第四章

そろそろ、河内郡に帰らないと

 曹昂が甘寧の勧誘に成功してから、数日が経った。


 瑛蘭が手を回してくれた事で、日々の生活に困る事は無かった。


 そんなある日。


 曹昂は、自分の部屋に皆を集めた。


「呼び出してごめんね。大事な話があったから」


「大事な話ですか?」


 貂蝉は何の話をするのか分からず、隣に居る練師を見る。


 練師も貂蝉と同じく、何の用で呼ばれたのか分からないので首を振った。


「あたし達を呼んだんだから、あれだろう。次は何処の郡に行くか決める為に呼んだんだろう?」


 董白は自分の予想を言い出した。


 それを訊いた曹昂は、首を横に振った。


「違うよ」


 董白は「じゃあ、何で呼んだんだ?」と呟いて考え込んだ。


 考え込む董白を横目に曹昂は皆を見る。


「何で呼んだか分かった人は居る?」


 曹昂がそう尋ねたが、誰も分からず首を振った。


「じゃあ、答え合わせするね。そろそろ、河内郡に戻ろうと思って皆を呼んだんだ」


 曹昂の答えを聞いて、皆は少しだけ驚いていた。


「曹昂様。まだ巴郡と漢中に来ただけで、益州を全て見たとは言えません。それなのに、御父君の下に帰るのですか?」


 劉巴が、皆が思っている疑念を答えるかのように、曹昂に訊ねた。


「そうなんだよね。正直に言って、まだ益州を回りたいのだけど、父上との約束で半年で戻って来いって言われているんだ。漢中から河内郡まで帰る道筋を考えると、そろそろ出立しないと約束の期限に間に合わなくなるから、仕方がないと諦めるよ」


 曹昂としても、まだまだ益州を回りたかったが、予想以上に益州の道が険阻なので時間が掛かり過ぎた。


 行きでさえそうなのだから、帰りの道もそれぐらい掛かると考えられた。


 なので、断腸の思いで、河内郡に帰還する決断をした。


「約束があるのなら仕方が無いな。ついでに、巴郡に寄って俺の手下を全員集めるか」


 話を聞いていた甘寧は、ついでとばかりに自分の案を述べた。


「手下か。ちなみにどれくらい集まります」


 河内郡に着くまでの食料などを計算しないといけないなと思いながら曹昂は訊ねた。


「そうだな。郡内に居る奴ら全員だから……これぐらいだな」


 甘寧は顎髭を撫でながら、指を三本立てた。


「……三万?」


「そんなに居るか。三千だ」


 甘寧は三千と言うが、それでもかなりの人数であった。


「……河内郡に着くまでの食料を、何処から調達するべきだろうか?」


 少し考えた曹昂は最近、知恵袋みたいな役割をしている劉巴に訊ねた。


 劉巴は答える前に地図を広げた。


「我々が居るのが此処漢中です。まずは巴郡に寄って、其処で興覇殿の伝手で食料を調達できるだけ調達します。そして、来た時同様に武陵郡を通り、零陵郡から北上します。食糧の減り具合によっては零陵郡で食料調達などを考えておきましょう。北上して南陽郡を通って、河内郡に向かうのが良いと思います」


 地図で現在地を指で示し、話しながら指を動かし道順を話す劉巴。


「それが良いね」


 劉巴が出した案に賛成する曹昂。


 本来であれば、漢中を北上して涼州を経由して河内郡を通るのが一番の近道ではあるが、北への道は天師道が封鎖しているので通れるか分からない上に、長安には董卓が居るので、すんなり通してくれる筈もなかった。


「劉巴が出した案だけど、反対の意見がある人は居る?」


 曹昂は訊ねたが、誰も反対しなかった。


「じゃあ、それで行こう。準備を整え次第、巴郡に向かうよ」


 曹昂がそう言い終えると、貂蝉と練師を残して皆は一礼して部屋から出て行った。


「では、曹昂様。出立の準備をしましょうね」


「そうだね。じゃあ」


 曹昂も手伝おうとしたら、練師が首を振る。


「曹昂様は、暫くの間、外に出ていて下さい」


 練師が曹昂の顔を見ながら言う。


 それなりに行動を共にしているのに、未だにオドオドしている練師。


 まだ慣れてくれないのかと残念に思いながら、曹昂は練師の頭を撫でた。


「じゃあ、二人に任せても良いかな」


「はい。お任せを」


「お、お任せを」


 貂蝉が頭を下げて言うのを見て、練師もそれに倣う様に頭を下げた。


 準備を二人に任せて、曹昂は外に出た。




 貂蝉達から部屋から追い出された曹昂は、そのまま義舎の中庭に出ていた。


 一応やんごとない身分である曹昂は外に出る場合、護衛を連れて行かなければならない。


 だが、今は出立の準備をしているので、誰も曹昂のお供になる事が出来なかった。


 なので、曹昂は一人で庭を見ていた。


(……暇だ)


