裏切りの理由

 曹操が濮陽で呂布への対応を決めているのと、同じ頃。




 兗州陳留郡陳留県城。


 城内にある部屋の一つに張邈の姿があった。


 椅子に座りながら腕を卓に置いていた。落ち着かないのか膝が揺れていた。


(…………済まない。曹操)


 張邈は今更ながら、そう思ってしまった。


 呂布を自分が治めている郡に招き、兵を与えて濮陽へと進軍させた。


 今、濮陽には曹操は居ない。


 なので、呂布の武勇をもってすれば難なく落とす事が出来ると思われた。


 城内には曹操の家族も居るだろうが、流石に陥落前に逃げるだろうと期待していた。


(これも生きる為なのだ。許してくれ)


 張邈は心の中で、曹操に詫びた。


 張邈が曹操に反旗を翻えした理由、それは生きる為と野心の為であった。


 話は反董卓連合軍の時まで遡さかのぼる。


 袁紹が連合軍の盟主になった後、董卓を討つべく集まった諸侯に酒宴に招いた。その席で自分の家の家格を自慢して集まった諸侯達の家の家格を見下し驕る様になった。


 礼儀としてその席に参加していた張邈は袁紹の態度に怒り責めた。


 だが、袁紹は非難された事が気に食わなかった様で、曹操に「張邈を殺す方法はないか?」と相談した。


 聞かれた曹操は溜め息を吐いた後に、袁紹に張邈との関係を思い出すように言い、その後に自分と彼は親友だからそんな事は出来ないときっぱりと断言した。


 曹操にそう言われた事と、張邈とは心を許しあい互いの危難の際には駆けつける仲間である『奔走の友』という交わりを結んでいた事を思い出して何も言えなくなった。


 更に曹操はその張邈がそう言うのだから、少し態度を改めるべきだと言うと袁紹も曹操の言葉に異論がなかったのか、酒宴を開いても参加した諸侯達を見下す様な態度を取る事はしなくなった。


 後日、その話を聞いた張邈は曹操に深い恩義を感じ、より友好を深める事になった。


 そんな関係であった為か、後に連合軍が解散し兗州東郡太守の王肱が黄巾賊と戦いで戦死した際、袁紹から使者が送られてきた。その使者から後任の東郡太守に曹操を推薦したという話を聞いて喜んでいた。


 兗州州牧の劉岱が戦死した際も、曹操が後任になる様に張邈は尽力した。


 曹操も張邈のお蔭で、州牧になれた事が分かっているので、冷遇どころか厚遇していた。


 張邈も曹操の統治に力を貸していたが、内心である思いが渦巻いていた。


 親友が州牧になったと言うのに、自分は一郡の太守のままなのか?と。


 馬鹿な事と思いはしたが、その思いは張邈の頭の中から振り払う事が出来なくなった。


 そんな時に、また袁紹から使者がやって来た。


 呂布が戦の戦功で驕り、自分が治める領内で略奪を働いたので、もし見つけたら捕まえて殺すか自分に引き渡すようにと使者が耳打ちしてきた。張邈はとりあえず了承した。


 そして、使者が帰ると、今度は元冀州州牧の韓馥が部屋で首を吊っているという報告を齎された。


 張邈はどうして韓馥がそんな事をしたのか分からず調べると、袁紹の使者と話し、何かを耳打ちをしている所を偶々見てしまい、これはきっと袁紹に引き渡すように命じられたのだと勘違いして絶望し、自殺したのだと分かった。


 張邈は早合点をと思いながら、礼儀として葬儀をあげた。


 葬儀をあげてから数日程すると、呂布が自分の領内に頼って来た。


 袁紹から使者の話は聞いていたが、捕まえる前に呂布から話を聞く事にした。


 呂布は隠す事が無いのか、袁紹が戦で功績を立てても恩賞を与えなかったので、略奪を働いたら刺客を放ってきたので逃げて来たと張邈に言った。話を聞いた張邈は呆れつつ呂布を歓待した。


