定陶の戦い

 呂布が濮陽で曹操と戦っているのと同じ頃。




 別動隊として派遣された二万の軍を率いる薛蘭、李封の二人は冤句県を降伏させて、東進し定陶県城を見上げていた。


 この定陶県は済陰郡のほぼ中央に位置し、この県を落とせば済陰郡を制したと言っても良い程の要衝であった。


「この県を落としたら、どうする?」


「知れた事、このまま東進して乗氏県を攻める。あそこは李一族の本拠地だからな。現当主の李乾は曹操に従っているが、濮陽が落とされたという情報を聞けば我等に寝返るだろう」


 李乾が当主を務める李一族は、済陰郡内では強い影響力を持っていた。


 この時代には、才能のある人物を客と遇して養い、食客と呼ぶ風習があったが、李乾は食客数千を擁していた。


 それだけ済陰郡内では、人望と影響力があるという証拠であった。


 この者を味方にすれば、兗州攻略が容易になるだろうと思われた。


 だが、二人は知らなかった。


 一つは呂布が濮陽を制圧する事が出来ず敗退している事。


 もう一つは此処定陶県の県令が誰なのかを。


 程なく、城に送った使者が首になって供の者の手で戻って来た事を知り、二人は激怒して定陶県への攻撃を命じた。




 包囲する呂布軍は気勢を上げて城へと向かって来る。


 城を守る兵は五千程であった。


 対する呂布軍は二万。あまりに数の差があり過ぎるので、兵達は怯えるが県令は泰然としていた。


 持っている得物の石突で、城壁の床を叩いた。


「動じるな。敵は所詮数を頼む事しか出来ぬ雑魚だ。例え十倍の兵力差で攻められようと落とす事は出来ん」


 県令が自信満々に言うのを聞いて、兵達は少しだけ気を鎮める事が出来た。


 だが、まだ兵士達の士気が上がっていないのを見て、その県令は言葉を続けた。


「昔、私は董卓軍に所属していた時、虎牢関で反董卓連合軍と戦った事がある。その時先鋒は江東の虎と謳われていた孫堅であった。その時の孫堅軍の勢いは激しかったが、私はその孫堅を撃退した事がある。それに較べたら今向かって来る敵軍の勢いなど柔い、柔い柔い。この様な柔い勢いしかない軍に負ける事など有り得んわっ」


 県令が自慢話なのか経験談を語っているのかは分からないが、とりあえず孫堅を相手に生き残ったのは本当なのだと思い、皆は納得した。


「皆、持ち場につけ。敵に目にもの見せてくれるわっ」


「「「はっ」」」


 県令の命令に応え、兵達は持ち場についた。


 兵達が持ち場につくのを見つつ、城を包囲している呂布軍を見る。


「……旗を見るに、呂布は居ないか。ふん、最後のご奉公として呂布の首を討てると思ったが、そう上手くはいかぬか」 


 城を包囲しようとしている呂布軍の旗を見て『薛』『李』の字が書かれた旗は掲げられているが、呂布軍の大将旗は掲げられていなかった。


 県令は残念に思うが、直ぐに気持ちを切り替えた。


「まぁその内、出会う事もあるであろう。その時は容赦なく相手をしてくれるっ」


 県令は斧と槍が合わさった獲物を肩に掛けると、左腕を撫でた。


 驚いた事に、県令の左腕は二の腕から先が存在しなかった。本来腕がある袖の部分は風で揺れていた。


 だが、県令は腕が無い事を気にした様子は無かった。


「ふん。お情けで県令になれたのかと思ったが、まさかこうして戦場に立つ事が出来るとはな。その恩を返さずに敵に寝返れば、戦場で失った左腕が泣くであろうな」


 そう呟く県令は笑みを浮かべて、得物を持った。


「敵軍の包囲が完了し向かって来ますっ」


「良し。敵を引き付け、矢の雨を浴びせよ。敵を退けて、曹州牧より恩賞を貰おうぞっ」


「「「おう‼」」」


 県令の激励に兵達は発奮した。


 そして、県令は城壁にある胸壁に足を掛けて得物を掲げて叫んだ。


「来い。この華雄が相手をしてくれるわっ」


 定陶県県令の華雄は叫ぶと同時に敵軍は攻撃を始めた。


 こうして『定陶の戦い』の幕は切って落とされた。




 華雄が守る定陶県は近くに河があるので、其処から水を引く事で水堀を作っていた。


 その為、穴を掘り地下から攻めるという方法を取る事は出来ず、三方面から攻撃をするしかなかった。


 薛蘭と李封の二人は数に任せて、攻めれば勝てると思い攻めた。


 しかし、華雄が陣頭で指揮を執り防戦した。


 そのお陰で、薛蘭と李封の両軍の被害は日が経つ毎に増していった。


 今回の侵攻は陳宮の手引きにより数の力で威圧すれば、降伏するという話であったので薛蘭と李封の二人は、攻城兵器など作っていなかった。


 なので、蟻附戦術という兵を梯子で登らせるだけという戦い方で城攻めをした。


 薛蘭と李封の二人は補佐という面で優れている反面、呂布に媚び諂い気に入られて重用されている事で、兵達の信望が薄かった。


 その為か、兵達の被害は増すのに対し士気は下がる一方であった。中にはもう勝てないと思ったのか逃げ出す兵まで出る始末。


 それにより城を攻める兵力が更に少なくなるという悪循環に陥っていた。


 


