援軍の対価

 公孫瓚軍に勝利した袁紹は、本拠地にしている魏郡鄴県へと凱旋した。


 城内に入ると、人々が歓声と喜びの声を上げながら袁紹軍の勝利を称えた。


 最後尾には、曹昂の軍も続いた。


 その軍勢を見て、鄴の人々は声を失う程の衝撃を受けていた。


 正確に言えば、軍勢というよりも、この軍勢が連れている『帝虎』と『龍皇』の戦車を見て衝撃を受けている様であった。


 風の噂で、曹操軍は虎と龍を操る事が出来ると聞いていたが、鄴の人々はそんな与太話など信じていなかった。


 何度も目を擦りながら、それらの存在を確認した。


 そんな奇異の視線を浴びながら曹昂は内城へ入る。軍勢を甘寧に任せて、曹昂は勝利の宴に参加した。




「此度の勝利に」


「「「勝利に」」」


 宴が行われている部屋の上座に座る袁紹が乾杯の音頭を取り、他の者達もそれに合わせて、盃を掲げて呷った。


 全員の盃の中身が無くなると、それに合わせて侍女がお代わりを注いだ。


 そして、直ぐに楽器が鳴り、妓女達が音楽に合わせて踊っていた。


 皆、酒や料理に舌鼓を討ちながら、今回の勝利を喜んでいた。


 そんな中で、顔良だけは少しだけ気が沈んでいた。


 同時期に袁紹に仕え、兄弟の様に仲が良かった文醜が関羽に討たれたからだ。


 公孫瓚軍が撤退した時、顔良は文醜の仇を取ろうと追撃を願い出たが、袁紹が許可しなかった。


 理由は大勝利を収めたというのに、追撃して将を討ち取られる様な事になれば、折角の勝利が台無しになるからだ。


 主君にそう言われ、顔良は何も言えなかった。なので、遺憾ではあったが気持ちを押し殺した。


 悔しい気持ちを酒で洗い流す様に、無言で盃を傾けて酒を煽る。周りの人達よりも早く飲み終えるので、給仕をする侍女は少し慌てながら、酌をしていた。


「……いやぁ、最初、劉備達が援軍に来た時はどうなる事かと思ったが、其処に曹操軍が来てくれるとはな」


 既に酔っているのか、ほろ酔い状態の袁紹が今回の戦で援軍の将の曹昂を見る。


「改めて、曹昂。此度の援軍と勝利に貢献してくれた事に感謝するぞ」


「「「感謝します」」」


 袁紹が感謝を述べると、部下達も一礼して感謝を述べた。


「ありがとうございます。皆様に感謝の言葉を掛けられて、援軍に来た甲斐があったと思います。正直、援軍など要らないのではと着くまで不安でした」


 曹昂も返礼しながら、本音を話した。


 曹昂自身、援軍を出す様に曹操に進言したが、勝敗がどうなっているのか分からなかったので、本当に不安であった。


「いや、しかし、本当に良い所に来てくれた。ああ、そうだ。此度の援軍の礼をしたい。何なりと申すが良い」


 袁紹が援軍の褒美を好きに言えと言うので、曹昂を含めた部下達は目を剥いた。


「殿。その様な話は、こんな所で話さなくてよいと思いますが」


「こういう事は、さっさと決めておくのが良い。そら、何なりと申すが良い。流石に冀州の州牧の地位はやれんがな。はははは」


 田豊が窘めるが、袁紹は聞く耳を持たず、笑えない冗談を言いだした。


 場が何とも言えない空気になったが、袁紹は気付いた様子は無かった。


 酔っているからか、その内とんでもない事を話しだしそうだなと思い曹昂は褒美を言う事にした。


「では、此度の援軍の褒美として、父を何処かの州の郡太守になる様に奏上してくれませんか」


「それで良いのか? お主に対する褒美なのだから、お主が何処かの太守になりたいとは言わんのか?」


 袁紹は赤らめた顔で不思議そうに言うので、曹昂はこの人、酔っ払うと絡むのか?と思いつつ、袁紹の疑問に答えた。


「申し上げます。親に報いるのが子としての道理です。その道理に逆らい、己の欲望に従って生きれば、天に唾するのも同じ事です。父が居るからこそ、自分がこうして勝利に貢献できました。一重に父の教えがあればこそです。ですので、僕に対する褒美はどうぞ、我が父にお与え下さい」


