茶会
五日後。
城内にある庭の一つを貸し切って丁薔主催の茶会が開かれた。
参加しているのは、曹操の側室である卞蓮。他には最近、妾に迎えられた環桃ともう一人の女性。最後に曹清の四人だけだ。
曹清も参加しているのは、日頃から礼法などの勉強を疎かにしているので、これを機に教える為であった。
内心では、早く終わって欲しいと思う曹清。
暇なのか環桃ともう一人の女性を見た。
最近父親の妾になったばかりなので、顔を見る事があまりなかった。あっても遠くからなので、話した事は稀であった。
なので、これを機に環桃達をじっくりと観察する事にした。
少し垂れた目。笑うと頬に深い笑窪のできる優しい顔立ち。
深衣を纏い、髪は頭頂部付近を高いポニーテールにして、大きな団子を頭の中央にふんわりと作っていた。
見た目からして、おっとりとした人の良さそうな雰囲気を出していた。
もう一人の女性はと言うと、猫の目を連想させる大きく目尻が吊り上がっている目を持ち、鼻も高く小さい顔であった。
こちらも深衣を纏うが、髪型はうなじで髪を結うという髪型にしていた。
髪を結っている物は瑠璃が埋め込まれた銀の簪で留めていたが、これと言って髪を弄ってはいなかった。
この女性の名は孫猫。字を花薇という女性で、環桃と同じ時期に曹操の妾になった。
曹操が兗州州牧に着任し、勢力を広げている最中にある有力者が自分の地位の安全を図るために、親戚でしかも結婚していた孫猫を離縁させて、曹操の元に嫁がせた。
曹操からしたら偶々見かけて、世間話で振っただけなのだが、まさかこうなるとは予想できず、かと言って要らないとは言えず、そのまま自分の妾にするという曰く付きの女性であった。
同じ時期に曹操の元に嫁いだからか、丁薔達に比べると環桃と孫猫の二人は親しくしている。
四人が席に座り、少しすると丁薔が侍女と共にやって来た。
それを見て卞蓮達は席を立ち、丁薔に一礼する。
少し遅れて、曹清も立ち一礼する。
曹清だけ立つのが遅れたのは、丁薔が来た時に欠伸をしていた事で、反応が遅れた為だ。
三人に比べて、立つのが遅れた曹清を見た丁薔は片眉がピクリと動いたが、今日は許そうと思い微笑んだ。
丁薔が微笑んだのを見て、安堵の息を漏らす曹清。
そんな曹清の側を横切り、自分の席まで行く丁薔。
「今日は晴天に恵まれ、皆が集まる事が出来て嬉しく思います。ささやかではありますが、茶と菓子を楽しめる席を設けましたので、心ゆくまでお楽しみ下さい」
そう述べた後、丁薔は席に座り手を叩いた。
程なく、侍女達がやって来た。
お盆を持ち、それぞれの座席の前に来ると、一礼しながらお盆に乗っていたお椀を置いた。
そして、小さな皿に小さく白い塊も置かれていた。
その椀の中には淡い茶色の液体が入っていた。
「姉さん。これは一体?」
初めて見る色合いの飲み物に卞蓮が訊ねた。
丁薔は微笑みながら教えた。
「これは
この時代では、乳酪と茶も薬という扱いであった。
また、茶の飲み方も羹として出すか、お湯で煮出すかのどちらかであった。
しかし、この時代の茶は発酵もしないで押し固めただけなので、特に味も香りも無かった。
「母上。これは茶の一種と考えれば良いのですか?」
「そうよ。菓子だけでは、口の中が甘くなるでしょう。曹清」
曹清が訊ねて来たので、その通りと丁薔は言う。
茶の一種と分かり、皆も椀を取り口をつけた。
「……あ、普通の茶と違って味が濃い」
曹清は一口啜ると、普段飲んでいる茶に比べて味が濃い事に気付いた。
「本当に、それに乳酪を入れているからか、味に深みが出ているわね」
「砂糖だけではなくて、塩も入っているのでしょうか。甘みの中に仄かに塩味を感じますね」
「美味しいですね。こんなの初めて飲みました」
卞蓮達からも乳酪茶の味は好評であった。
「じゃあ、次はこの白い塊を貰いましょうか」
そう言って卞蓮が指でその白い塊を摘み口の中に入れた。
