辛勝
薛蘭、李封の両大将が討たれたという報は、直ぐに戦場に駆け巡った。
その報を聞くなり呂布軍の兵達は逃亡を始めた。
逃げる呂布軍の兵達の背に、華雄軍の兵達は容赦なく刃を浴びせ大地に倒れさせる。
最早、呂布軍には戦意など全く無いので、一部の兵達は死んだ兵の懐を漁り戦利品を奪い始めた。
その動きに釣られてか、残りの兵達も略奪へと走った。
お蔭で華雄軍は統制が取れなくなり、思う存分に追撃が出来なかった。
追撃から逃れる事が出来た呂布軍は安堵したが、それも束の間の事であった。
其処に援軍として来た李乾軍が戦場にようやく到着し、逃げる呂布軍の兵達に出くわした。
戦場で功を立てる事が出来なかった代わりとばかりに、李乾の軍は呂布軍に襲い掛かった。
抵抗する事が出来ず逃げる呂布軍の兵達。西へ、西へと逃げる。
その背を追い、容赦なく得物を振るい切り伏せて行く李乾軍。
李乾も敵がいないと思い追撃に専念した。その所為で陣形が伸びてしまった。
逃げる呂布軍の兵達。
身なりはボロボロで、無傷な者など一人も居なかった。
皆、何処かしらに傷を負いながらも敵の追撃から必死に逃げていた。
そうして逃げていると、前方から砂埃が立っているのが見えた。
敵の援軍かと思い覚悟を決めようとした呂布軍の兵達であったが、砂埃が晴れて旗が見える様になると、その旗には『張』という字が書かれた旗が掲げられていた。『張』の字を掲げている旗の他にも『呂』の字が書かれた旗もあった。
二つの旗を見て、呂布軍の兵達は安堵の息を漏らし大地に膝ついた。
そうして、先頭の一騎が傷つく呂布軍の兵達に近付く。
「お前達、その軍装から見るに薛蘭、李封の両大将の隊の者達だな。どうして此処にいる? それにボロボロなのは何故だ?」
話しかける騎兵に兵の一人が頭を下げながら答えた。
「はい。文遠様。その通りです。私共は、薛蘭、李封の両大将の部隊の者達です。両大将は先程、敵軍の将の手により討たれました。それにより軍は壊走状態となりました。加えて敵の援軍も来て追撃に加わり、命からがら私共はこうして逃げてきましたっ」
話し掛けた騎兵は陳宮が薛蘭、李封の後詰として送った張遼であった。
張遼は自分の字で呼ぶ兵の話を聞いて驚愕していた。
「なにっ、両大将が討たれたと? 誰にだ?」
薛蘭、李封の二人は兵に信望こそ無いが、個人的武勇は並の者に負ける程弱くはなかった。
なので、張遼は誰が討ち取ったのか気になり訊ねた。
「敵将は華雄と名乗っていましたっ」
「なに、華雄だとっ⁉」
張遼は愕然とした。
董卓軍麾下で名高い豪傑で関羽という武将と戦い片腕を無くしたが、それでも武勇は衰えていない猛将。
「董卓殿の一族の亡骸を奪った後は行方が分からないと聞いていたが、よもやこの様な所に居られるとは・・・・・・」
張遼は考えた。
今、自分が率いる兵は五千。
その兵力だけで、華雄軍と援軍を防ぐなど難しいと言えた。
敗残兵を纏めたところで戦力になるとは思えなかった。
此処は撤退か?と考えていると、追撃に来た李乾軍が喚声を挙げて追いついて来た。
「止むを得ないな。追撃を防いだ後に撤退するぞっ。皆、陣形を整えよっ」
張遼はまず敵の追撃を退ける事にした。
敗残兵を収納しつつ陣形を整える張遼軍。
鋒矢の陣を敷き終えたと同時に、追撃で来た李乾軍が姿を見せた。
「突撃せよ‼」
張遼がそう言って得物を振り下ろすと、同時に兵達が駆け出した。
土煙と共に大地を蹴る馬蹄と軍靴の音が響き渡る。
向かって来るのが何処の誰なのか分からず、少しの間足を止める李乾軍。
その僅かな時間が命取りとなった。
張遼は敵が足を止めるのを見るなり、全速力で駆け出すように命じた。
その命令に従い兵達は駆け出した。
