季節は過ぎ

 曹昂が許県に戻ると、州治を行いつつ戦への準備を進めていた。


 季節は過ぎ、春から夏へ。そして秋へと移り変わって行った。


 夏が終わりになろうという時期に、曹昂の元に父曹操から文が届けられた。


 内容はこの文が届き次第、軍を整えて陳国の郡治を行う陳県へ来るようにと書かれていた。


 乗氏県ではない事に疑問を覚えつつも、曹昂は命令に従う事にした。




 豫洲の事は蔡邕に任せ、曹昂は三万の兵と配下の将達を連れて陳県へと向かった。


 軍勢が整然と列をなしながら進む。


 身に纏う武具はどれも洗練されており、乱れる様子も無い。


 精強と言っても良い軍勢の先頭には軍の大将である曹昂の姿があった。


 背筋を伸ばし馬に跨る姿は一軍の将としての風格を備えていた。


 そんな曹昂であったが、右に居る女性が出す圧迫感により顔を青くしていた。


「…………う~」


「~~~……」


 右隣に居る董白は唸り声を挙げながら、曹昂の左に居る程昱の娘の程丹を睨んでいた。


 睨まれている程丹は睨まれているというのに、平然とした顔で鼻歌を歌っていた。


 そんな余裕綽々の態度が余計に気に入らないのか、董白は不満を募らせていた。


(ようやく、普通に戻ったと思ったのに)