「くそっ、これでは城を落とす事はできんっ」


 城攻めをしている様子を軍の最後尾で、観戦している薛蘭は歯ぎしりしていた。


 数の上では四倍に当たる兵力だというのに、一向に城を攻め落とす事が出来ない事に苛立っていた。


 このままでは兵糧と兵力を失うだけだと分かってはいるので、薛蘭は李封と相談した。


「何時までもこの城に係ってはいられん。他の城を攻めるか?」


 李封はこの城を攻めるのを止めて、他の城を攻めるべきだと提案した。


 それを聞いた薛蘭は少し考えた。


 既に兵力は二万を切っているが、追撃されない為に城を包囲する兵を割いたとしても、残りの城を攻める余力はあると予想する薛蘭。


 そうしようかと思っているところに急報が齎された。


「申し上げます‼ 乗氏県に居る李乾が一万の兵を率いてこちらに向かっておりますっ」


 兵の報告を聞いて薛蘭と李封は飛び上がらんばかりに驚いた。


「馬鹿な、早すぎるっ⁉」


「伝令を送ったにしても、後数日は掛かるであろうに⁉」


 定陶県を包囲して、まだ数日しか経っていない。


 そんな中で、一万の兵を用意して攻め込んで来るなど無理だと言えた。


「ええいっ、このままでは挟み撃ちにされるではないかっ!」


「止むをえん。兵を二手に分ける。李封。お前は向かって来る李乾軍に当たれ。私はこのまま城の包囲を続けるっ⁉」


「心得たっ‼」


 薛蘭が、兵を分けるという苦肉の策に李封は従った。


 そして、太鼓が叩かれたので兵達は慌てて後退を始めた。


 その様子を城から見た華雄は、敵に何かあったと察した。


「敵陣が乱れている。これは好機。打って出るぞっ‼」


「「「おおおぉぉぉ‼」」」


 華雄がそう宣言すると、すぐさま騎兵を用意し自分も騎乗戦の用意をした。


 兵の手を借りて、左腕に鉤状の義手をつける。


 これは騎馬に乗る際に手綱を掴む為に付けている。如何に涼州出身で幼い頃から馬に乗り慣れている生活をしているとは言え、馬を止める時などは手綱を掴まなければ出来ない事であった。


 右手は得物を持つ為、手綱を取る事は出来ない。口に咥えるという方法もあるにはあるが、それでは喋るのに問題が出来る。


 それで義手を作られた。付けられた華雄はこれで馬に乗るのが楽になると分かり喜んでいた。


 華雄は馬に跨り、義手に手綱を引っ掛けて右手に持つ斧槍を天へと掲げる。


「待たせたな。者共。籠城して溜まっていた鬱憤を敵に思いっきりぶつけよ‼」


 華雄が気炎を吐くと、兵達も答えるように声を挙げた。


「開門‼」


 華雄が叫ぶと、兵達は城門を開ける。


 蝶番が音を立てて開き、門が開かれた。


「続け!」


 華雄が我先に駒を飛ばした。


「県令様に続けっ」


「遅れるな!」


 兵達もその後を追った。


 呂布軍は敵は城から出てこないと思っていたので、華雄が兵を率いて突撃して来るのを見て兵達は混乱した。


 薛蘭と李封の二人は兵を静めようと声を張り上げるが、混乱した兵を纏めるなど、至難の業であった。


 敵が混乱していると分かった華雄は、雑兵を討ち取る事よりも本陣へと突撃をした。


 呂布軍の兵達は大した抵抗もせず、逃げ惑うか討たれるかのどちらかであった。


「ふんっ、呂布が居ない軍など、この程度かっ」


 華雄は斧槍を振るい、目に付く敵兵を血祭りにあげながら敵の本陣に進んで行った。


 そうして、本陣に到達すると華雄は立派な甲冑に身を包んだ二人の男を見つけた。


「其処に居るのは敵将か⁉」


「おう、我こそは薛蘭っ」


「わしは李封だ!」


「良い所に出会ったわ。呂布の首を狩る前の肩慣らしに、貴様らの首を貰うとしようっ」


 華雄が血で濡れた斧槍の切っ先を二人に向けた。


「何をっ」


「隻腕の分際で偉そうにほざくなっ」


 華雄の大言に怒る薛蘭達。


 二人は持っている槍で華雄に襲い掛かった。


 華雄は二人の攻撃を余裕で捌いていた。


「ははは、この程度か。呂布も部下には強いのが居ないと見える」


 華雄が余裕綽々なのを見て、薛蘭達は怒りで顔を赤く染める。


 怒りを込めて槍を突くが、華雄は難なく防いでいた。


「ぬるいわっ。この華雄を舐めた報いを受けよっ」


 華雄は横薙ぎ一閃すると、薛蘭の首が飛んだ。


 宙に浮かんだ首は目を見開き傷口から血を噴き出しながら重力に従い地面に落ちた。馬に乗っている胴体もぐらりと揺れると地面に落ちた。


「ひいっ」


 同僚の薛蘭が死んだのを見て、李封は怯えた声を上げた。


 それで意識が逸れた。華雄はその隙を見逃さないとばかりに斧槍を振り下ろした。


 袈裟切りに切られた李封は口からも傷口からも血を噴き出しながら、馬上で事切れた。


「敵将、薛蘭と李封はこの華雄が討ち取ったわっ」


 華雄が宣言すると、呂布軍の兵達は慄いて逃げ出した。


「敵はそこら中に居るぞ。討ち取って手柄にせよっ」


 華雄は将が居ない呂布軍を掃討に掛かった。

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