剣舞

 曹昂が広間から出て行くと、董白はその後を追いかけようと立ち上がったが。


「ああ、貴女。ちょっと良いかしら?」


 程丹が董白を呼び止めた。


「何か?」


 董白は本心では邪魔するなよと思いつつ、顔には出さない。


 だが、気持ちは隠しきれていないのか、若干顔が引きつっていた。


 そんな董白を見て、程丹は微苦笑する。


「料理が出来るまで、暇でしょう。一緒に余興でもしましょう」


「余興?」


「そう。これで」


 程丹は手を叩くと、二人の侍女が鞘に収まった剣を持って来た。


「剣舞をしろと?」


「ええ。見たところ、貴方はそれなりに出来るのでしょう?」


「勿論」


 董白は当然とばかりに頷く。


 董白が頷いたのを見て、程丹は張邈を見た。


「構いませんよね。孟卓様」


「むぅ、まぁ、構わん。ただし、お互いに怪我はしない様に」


「勿論」


 張邈も音楽も妓女の踊りも無い宴も寂しいと思ったのか、二人の剣舞を許可した。


「面白い。美女二人の剣舞を見るのも悪くないな」


 曹操も断る事なくその話を受けて、董白を見る。


「董白よ。くれぐれも怪我をさせない様に」


「勿論、です。義父上様」


 普段通りの口調で話そうとした所で、董白は今ここがどんな所なのか思い出して慌てて敬語で答える。


 曹操はそんな嫁を見て微笑む。


 そして、董白達は鞘から剣を抜き構えた。


 鞘を渡された侍女達は、その場を離れていく。


 侍女達が離れるのを見計らい、董白達は柄を握る手に力を込めた。


 曹操達は無言で董白達を見ていた。


 そして、二人は音楽も無しに動き出した。


 手の所作。身体の構え方と足運び。二人はどれを取ってもまるで音楽が流れるかのように動いていた。


 音楽がなくても舞えるとは、二人共相当できると思う曹操達。


 そんな曹操達の視線を浴びながらも、舞い続ける二人。


 流麗だが、それでいて激しい動きであった。


 広間には、二人が交える刃の音だけが響いていた。


 舞手である董白は剣を交えながら、相手の程丹に小声で話し掛ける。


「おい。何のつもりだ?」


「何が?」


「あたしに剣舞させろとか、曹昂に料理作れとか。何様だ、お前?」


「別に良いでしょう。それに私は噂の美味しい料理が食べたいだけよ」


「それだけか?」


 董白が見たところ、どうにもそれだけという感じがしなかったのだ。


 伊達に董卓の孫娘として、異民族が跋扈する涼州で生活していた訳ではなかった。


 何故なら、程丹は先程から剣舞をしながら、曹操を見ている事に気付いているからだ


「あら、バレた。良い観察眼ね」


 程丹は自分がしている事がバレても平静な顔をする。


「とぼけるなよ。で、何が狙いだ?」


「狙いも何も、私は頼まれただけよ。『お前の目で曹孟徳とは如何なる人物か見て来い』って」


