果報は寝て待て

 数日後。




 曹操の元に急使がやって来た。


「申し上げます。先日、徐州より兵が襲来し、泰山郡の費県・華県において略奪を行いました」


 使者の報告を聞いて、謁見の間に居る者達はざわつきだす。


「徐州の陶謙は、何を考えているのだ?」


「我等に、戦を仕掛けるつもりか?」


「むぅ、領地を隣に面してはいたが、今まで何も言わず何もしなかった陶謙は何が目的なのだ?」


 室内にいる者達は、相手の目的が分からず困惑していた。


「静まれ」


 このままでは意見が飛び交うだけの場になると察した曹操は声を発して、皆を制止させる。


 その声でピタリと議論が止まると、曹操は荀彧を見る。


「文若よ。お主はどう見る?」


 曹操にそう訊ねられると、荀彧は一礼しつつ答えた。


「我が君。これは明らかに挑発です。陶謙は我が君が兗州を豊かにしている事が気に食わないのでしょう」


「ふんっ、自分の所とて、流民を自分の州の民にして豊かにしているというのにか?」


「誰しも、人は自分の物よりも人の物の方が良く見えると言いますから」


「かも知れんな。それで、その兵達はまだその二つの県で略奪をしているのか?」


「いえ、もう兵は引き上げました」


 使者の報告を聞いて曹操は頷いた。


「領内を攻められ略奪をされて黙っていては、私の沽券に係わる。誰ぞ、徐州へ軍を率いて我が軍の武威を示す者はおるかっ」


 曹操が大声を上げながら訊ねると、夏候惇と曹仁が前に出た。


「孟徳。此処は俺に任せよ」


「いや、此処はこの曹子孝で十分だ」


 戦場で武功を立てるのは、武人の誉れと分かっている二人は譲る気配が無かった。


「ふん。お前は大して戦場に出ていないだろう。此処は俺に譲るべきだろう」


「いやいや、夏候惇が出る程の相手は居ないだろう。此処は俺が出るべきだ」


 二人は睨み合う。


 曹操もどちらにしようか考えていると、其処に曹昂が声を掛ける。


「では、御二人に任せるというのはどうですか?」


 曹昂がそう言うと、同時に兵士に手で合図をした。


 すると、兵士は床に大きい巻物を広げた。


 それは徐州の地形が大まかに書かれた地図であった。


「徐州は東海郡。広陵郡。琅邪国。彭城国(楚郡とも言われているが、本作では彭城国とする)下邳国の五つの郡により成り立っています。この兗州に面しているのは琅邪国と東海郡の二つです。敵もそう考えて二つの郡に兵を集中して配備するでしょう」


