豪傑

 孫策と巨漢の男との一騎打ちは、続いていた。


 勇ましい喚声を上げながら、互いが持っている得物をぶつけ合う。


 既に二人は数十合刃を交えているが、疲れた様子を見せなかった。


 二人は鍔迫り合いながら睨み合う。


「強いな。お前。名前は何と言うんだ?」


 孫策は此処まで自分と互角に渡り合える巨漢の男が気になり名前を尋ねた。


「沛国譙県の許褚だ」


「聞かねえ名前だな。農民か?」


「そうだ」


「これ程の腕を持っていて、農民だって言うのが勿体ねえ。どうだ。俺が州牧に推薦してやるぞっ」


「お前はそんな事が出来る程、偉いのか? そうは見えないが」


 許褚は孫策の言葉を信じていない様で、明らかに猜疑していた。


「だから、汝南郡の太守って言っているだろうっ」


 未だに信じて貰えない事に孫策は憮然としていた。


「この野郎っ」


 孫策は怒りを込めて槍を隆々としごいた。


 目にも止まらない速さの突きを許褚は剣一本で防ぐ程の技量を持っていた。


 それで、反撃に転ずると孫策をたじろがせる程の鋭い一撃を放った。


 少しでも気を緩めたら討たれる戦いを程普達はハラハラしながら見守っていた。


 最初は孫策が勝つだろうと、高を括っていたが互角と言って良い戦いを演じているので助太刀したいと思いだした。


 許褚の仲間の方は許褚と互角に戦っている者を見るのは初めてなのか、固唾を飲んで二人の一騎打ちに見惚れていた。


 両雄の戦いはこのまま続くのかと思われたが、其処に鉦の音が響きだした。


 鉦の音を聞いてその場にいる者達は鉦の音が聞こえた方に目を向けた。


 皆が目を向けた先には、馬に乗っている曹昂の姿があった。


「双方。矛を収め給え。豫州州牧の曹昂様の御前であるぞっ」


 護衛として共に連れてきた刑螂が大音声で告げると、孫策達は肩で息をしながら武器を収めた。


 許褚達の方はそれを聞いてぎょっとしつつ、曹昂の顔をジッと見て許褚を含めた者達は何かを思い出したのか、慌てて武器を収めてその場で膝をついて頭を垂れていた。


 曹昂が馬を歩かせて、孫策の傍まで行った。


「山に残っていた黄巾賊の掃討が終わったのに、君が戻らないから心配で探していたよ」


「州牧様直々に探さなくても良いだろうに。まぁ心配を掛けて悪かったな」


 孫策は正直なところ、助かったという思いがあった。


 許褚があまりに強いので、あのまま戦っていたら負けていたかも知れないと思ったからだ。


 その証拠に手が汗を掻いていた。本能で許褚の強さに恐れていた証拠であった。


「まぁそう言わないで。それに探している途中で君がそこに居る人と一騎打ちをしている所が見えてね。先程まで別の場所で観戦していたんだ」


 孫策の言う通りではあるのだが、曹昂としては面白い物を見る事が出来たという思いであった。


 そして、曹昂は頭を垂れている許褚達を見る。


「身なりから見るに農民かな? 名前を聞いても良いかな?」


「はっ。私は豫洲沛国譙県の出身の性は許。名は褚。字を仲康と申します。州牧様のお目に掛かる事が出来まして嬉しく思います」


 頭を垂れながら字と名を名乗る許褚。


 その名を聞いて内心で驚きつつ曹昂は気になった事を訊ねた。


「僕が言うのも何だけど、よく僕を州牧と信じたね」


 曹昂はまだ自分は、まだ十八歳であるのに州牧と言って信じられた事を疑問に思い訊ねた。


「はっ。私は州牧が沛国に来られた時に遠目でありましたが、拝見した事がありましたので。その時にお顔を覚えました」


「ああ、そう言えば。譙県出身だったっけ。何度か通ったな。それでか」


 豫州は潁川郡、汝南郡、梁国、沛国、魯国、そして陳国の六つの郡で成り立っている。


 陳国以外の郡には太守は居るが、人手が足りず曹昂が治める潁川郡と隣り合っているという事で一緒に治めていた。


 時折、陳国へ駒を飛ばして統治が行き届いているかどうかを曹昂は自分の目で確認していた。


 その際、偶に他の郡にも抜き打ちの視察という名目で足を延ばしていた。


 殆どは魯国だが、汝南郡、梁国、沛国の方に行った事があった。


 尤も行ったと言っても郡にある県を数県回っただけだ。許褚の反応から、曹昂が回った県の中には許褚達の故郷である譙県が入っていたのだと察した。


(色々な県に行ったから、何処に行ったか覚えてないんだよな)


 許褚は曹昂の事を覚えている様だが、曹昂からしたら県には行ったが、其処に暮らしている人達の顔までは覚えてはいなかった。


「州牧様の様な偉い方が、私共の様な農民の村まで出向いて、長老や村長に直接話して何か不満が無いかと聞く事など普通は有り得ない事です。それでお顔を見まして覚えているのです」


「それで、俺達の村も生活が良くなったしな」


「んだ。何か畑に撒く薬って事で貰った白い粉を貰って撒いたら、実際実りが良くなったしな」


 許褚達が曹昂を褒め称えるのを聞いて、曹昂は照れているのか頬を掻いていた。


 それで何故か刑螂は自分の事の様に胸を張っていた。


「ああ、おほん。それで、其処に居る賊将の何儀達を捕まえたのは何の為かな?」


「このご時世ですから、金はいくらあっても困りません。ですので、最初は落人狩りをするつもりで、この近くに身を伏せていたんです。其処にこいつらが逃げて来るのが見えたので捕まえたのです。其処にそちらに居る御方がやって来て」


「口論になって、力尽くで奪い合うようになったと?」


「はい。その通りです」


 許褚がその通りとばかりに頭を下げると、曹昂は頷いた。


「では、恩賞を渡すので、其処に居る何儀達を渡して貰おうか。無論、恩賞は今渡す」


 曹昂は懐に手を入れて小さな袋を出した。


 その袋を刑螂に渡した。そして、刑螂は馬から降りて、その袋を許褚に頭の上まで持ってきた。


「殿からの恩賞だ。有り難く貰うように」


「ははぁ」


 許褚は両手でその袋を受け取った。


 許褚が袋を受け取るのを見て、曹昂は孫策を見て何儀達を指差した。


 孫策は直ぐに意図を察して、程普達に手で指示した。


 程普達は何儀達を引っ立てた。


「それにしても、孫策と互角に渡り合えるとは。見事な武勇だ。父上に推挙しようか」


「真ですかっ」


 曹昂が曹操に許褚を推挙すると聞いて、驚く許褚。


「嘘は言わないよ。ついでに、後ろに居る者達も一緒に仕える?」


 農民なので、畑仕事もあると思いながら訊ねる曹昂。


「「「お願いしますっ」」」


 許褚の仲間達は伏してお願いした。


「宜しい。では、許褚」


「はっ」


「一度、故郷に戻って仕官したい者達だけ連れて陳県に来るように。十五日ほど待つ。その日まで来なかったら、仕官する気が無くなったと判断して、僕達は許県に帰る事とする」


「はっ。承知しました」


 許褚は一礼し貰った褒美を手に、仲間達と共に山を下って行った。


 曹昂達はその背を見送ると、陣営に戻った。

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