第五章

残酷な宴

 初平二年西暦百九十一年。十二月。




 後もう少しで、年越しという時期に長安の近くにある郿城にいる董卓の元に孫堅が敗死した情報が齎された。


「ははは、そうか孫堅が死んだか。はははは」


 上座に座った董卓は、孫堅が死んだという報を聞いて手を叩いて喜んだ。


「真に。これで相国に歯向かう敵が減りましたな」


 側にいる李儒も、董卓に賛同する様に喜んだ。


 董卓は手を叩くのを止めたが、顔は喜色満面のままであった。


「李儒よ。今宵は宴を行うぞ。諸卿大臣達を我が城に呼び寄せよ」


「ははぁ。承知しました」


 李儒は一礼して、離れて行こうとしたが、董卓は呼び止めた。


「待て。李儒。これを機に朝廷に蔓延る不穏分子を一掃するぞ」


「不穏分子ですか? それはいったい誰の事でしょうか?」


 今の所、歯向かう者達が誰なのか分からない李儒は誰なのか分からず訊ね返した。


「決まっている。衛尉の張温だ」


「あの者ですか。しかし、罪状が」


「ふん。前々からあ奴は袁術と親しくしているそうだ。其処を使う」


「では、張温を呼び寄せて袁術と内通しているという事で」


「そうだ。張温の処刑が終わったら…分かるな?」


「承知しました」


 李儒は頷くのを見て、董卓は宴が楽しみなのか笑い出した。



 その夜。



 郿城の大広間にて、宴が行われた。


 山海の珍味を取り寄せて、目も鼻も楽しませた。


 宴を楽しませる音楽が鳴り響く。


 宴に参加している大臣達は楽しみつつも、今日は何のお祝いで宴が行われているのか知らないのでいた。


 その内、董卓か誰かが教えてくれると思い、それまで酒と料理を楽しんだ。


 そんな折、董卓が手を掲げると音楽が鳴り止んだ。


「皆の者。今宵は宴に集まり、楽しんでくれている様で何よりだ」


 董卓が酒を掲げつつ言う。それを聞いて大臣の一人が気になっていた事を訊ねた。


「相国。今宵はどのような祝いで宴を行われたのですか?」


 大臣の問いかけに、董卓は直ぐには答えず含み笑いをし酒を煽った。


 側にいる侍女に酒を注がせながら、董卓は面白そうに話した。


「今宵の宴は、儂に歯向かう仇敵の孫堅が死んだ事を祝っての宴だ」


 それを聞いて、大臣達は顔を顰めた。


 まさか、人の死を祝って宴を行うと聞いて、祝うなど彼らの常識では有り得ない事だからだ。


「ははは、しかも、嘗ては儂と歯向かう仇の劉表と戦い敗れたそうではないか。滑稽な事では無いか。はははは」


 董卓は面白いのか笑っていたが、大臣達は顔を凍り付かせるだけであった。


「どうした? 皆の者。面白くないのか? うん?」


 董卓が笑うのを止めて、そう訊ねて来た。


 董卓の顔を見て、これは笑わないと殺されると思ったのか、大臣達は顔を引きつらせながら笑い出した。


「そうか。それ程に面白いか。皆も儂と同じ気持ちで嬉しく思うぞ。ははは、さて、音楽を鳴らせ。宴を楽しもうぞ」


 董卓が笑顔で、そう言うので楽士達は楽器を取り音を鳴らした。


 音楽が鳴りだしたので、大臣達は料理と酒に手を付けて嫌な気持ちを紛らわせた。


 その大臣達の中には、王允と張温の姿があった。


 二人は長く朝廷に仕えた事で、古くからの友人であった。その事を考慮してか隣の席であった。


「今宵の宴が、その様な事で開かれたと知っていたか?」


「いや、知らぬ。知っていれば、来なかったものを」


 張温の問いかけに王允は首を振りながら溜め息を吐いた。人の死を祝う宴など二人の常識からしても考えられない事だからだ。


 その後、二人は無言で酒と料理を食べたが、今回の宴の趣旨を聞いて美味しいという思いがしなかった。


 このまま宴が、終わるのを待つだけだと思われたが。


 其処に呂布が入って来た。


 呂布は董卓に一礼すると、宴の席に居る大臣達を睥睨した。


 そして、張温を見つけると、近づいてその襟首を掴み引きずり出した。


「な、なにをする⁉」


「黙れ。謀反人。貴様が袁術と繋がっている事など、相国はお見通しだっ」


「何を言って、濡れ衣だ!」


「黙れっ」


 呂布は張温を引き摺り、董卓の前まで連れて来た。


「張温。まさか、袁術と親しくしているからと言って、その袁術と通じるとは」


「ま、お待ちください。相国。わたしは袁術と通じてなど」


