界橋の戦い 前

 磐河を挟んで睨み合う袁紹軍と公孫瓚軍。


 河には、大きな橋が一本架かっていた。


 その橋に公孫瓚が馬を進ませた。


「袁紹。出て来いっ。舌先三寸で冀州を奪った詐欺師。恥を恥とも思わぬ卑劣漢めっ」


 大音声で言うと、聞き捨てならないのか袁紹も橋上まで馬を進ませた。


「何を言うか。公孫瓚。韓馥が私に冀州を譲ったのは、お主が無用な戦を仕掛けた事で、己の不才を嘆き冀州を譲っただけの事。貴様の様な己が欲望に従い、領地を得ようと攻め込む者に卑劣漢と言われる筋合いは無いっ」


「袁紹。その舌先で世の者を惑わそうとも、この公孫瓚は騙されんぞ! 今思えば、貴様を反董卓連合軍の盟主に奉じた事を恥ずかしく思うぞ。そもそも、韓馥は貴様の兵糧などを融通していた者だろう。更には劉虞様を帝に就かせようと誓った同志であろうに、そんな御方を追い出して恥ずかしくないのか? 盟主はやはり袁術殿がなるべきであったのだっ」


「何を……誰ぞあるかっ。あの世迷言をほざく痴れ者を捕らえ、私の前に引き出すのだっ」


「お任せを」


 仲が悪い袁術に、盟主をさせた方が良かったと言われて袁紹は頭に血が上った。


 公孫瓚を捕らえる様に命じた。


 その命に応え、最近配下に加わった麹義が、橋上へと馬を飛ばして来た。


 袁紹の配下が来るのを見た公孫瓚は、自分の先鋒の将に声を掛ける。


「迎え撃て。厳綱!」


「おうっ」


 公孫瓚の命令に従い、先鋒の将が馬を飛ばして来た。


 両将が橋上にてぶつかりあい、剣戟を交わした。二人が戦うのを見て袁紹達は自陣へと戻って行った。


 最初は互角と思われたが、徐々に厳綱が防戦になっていった。


 やがて、麹義の攻撃を防ぐ事が出来ず斬り倒された。


「ぬうっ、誰か。あの者を討ち取って参れっ」


 公孫瓚は先鋒の将が倒されたのを見て悔しがるが、直ぐに麹義を討てと命じた。


「では、私が」


 そう公孫瓚に言ったのは身の丈八尺を持ち、眉が濃く、目が大きい上に広々とした顔で顎が重なっており、髭も生やして居ない威風堂々とした偉丈夫であった。


 歳は二十代ぐらいとまだ若いと言える年齢であった。


 この者の名は趙雲。字は子竜と言う者であった。


 冀州常山郡真定県の生まれの者であった。


 趙雲は突然の州牧の交代を不審に思っているところで、公孫瓚の布告を見て義憤に燃え、故郷で官民合わせた義勇軍を結成。


 その義勇軍を率いて、公孫瓚の下に参陣した。


 率いて来た兵は三千とさほど多くないが、それでも公孫瓚は冀州の民が自分を慕って来てくれた事が嬉しくて趙雲達を歓待した。


 公孫瓚は趙雲を見るなり、非凡な人物と見抜き自分の傍に置いた。


「うむ。行け。趙雲」


「はっ」


 公孫瓚は趙雲の腕前も見たいと思ったので、丁度良しとばかりに麹義を討つように命じた。


 その命に従い趙雲は跨る白馬を飛ばして麹義の下に向かう。


「いざ、勝負っ」


「腕に覚えがあるようだな。いざ」


 向かって来る趙雲を見るなり、麹義も馬を飛ばした。


 麴義は涼州出身であった。


 涼州は戦乱が絶えぬ場所であったので、その関係で麹義も武勇には自信があった。


 その自慢の武勇も趙雲の前では無力であった。


 思ったよりも趙雲の馬が早く、武器を構える暇もなかった。


 趙雲が繰り出した一突きで、麹義は武勇を発揮する事無く討ち取られた。


「敵将、麹義。この趙雲子竜が討ち取ったりっ」


 趙雲は槍を掲げて、大音声で叫んだ。


 それを聞いて公孫瓚軍は歓声を上げた。


 袁紹軍は逆に怖気づいた。


「好機だ。攻めろっ」


 袁紹軍が怖気づいたのを見た公孫瓚は、全軍に攻撃命令を出した。


 その命に従い、公孫瓚軍は突撃を開始した。


 先鋒は趙雲であった。


 陽光に照らされて、白馬の鬣が銀色に輝き風に揺れる。


 その馬上から繰り出される槍撃は、確実に兵士を仕留めて行く。


 勇猛に敵陣に駆けて行く姿に公孫瓚軍は奮起した。


 袁紹軍も、何とか公孫瓚軍の勢いを弾き返そうとしたが、まだ冀州を手に入れたばかりという事で、兵達も完全に袁紹に従っているとは言い難い状況であった。


 顏良と文醜が奮戦する事で、何とか壊滅を免れた。


 頑強な守りなので、公孫瓚も直ぐには攻め落とせないと判断し兵を自陣へと引き上げた。



 その夜。


 公孫瓚の陣地では笑い声が響いていた。


「はははは、見たか。袁紹軍の負けっぷりは」


「正に」


 公孫瓚達は集まった天幕で、今日の勝利に喜んでいた。


「この調子であれば、袁紹を打ち破り冀州を得るのも時間の問題ですな」


「確かにそうですなっ」


 武将の一人が、もう勝ったとばかりに広言を吐くと、他の者達も同意するかのように頷いた。


 公孫瓚も同じ思いなのか、満足そうに頷いた。


 だが、一人趙雲だけは黙っていた。


 今日は勝ちはしたが、明日も勝つとは限らない。


 そう思いはするが、この場では自分は新参者であった。如何に功績を立てようと、新参者の意見など、誰も聞きはしないだろう。


 むしろ、そんな事を言っては場の雰囲気が壊れると思い、趙雲は口を閉ざした。


「さて、勝利の余韻に浸るのはここまでにしよう」


 公孫瓚は気持ちを切り替える為に、卓の上に磐河付近の地図を広げた。


 その地図を見ながら、明日の作戦を決める。


「明日こそは、橋を突破して袁紹を討つ。その為に先陣を我が軍の精鋭部隊を配備する」


「精鋭部隊と言いますと」


「白馬義従ですな」


 武将達が驚きの声を上げると共に、公孫瓚の意気込み具合が分かった。


「うむ。それで先陣だが」


 公孫瓚は周りを見渡して、誰にするか考えた。


 趙雲の所で、目が留まった。


 趙雲の武勇であれば、敵陣を切り裂く事が出来るだろうと思ったが。


(いや、趙雲は敵将を討つという功績を立てた。新参者が功績を立て過ぎれば、我が軍の将達の士気に係わる)