 曹昂が頭を下げて答えるのを聞いて、袁紹達は黙って聞いていた。


 中には、感心そうに頷いている者まで居た。


「…………はははははは、見事な孝行である。曹昂。あの孟徳の息子かと本当に思ってしまうぞ」


「は、はぁ」


 そう答えつつ、曹昂は内心で昔の父は何をしていたのか本当に気になった。


 考えていると、袁紹が立ち上がり曹昂の元まで来た。


 そして、袁紹は腰に差している剣を鞘ごと抜いて、前へと突き出した。


「その孝行の褒美として、これをやろう。我が家に伝わる宝剣だ」


「……謹んで頂戴します」


 どうしようかと思っていたが、周りからの視線を浴びて、曹昂はその剣を貰う事にした。


「惜しい事よ。私に娘がおれば、お主に嫁がせたのだがな」 


 袁紹は悔しがるが、曹昂は苦笑いを浮かべるだけであった。


(本当に娘が居たら、何か凄い我儘で嫉妬深い性格してて、高笑いしてそうな人な気がする)


 曹昂は何となくだが、そう思っていた。


 そして、袁紹は自分の席に戻ると、盃に酒を注がせて掲げた。


「皆、今日は大いに飲もうぞっ」


 袁紹がそう言って呷るので、部下達もそれに倣うように呷った。


 




 袁紹達が鄴で勝利の宴を開いているのと同じ頃。


 幽州広陽郡薊県。


 其処は幽州の州治を行う県であった。


 その県城で劉備が、ある人物と対面していた。


 劉備が敗残した公孫瓚軍を率いて幽州に帰還した。その報告を、その人物にしに来たのだ。


「そうか公孫瓚は討たれたか……」


 その人物は、惜しい人物を亡くしたかのように呟いた。


「はい。盧植先生の同門で、兄の様に慕っている御方でした」


 劉備も同意見なのか、公孫瓚が亡くなった事を悔やんでいた。


「そうか。それは辛いだろうな」


「はい。……伯安様。お願いしてもよろしいでしょうか?」


 劉備が訊ねると、その人物は無言で劉備の目を見た。


 その者は年齢は四十代近く七尺五寸約百七十五センチで、髷を結う簪も色落ちして、被っている冠も穴を繕っていた。


 官服も色落ちしているところもあった。しかし、そんな事など気にした素振りも様子も見せなかった。


 沈着な相貌。整えられた顎髭。大きな目を持っていた。


 この者の名は劉虞。字を伯安と言い、幽州州牧で形式的に言えば、公孫瓚の上司に当たる人物だ。


「何だ。玄徳」


「公孫瓚殿の仇を討ちたいと思います。ですので、どうか私に兵をお貸し下さい」


 劉備が頭を下げて、懸命に嘆願した。


「駄目だ」


 劉虞はにべもなく却下した。


「何故っ」


「公孫瓚が負けて兵の士気は落ちている。更に言えば、公孫瓚の仇を討つと言う名目でする戦など、それは私怨による戦にすぎん。何の大義があろうや」


 劉虞の説明を聞いても、劉備は納得がいかない顔をしていた。


「とはいえ、袁紹が謀略で冀州を奪い取ったのは事実だ。これにより、袁紹が驕慢になり第二の董卓になるかもしれん。いや、なるだろう」


「私もそう思います」


「その時まで兵力を温存すべきだ。辛いかも知れんが、耐えるのだ」


「……分かりました」


 劉備は不満を抑え込んで納得させた。


「お主、何処にも行く宛てが無いと言ったな。丁度今、涿郡の太守の座が空いている。公孫瓚軍を見事幽州まで撤退させた手腕と同族のよしみで、お主を太守にする様に上奏しよう」


「……感謝します」


「補佐として、お主の師である盧植をつけよう」


「えっ、先生はこちらに居るのですか?」


「うむ。官職を辞した後は、故郷の近くにある上谷郡に住んでいたのだが、時たま意見が欲しい時に呼んでいるのだ。お主の統治にあの者の知恵は役に立つだろう」


「心からの感謝を述べます」


 劉備は深く頭を下げた。


 各地を転々と回っていたが、今の今まで恩師が何処にいるのか知らなかったので、何処にいるのか分かり感涙していた。


 数日後。


 朝廷からの使者が来て、劉備は涿郡の太守に任命された。


 劉備は関羽、張飛、簡雍に加えて新しく恩師の盧植を迎え、任地の涿郡へと向かった。

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