気が重い戻り

 茶会が行われた数日後。




 曹昂は乗氏県を後にし、拠点にしている許県へ戻った。


 許褚と甘寧以外の連れてきた者達に加えて、程昱の娘である程丹も加わった。


「ふふふ、まさかこうも上手くいくとは思いもしなかったわ」


 曹昂の隣にいる程丹は、自分の策が思いの外上手くいった事に喜んでいた。


 そんな程丹の隣に居る曹昂からしたら、頭が痛かった。


 何せ、自分の行いの所為とは言え、程丹だけでは無く蔡琰まで娶る事になったのだ。


 既に曹昂には妻が二人に妾が一人に妾候補が一人居るのだ。其処に新しく妻になる者達が加わるのだ。まだ成人していない曹昂の気が重くならない方が可笑しいと言えた。


(それに、董白と程丹さんはどうも相性が悪い様だしな)


 何時だったか、顔を合わせた時に董白が程丹を見る目が、敵意を持っていた様に見えた。


 会わせたくないなと思いながらも、曹操の命令により娶る様に言われた。加えて、乗氏県を後にする際、皆に見送られている中で程昱が。


『どうか、どうかっ。娘をよろしくお願いします‼ 若君以外に娘を任せられる者が居ないのです。この老いぼれのたっての願いです。何卒、何卒……』


 人目もはばからず涙を流し、頭を下げて曹昂に頼みこんだ。


 此処までされては外聞に係わると思い、曹昂は程昱に心配しなくて良いと告げるしかなかった。


 帰ったら、董白達に説明しないとなと思いながら道を進んで行った。






 それから更に数日が経ち、曹昂達は許県に辿り着いた。


 貂蝉に案内してもらい程丹は董白達が居る所へ向かった。


 曹昂は連れて来た者達と共に謁見の間へと向かった。


 曹昂達が謁見の間に着くと、孫策が待っていた。


「無事に帰って来たな。良かったぜ」


「ああ、そちらも大変だっただろう。何かあった?」


 孫策が一礼し曹昂達が帰還してきた事を喜んだ。曹昂も孫策を労いつつ、自分が居ない間に何かあったか訊ねた。


「いや、黄巾賊の残党も壊滅させたからな。特に報告する様な事は起きていないぜ」


「そう」


 孫策が何も無かったと言うのを聞いて、曹昂は安堵しつつ上座に座った。


 連れて来た者達も何時もの順番で列を作り並んだ。


「既に聞いていると思うけど、陳留郡は未だに父上の支配に抵抗している。其処で父上は今年の秋に陳留へ侵攻する事を決めた」


 曹昂は出立前に曹操に言われた事を皆に伝えた。


 陳留郡へ侵攻する事は、誰も聞いていなかった様でざわついていた。


 この場に居る夏侯淵は事前に訊いていたからか、特に何の反応も示さなかった。


「して、殿。我等は何をするのですか?」


「陳留から豫洲へ向かわせない様に、州境に軍を配置し、敵が攻め込んでくる以外は戦闘は避ける様に命じられている」


「何だ。戦に出られないのか」


「手柄を立てられると思ったんだがな」


 武闘派の者達は残念そうな声を上げる。


 其処で初めて孫策は甘寧がこの場に居ない事に気付いた。


「そう言えば、甘寧はどうした?」


「甘寧は、甘寧は……先生。この場合、どう言えば良いのでしょうか?」


 曹昂に訊ねられた蔡邕もどう言えば良いのか分からないという顔をしていた。


「う~む。そうですな。とりあえず、ご主君の麾下に入ったと思えば良いと思います」


「そうなるか」


 蔡邕がそう言うのを聞いて、曹昂もそう思う事にした。


「どういう事?」


 話に付いていけない孫策は曹昂に訊ねた。


「甘寧は今、父上の元に居るんだ」


「曹操様の元に、って事は、部下になったのか?」


「僕もそう思って父上に訊ねたら『息子の家来を、家臣にするなど、みっともない事が出来るかっ⁉』と怒られたから、部下ではないんだ」


 何で、曹操があんなに怒ったのかは曹昂は分からなかった。


 しかし、曹操からしたら、如何に自分が人材を求めているからと言って、推挙されても居ない息子の家来を自分の家臣に加えるという事は体裁が悪かった。


 しかし、曹操からしたら甘寧が操る『飛鳳』を手元に置いておきたいのか、甘寧の役職はそのままで自分の元に置いていた。


「どうも、父上は最近開発した新兵器が甚く気に入ったのか、手元に置きたいようなんだ」


「新兵器って、あれか。空を飛ぶ事が出来るってやつか」


 孫策は夏侯淵達が曹操の元に援軍に向かう前に、見た事があった。


 その時の衝撃は今でも忘れる事が出来なかった。


「俺さ、一回だけ乗った事があるんだけど、鳥みたいに空を飛ぶ感覚を味わえるのは良いな」


 見上げるのではなく、空から地面を見下ろすというこの時代では経験するのが難しい体験をした孫策は暫くの間呆けていた。


「と言うか、どうやって、あんな物を作ろうと思いついたんだよ?」