 庭をぼーっと眺めていても、暇であった。


 これで、誰か話し相手がいれば変わっただろうなと思いながら、庭を眺めている曹昂。


「おや、こんな所で一人でどうしました?」


 庭を眺めている曹昂に、声を掛けて来た盧瑛蘭であった。


「これは御母堂殿。今日は何用で?」


 瑛蘭を見るなり立ち上がり一礼する曹昂。


 瑛蘭の後ろを見ると、供の者達が数人控えていた。


「いえ、今日は別れの挨拶に来ました。そろそろ南鄭に戻ろうと思いまして、その前に挨拶に」


「そうでしたか。これはわざわざご丁寧にどうも」


 曹昂は頭を下げた。


「それで、貴方様は、どうして此処に一人で居るのですか?」


「ああ、そろそろ父の下に帰ろうと思いまして、その準備で暫く部屋から出ていてくれと言われまして」


「ふふふ、そうでしたか」


 自分の準備なのに、他の者がやるのを見て瑛蘭はおかしそうに笑う。


 自分でも、何でこうなってるのか分からず頭を掻く曹昂。


「では、お手すきという事でしたら、少しお話でもしませんか?」


「ええ、良いですよ」


 丁度話し相手が欲しいと思っていたので、曹昂は瑛蘭の提案に乗った。


「では、こちらに」


 瑛蘭が手で付いて来る様に合図を送ったので、曹昂はその後に付いて行った。




 瑛蘭の後に付いて行くと、其処には小さな東屋があった。


 瑛蘭が椅子に座ると、曹昂は対面の椅子に座った。


 そして、二人は瑛蘭の供が用意した茶を飲みながら雑談に興じた。


「曹昂様は中々に話し上手でいますね」


「そうでしょうか? そんな事を言われた事が無かったので分かりませんでした」


 瑛蘭がコロコロと笑いながら、話を褒めるのを聞いて、曹昂は苦笑していた。


 普段から話すよりも、話を聞く事が多いので話し上手だと言われた事が無かったからだ。


(前世の記憶もあるからな。精神年齢で言えば、それなりにいっているからな。だから、貂蝉達と話すよりも父上達ぐらいの年齢の人達と話していると、妙に共感できるんだよな。……あっ)


 前世の記憶の事を思っていると、張魯の母についての事を思い出した。


 それは劉焉が死んで、その後を継いだ子の劉璋に張魯が従わないで独立をした。


 それに激怒した劉璋は、張魯の弟と母親を処刑したという事を。


(この人が殺されると、今後五斗米道と繋がりが断たれるな。それはまずいな)


 それは不味いと思ったが、だからと言って今の内から劉焉と距離を取った方が良いと言っても信じて貰えないだろうと思う曹昂。


 なので、此処は間接的に伝える事にした。


 もし、これで曹昂の忠告を聞き入れて貰えなかった場合は、その時は仕方がないと思いその時は別の方法で五斗米道と連絡を取ろうと決めた。


「……あの、一つ聞いても良いですか?」


「何でしょうか?」


「今も州牧の劉焉殿と親しくしているのですか?」


「ええ、そうですよ」


「それについて一言言っても宜しいでしょうか」


「あら、何かしら?」


 瑛蘭は曹昂が何を言うのか気になり身構える。


「劉焉殿も、もうそれなりの御歳でしょう。その後を継ぐ人も劉焉殿と同じ考えだと思っているとは、思わない方が良いですよ」


 曹昂の発言を聞いて瑛蘭はピクリと眉を動かした。


「……それは、どういう意味でしょうか?」


「親がそうであっても、その子も同じ考えとは限らないという事ですよ」


 曹昂は茶を啜り喉を潤した。


(こう言ってどうなるかは、この人次第か。僕が出来る事はしたから、後は天命に任せよう)


 茶を飲み終わった曹昂は、瑛蘭に一礼して東屋から出て行った。


 その背を瑛蘭は、見えなくなるまで見続けていた。

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