曹操の秘蔵酒

 それから数日後。




 曹昂は前に言っていた火薬を見せろと言われていたので、披露する事となった。


 城の中庭に主だった者達が集められた。


 皆驚くだろうなと思いながら、曹昂は一礼する。


「本日はお集まりいただきありがとうございます」


 曹昂が頭を上げると、曹洪が訊ねて来た。


「今日は何でも、雷神の使いの正体を見せると聞いたが?」


「はい。正確に言えば、その正体は薬なんです」


 曹昂がそう言っても、皆は唸りながら首を捻った。


 皆は、薬がどうして轟音を出せるのか分からないからだ。


 皆の反応が胡乱そうなので、とりあえず現物を見せる事にした。


 兵士にお盆を持たせて、そのお盆に白い布をかぶせる。その布の上に黒色火薬を乗せている。


「これがその薬です。火が付く薬ですので。火薬と名付けました」


「この黒い粉の様なものが、噂の薬か」


「ふむ。黒い粉薬にしか見えぬが?」


 兵士は各々の前まで行き火薬を見せる。中には火薬を手に取り手触りを確認する者も居た。


 火さえ付けなければ特に問題は無いので好きにさせていた。


「息子よ。これはどうするのだ?」


「今お見せしますので、少々お待ちを」


 曹昂は手で合図すると、兵士が左程大きくない蓋付きの壺と火が付いている松明を持ってやって来た。


 腰には縄を軽く巻き付けていた。


 その壺の蓋を外し地面に置かれると、お盆を持っていた兵士が盆の上に載っている火薬を壺の中に入れる。


 火薬が入った壺に、腰から外した縄が入れられて蓋をされた。


 兵士は紐の端まで来ると、松明の火を紐につけた。


 紐に火が付いたのを見た兵士は、松明を地面に落として指で耳を塞いだ。


「皆さん。激しい音がするので耳を塞いで下さい」


 曹昂はそう言って、両手で耳を塞いだ。


 曹昂がそう言うので、皆も訝しみながら従った。


 火は紐を伝って進んでいく。そして、その火が壺の中に入ると。


 ドドーン‼


 壺が轟音を立てて爆発した。


 曹昂達からは距離があったので破片が届く事はなかった。


「「「‼⁉⁈‼」」」


 壺が爆発したのを見て皆、目を見開かせて驚いていた。


 自分達の常識を覆す光景を見て、驚かない方が無理と言えた。


「これが火薬の効果です」


 曹昂は耳から手を離して言うと、驚いている者達の中で、曹仁だけ椅子からひっくり返って気を失っている姿が目に入った。


 恐らく、言われた通りに耳を塞がないでいたから、轟音に驚いて気を失ったのだと察せられた。


「あ、兄上。お気を確かに」


 側にいる曹純は、軽く揺するが曹仁は目を覚ます気配はなかった。


「げに恐ろしき薬かな。火薬」


「まさか、音で子孝殿の気を失わせるとは」


「しかし、音で人の気を失わせるという事は、戦場で使えば人馬共に混乱状態になりあの爆発の餌食になるという事になるな」


 軍師である荀彧、郭嘉、程立の三人は先程の火薬の爆発と轟音を見聞きして、冷静に分析していた。


(う~ん。思ったよりも冷静な反応だな……うん?)


 思ったよりも驚いていないなと思ったが、荀彧達の足を見ると震えているのが見えた。


 それを見て曹昂は指摘しない事にした。


「今のが前に話した本に書かれていた火薬の威力です。どうでしたか?」


「いや、素晴らしい。これなら何千の兵が居たとしても恐るるに足らずだ。ところで、息子よ」


「はい。何でしょうか?」


「その火薬?とやらは、火をつけなければ特に問題ないのか?」


 曹操がそう訊ねるのを聞いて、曹昂は少し考えた。


(原材料が木炭と硫黄と硝石だからな。仮に食べても問題ないな)


 木炭はその名の通り、木の炭なので食べても問題はない。硫黄も薬に使われる。硝石に至っては、曹昂はまだ作ってはいないが、ハムやソーセージといった加工品に塩と硝石を混ぜた塩せきという方法で使われているので食べても問題ないと言えた。


「そうですね。火を付けなければ特に問題ないですよ」


「そうか。少し分けて貰えるか?」


「ええ、良いですよ」


 曹昂は曹操に火薬を少し分けた。


 そして、今回の火薬の披露は終わった。


 余談だが、この後暫くの間、曹仁は大きな音を聞くと過敏に反応する様になった。




 数日後。




 曹昂の元に一通の文が届いた。


「おお、来てくれるのか。良かった」


 その文を読んだ曹昂は安堵した。


 発案した本人が本当に上手くいくのか不安であったので、予想通りの展開に嬉しそうであった。


 この事を、早速曹操に報告しようと部屋を出て曹操の元に向かう。


 そして、曹昂は曹操の部屋に入ると、曹操は暇であったのか何かを飲んでいた。


「父上。前に話していた件が上手くいきそうです」


「そうか。良し、その件はお前に任せる」


「はっ。父上がそう言うのでしたら、僕は何の異論はありません」


「うむ。見事、私の期待に応えるが良い」


 そう言って、曹操は盃に入っているものを飲んだ。


 飲み終わると侍女に酌をさせた。


 その際、盃に注がれる液体の色が茶色なのを見て曹昂は首を捻る。


(この時代に茶色の飲み物ってあったかな?)


 妙に気になり曹昂は訊ねた。


「父上。何を飲んでいるのですか?」


「うん? これか? これはだな」


 曹操は盃を手で遊びながら教えた。


「お前から貰った火薬と酒を混ぜた物だ。中々にいけるぞ」


「ぶふっ!」


 曹操が何を飲んでいるのか知り、曹昂は思わず噴いた。


(か、火薬を酒で割った物を飲んでいるのか? 有り得ない……)


 自分の父親が常人では考えられない物を飲んでいるのを知り驚愕する曹昂。


「いや、火薬というぐらいだから。飲めば精がつくかも知れんと思い飲んだのだが、思いのほか匂いがきつく不味くてな。酒で流そうとしたら、その酒が白くてパチパチとした風味がある酒でな。それが思いのほか美味くてな。それで、火薬とその酒を混ぜて飲んでいるのだ。最初は鼻につく匂いがあったが、慣れると思いのほか気にならないのでな。気に入っている」


 曹操がその酒を造った経緯を話すの聞いて、曹昂は何の酒で割っているのか分かった。


(九醞春酒法で偶々できた発泡酒だな。なぜか父上と母上が気に入ったから試作を繰り返して、やっと安定的に作る事が出来たんだけど。普通に飲めるようになったとは言え、まさかそれを火薬で割るとは)


 九醞春酒法で偶然に出来た濁った発泡酒がまさかこうして使われるとは思いもしなかった曹昂。


(……そう言えば、名前は忘れたけど、何処かの国の詩人が黒色火薬を酒で割ったカクテルを死ぬまで飲んでいたって何かの本で読んだな。確かその酒の名前はその詩人の詩編のタイトルから取ったって書いてあったな。……駄目だ。流石に思い出せない)


 そんな事を思い出した曹昂。


 そして、同時に曹操も詩人なので何かしら通じる所があるのかもなと思った。


 余談だが曹操はこの酒を『泡薬酒』と名付けて死ぬまで愛飲した。





 本作に出て来る『泡薬酒』はアーネスト・ヘミングウェイが考案したと言われる午後の死というカクテルを参考にした物です。


 色に関しては作者の想像ですので信じないでください。


 この話しに出ている発泡酒は活性にごり系の発泡酒だと考えて下さい。

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