 袁紹と親しくしていると事前に聞いていたが、それなのに歓待してくれる事に呂布は感謝した。


 何時までもいれば張邈の迷惑になると思い、別れの際手を取り合って共にある誓いを立てた。


 もし、力を貸して欲しい時があれば呼べば何処に居ても駆けつけると。


 そして、呂布は同郷で河内太守の張楊の元へ向かった。


 呂布が発って数日後、袁紹の使者がやって来て呂布を捕まえなかった事に袁紹が怒っていると伝えて来た。


 張邈は使者には呂布の言い分を聞いて、捕まえる程の事はしていないと言うと使者は怒って帰って行った。


 帰る際「この事は我が主に伝えます。後悔されても知りませんぞっ」と言った。


 張邈は最初聞き流していたが、後になると今回の件で袁紹が攻め込んで来るのでは? もしくは曹操に頼んで、自分を殺すのではないかと思い出した。


 そう思うと悩みだす張邈。


 そんな折に、曹操の父曹嵩と弟達と一族の者達が陶謙に殺されるという事件が起こった。


 曹操が陶謙に兵を挙げると聞くなり、手紙で「私怨で戦をするのは止めるべきだ」と諫言した。


 だが、曹操は「幾ら君の言葉でも聞く事は出来ぬ」と返信が返って来た。


 その後も張邈は諫める手紙を送ったが、曹操は聞き入れる様子はなかった。


 やがて、袁紹から援軍が来た事を聞いて、張邈は恐怖した。


 もし、援軍の送った見返りに自分を討てと袁紹が曹操に命じるかも知れなかったからだ。


 調べた所、袁紹は元泰山郡の太守の応劭が自分の元に居るので助ける為に、援軍を送ったと分かったが、張邈は信じられなかった。


 何せ、非難しただけで殺せと命じた男なので、それを建前にしているだけとも考えられた。


 使者の負け惜しみの言葉が、今になって張邈の身に突き刺さった。


 曹操率いる軍が濮陽を出陣し、張邈が治める陳留郡を通った時も攻撃されるのではと思い警戒していたが、ただ通過しただけであった。


 安堵したのも一瞬で、徐州の戦が終われば攻め込んで来るかも知れないと思った張邈。


 そう不安に陥っている所に、実弟の張超が声を掛けて来た。


「兄者。今濮陽は空も当然だ。今攻めれば、東郡だけでは無く兗州全てを兄者の物にする事が出来るぞ」


「何を馬鹿な事を」


 だが、張超の言葉に、張邈の心は揺れていた。


 このままでは袁紹に殺されるか、良くても一生一郡の太守で終わるかも知れなかった。


 乱世に生まれた以上、己の才覚を天下に知らしめたいと常々思っていた張邈。


 そうでなければ、反董卓連合軍に参加などしなかった。


 兗州は中原に位置し北は冀州と青州。南は豫洲。東は徐州。西は司隷と四方どこからでも攻め込まれる土地だ。


 逆を言えば四方どこからでも攻め込む事が出来る土地という事だ。此処を制するという事は天下に躍り出る事が出来る。


 そう思うと、張邈は心が踊ったが、義に背くと思い振り払った。


「だが、兄者。曹操を信じて良いのか?  兄者の言葉を聞き入れなかったのだぞ。信じるのは勝手だが、向こうが裏切るという事も考えられるぞ」


 弟の言葉に、張邈は言い返す事が出来なかった。


 それどころか、首を吊って自害した韓馥の姿が脳裏に浮かんだ。


 経緯はどうあれ裏切られたという思いで、自殺した韓馥。


 自分もこのまま曹操を信じていれば、同じ様な事になるのではと疑心暗鬼に陥る張邈。


 其処まで考えた張邈は決断を下した。


「…………張超。直ぐに兵を集めよ。そして、お前と親しくしている者達に声を掛けよ。そして呂布を此処に呼ぶのだ」


「応!」


 張邈の言葉に張超は心得たとばかりに返事した。


 そして、張邈と張超が親しくしている従事中郎の王楷、許汜と張楊の元に居た呂布と陳宮が張邈の元にやって来た。


 張邈は皆に挨拶を交わし、そして呼び寄せた目的を話した。


「わたしは兗州を我が物とする。ついては、皆には力を貸して欲しい」


 張超から事前に話を聞いていたのか、誰も異論はない様で皆頷いた。


 その中で陳宮が前に出た。


「張邈殿の人望と不肖わたしめの知略。そして、呂布殿の武勇をもってすれば、如何に曹操が相手と言えど兗州を手にする事は容易いでしょう。つきましては、張邈殿に尽力した見返りを今ここで約束して頂きたい」


「何か?」


 行動を起こす前から見返りを求める事に張邈は内心で気が早いと思うが、とりあえず聞いてみる事にした。


「兗州を支配する事が出来ましたら、張邈殿と呂布殿で共有したいと思います」


 陳宮の尽力の条件を聞いて、少し考えた。


 兗州を我が物にしたとしても、直ぐに四方から攻められる可能性があった。その為に呂布を呼び寄せたのだ。


 まだ乱世が続く以上、此処は呂布を立てておくのが良いかと思った張邈。


(裏切るかも知れぬが、四方に敵が居るのだ大丈夫であろう)


 そう思い張邈は陳宮の要求を受け入れた。


 その後、張邈達は綿密に計画を練り、兗州内の陳宮と張邈の知人達に声を掛け回った。


 それが完了すると、張邈は呂布に一軍を預けて自分は陳留に留まった。


 表向きは後方支援だが、本心では曹操の居城を攻める事に躊躇していたのだ。


 


 数日後。




 陳留の張邈の元に衝撃な情報が届いた。


「報告! 呂布殿率いる軍が濮陽に攻め込んだ所、曹操が現れて迎撃されました。曹操軍の勢いに押されて、呂布軍が敗退し白馬県に撤退し態勢を立て直ししておりますっ」


「報告! 我らの反乱に応じた県は白馬、燕県、冤句県の三県のみです!」


「は…………?」


 張邈はあまりに信じられない報告に耳を疑った。


「そ、曹操が濮陽に居るだと⁉」


 徐州に居る筈の曹操が濮陽に居るという事に加えて、反乱に応じた県が三つしかない事も信じられなかった。


「な、なな、どういう事だ。これはっ」


 張邈はそう叫んだが、誰もその声に応える事は出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る