「蒸籠で食べ物を蒸していたら、風で飛ばされた布が蒸籠の上に落ちたんだけど、蒸籠から漏れる温かい風の気で浮かぶのを見て思いついたかな?」


 本当は前世の知識と言いたかったが、流石に言っても信じて貰えないと思い曹昂は、皆に言っている嘘を述べた。


「へぇ、それでか。前々から頭が良いと思っていたけど、本当に凄いな」


「はは、ありがとう」


 孫策が褒めるのを聞いて、曹昂は苦笑いした。


 その後、特に報告すべき事は無いので、会議が解散となった。


 会議が終わっても、曹昂はその場に残っていた。


「……気まずいな」


 これから、程丹と蔡琰の事を董白達に伝えねばならないと思うと、曹昂は気が重かった。


「とは言え、何時までも此処に居ても仕方がない。そろそろ、行こうか」


 曹昂はそう思い、董白達の元へと向かった。




 同じ頃。乗氏県の城内の一室では、


 曹操が朱霊と面談していた。


「ふむ。私に仕えたいと?」


「はっ。お願い申し上げます」


 朱霊が頭を下げて頼むのを見て、曹操は顎を撫でた。


 あくまでも朱霊は袁紹の部下。于禁であれば、鮑信に頼めば良いが、朱霊は違う。


 袁紹は長年の友人なので、その性格は熟知している。


 加えて、部下が他人に仕えてしまっては、自軍の軍機を知られてしまう。


 なので、袁紹は許しはしないだろうと言えた。


「何故、其処まで私に仕えたいのか聞きたい」


 曹操も朱霊とはあまり接点が無いので、袁紹の元を去ってまで仕えたいという気持ちが気になり訊ねた。


「はっ。私は此度の戦は袁紹様に言われて、援軍として来た次第でしたが、曹昂様の軍略と仁慈ある行動に惚れ惚れいたしました。これも、曹操様の御教育の賜物だと思います」


 曹昂を称えると共に、曹操の教育が素晴らしい事を称えた。


 称えられた曹操も満更ではない顔をしていた。


「また、人伝に訊きましたが、曹操様が呂布を撃退した際に行った軍略も素晴らしいと言えました。伏兵を配備し、自分は居ないと思わせておいて攻城している所に奇襲するなど、私には到底思いつきもしませんでした。流石は曹操様です」


「そうかそうか」


 曹操は気分の良さそうな顔をしていた。その表情を見て、朱霊はこれなら大丈夫ではと思い出した。


「……ふむ。そうだな」


 此処まで仕えるのに熱望している者を無下にするのは、曹操も気が引けた。


 問題は袁紹がどう思うかであったが、曹操は直ぐにある事を思い出した。


(ああ、そうだ。応劭の件を有耶無耶にしていたな。朱霊を部下にする事で手打ちにしようと申し出たら、許可してくれるかも知れんな)


 元泰山郡の太守の応劭は、袁紹の元に居る。


 これで、徐州征伐が成功したら、援軍してくれた礼で手打ちにしても良かったが、失敗した以上は、何かで補填しても良いなと思う曹操。


 流石に応劭の件で朱霊を部下にしても良いかと訊ねても、袁紹は認めないだろうが、其処で徐州征伐で得た財宝を援軍の対価として渡せば、袁紹も文句は言わないだろうと予想した。


 今、袁紹は劉虞と戦争中なので、軍資金が欲しいと言えた。


 其処に財宝を渡せば、こちらの言い分を聞き入れるだろうと思えた。


(于禁や息子から、朱霊は将才に優れていると聞いているからな。その者を得る為に財宝を払って手に入るのであれば安い物だ)


 曹操はそう思いながら頷いた。


「朱霊よ。お主の気持ちは分かった。だが、お主の主君に対して、私から申し立てる。その返事次第で、お主を部下にするかどうかを決めるという事で良いか?」


「おお、ありがとうございます。この朱霊文博、身命を賭して曹操様にお仕えいたします」


 朱霊の中では既に曹操に仕える事が決まった様に言うのを聞いて、曹操は苦笑した。


 その後、曹操は袁紹が送った兵達に、朱霊が自分に仕えるので、そのまま自分に仕えるか袁紹に仕えるか好きにしろと命じた。


 すると、軍は二つに分かれた。


 半分は朱霊の配下として従うと言い、残り半分は袁紹の元に帰ると言った。


 袁紹の元に帰ると言った者達には征伐で得た財宝と曹操が書いた手紙を持った使者と共に袁紹の元に返した。


 援軍が帰って来た袁紹は、使者と持ってきた手紙を受け取り読んだ。


 暫し考えた後、袁紹は曹操の申し出を受け入れた。


 袁紹からしたら、応劭の件に加えて一軍の将よりも軍資金になる財宝の方が良いと判断したのであった。


 使者が曹操の元に戻り、袁紹が曹操の申し出を受けたと報告した。


 その瞬間、朱霊は正式に曹操の配下となった。五千の兵と共に。

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