「……面白い食感ね」
「それほど甘くないのですが、サクサクとして、それで口の中に溶けてきます」
「食べていて飽きませんね」
卞蓮達はその白い塊の食感を面白そうに味わっていた。
「へぇ、何か初めて食べるな……」
曹清は次から次に口の中に放り込んで、その白い塊を味わっていた。
優雅とは言えない食べ方に丁薔は顔を引き攣らせていたが、何とか我慢していた。
「丁姉さん。これは何と言う菓子なのですか?」
「確か、焼きめれんげ?とか言っていたわね」
丁薔は曹昂から聞いた料理名を皆に教えた。
この焼きメレンゲは簡単に言えばメレンゲクッキーの事だ。
作り方は簡単で、
泡立てた卵白に砂糖を混ぜて好きな形にして焼くという、工程だけで言えば簡単な菓子であった。
だが、卵白を泡立てるのは時間が掛る上に、砂糖と泡立てた卵白を混ぜる際、混ぜ方に失敗すると泡が潰れるという事もあるので、其処は慎重に混ぜなければならなかった。
焼く際も、全体に満遍なく火を通す必要があった。
この時代にオーブンと言う物は存在しないので、曹昂は急遽石窯を作る事となった。
そのお陰でメレンゲクッキーを作ることが出来た。
卞蓮達が茶を楽しんでいると、侍女達が大皿を持ってやって来て、丁薔達が座る卓の中央に置いた。
大皿には円錐状の台が置かれていた。
その台の周りを囲むように小さくゴツゴツとした淡い茶色の物が積み上げられた。
その淡い茶色の物には、赤褐色の物が掛けられていた。
「あら、これは……」
「綺麗な見た目ですね」
「目が奪われますね」
卞蓮達は目の前にある菓子の見事さに目を奪われていた。
だが、曹清だけはそれを見て、内心で何かの木の実みたいだなと思った。
「姉さん。これは?」
「これはくりぃむぱふを山に見立てて盛った物よ」
「くりぃむぱふ? ああ、旦那様の御髭を面白い色にしたという菓子ですね」
卞蓮は話に訊いただけであったが、それだけでも曹操の口髭は白と黄色と黒の三色になっていたと言うのだから、あまりの摩訶不思議さに話を聞いた卞蓮は笑っていた。
「では、これは食べられるのですか?」
「ええ。味は二種類だから、好きなだけ取って食べなさい」
環桃が食べて良いのかと訊ねると、丁薔は遠慮なく食べて良いと促した。
「じゃあ、遠慮なく」
そう言って曹清は皆より先に手を伸ばし、クリームパフを取った。
取ったクリームパフを手に取りまじまじと見る曹清。
大きさは親指の第一関節ぐらいで、赤い褐色の固まった物が掛けられており、それがクリームパフの見た目を固そうに見せていた。曹清は開けた口の中に、そのクリームパフを放り込んで咀嚼した。
「……~~~、蕩ける程に甘い」
噛んだ瞬間、赤い褐色の固まった物は直ぐに噛み砕けた。カリっとした食感がした後に、中から卵の味がする液体が溢れ出てきた。
どっしりとした重みがあり、それでいて甘みがある。
その味に曹清はうっとりとした顔をしていた。
曹清の表情を見て、卞蓮達も手を伸ばしてクリームパフを食べた。
「う~ん。なに、これっ」
「まるで、雲みたいにふわふわして、それで甘くて乳の味がする物が入っていますね」
「私の方は濃厚な卵の味がするわ。何か、ぷりんの味に似ている気がするわ」
孫猫は初めて食べる味に身悶えし、環桃も味の批評をしつつ、その味に悶えていた。
卞蓮は食べてみると、その味に以前食べたプリンに似ていると思い呟いた。
「そうね。蓮の言う通りよ。このくりぃむぱふの中身は生くりぃむとかすたぁどの二つ。そして、蓮が食べているかすたぁどはぷりんと同じ材料で出来るそうよ」
「成程。それで」
道理で、味が似ているなと思い納得する卞蓮。
「ぷりん? あの噂の」
「旦那様の家中では、時折ぷりんについて、口論になる程の魅惑の菓子とか」
孫猫と環桃はまだ食べた事が無いので、どんな味なのか分からなかったが、プリンがどの様な物なのかは聞いていたので話した。
「ああ、あれね」
