蝗害

 曹操の命により、曹操軍の兵達は城の制圧に掛かろうとしたが、城壁と城郭と城内は激しく燃えているので、近くの河から水を掬って消火に掛かった。


 数刻後には火は鎮火したので、曹操軍の兵達は城内に入った。


 城内の至る所は黒く焦げていた。爆炎の勢いが如何に強かったのかが、それだけでよく分かった。


 それだけではなく、爆発により多くの建物が破壊され瓦礫を作り、歩くのも困難になるほど散乱していた。


 至る所に黒く焦げた遺体が転がっていた。火にまかれた末に死亡した様だ。


 黒く焦げた遺体は人だけではなく、馬、牛、豚、鳥、羊といった家畜まで真っ黒にしていた。


 動物も人も焼け死んでいるのを見た兵達は血の気が引いた顔をしていた。


 如何に戦とは言え、焼けた人の肉の臭いが漂っている所を自分達が片付け作業すると思えば嫌な気分になるのは仕方がない事であった。


 とは言え、命令なので兵達は渋々だが焼け死んだ呂布軍の兵達の死体と瓦礫の片付けの作業に掛かった。




 城の爆撃が終わった甘寧隊はそのまま停止していた。


 

 白馬県城外の曹操軍の陣地にある本陣。


 陣幕の奥にある床几に座る曹操。目を瞑り腕を組んでいた。


 だが、何か不満なのか眉間に皺が出来ており不機嫌そうな顔をしていた。


 居並ぶ者達は勝利した筈なのに、どうして機嫌が悪いのか分からず互いの目を見て小声で話していた。


「どうしたんだ。殿は?」


「分からない。勝って呂布を陳留へと追い出したのだが」


「もしかして、呂布を討ち取る事が出来なかった事を悔やんでいるとか?」


「有り得ないとは言い切れないが、しかし、我が軍はそれほど被害を出さないで城を落としたのだから大勝と言っても良いだろうに」


 曹操の機嫌が悪いのを見て、部将達はどうした事だと思いながら話していた。


 そんな時に天幕に兵が入って来た。


「申し上げます。妙才様。興覇様が参りました」


「来たかっ。通すが良い」


 兵が夏侯淵達が来たと伝えに来ると、曹操は直ぐに通すように命じた。


 兵は一礼し離れると、天幕から外に出た。


 直ぐに夏侯淵が甘寧を伴い入って来た。


「殿。夏侯淵、ただいま参りました」


「甘寧も此処に」


 夏侯淵達が一礼する。


 親戚ではあるが、公式なので曹操の事を殿と呼ぶ夏侯淵。


 挨拶を受けた曹操は目を開けた。


「二人共。良く来た。早速で悪いが、二人に訊きたい事がある」


「「何なりと」」


 曹操に問われて、夏侯淵達は曹操が何を聞きたいのか分かっているが形式を整える為にそう答えた。


「あの兵器はお前達が作ったのか?」


「いえ、それは違います」


「あれを設計したのは、殿のご子息の曹昂様です」


 甘寧がそう答えるのを聞いて、曹操達は心の中でやはりと思った。


 船を空に浮かばせるなど、並の者では思いつきもしない。


 だが、曹昂は『帝虎』と『龍皇』を作っているのだ。


 爆発する鳥の様な物が出来てもおかしくないと皆は思った。


「あれは、どうやって空を飛んでいるのだ? お主等は知っているのか?」


 曹操が皆が一番疑問に思っている事を夏侯淵達に訊ねた。


 夏侯淵達は顔を見合わせて、どちらが話すかを目で話していた。そして、夏侯淵の方が偉いので夏侯淵が話す事になった。


「俺が訊いた話だと、あの筒から火が出てそれで飛ぶ事が出来るそうだ」