土煙が晴れて旗が見える様になると『張』の字が書かれた旗が掲げられた軍がこちらに向かって来るのが見えた李乾は慌てて陣形を整えた。
だが、追撃に集中していた事で陣形が歪な形で伸びてしまい、直ぐに整える事が出来なかった。
張遼軍は慌てて陣形を整える李乾軍とぶつかり、その勢いのまま李乾軍を突き破った。
真っ二つに裂かれた李乾軍。それでも、李乾は陣形を整えようと指揮を取るが、張遼はそれすらも許さないとばかりに軍を反転させて、二度目の突撃を掛けた。
この突撃で李乾は兵士に討ち取られた。残った兵は李乾の息子の李整が懸命に指揮を取り、何とか軍としての体をなしていた。
「敵軍は最早残党だっ。掃討せよっ」
張遼は兵達に攻撃を命じた。撤退では無く攻撃を命じた理由は、大将が討たれた事で動揺する軍が落ち着いたら、大将の仇討として追撃される事も考えてだ。
先程までしてやられていた呂布軍の兵達は仕返しとばかりに、李乾軍の兵達に襲い掛かった。
今度は李乾軍の兵が逃亡を始め、その背を追い掛け切り伏せて行く呂布軍。
立場が逆転した戦場に、ようやく軍の統制を取り戻す事が出来た華雄軍が到着し、生き残っている李乾軍の者達を救援する為に突撃する華雄軍。忽ち戦場は混沌となった。
「くっ、華雄将軍がこれほど早く来るとはっ」
「文遠様っ、戦場は敵味方入り乱れた乱戦状態です。他の部隊と連携が取れません。此処は退くべきですっ」
「止むを得ないか。撤退する!」
思ったよりも早く華雄軍が来たので張遼は歯噛みしていると、部下が撤退を進言して来たので、張遼は来た道を引き返した。
慌てて引き鉦を鳴らす暇も無く撤退する張遼。
張遼の声が聞こえた兵達と『張』の旗が動くのを見た兵達は慌ててその後を追いかけた。
「追撃はするな。まずは陣形を整える」
華雄は追撃をするなと命じると、生き残った李乾軍の者達の元に向かい状況を聞いた。
そして、華雄軍は生き残った者達を率いて定陶県へと引き上げた。
撤退した張遼は降伏した冤句県で軍を纏めた。
その結果。軍の三分の一を失っている事が分かり、この戦力では籠城するのも心許ないと思い、陳留へと撤退を決めた。
定陶県に引き上げた華雄軍は兵達の傷の治療をしつつ、敵の襲撃に備え周囲の警戒をしていた。
生き残った李整は軍を立て直しつつ、本拠地の乗氏県へ李乾が戦死した事を伝える使者を送った。
そう警戒していると一騎の兵がやって来た。
その兵は夏侯淵の先触れとして来たと言い、夏侯淵軍が補給を受ける為に此処に寄ると告げた。
少しすると『夏侯』と字が書かれた軍勢が近付いて来た。
華雄は城門を開ける様に命じた。
開けられた城門に夏侯淵の部隊が城内に入って来た。
「ようこそ。定陶県へ。県令の華雄と申す」
華雄は夏侯淵に一礼する。
「夏侯淵。字は妙才だ。よろしく頼む」
夏侯淵も馬上から返礼し字を名乗った。
「豫州から来られたので?」
「そうだ。孟徳の息子の曹昂が州の防衛の為に、私と甘寧の二人を置いていってな。呂布が濮陽を襲撃したという報を聞いてな。こうして参ったのだ」
「左様で、それで話に出た甘寧殿はどちらにおいでか?」
「城の外に居る。事情があるのでな、気にしないでくれ」
「……承知した。補給と言うが、兵糧などが足りないので?」
兗州と豫州は隣同士なので幾らなんでも食糧が無くなるのはおかしいと思いつつ訊ねる華雄。
「うむ。そうだ。少しでいいので分けてくれ」
「承知した」
華雄は夏侯淵に現状を報告した。
報告を聞いた夏侯淵は補給を受け終わると、城外にいる甘寧軍と共に北上した。
その甘寧軍は何か大きな物を曳いていたのが華雄は気になったが、それよりも軍の立て直しが急務であったので、それについて考えるのは止めた。
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