「黙れい‼ 呂布。裏切り者の見せしめとして、この場で斬れっ」


「はっ」


 董卓の命令により、呂布は腰に下げている剣を抜いた。


 煌めく刃を見て、張温は顔を引きつらせる。


 恐怖のあまりに言葉が出ないのか、口をパクパクさせた。


 呂布は容赦なく刃を振り下ろし、張温の首は胴体と泣き別れとなった。


 斬られた張温の首が床に落ちると、一拍置いて胴体も床に倒れ切赤い花を咲かせた。


 大臣達は一様に恐怖の叫び声を挙げ、持っていた箸や杯を取り落として顔を青ざめた。


「はははは、裏切り者には良い末路よ」


 張温の首を見て董卓は笑いながら酒を煽った。


「呂布。首尾はどうであった?」


「はっ。張温の家族一族は殆ど捕らえました」


「殆ど? 何人か逃がしたのか?」


「はっ。張温の娘と孫が家人と共に逃げ出て今、探させております」


「……まぁ良い。明朝、捕らえた張温の一族は処刑しろ。その二人も見つけ次第処刑せよ」


「はっ」


 呂布はそう言って一礼して部屋から出て行った。


 呂布と入れ替わる様に兵士が入って来て、張温の死体を片付けに掛かった。


 片付けられる友人の死体を見て、王允は人知れず涙を流した。



 宴が終わったその日。



 参加した者達は沈痛な表情で、郿城を出て長安に急遽作られた自分達の屋敷へと戻った。


 王允も馬車に揺られながら、目に涙を浮かべていた。


 長年の友人の張温が死んだ事を悲しんでいた。


(ああ、長生きはするものではないな……)


 目の前で友人が殺されても、何をする事が出来ない自分に腹を立てるが、しかし、自分一人では何も出来ない無力感に王允は世の無情さを嘆いた。


 そして、馬車が屋敷に着き王允が籠から降りると、物陰から誰かが出て来た。


「うん? お主らは」


 王允は物陰から出て来た者達の顔を見て驚いた。


「お久しぶりですっ。王允様」


「お久しぶりですっ」


 物陰から出て来たのは先程の宴で殺された張温の一人娘の張泉ちょうせんと言い、もう一人は孫の張允であった。


 二人の他に家人と思われる者達数名居た。


 皆、慌てて逃げて来たのか、身なりはボロボロで埃と泥塗れであった。


「張泉と張允ではないかっ」


「王允様。どうか、どうか、暫くの間で良いので匿って下さい」


「お願いします。父の長年の友人である貴方しか頼れないのですっ」


 二人は頭を額づかんばかりに頭を下げた。


「詳しい話は中で聞こう。ともかく、入りなさい」


 このまま居たら、董卓の手の者に見つかるかも知れないと思い王允は張泉達を屋敷の中に入れて門を閉じた。


 張泉達は、まずは身なりを綺麗にした。 


 それから、二人は王允の書院に案内された。


 部屋に入った二人を王允は笑顔で出迎えた。


「少しは気持ちが落ち着いたか。家人達は腹を空かせていたのか、今食事を与えている。お主らも腹が空いているのであれば、何か料理を持って来させるが?」


「いえ、結構です」


 張泉はそう言って用意された椅子に座ると、張允もその隣の席に座った。


「この度は我らを匿って頂き感謝します」


 張泉は頭を下げて感謝を述べると張允も倣うように頭を下げた。


 王允は気にしなくていいとばかりに。手を振る。


「お主らの父とわたしは友人だ。その友人の子供が頼って来たのに無下にすれば、あの世に居るお主らの父に詫びようがない」


 王允の話を聞いて、二人は既に張温が亡くなった事を知った。


「子師様。ではお祖父様は」


「……郿城にて内通の罪という事で処刑された。わたしの目の前で」


 その時の光景を思い出したのか、王允は拳を握る。


 それを聞いて張泉は気が遠くなったのか、倒れそうになったのを張允が支えた。


「気をしっかりと持ってください。叔母上」


「う、うん」


 甥の声掛けに、張泉は気を取り戻した。


 二人は叔母甥の関係だが、張泉は十一歳。張允は十六歳と五歳年下である。


 だが、序列で言うと、張泉は張允の叔母にあたる。


 余談だが、張温の妻は張泉を生んだ後、産褥で亡くなった。


「わたしが聞いた話では一族は捕まったと聞いたが」


「はい。父が屋敷を出た後、直ぐに董卓様の兵が屋敷にやって来て謀反の証拠を探す為と言って入って来て、その探している最中に謀反人の疑いがあるので捕縛すると言って一族の者達は捕まりました。抵抗した者は容赦なく殺されて……」