「火が出て飛ぶだと。摩訶不思議な事だ」


「火薬だから出来る事と聞いているぞ」


「……程立。郭嘉よ」


「「はっ」」


「率直に訊こう。もし、あの空を飛ぶ鳥の攻撃を受けたら防ぐ方法があるか?」


 曹操に訊ねられた二人は暫し口を閉ざした。


「「……無理ですね」」


 二人は同時に同じ事を言った。


「籠城している所に、上空からあの様な攻撃を受ければ、間違いなく兵は混乱します。先の攻撃を見ても分かる様に、兵達は生きる為に城門を開けて逃げ出すでしょう」


「加えて、空を飛んでいるのですから、弓の名手でも大型の弩で矢を放っても当たるかどうかも分かりません」


 参謀の二人が無理だと言うのを聞いて曹操は顎を撫でた。


「うぅむ。火薬を作った時も驚いたが、まさか空を飛ぶ物を作るとはな。我が息子ながら末恐ろしい奴よ」


 曹操は誇らしいと思い顔を綻ばせたが、直ぐに顔を引き締めた。


「それで、二人に訊きたいのだが。あの兵器は何と言うのだ?」


「ああ、まだ正式に名前を付けていないが、とりあえず『飛火鳥』と名付けています」


「ううむ。それではそのままであろう。もっと良い名前があるであろう。そうだな…………赤い鳥と空に浮かんでいる事から『飛鳳』と言うのはどうだ?」


 曹操が付けた名称を聞いて、夏侯淵達は文句ないのか頷いた。


「こちらは問題ない。事前に曹昂から『父上が名付けると思うから、それまでは仮の名称で呼ぶ様にしようと』言っていたのでな」


「はははは、あやつめ。父を立てる事を忘れぬとは、出来た子。・・・そう言えば聞き忘れていたが、曹昂はどうしてその様な兵器を思いついたのだ?」


「何でも、蒸籠で食べ物を蒸していると、其処に風で飛んで来た布が蒸籠の上に落ちて来て、それが蒸籠から漏れた温かい風で舞い上がるのを見て思いついたとか」


「それで思いついたと? あやつの頭の中は本当にどうなっているのだ?」


 夏侯淵の話を訊いて、そんな事を思いつく曹昂の想像力には曹操は唸る事しか出来なかった。


 翌日。


 白馬県を制圧する事が出来た曹操軍は暫くの間はこの県に駐屯し、各郡の状況を調べる事に決めた。


 

 白馬県に駐屯してから数日が経った。


 曹操は県城にある一室で郭嘉と程立の三人で情報を精査していた。


「ふむ。他の郡は特に反乱が起きている気配はないようだな」


「呂布は濮陽を落とす事が出来なかったのです。我等の本拠を落す事が出来ない者に助力する様な物好きはそうそう居ません」


「加えて、陳留に撤退したという報は既に州内に広まっています。これにより、呂布を助力する者は減るでしょう」


 程立と郭嘉が分析した結果を聞きながら、曹操は次の報告書に目を通した。


「ほぅ、李乾の息子の李整が体制を整えた後に、冤句県を落としたか」


 曹操はその報告書を読みながら、難しい顔をしていた。


「李乾にもう少し兵を与えておけば良かったか。そうすれば、討ち取られる事も無かったかも知れんな」


 合流した夏侯淵から李乾が敗退した呂布軍を追撃している所に、後詰として派遣された張遼という者が率いる部隊と交戦して戦死したと報告を受けた。


 呂布軍の別動隊が済陰郡を侵攻しているという報を聞いた曹操は済陰郡で顔が利く李乾を派遣して、その別動隊を対処させるつもりであった。尤もその別動隊は定陶県の県令の華雄が撃退したので、李乾を派遣する事はなかった。 