「誰に頼まれたんだよ?」


 董白は気になり、鍔迫り合いをしながら訊ねた。


「私の父上よ。孟徳様がここ、兗州に赴任するって話を聞いた時から、父は大層気になって仕方がないそうよ」


「あんたの父親が? それは一体」


 董白は言葉を続けようとしたが、其処で広間の扉が開いた。


 大きなお盆に何かを持った侍女達と共に曹昂が入って来た。


「お待たせしました。……って、あれ? どうして二人は剣を持っているのですか?」


 剣舞をする経緯を知らない曹昂は、董白と程丹が剣を持って鍔迫り合いしているのを見て目を見開かせた。


「余興で剣舞をしていただけだ。気にするな。それよりも、早く作った物を食べさせろ」


 曹操が大した事ではない風に言うので、曹昂も気にしない事にした。


 そして、侍女達は持っているお盆に乗っている物を各自の膳に置いた。


 膳に置かれたのは小鉢程度の大きさの器であった。


 その中には黄色いトロリとした液体が入っていた。


「これは? 何と言う料理だ?」


 曹操は器を持ちながら曹昂に訊ねた。


「トライフルという、果実とカスタードという……調味料で出来た料理です」


 カスタードの事をクリームと言いそうになって、クリームとは何だと言われても答え辛かったので、曹昂はとりあえず調味料と言う事にした。


 どうやって食べるのだろうと皆が思っていると木で作られた匙が置かれた。


 それを見て掬って食べろと言うのだなと皆は察して匙を取り、鉢の中へと入れる。


「思ったよりも固いですな」


「しかし、それでいてトロリとしている」


「中に果物が入っているようだが。これは」


 匙で掬うとカスタードに包まれながら緑色で瑞々しい実が出て来た。


「これは獼猴桃びこうとうだな」


 獼猴桃とは現代で言うキウイの事だ。


 呼び方の由来は、形がうずくまった猿の様な形をしている事とか、獼猴おおざるが好む桃だからと言われている。


「ふむ。この時期では特に珍しい果物ではないな。どれ」


 皆が匙を口に運び舌で味わうと、


「「「………………」」」


 皆言葉を失っていた。


 最初は固いと思っていたカスタードが口の中に入れていると、トロリと溶けて口の中全体に甘みが広がった。


 甘いのだが、もったりとしている所為か、カスタードだけで食べればくどく感じる所を獼猴桃の酸味がそれを和らげた。


 獼猴桃も甘いのだが、カスタードの甘みには負けていた。


 だから、余計に酸味が感じられた。それが、このカスタードに良く調和していた。


 咀嚼を終えて嚥下すると、後味がさっぱりとするのであった。


 これほど、後味がさっぱりとする料理など味わった事が無いので皆言葉を失っていた。


 かくいう曹操も、これは初めて食べるなと思いながらも匙を動かす手が止まらなかった。


(ふぅ、誰も文句を言わない所を見ると上手く出来た様だ)


