下にはしないだろうという思いがあったのと、断られた場合だけ行く事にしていたからだ。


 まだ、話もしていない段階で、失敗した後の事を話す事も無いという思いが張邈の心の中にあった。


 張邈の思惑を知らない使者は袁術に請願した。


「どうか、お願いいたします。何卒、我が殿に援軍をっ」


「しかしな。援軍を送ったとしてもだ。張邈は曹操に勝てるのか?」


「それは……」


 袁術の問い掛けに使者は押し黙った。


 何せ、呂布を領内に招いて曹操が本拠にしていた濮陽を攻めたが敗れ、占領した土地も奪い返されている。


 その上、呂布と仲違いしてしまい、助力を頼めない。今の張邈は追い詰められた鼠と同じであった。


「勝てなかろうな。どうだ? そんな主に仕えるぐらいであれば、私の元に来ぬか」


「しかし……」


「このご時世だ。生きる為であれば、誰でも裏切るものだ。お主は生きて栄華を楽しみたいか? それとも死して歴史に名を残したいか?」


「私は…………」


 使者は言葉を詰まらせた。袁術は急かさず答えを待った。


「……生きて栄華を楽しみたいです」


「そうか」


 使者の返答に袁術は笑みを浮かべた。


「では、お主は張邈の元に戻り、私が会談を求めていると言うのだ。その晩に、仲間を募るでも、一人でするのでも良い。張邈を殺せ」


「はいっ。それで、その後は?」


「張邈の首を持って、私の元に来い。恩賞を渡す」


「畏まりました」


 使者は一礼し、部屋を後にした。




 数日後。


 袁術の元から帰って来た使者は張邈の元に着いた。


 使者の口から、袁術が面談すると聞いて張邈達は喜んだ。


 その夜。


 野営の中で、張邈を含めた者達は眠りについていた。


「良し、眠りに着いたな」


「おい。本当に大丈夫なんだろうな?」


 袁術の元に送った使者を中心に張邈の部下達が集まっていた。


 使者は戻るなり、同僚を集めて、袁術は援軍を送るつもりが無い事を伝えた後に、このまま張邈について行っても死ぬだけだ。いっその事、張邈の首を取りその恩賞にありつこうと言い出した。その話を聞いた同僚達はお互いの顔を見合わせる。


 暫しの間、静かになると、皆やる事に賛成した。


 そして今、使者達は剣を抜いて張邈が居る天幕まで近付いた。


 天幕の入り口には護衛の兵が居たが、二人だけだ。対して、使者達の方は二十人。


 使者達は抜いた剣を振りかぶりながら声を上げて護衛の兵に襲い掛かった。


「何っ、ぐわぁぁ⁉」


「貴様等、血迷ったかっ⁉」


 護衛の一人は斬り倒されたが、もう一人の護衛は剣を抜いて、何とか初撃を防いだ。


「五月蠅いっ。これも生きる為だっ!」


 斬り結んでいる者がそう言って乱暴に剣を叩きつけた。


 その間に残りの者達は張邈の天幕の中に入って行った。


「何事かっ⁉」


 悲鳴が聞こえたのか、張邈は寝間着のままで剣を持っていた。


 まだ鞘から抜かれていないのを見た使者達は気勢を挙げて、張邈に襲い掛かった。


「貴様等、裏切りかっ⁉」


「裏切ったのは、あんたが先だろうがっ‼」


 使者達の攻撃を剣を抜き防ぎながら声を出すと、皮肉を言われ張邈は唇を噛んだ。


 痛い所を突かれて張邈は顔を顰め、天幕を背にしながら剣を構えた。


 すると、天幕を切り裂く一撃が張邈の背中を捉えた。


「ぶっ⁉」


 背中を切られた張邈は誰が斬ったのかと思い肩越しに後ろを見たが、それが命取りとなった。


 張邈の意識が背に向いたのを見て、使者達が声を上げて張邈に襲い掛かった。


「ぐはあぁ!」


 張邈は慌てて防ごうとしたが、一歩遅かった。


 振り下ろされた一撃は張邈の右肩から左腹を切り裂いた。


 張邈は自分の口と傷口から血を噴き出しながら倒れた。


「おい、残った護衛は殺したか?」


「ああ、大丈夫だ」


 使者達が話しているが、張邈からは何処か遠くから聞こえる様であった。


「悪く思うなよ。あんたが何を思って曹操を裏切ったかは知らねえが、俺達は生きる為にこうするしかないんだからよっ」


 使者がそう言いながら、剣を振り上げた。


(これも、私が行った報いか。正に皮肉だな。……笑ってくれ、孟徳。そして、済まなかった)


 振り下ろされた剣で首を斬られるまでの間、薄れゆく意識の中で張邈は曹操に詫びの言葉を述べながら事切れた。


 その後。張邈の首を取った使者達は、袁術の元を訪ねた。


 袁術は会談し、張邈の首を見ると声を荒げた。


「己の命欲しさに主を殺すとは、不届き者め。者共、この者達を捕らえて首を刎ねよっ。張邈の供養にしてくれるっ‼」


 袁術がそう命じると、衛兵達は使者達を掴まえて連れて行った。


 使者は話が違うと言おうとしたが、袁術は。


「其奴は今回の件の首謀者だな。舌を切れ! 嘘を言って自分だけ助かるつもりかも知れんからな」


 袁術がそう命じるのを聞いて、使者はようやく自分は騙されたのだと理解した。引き摺られながら、袁術に対し恨み言をぶつけた。


 即日。使者達は首を斬られた。


 残った張邈の首は塩漬けにして、曹操の元に送られる事となった。

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