「殿……」


「分かっている。戦場に出れば何が起こるか分からん。だが、故人の事を思うぐらいは良かろう」


 曹操が兗州州牧になる前から仕えた功労者の一人なので、その故人の死を悼む気持ちが一際強い様であった。


「……っと、何時までも故人の事を考えていてはいかんな。今は呂布の事に専念せねば、陳留の方はどうだ?」


 暫し物思いに耽っていた曹操であったが、直ぐに気持ちを切り替えた。


「はっ。陳留に居る密偵の話では、軍を再編成している最中だそうです」


「そうか。では、向こうが大勢を整える前に、こちらから打って出るか」


 曹操がそう言うと、二人は頷いた。


「問題ないと思います」


「このまま南下して、敵を叩き兗州を完全に掌握するとしましょう」


 郭嘉達が賛同してくれたので、曹操も陳留へ攻め込む事を決めた。


「良し。では」


 曹操が進軍の準備をするよう命じようとした所に、兵がやって来た。


「申し上げます! 豫洲汝南郡にて、黄巾賊が現れ郡内で暴れているとの事。勢力を拡大中、潁川郡にも被害が及んでいるとの事ですっ」


「何だとっ」


 曹操は兵の報告を聞いて眉間に皺を寄せた。


「おのれ、豫州に兵が居ないのを良い事に、黄巾賊が暴れ出しおったわ」


 曹操は豫洲に行き黄巾賊の退治を先にするか、陳留郡へ向かい呂布の討伐を先にするか考えた。


「豫州の黄巾賊の方は潁川郡におられる蔡邕様が州牧の曹昂様に文を送り、帰還し討伐するとの事です」


「何だとっ。曹昂はもう陶謙を討ったと言うのかっ」


 予想以上に早く陶謙を討ったのかと思い、驚く曹操。


「いえ、後一歩の所まで追い詰めたのですが、黄巾賊が豫州で暴れているという報を聞いて、帰還する事に決めたそうです」


「なにっ、……いや状況から考えたら、それが一番か」


 陶謙を討った後、徐州を領地にするにしても時が掛かる。その間に豫州が黄巾賊の物になりでもすれば、目も当てられなかった。


 加えて、黄巾賊が暴れているという名目で近隣の諸侯達が攻め込んで領地にする可能性があった。


 その可能性を考えて曹昂は陶謙を討つのを中断して豫州に帰還する事を決めたのだと思う曹操。


「こちらも呂布討伐で兵も兵糧を送る事も出来ん。息子が帰還するのは仕方が無いな」


 徐州を得られない事が少しだけ不満であったが、現状から考えてこれが最善だなと思う曹操。


「それと、燕県の県令からこの様な文が送られました」


 兵は封に入った手紙を掲げた。


 曹操は郭嘉に顎でしゃくると、郭嘉はその手紙を受け取り中身を見ないで曹操に渡した。


 曹操は封を解いて中身を広げて目を通した。


「…………っ⁉ ん、んん……」


 端から目を通していく曹操。


 すると、声を上げようとしたが、訊かれるとまずいと思ったのか咳払いをして誤魔化した。


「ご苦労。下がって良いぞ」


「はっ」


 曹操が下がる様に命じると、兵が一礼し部屋から出て行った。


 兵が見えなくなると、曹操は真面目な顔で手紙を突き出した。


「見るが良い」


 曹操がそう言うので郭嘉達は手紙を受け取り目を通した。


「「…………なっ⁉」」


 二人は手紙を読んでいると、途中から顔が強張りだした。


「と、殿、これは一大事ですぞっ」


「まさか燕県で蝗が大量に発生し、作物に甚大な被害を与えているとはっ」


 手紙には東郡燕県で蝗害が発生したと書かれていた。


 古来より天災の一つとして数えられている蝗害。


 対処を間違えれば、多くの民に被害を出す事が目に見えていた。


「殿。如何なさいますか?」


「……おお、そうだ。イナゴも空を飛んでいるのであれば『飛鳳』に対処させるのはどうだ?」


 曹操はどうしようか考えている所に名案とばかりに手を叩いた。