 曹昂は内心で安堵する。


 最初、プリンにしようかなと思っていたが、蒸すのに時間が掛かると思ったところで、偶然にもキウイを見つけたのでトライフルを作る事にしたのだ。


「息子よ。これは美味しいな。このかすたぁどに卵が使われているのか?」


「はい。その通りです。急いで作ったので、これでも未完成ですが。美味しく出来て良かったです」


 曹昂はこれでスポンジケーキがあれば、もっと美味しんだけどなと思いながら自分用のトライフルに口を付ける。


 だが、逆に曹操達はこれでも美味しいのに、まだ美味しくなるのかと思い、全身に雷が撃たれたかのような衝撃を受けた。


 曹操達がそんな思いをしていると知らずに、曹昂は董白と程丹を見る。


 二人共、トライフルの味に酔いしれているのか、うっとりした顔をしていた。




 宴が終わったその後。




 曹昂は董白を連れて曹操の下に向かう。


 自分が料理している間に、何が起こったのかは董白から聞いていたが、その時の違和感を感じた。


 曹操は用意された部屋で一人寛いでいた。


「どうした。息子よ?」


「父上に話があり参りました」


「何だ。宴の席の時に無茶な事を言ったのを根に持っているのか? 男なのだから、それぐらい水に流せ」


 曹昂が自分の下に来た理由が、そうだと決めるつけるのに内心ムッとするが我慢する。


 正直に言って、何であの時は何故貴方が注文すると思ったが、深く息を吐いて気持ちを切り替えた。


「そうでは無くてですね。僕が居ない間に、董白とあの程丹という人が剣舞をしたそうですね」


「そうだな。余興としては見事であったぞ。董白」


 曹操に褒められて、満更ではない董白は顔を緩ませる。


「いや、僕が言っているのはそうでは無くて、その程丹の事です」


「ああ、あの娘か」


 程丹の名前を聞いて、曹操は曹昂が何を話したいのか分かった様だ。


「つまり、お前はあの娘が剣舞の最中、私を観察していた事が気になると言いたいのだな」


「そう。その通りです」


 曹昂は父も視線に気付いていた事に安堵する。


「あの程丹という者は剣舞をしている時も私をジッと見ていた。その事から察するに」


 剣舞を舞う事が出来る程の剣の技量から察するに何処かの間者か。


 或いは曹操の成功を喜ばない何者かが送り込んだ刺客かもしれないと曹昂は言おうとしたが。


「あの娘。どうやら、私を意中の様だな~。剣舞を舞っている時に熱い視線を送って来たぞ。いやぁ~、私は意外に女性に人気があるようだな。ははははは」


 曹操はだらしなく顔を緩ませた。


 そのだらしない顔を見て、曹昂は怒りに拳を握った。


 既に妻が二人もいるだろうと思うが堪える。


「……父上。真面目な話、ご注意を」


 曹昂は言葉の端に怒りを、匂わせながら区切りつつ言う。


 怒る我が子に曹操は落ち着けとばかりに手を振る。


「半分は冗談だ。聞き流せ」


 残り半分は本気という事ではと、口に出そうであったが曹昂はギリギリで耐えた。


「私が見たところ、あの者は私を値踏みしている様であったぞ」


「値踏みですか? 父上を?」


 曹昂はそれはまた大胆な事をするなと感心する。


「何にしても、あの者は私を害する気は無いようだぞ」


「……そう言えば、あの程丹っていう女が言っていたな。自分の父親に義父上の事を見て来いって」


「父親? 誰だろう?」


 曹昂はそう言えば、程丹の父親が誰なのか聞いていなかったと思い出した。


「何にせよ。気にするのは良いが、警戒までしなくても良いだろう」


「父上がそう言うのであれば」


 曹操が大丈夫だろうと言うので、曹昂達はその下知に従った。




 数日後。




 兗州東郡東阿県城。


 その県城の中に、さほど大きくない屋敷があった。


 その屋敷の前に馬に乗った程丹がやって来た。


 正月になるので、実家に戻る事にした。


 屋敷の門を叩くと、使用人が出て来た。


「これはお嬢様。お早い御帰りで」


「父上は?」


「奥の書斎におります」


「そう。ああ、それと」


 程丹は馬の鞍に付けていた荷物に手を入れて何かを探していた。


 出すと手に厳重に封をされた、左程大きくない壺が出て来た。


「私が行っていた所に居た人から貰い物、皆で仲良く食べなさい」


「ありがとうございます。して、これは何なのでしょうか?」


「水飴とか言っていたわね。甘い物よ」


「甘味ですか。宜しいので⁈」


「他にも色々と貰っているから大丈夫よ」


 そう言って程丹は荷物を預け、馬を持って屋敷に入った。


 すると、直ぐに別の使用人が来たので、程丹はその使用人に手綱を預けて屋敷の書斎へと向かった。