 曹昂は袖から白い碁石を地図の上に置く。


「ふむ。定石で言えばそうであろうな」


「其処で我等の利点を使います」


「利点だと?」


「はい。まずは夏候惇殿が東海郡を攻めます。敵の注意をそちらに向けている間に」


 味方を示す黒い碁石を東海郡と書かれた所に置いて、もう一つの黒い碁石を下邳郡に置いた。


「曹仁殿率いる騎兵部隊を中心とした部隊で、下邳国を攻めます」


「どうやって……ああ、豫州を通ってか」


「はい。僕達は州を二つ有しております。そのどちらとも徐州に面しているのですから、その利点を生かすべきです」


 曹昂の策を聞いて曹操も満足そうに頷いた。


 郭嘉も感心そうな声を上げる。


「更に敵の目を惹きつける為に、豫州で彭城国に面する郡からも兵を出せば、敵も下邳国を狙っていると思わないでしょう」


「お見事です。若君」


 程立が曹昂の献策を聞いて称えた。


 程立の目から見ても、これと言って問題と言えるところが少ないので悪くないと思った。


「息子よ。お前の献策は悪くないが、一つ欠点がある。それは分かるか?」


「は、はい。兵糧ですか?」


 曹昂は恐らく言われるだろうなと思いながら答えた。


「そうだ。軍を二つを動かすのだ、通常の倍は必要という事だ。私が州牧になって日が浅いとは言え、それなりに豊かではあるが。文若よ。兵糧を其処まで用意できるか?」


 早々に問題が分かっている曹昂に、満足そうに頷きながら荀彧に訊ねる。


 そう訊ねられた荀彧は暫し考え込んだ。


 城内の蔵に収まっている食料の量を考えているようだ。


「……申し上げます。城内の蔵の量から考えますと、長期戦は出来ませんが若君の策は行う事が出来ます」


「そうか。しかし、長期戦は出来んか。どうするべきか」


 曹操はどうするべきかまた考え出した。


「では、両方の軍に攻撃目標を決めて、其処を落したら撤退とするのは如何ですか?」


「ふむ。悪くないな。曹昂、文若、仲徳、奉孝よ」


「「「「はっ」」」」


「お主等で話し合い、何処を攻撃するか決めるが良い。その間に出陣の準備をするぞ」


「「「おおおおおおっ」」」


 曹操がそう宣言すると、皆は直ぐに出陣の準備に掛かった。


 曹昂も荀彧達と作戦会議が行われた。


 だが、曹昂と曹操は出陣の準備が行われるという事と此処暫く会って居なかった事で忘れていた。


 琅邪郡には、二人の家族である曹嵩達が居る事を。




 徐州侵攻の準備を進めると同時に曹操は陶謙の元に此度の兗州で行った略奪についての、詰問の使者を送った。


 向こうの言い分を聞く為というよりも、釈明し略奪被害の賠償を行うのであれば許そうと思ったからだ。


 だが、その使者は陶謙に会うどころか、門前払いされる始末であった。


 もう一度使者を送ったが、今度は弓矢で無理矢理追い払われる様になった。


 これには曹操も激怒した。そして、自分も出陣すると言い出した。


 曹操がそう言いだしたので、曹昂は荀彧達と改めて策を練り直した。


 結果。曹昂が立てた策を大本にして、徐州を攻める事に決定した。


 違うのは、夏候惇、曹仁だけではなく曹操も出陣する事となった。


 まず、曹操が泰山郡から東海郡へ攻撃を仕掛ける様に見せて、夏候惇と曹仁が豫州を通り彭城国と下邳国を攻撃するという事となった。


 軍を三つも出すという事で、その分兵糧の負担が増えはするが、これなら確実に相手に大打撃を与えられると、荀彧達参謀が太鼓判を押した。



 数十日後。



 濮陽城内に数ある部屋。


 その一つに曹操は甲冑を纏った姿で家族に出陣前の挨拶をしていた。


「では、私が居ない間、後の事は任せたぞ。薔」


「はい。旦那様」


 正室である丁薔と目を合わせて、言葉を交わす曹操。


 それを見ていると、曹昂は仲は悪くないんだよなと改めて思う。


 一頻り話すと、その隣に居る卞蓮の前まで行き互いの手を繋いだ。よく見ると、卞蓮の腹が膨らんでいた。


(そう言えば、そろそろ三男の曹植が生まれる頃か)


 その側で幼い曹彰を抱えている女性を初めて見たが、恐らく乳母だろうと予測する曹昂。


「御武運を」


「うむ。戦勝を期待して待っていてくれ」


 卞蓮にそう言うと、曹操は卞蓮の腕の中に居る曹彰の頭を撫でると、次に曹昂の元に来た。


「お前は長男だ。私が居ない間、この城は任せたぞ」


「お任せ下さい。父上」


 曹昂は胸を張って言うと、曹操は笑みを浮かべて頬を引っ張った。


「頼もしいな。それと、帰って来たら美味い物が食べたい。用意する様に」


「はい」


「そうだな。今まで食った事がない肉料理が良いな。肉の種類は任せたぞ」


「……はい」


 今、注文する事かな?と内心で首を傾げながら思う曹昂。


「それと、前食べたぷりんあらもーど?だったか。あれも食べたいので用意する様に、無論、からめる無しでだ」


「……は、はぁ」


「それと、お前が作った『帝虎』と『竜皇』は持っていくからな。構わんな?」


「はい。どうぞ、ご自由に」


 訊ねる順番逆では? と思いつつ答える曹昂。


 それで、曹昂に話す事は終わったのか、曹清の元に行く。


「習い事がつまらないからと言って逃げるでないぞ。まぁ、偶にであれば良いがな」


「本当ですかっ」


 曹操自身も遊び惚けていた時期があったので、叱る事が出来なかった。


 曹清は曹操の言葉を聞いて顔を喜ばせるが。


「オホン」


 丁薔が咳払いをしつつ、横目で曹清を見た。


 その目力に曹清は身体を震わせると、苦笑いを浮かべた。


「ははは、い、嫌ですよ。父上。私はちゃんと習い事を行う子ですよ」


「そうか。まぁ、あまり、お転婆が過ぎると嫁に行く所が無くなるので、程々にな」


 曹操は最後に曹丕の元に来た。


「お前は兄上の補佐をせよ。良いな」


「はい。ちちうえ」


「宜しい。では、行って参る」


 曹操は皆の前を通り、颯爽と部屋を出て行った。


 部屋を出た曹操は城の中庭に待たせている兵達に向けて、剣を掲げた。


「出陣するぞ。我等の土地を犯した無法者に誅罰を与えてくれるっ」


「「「おおおおおおおおおっ」」」


 曹操が剣を天へと掲げながら、高らかに宣言すると兵達は喚声を挙げて応えた。


 そして、曹操は軍を率いて出陣した。途中で夏候惇と曹仁の部隊と別れた曹操は、泰山郡へと向かった。

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