 そう考えた公孫瓚は、別の者を先陣にする事にした。


「……単経。お主に先陣を任せる」


「承知しました」


「田楷は右翼。田豫は左翼を指揮せよ。後陣は趙雲が指揮せよ」


「「「御意」」」


「趙雲には白馬義従から選抜した者達を五百騎つける。遊軍としての活躍を期待する」


「ご配慮に感謝します」


 これで冀州の義勇軍にも配慮しているだろうと思われるだろうと考えた公孫瓚。


 そして、細かい軍議の話を詰めていった。




 翌日。




 公孫瓚軍の先陣には、白馬に乗り槍と弓箭を装備した騎兵が整然と並んでいた。


 この弓騎兵部隊こそ、白馬義従と言われる公孫瓚軍から選び抜かれた精鋭部隊だ。


 白馬が整然と列をなし並んでいる姿には、偉観といえる光景であった。


 天下に鳴り響く白馬義従の姿に、敵方の袁紹軍の兵達も目を奪われていた。


 先陣の単経は、突撃の命令を今か今かと待っていた。


 焦れる単経の心境を知ったのか、本陣から突撃の合図の銅鑼が鳴り響いた。


「全軍、突撃せよ‼」


 単経は持っている槍を振るい、先陣に突撃を命じた。


 その号令に従い、先陣は橋上へと飛ばし、そのまま袁紹軍へと駆けて行った。


 先陣は直ぐに橋を越えて、袁紹軍の先陣へと当たって行った。


 駆けた勢いを殺さずにそのまま突撃した事で、袁紹軍の先陣は・・・真っ二つ・・・・に分かれた。


「このまま本陣へ突撃する。続けっ」


 単経はこのまま本陣へと駆けて行き、袁紹の首を獲ると意気込んだ。


 先陣を粉砕した事で、士気が上がる単経軍。


 そのまま本陣へと突撃したが、本陣の前に大盾を構えた八百の兵が単経軍の進路を妨害した。


 更に大盾を構えた部隊の後方には一千張の強弩隊がおり、弩から放たれる飛箭が単経軍に降り注いだ。


 大盾と弩により、単経軍の勢いは削がれ足踏みした。


 それを待っていたかのように、左翼の顔良と右翼の文醜が単経軍に襲い掛かる。


 半包囲された単経軍。鳥の翼の羽が一つずつ毟られる様に兵が倒れて行く。


 単経は奮戦したが、突撃した顔良により斬り捨てられた。


 将が討たれた事で、混乱する単経軍。多くの兵が逃げ出した。


「逃がすな。追い打ちを掛けろっ」


 文醜が逃げる敵兵に、追撃を掛けた。


 その命令により、袁紹軍は逃げる単経軍を追い駆けた。


 やがて、橋のところまで達した。


 既に、右翼の田楷軍が橋の半ばに達したところであった。


 其処に前方から逃げて来る単経軍を見た田楷は袁紹軍の反撃を受けた事を悟った。


 逃げてくる単経軍の兵達を収容し戦線を立て直そうとしたが、橋の半ばに居たので兵を収容しながら戦うという事は、難しかった。


 向かって来る文醜軍は、勢いを殺さず田楷軍に突撃する。


 文醜軍の勢いを止める事が出来ず田楷軍は橋上で倒れて行った。中には橋から墜ちて死ぬ者も居た。


 田楷も懸命に指揮したが、兵達は文醜軍の勢いを恐れて逃げ出してしまい軍を留める事が出来ず後退する事にした。


 田楷軍を蹴散らした文醜軍は、その勢いのまま橋を渡って行った。


 橋を越えようとしたところには、左翼の田豫軍が居た。


 普通に防げば問題なかったが、敗れた単経軍と田楷軍の兵達が田豫軍に流れ込んで来た。


 お蔭で、陣形が乱れてしまった。


 その所為で文醜軍が突撃すると、田豫軍はあっけなく瓦解した。


「脆い。脆い。これが白馬長史が率いる軍か。この程度で我が軍に挑むとは百年早いわっ。本陣へ突撃するぞ。続け!」


 文醜が血塗られた槍を掲げて、公孫瓚の本陣へと突撃した。


 公孫瓚の本陣に向かう文醜軍。


 そのまま本陣に突入されると思われたが、その文醜軍の横合いから後陣の趙雲軍が突撃した。


 数で言えば文醜軍の方が多かったが、単経、田楷、田豫の軍と戦い続けた事で兵は疲労していた。