 書斎の入り口に来ると声を掛けた。


「父上。程丹戻りました」


『入れ』


 低い声が入室を許可した。


 程丹は戸を開けて、室内に入った。


 室内に入ると、書斎の文几に座り竹簡を広げている男性が居た。


 年齢は五十代に入ろうという年齢であった。


 身の丈は八尺三寸約百九十センチほどあり、見事な髭を蓄えていた。


 生やしてる頬髭にも顎髭にも髪にも白い物が混じっていた。


 皺が多い顔だが背筋がピンと伸びている上に、高い身長なのでとても五十代には見えなかった。


 生気が漲る顔。太く力強い眉。爛々と輝く目。


 見た目だけだと、三十代にも見える程であった。


「帰ったか。娘よ」


「はっ。言いつけに従い、目的の人物を見て参りました」


 一礼し程丹は男と対面の位置に座る。


「そうか。どうであった? 曹操孟徳と言う人物は」


「噂よりもずる賢い印象でしたね。ただ、武芸にも覚えがあるようですね。掌にタコが出来ていました。あれは、かなり剣を振るわないと出来ないものです」


「そうか。巷に聞く奸雄という事か」


「はい。少なくとも私はそう思いました」


「そうか。して、仕える価値はあるか? 無いか?」


「十分にあります」


 程丹は力強く断言する。


「そうか。お前がそれだけ言う程の人物か」


「はい。州牧の劉岱と比べるのが、おこがましい程の器量を持っていると見ました」


「ふっ、あの者は表向きは謙虚だが、その実傲慢だからな」


 男性は召し抱えてくれると言うので、どの様な人物なのか見てみようと思い劉岱の下を訪ねた。


 劉岱は男性を気に入り召し抱えようとしたが、男性は理由をつけて断った。


 話をしていて、仕えるに値しないと思ったからだ。


「ふむ。お前がそこまで言うのであれば、招かれる事があれば応じるとしようか」


「それがようございます」


「ところで」


 男性は程丹の目をジッと見た。


「話は変わるが、何故お主を猛卓殿の所に行かせたのか分かっておるか?」


「ええ、勿論です。曹操殿がどのような人物か見定める」


「そうではない。馬鹿者」


 男性は重い溜め息を吐いた。


「お主、今年で二十なのだぞ。猛卓殿の所は人の出入りが多い。お主を嫁にしてくれる者はいなかったか?」


「ああ、それですか」


 程丹は笑みを浮かべた。


 その笑みを見て、男性は喜ぼうとしたが。


「駄目ですね。どうにも、皆腰が引けていました」


「……はぁ~、儂の育て方が間違っていたのかのう。これでは嫁の行き手が無い」


 男性はまた重い溜め息を吐いた。


「ですが、嫁に行きたいと思う者は居ましたよ」


「本当かっ」


 程丹の口から出た言葉に、男性は小躍りしたい程に喜ぶ。


「それはいったい、誰だ?」


「ふふふ、そうですね。見ていると面白い子でしたね。これからどうなるのか傍で見ていたいと思わせる何かを持っていました」


「そんな事は如何でも良い。で、それは何者なのだ? 嫁に行くのが難しいのであれば、儂の伝手で何とかするが」


「大丈夫ですよ。ちゃんと嫁に行く手は考えています。今は外堀を埋めている段階ですから、それが上手くいかなければ、父上の手を借りる事になりますが」


「はぁ~、その慎重さと計算高さ。本当にお前が男であればと思うぞ」


「ありがとうございます。父上」


 程丹は、目の前にいる父上の称賛を聞いて笑った。


「それで、娘よ。お前が嫁に行きたい者とは誰なのだ?」


「ふふふ、その内会いますよ」


 程丹がはぐらかす様な事を言うので男性は焦れるが、娘が自信ありげに言うので、男性は娘に任せてみる事にした。


『旦那様』


「どうした?」


『ご友人が訪ねて参りました。文若殿と名乗っております』


「おお、来たか。お通ししろ」


 使用人へ書斎に通せと言うと程丹は立ち上がった。


「それでは、私はこれで」


「うむ」


 程丹は一礼して部屋から出て行った。


 直ぐに部屋の前に使用人が男性を連れて来た。


 使用人が戸を開けると男性が入って来た。


「お久しぶりです。仲徳殿」


 その男性は容姿端麗な偉丈夫であった。


 年齢は二十代後半であった。


 整った口髭を生やしていた。


「おお、来たか。文若よ」


「ええ、他かならぬ程立殿のお招きなのですから」


「そう言って来てくれると嬉しいぞ。荀彧よ」


 部屋に居た男性こと程立は入って来た男性こと荀彧を快く歓待した。


 二人は二回りも歳が離れているが、仲が良い友人であった。

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