 曹昂は董白が程丹を威嚇しているのを見て、胃がキリキリする思いであった。


 程丹と蔡琰の二人を妻に迎えるという事で一悶着が起こるかと思われたが、曹昂が説明した事で董白達は意外と受け入れてくれた。


 曹昂の行いというのもあるが、家を残す為に妻を多く娶るというのがこの時代の考えなので、特に問題は無かったようだ。


 ただ、董白だけは納得したものの不満そうな顔をしていたので、宥めた。


 そのお陰で、董白達と程丹達とで無用な諍いの起こる様子は無かった。


 そんな折に今回の戦に向かう際、董白と程丹の二人が付いて来ると言い出した。


 曹昂は二人共付いてこなくてもいいと言ったのだが、どちらも聞かないので仕方が無く二人共連れて行く事にした。


 最初、どちらかを連れて行こうとしたが、その気配を察したのか二人は、


『まさか、あたしを置いていくとか言わないよな?』


『新しく迎えた妻を無下にするような事をしませんよね?』


 二人にそう言われては、二人共連れて行くしかなかった。


 道中、董白は曹昂の役に立とうと頑張っていたが、空回りしていた。程丹はそんな董白を尻目に曹昂の役に立っていた。


 その所為で董白は苛立つという悪循環になっていた。


 自分の責任とは言え、曹昂はやるせない気持ちになった。


 心の中で早く陳県について欲しいと思いながら、馬を進ませていた。




 数日後。




 曹昂達は陳県に辿り着いた。


 城外には出迎えとして曹洪が待っていた。


「おお、来たか…………随分と疲れた顔をしているな」


 酷くやつれている曹昂を見て、曹洪は心配そうに訊ねた。


「ええ、なんとか……」


 ようやく着いたので、曹昂は心の底から安堵した表情を浮かべていた。


「このまま直ぐに軍議だが。参加できるか?」


「大丈夫、です……」


 寧ろ、この二人から離れた方が気が休まると思うが、口には出さない曹昂。


「そうか? まぁ、連れてきた者達は用意した部屋に行くようにな」


「はい。という訳で、二人共」


 曹昂は董白と程丹を見る。


「分かったよ」


「では、お部屋でお待ちしております」


 二人はそう言って別れた。


 率いてきた軍勢を孫策に任せて、曹昂は夏侯淵と共に曹洪の後について行った。




 曹洪の案内で謁見の間に辿り着いた曹昂達はそのまま室内に進み、上座の近くで止まり一礼する。


「曹操様。曹昂様方をお連れしました」


「うむ」


 曹洪が述べるのを聞くと、鷹揚に頷く曹操。


 そして、曹操は目線を曹昂に向けた。


 一礼したままの曹昂と夏侯淵に声を掛けた。


「良く来たな。二人共」


「はっ。ご命令通り三万の兵と共に参りました」


「そうか。では、皆が集まったので、これより軍議を行う」


 曹操がそう述べるので、曹昂達は居並んでいる部将達の列の中に入った。


 曹昂達が列に並んだのを見て、曹操は手で合図を送った。


 その合図を見て郭嘉が前に出て一礼する。


「曹操様が連れてきた軍が五万になります。曹昂様が連れてきた軍勢が三万。合計しますと八万となります。これだけの軍勢を持ってすれば、陳留郡に攻め込む事が出来るでしょう」


「うむ。郭嘉よ。敵はどの様な状態なのだ」


「はっ。密偵の報告によりますと、敵は陳留と雍丘に戦力を分散して、我等の攻撃に備えているとの事です」


「ふむ。張邈は何処に居るのだ?」


 曹操はそう訊ねてきたので、郭嘉は手で文官に合図した。


 文官の手には巻物があった。文官はその巻物を床に置いて広げた。


 郭嘉は棒を手に持ち雍丘という地を指し示した。


「此処、雍丘に弟の張超ら一族と共に籠城しているそうです。兵力は三万との事です。ちなみに陳留は呂布が入っており、兵力は三万だそうです」


 ついでとばかりに報告する郭嘉の話を聞いた曹操は頬杖をつきながら、考えている様であった。


「敵は六万か。思っていたよりも多いな」


「殿。どうなさいますか?」


 夏候惇がそう訊ねると、曹操は答えず郭嘉を見る。


「郭嘉よ。お主はどうしたら良いと思う?」


「はっ。此処は戦力を分散するのが良いでしょう。殿が陳留へ。雍丘へは別の方が攻めるのです。そして、どちらかの城を落とした後は、残りの城攻めに加わるのです」


「うむ。現状ではそれが最善か」


 郭嘉の提案に曹操も頷いた。


「では、雍丘を攻める大将だが……」


 曹操は誰にしようかなと思い、目を動かしていた。


(多分、夏候惇だろうな。荀彧殿と程昱殿の姿がない所を見ると、どうやら留守番役をしているのだろうな。でも、おかしいな。甘寧の姿も無いぞ? どういう事だ?)


 曹操が誰を大将にしようか選んでいる間、曹昂は列に並んでいる者達を見回していると、知っている顔が居ない事に気付いた。


「……夏候惇にする。部将は曹昂、鮑信の二名を。兵は曹昂が連れてきた兵と私が連れてきた兵の一万を率いて行け。だが、あくまでも城を落とす事はない。私が陳留を落とすまで、張邈達を雍丘で足止めするのだ」