それを聞いて呆れる丁薔。
丁薔からしたら、カラメルが掛かっていようが掛かってなかろうが、どちらも美味しいのでどっちも良いと思っていた。
しかし、夫の曹操を含めた多くの者達はそれについて口論しているのを見て呆れるほかなかった。
「ははは、まぁ、人の好みはそれぞれですから」
卞蓮も丁薔と同じで、どちらも美味しい派なので、内心で丁薔と同じ気持ちであった。
「もぐもぐ、でも、どっちもそれぞれの美味しさがあるんでしょう。だったら、そうなるのも、無理ないと思いますよ。もぐもぐ、もぐもぐ……」
曹清はクリームパフを猛烈な勢いで口の中に入れて食べていた。
咀嚼する速度が間に合わないのか、頬がパンパンに膨んでいた。
その姿はまるで、リスが食事をしている様であった。
そんな娘の姿を見て丁薔は片眉がピクピクしていたが、曹清は気付いていなかった。
「母上、お代わりを下さいっ」
「……貴方は少しは自重しなさいっ」
皿に盛られたクリームパフが無くなると、口の中に入れていたクリームパフを食べて飲み込むと曹清は笑顔でお代わりを求めると、丁薔は堪忍袋の緒が切れた様で怒鳴り声を挙げた。
そして、茶会は曹清を説教する場となった。
説教される曹清を見て、卞蓮達は可笑しくて笑っていた。
これを機に丁薔と卞蓮の二人は以前に比べて環桃と孫猫の二人と仲良くなる事が出来た。
茶会が終わり、曹昂は丁薔の部屋を訊ねた。
「母上。茶会は滞りなく終わりましたか?」
曹昂は裏方なので、茶会がどうなっているのか知らなかったので訊ねた。
訊ねられた丁薔はチラリと曹昂を見た後、溜め息を吐いた。
いきなり、溜め息を吐かれたので曹昂は首を傾げた。
「はぁ、やはり、私の育て方が間違っていたのかしら? どうして、こんなに手が掛かる子達になったのでしょう……」
「母上。お言葉の意味が分かりかねますが?」
少なくとも自分は曹清みたいな問題は起こしていないぞと思いながら訊ねる曹昂。
「ふぅ、昂。其処に座りなさい」
「はい」
丁薔が傍にある椅子に座る様に促したので、曹昂は言われた通りに座った。
「……良いですか。昂。男たるもの、女性に対して、何かしたのであれば責任を取る事で、初めて一人前の男と言えるのです。それを貴方は、その責任から逃れる様な事をして、母は恥ずかしく思いましたよ」
「は、母上。私が、何かお気に触るような事をしましたか?」
丁薔が言う責任とは何を言っているのか分からず、曹昂は訊ねた。
「はぁ~、全く。母が知らないと思いで? 貴方が程昱殿のご息女と蔡邕のご息女と一夜を共にした事など既に知っているのですよ」
「えっ? いや、でも、あれは」
別に何かした訳ではないと言葉を続けようとしたが、丁薔は手で遮った。
「女性と一夜を共にして、何も無い事など有り得ないでしょう。仮に無かったとしても、一夜を共にしたという時点で、世間はどう思います? 貴方の囲い者になったと思うでしょうに」
「うっ、確かに」
丁薔の指摘に、曹昂は何も言い返す事が出来なかった。
「この話は既に旦那様の耳にも入っております。なので、昂。貴方は御二人を娶る事になりましたからね」
「えええ、そんないきなり」
「貴方がした事なのですから、貴方が責任を取るのが道理でしょう。何か不服でも?」
丁薔は異論は認めないとばかりに、目を細めるので曹昂は何も言えなかった。
「良いですか。貴方は旦那様の後を継いで、曹家を繁栄させる義務と責任があります。それは手を出した女性に対しても、同じ事が言えます。男である以上、異性に憧れるのは自然な事。ただし、一度手を出した以上は、その女性に対して、何かしらの責任を取るのが、男と言うものですよ。それを貴方と来たら」
くどくどと説教をする丁薔。
曹昂はその説教が終わるまで、耐えるしかなかった。
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