 張泉は話していて、その時の事を思い出したのか、涙を浮かべた。


「わたしと叔母上は父と家人の手により、逃げ出す事が出来ました。このまま長安に居れば捕まる事は分かっていたのですが、全ての門を封鎖されて逃げる事が出来ず、それで子師様を頼る事にしたのです」


「そうであったか。なに、今すぐとはいかないが。その内、長安から出す手引きをしよう」


「おお、ありがとうございます」


 張允は頭を下げて感謝を述べた。


 張泉も頭を下げた。


 王允は使用人に二人を別室に案内させて一晩を明かさせた。



 翌日。



 流石に張温の親族を二人を一緒に与れば、一緒に捕まると思った王允は長安を脱出する時まで、張允達を別々の場所で匿う事にした。


 王允は信頼する知人に張允を預ける為に、張允と共にその知人の下に向かった。


 張泉は王允の屋敷に居る事となった。


 客人という事で、張泉はする事が無く暇そうにしていた。


 使用人達は忙しそうに仕事をしているので、遊び相手も居なかった。


 王允が帰って来るまで暇だなと思う張泉。


 其処に屋敷の門扉が激しく叩かれた。


『開けろ‼ 開けぬか⁉ 我らは董相国の命で参ったのだぞ‼』


 扉を叩いている者は、良く聞こえる様に大声を上げた。


 その声を聞いて使用人が慌てて、扉に掛けている閂を取り扉を開いた。


 と同時に武装した兵士達が、屋敷に無理矢理入り込んで来た。


「な、何事ですか⁉」


「此処に謀反人の一族が逃げ込んだかも知れぬ。屋敷の中を探させて貰うぞ‼」


 使用人が訊ねると、兵士を率いて来た将である呂布が使用人に来た理由を述べた。


「そんなっ⁉ 屋敷の主は不在です。主が不在の時に、その様な事をされては困ります。せめて、主が戻るまでお待ちを‼」


 使用人も張泉が居る事を知っているので、もし見つかれば、自分達も連座に連れて行かれ処刑されるのではと思い捜索を止めて貰おうと頼んでみた。


「五月蠅い! 相国の命に背くと言うのであれば、この場で斬る⁉」


 使用人に一喝し、剣を抜く呂布。


 陽光に当たり煌めく刀身を見て、使用人はこれ以上は無理と判断した。


 兵達は屋敷中を探し回った。


 呂布も剣を手に持ちながら一人で屋敷中を探し回った。


 そして、ある部屋に入るとまだ小さな張泉が居るのを見つけた。


「・・・・・・ひっ⁉」


 剣を持って入って来た呂布を見るなり、その張泉は悲鳴をあげた。


 張泉は自分が謀反人の一族という事が分かっている為、絶望に染まった顔をしていた。


 その張泉を見た呂布はと言うと、その張泉を見て直ぐに手配書に描かれている娘だと分かった。


 後は、このまま連れて行けば良いだけなのだが。呂布は躊躇していた。


(・・・・・・娘がもう少し大きくなったら、このぐらいになるか)


 張泉を、数年前に生まれた実の娘と重ねて見ていた。


 そして、このまま張泉をこのまま連れて行けば、間違いなく処刑される。


 その光景を思い浮かべると、嫌な顔をする呂布。


(・・・・・・こんな小さな子供を目こぼしした所で、何も変わらないな)


 張泉を自分の娘と重ね見た呂布は、別に殺す必要は無いと思い連れて行く事を止めにした。


 呂布は剣を鞘に納めて、背を向けた。


「・・・・・・二度と俺の前に姿を見せるな」


 呂布はそう言って、その部屋から出て行った。


 そして、屋敷を捜索している兵達に、此処には謀反人の一族は居ないので別の所を探すと言って、王允の屋敷を後にした。


 呂布達が屋敷を後にして、数刻後。


 王允はようやく屋敷に戻って来た。


 張允を無事に知人に預ける事が出来たので安堵していると、其処に屋敷が荒れているので驚いていた。


 王允は、直ぐに使用人に何が起こったのか訊ねた。


 使用人の話を聞いた王允は、直ぐに張泉を探しだした。


 直ぐに張泉は見つかったので、王允は安堵のあまり膝から地面に落ちた。


 そして、張泉から事情を聴いた所、憐れみで見逃したのだと判断した。


(とは言え、近い内に長安から脱出させた方がよいな。問題は、張泉達から目を逸らす為に何か良い方法がないものか・・・・・・)