「承りました」


 大将に命じられた夏候惇は前に出て、曹操の命令を聞き頭を下げた。


「良し、残りの軍勢は私が率いて呂布が籠もる陳留へ攻撃する」


 曹操は宣言するなり立ち上がった。


「良いかっ。この戦は、奪われた領土を奪い返すだけに非ず、私を敵に回した者達がどの様な目に遭うかを見せしめにする為の戦だ。皆、奮起せよ」


 曹操が檄を下すと、居並ぶ文官武官達は曹操が発する覇気に押される様に頭を垂れた。


 それで会議が終わりだと告げられると、皆は一斉に行動を開始した。


 曹昂も曹操に訊きたい事があったので訊ねようと思い、その場に残った。


 謁見の間には曹操の他に、夏候惇と曹昂だけ残った。


「息子よ。お前も残ったか。丁度良い、お前に話したい事があるのだ」


「何でしょうか?」


 曹操が話したい事と言うので、曹昂は何と言うのだろうと思いながら傾聴する体勢を取った。


「うむ。まずは、お前が作った『飛鳳』についてだが」


「何か問題でも?」


 しかし、曹昂の元には壊れたとも又は奪われたという報告は来ていなかった。なので、曹操が『飛鳳』について話すと聞いて、何事かと思っていた。


「うむ。蝗害で駆け回った事でか『飛鳳』を動かす為に機構や部品が摩耗してな。暫くの間、動かす事が出来なくなったのだ」


「それは、良うございました。ですが、それと何か関係が?」


「成程。それで『飛鳳』の部隊の指揮をしている甘寧がこの場に居ないのですね」


「その通りだ。摩耗具合から、今回の戦の参戦は難しいそうだ」


「そんなにですか。しかし、それで敵が動揺していると思えば、儲けものですね」


 整備する程に動いたお蔭で、張邈達の兵力が減ったのであれば問題無いと思う曹昂。


「それと、二人には話と言うか、頼みがある」


「頼み?」


「何でしょうか?」


 曹操が頼むというので、曹昂達は珍しいなと思いつつ何と言うのだろうと思い耳を傾ける。


「……お主らが攻める雍丘には、張邈とその一族が居るであろう。そこでだ……私の立場で言うのも何なのだが、しかしだ。こちらとしてはある事が気になってな……」


 曹操が何かを伝えたいようだが、何を伝えたいのか分からず二人は首を傾げた。


 夏候惇に至っては、要領を得ない言葉に腹が立ったのか、苛立ち交じりで話し掛けた。


「こちらも忙しいのだっ。何を言いたいのか、さっさと話せっ‼」


「う、うむ。実はだな」


 言葉の切れが悪い父など見た事が無い曹昂は何か良くない事が起こりそうな気分であった。


「……うむ。お主等に頼みたいのはだな、その張邈を出来るだけ傷付けずに、私の元に連れて来るのだ」


「「……はぁ?」」


 曹操の頼むと言うので聞いたが、それを聞いた瞬間、二人は顔を顰めた。


 これから攻め込む城におる人物を傷付けずに連れて来いと言われれば、誰でも顔を顰めるのは仕方がないと言えた。


 まず第一にそう易々と捕まるか分からない。逃げるのを良しとせず、自害するというのは武将なれば良くある事だ。


 加えて、城を攻める以上、流れ矢が当たることもあれば部下が裏切って殺す等々の可能性がある。


 更に言えば今回の反乱は呂布が濮陽に攻め込んできたので、呂布が首謀者と思う者もいるが、実際は張邈が呂布を領内に招き入れた事で、今回の反乱が起こったのだ。


 なので、罪の重さで言えば、呂布よりも張邈の方が重い。


 そんな反乱の首謀者を生きたまま連れて来いと言われれば、誰でも曹昂達の様な反応をするだろう。


「孟徳。お前」


「分かっている。分かってはいるが、しかし、猛卓は何を思って、私に反乱をする様になったのかを知りたいのだ。頼む」


 曹操が切なそうな声を出しながら請願した。


 夏候惇も其処まで言われれば、無理だと言う事も出来なかった。


(でも、張邈さん。確か雍丘の戦で、援軍を求めようとして城を出た後、部下の裏切りに遭い殺されたって本では書かれていたな)


 前世の知識がある曹昂はこの後の戦の顛末を知っている。だが、教える事はしなかった。


 そんな事を言っても信じて貰えないからだ。仮に信じたとしても、今度は呪いが使えると思われて、気味悪がられて何をされるか分からなかった。


 なので、教える事はしなかった。


(仕方がない。此処は父上の言い分に従おう)


 長年の友人の事を思う曹操の気持ちを慮り曹昂は答える事にした。


「……分かりました。父上。この曹昂、父上の願いを出来る限り叶えようと思います」


「昂。お前っ」


「おお、やってくれるか。息子よっ」


 夏候惇は駄目だと言おうとしたが、曹操は曹昂の言葉を聞いて嬉しそうな顔をしていた。


「父の願いを聞く。これも孝行というものにございます。ですが、あくまでも出来る限りです。無理だと判断するか、僕の手に及ばない所で何か起きた場合はご容赦を」


 出来る限りは頑張るが、失敗しても許して下さいと暗に言う曹昂。


「うむ。私も無理を言うつもりは無い。出来る限りで良い」


 曹操も自分の我が儘だと分かっているので、無理強いはしなかった。


「分かりました。では、出来る限り叶える様に頑張りますっ!」


 内心では願いは叶わないけどねと思いながら曹昂は頭を下げた。

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