「あっ、ああ、成程」


「そうですな。何もしないよりかは良いかと思います」


 空を飛んでいるので何か出来るだろうと思い、曹操の案に乗る事にした。


 曹操は甘寧に蝗害が起こったので『飛鳳』で撃退する様にと命じた。


 其処に濮陽に居る荀彧から文が届いた。


 内容は東郡の頓丘県にて蝗害が起こったと書かれていた。


 その文を読んだ曹操は『飛鳳』を二手に分ける事にした。




 兗州東郡燕県。


 その県近くの村々には蝗の大群が飛び回っていた。


 身体が黒くなった蝗により太陽の光さえも遮られた。蝗の群れは飛び回りながら、目の前に稲田を見つけると喰った。


 蝗が通り過ぎた後には、稲は一本も残っていなかった。


 人々は家に入り窓と戸を閉めて蝗が去るのを待った。


 誰も何もしない事で、蝗は好き勝手に飛び回り稲と草木を食い荒らした。食べる物が無くなると共食いを始めだした。


 そうしながら飛び回る蝗。


 その蝗に向かって行く、甘寧率いる『飛鳳』の部隊であった。


 他にも蝗が発生したという報を受けて部隊を二手に分けた。


 それにより五台の『飛鳳』だけ、この地に到着した。


「頭っ。目の前に黒い空みたいのがありますぜ。あれが全部、蝗ですかっ」


「だろうなっ」


「俺達、あの中に突っ込むんですかっ」 


 甘寧の部下は無茶だと言わんばかりに叫んだ。


「俺もそう思う。だから、出し惜しみするなよ」


「分かりましたっ」 


 部下が甘寧に一礼し命令を伝えに行くと、甘寧は他の部下を見る。


 蝗とはバッタが相変異と言われる様々な生活条件による変化によって、異なった姿と行動の個体が生じたバッタの総称だ。


 相変異されたバッタには色々な特徴がある。例を挙げれば長距離移動に適している事と、体色が黒っぽくなる事だ。


 その飛行距離は風に乗る事で誤差はあるが、大体で一日で百~二百キロメートルは飛翔する事が出来る。


 高さも二千メートルも飛ぶ事が出来る。


 なので、蝗は一日で五十里約二百キロメートルを飛び、六百丈約二千メートルの高さを飛ぶ事が出来る。


 この時代の人達からしたら、脅威と言えた。


 甘寧は黒い塊のような蠢いている様に見て、剣を抜いた。


「ここいらで良いだろう。攻撃を開始しろっ」


 甘寧は命じられて部下は台の上に『飛鳳』を乗せて行く。


「これの兵器でどれだけ倒せるだろうか」


 甘寧が呟いている間に『飛鳳』の下部にある筒から、赤い火と閃光が放たれた『飛鳳』は飛び上がった。


 弩の台から放たれた『飛鳳』は大空へ、蝗の群れ中に向かって行く。


 やがて、蝗の群れから爆炎が生まれた。


 その爆発で生じた爆炎と煙にまかれる蝗の群れ。


 殆どの昆虫の呼吸法は腹部横にある気門という孔でする。それは蝗も同じであった。


 蝗は爆炎に焼かれて燃える又は煙を吸い込み呼吸困難になって地面へと落下して行く。


 その爆音を聞いて、村の人々は恐怖した。


 燃え上がりながら飛び回る蝗達は仲間にぶつかり、仲間に火をつけていく。

 

 または、木や森に落ちて火を着けて行き、被害を増やしていく。


 二次被害を生み出しはしたが、何とか撃退する事は出来た。


 結果的に言えば、燕県の殆どの村は蝗の被害で壊滅状態となった。それにより、多くの人達が村を出て方々に流れて行った。


 甘寧達が救った村々も壊滅とまでいかなくても被害は甚大であった。


 頓丘県の方も同じであった。


 その報告を聞いた曹操は戦どころではないと判断し、本拠地の濮陽へと撤退した。







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