 そんな状態で攻撃され、文醜軍は瓦解しかけた。


「ええい。怯むな。直ぐに後続が来る。耐えるのだっ」


 文醜は声を枯らさんばかりに叫び鼓舞した。


 だが、その大声で味方だけではなく、敵にも注意が向いた。


「其処に居るのは敵将か。この趙雲と勝負せよっ」


 趙雲が馬を駆けて文醜に向かった。


「おう、いざ勝負っ」


 文醜は馬を返して、趙雲へと向かっていった。


 二人は繰り出す槍が火花を散らし、何合も交わした。


 腕前は趙雲の方が上だったようで、文醜が押されだした。


 このままでは、文醜が討たれるのではと思われたところに。


「文醜。今助けるぞっ」


 其処に、後続の顔良が橋を渡り文醜軍の助太刀に入った。


「おお、顔良」


「新手か。勝負」


 趙雲は槍を握り闘志を漲らせた。


 其処に千騎程の軍がやって来た。


 旗には『劉』の字が書かれた旗が掲げられていた。


 公孫瓚は、その旗を見た時は最初、劉慮かと思った。


 新たにやってきた千騎程の軍勢に両軍は目を奪われていた。


 その軍勢が足を止めると徐々に砂塵が晴れていった。砂塵が晴れると、先頭に立つ者の姿が見えた。


「平原より公孫瓚殿へ加勢に参った。劉備玄徳」


「我こそは劉備玄徳が義弟関羽雲長」


「同じく張飛翼徳」


 劉備達は得物を構える。


「「「義により助太刀いたす‼」」」


 そう叫んだ劉備達は顔良・文醜軍へと突撃した。


「ぬぅ、劉備玄徳だとっ」


 名乗りを聞いた顔良は仰天した。


 自分は反董卓連合軍に参加しなかったが、それでも劉備三兄弟の勇名は知っていた。


 飛将の異名を持つ呂布と互角に戦った事は巷に広まっていた。


 自分でも知っているぐらいだ、兵達も同様であった。


「うああああっ」


「おたすけっっっ」


 襲って来る劉備達を、見て背を向けて逃げ出す顔良・文醜軍。


 これでは戦いにならぬと判断した二将は馬を返して撤退しだした。


 逃げる顔良・文醜軍を追撃する劉備軍。趙雲の隊もその後に続いた。


 この隙にとばかりに、公孫瓚軍は大勢を整えて後退を始めた。




 深入りした味方が劉備達に撃退されたと知らぬ袁紹は橋の半ばで悠然と構えながら馬を進ませていた。


「ふははは、公孫瓚恐るるに足らず。何が、白馬長史か。一当たりしてみたら、こうも簡単に敗れるとは。私はあ奴を少々買い被りしていたようだな。どう思う。田豊」


 袁紹は傍にいる田豊に話しかける。


「太守。まだ、戦は決しておりません。御油断めさらない方が良いと思います」


 袁紹と駒を並べる田豊は注意深く周りを見ていた。


 用心深い奴と思いながら、袁紹はのんびりとしていた。


 そんな時に後方・・から騎馬がやって来た。


「太守…………」


「なに? そうか。ふむ……もう勝敗が決したようなもの」


 まだ、正式に州牧になっていない袁紹は、太守と呼ばれた事を何とも思わないで、部下の報告を聞いていた。


 そう話しているところに、前方から砂煙があがった。


「何事だ‼」


「太守。どうやら、御味方が撤退しているようです」


「撤退だとっ。先程まで我等が押していたではないかっ」


「分かりません。ですが、此処に居れば味方に押し潰されます。橋の下まで退いて暫くお潜みになるべきです」


「・・・・・・いや、後方に退いて援軍・・と合流する」


「援軍? 何処からの援軍でしょうか?」


 騎兵との話が聞こえなかった田豊は何処の勢力が送って来たのか分からなかった。


「……行けば分かる。続けっ」


 袁紹は説明する暇も惜しいとばかりに駒を進ませた。


 護衛の旗下と田豊はその後を慌てて追いかけた。

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