 王允は暫し考え込んでいると使用人がやって来た。


「申しげます。ご主人様に御客人が参りました」


「客? 誰だ?」


「陳宮と名乗っております」


「おおっ、陳宮か。丁度良い所に来た」


 王允は屋敷の片付けと部屋の準備を使用人にさせた。


(曹操と行動を共にしていると思ったが、まぁ良い。陳宮に相談して何か妙案がないか聞いてみるか。あの者は智謀に優れているからな)


 良い案が浮かばない所に智謀に優れる陳宮が来たので、渡りに船とばかりに相談する事を決める王允。



 数十日後。



 長安にある董卓が開いた相国府。


 府内にある一室で、董卓は目の前で跪いている呂布に怒声をぶつけていた。


「呂布⁉ 貴様、儂の命令に背くとは良い度胸だな!」


「滅相もありません。何かの誤解です」


 董卓が怒り狂う中、呂布は頭を下げて誤解だと述べた。


「何が誤解だ! 未だに張温の一族の者達が捕まらないのは、お前が逃亡を手引きしたからだと、宮中に噂が流れているのだぞっ」


 董卓が指摘すると、呂布は黙り込んだ。


 宮中では張温の一族の者達が捕まらないのは、誰かが匿っているのでは?という話が広まっていた。


 一番怪しいのは張温の友人の王允だが、捜索したが居ないので違うと分かった。


 その後も捜索したが見つからなかった。


 そんな時にある噂が宮中に広まっていた。


 呂布が生き残った張温の一族の者達から賄賂を受け取り、長安から逃亡を手引きしたという噂が流れてだした。


 董卓も最初は馬鹿なと思い信じなかったが、未だに見つからないので董卓も噂を信じる様になっていった。


 張温の一族の捜索は呂布が担当していた為、余計に信憑性が増した。


 加えて、名馬赤兎を欲しさに義理の父親である丁原を殺すほどの欲深い男なので、賄賂欲しさに、逃亡の手引きをしたのではと思えた。


 呂布としても目こぼしをしたのは確かなので、明確に違うと断言が出来なかった。


 なので、黙る事しか出来なかった。


 ちなみに、張泉達は既に王允の手引きで長安から脱出し、荊州の蔡瑁の下に送られていた。


「わたしは決して、命に背いた訳では」


「喧しい! 義父でもあり主君でもある、この儂の命に背く奴の言葉など信じられるか⁉ そんな男に儂の身の周りを守らせる事も出来ん! この場で斬り捨ててくれる‼」


 董卓は剣を抜くと、同時に前へと踏み出した。


 後数歩で剣の間合いに入るという所で、李儒が前に出て宥めた。


「相国。相国。呂布殿を斬ってはなりません。この様な事で呂布殿を斬れば、相国は天下の笑い者となりましょう‼」


「ええいっ、お前も儂の邪魔をするか⁉」


「そうではありません。兎も角、此処は怒りをお納めください!」


 李儒が強く宥めるので、董卓は不承不承ながら剣を鞘に納めた。


「・・・・・・呂布‼ 本来であれば張温の一族を取り逃した罪で打ち首にする所だが、李儒の顔と日頃の忠勤に免じて許してやる。儂が良いと言うまで、屋敷で謹慎しておれ‼」


「・・・・・・はっ」


 董卓にそう命じられ、呂布は一礼しその場を後にした。


 呂布が見えなくなると、李儒は董卓に話しかけた。


「相国。呂布の様な天下無双の豪傑を、つまらない事で叱責してはいけません」


「だが、未だに張温の一族の者達は見つからぬではないか。あ奴が関わっているのではないか?」


「相国の怒りを買うかもしれない事をする様な者ではありません」


「そうかのう・・・・・・」


 董卓は疑わしいという顔をしていた。


「嘗て西楚の覇王項羽には英布という豪傑がおりました。この者は項羽に従い目覚ましい活躍を致しました。項羽はその功績を称えて秦滅亡後、多く居る配下の中で唯一王にしました。しかし、項羽と些細な事で揉めてしまい対立する様になりました。それを見た高祖劉邦は、英布と同郷の者を送り自分に寝返らさせました。呂布がこの英布の様になっても良いのですか?」


 李儒が昔の例を挙げて、呂布を大事にしろと諫言した。


「ぬぅぅ・・・・・・謹慎が明けたら、詫びの品を送るという事で良いか?」


「妥当かと」


 このまま謹慎させて、ほとぼりが冷めた所に宝物などを与えられれば、呂布は反感を抱く事はないだろうと思い李儒は賛成した。

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